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万葉集読解・・・202(3280~3288番歌)

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     万葉集読解・・・202(3280~3288番歌)
3280番長歌
  我が背子は 待てど来まさず 天の原 振り放け見れば ぬばたまの 夜も更けにけり さ夜更けて あらしの吹けば 立ち待てる 我が衣手に 降る雪は 凍りわたりぬ 今さらに 君来まさめや さな葛 後も逢はむと 慰むる 心を持ちて ま袖もち 床うち掃ひ うつつには 君には逢はず 夢にだに 逢ふと見えこそ 天の足り夜を
 (妾背兒者 雖待来不益 天原 振左氣見者 黒玉之 夜毛深去来 左夜深而 荒風乃吹者 立待留 吾袖尓 零雪者 凍渡奴 今更 公来座哉 左奈葛 後毛相得 名草武類 心乎持而 二袖持 床打拂 卯管庭 君尓波不相 夢谷 相跡所見社 天之足夜乎)

 「ぬばたまの」はおなじみの枕詞。「さな葛(かづら)」は全万葉集歌中7例ある。うち5例はつる草として使われている。2例は本歌の「さな葛 後も逢はむと」と3288番長歌の「さな葛 いや遠長く」である。私はつる草の縁語とみて、「つるのように長く伸びて後には逢えるだろうと」と解している。「うつつには」は「現実には」という意味である。「天の足り夜を」は「満ち足りた夜にするために」という意味。

  (口語訳)
 「あの人は待っても待っても来てくださらない。大空を振り仰ぐと夜も更けてきた。次第に更けて嵐も吹いてきた。外に出て立って待っている私の着物の袖に降る雪も凍てついてきた。今となってはもうあの人は来て下さらないだろう。さな葛のつるのように長く伸びて後には逢えるだろうと自分の心を落ち着かせ、両袖をもって床を打ち払った。でも、現実にはあの方には逢えないでしょう。せめて夢の中に出てきて逢って下さい。満ち足りた夜にするために」という歌である。

 「或本にいう」として次のような異伝歌を掲載している。
3281番長歌
  我が背子は 待てど来まさず 雁が音も 響みて寒し ぬばたまの 夜も更けにけり さ夜更くと あらしの吹けば 立ち待つに 我が衣手に 置く霜も 氷にさえわたり 降る雪も 凍りわたりぬ 今さらに 君来まさめや さな葛 後も逢はむと 大船の 思ひ頼めど うつつには 君には逢はず 夢にだに 逢ふと見えこそ 天の足り夜に
 (吾背子者 待跡不来 鴈音文 動而寒 烏玉乃 宵文深去来 左夜深跡 阿下乃吹者 立待尓 吾衣袖尓 置霜文 氷丹左叡渡 落雪母 凍渡奴 今更 君来目八 左奈葛 後文将會常 大舟乃 思憑迹 現庭 君者不相 夢谷 相所見欲 天之足夜尓)

 前歌と大きな差異はなく、同趣旨の歌。「響(とよ)みて寒し」は「響いてきて寒い」という意味。

  (口語訳)
 「あの人は待っても待っても来てくださらない。雁の鳴き声が響いてきて寒い。夜も更けてきた。次第に更けて嵐も吹いてきた。外に出て立って待っている私の着物の袖に置く霜も氷つき、降る雪も凍てついてきた。今となってはもうあの人は来て下さらないだろう。さな葛のつるのように長く伸びて後には逢えるだろうと大船に乗った気持で自分の心を落ち着かせた。現実にはあの方には逢えないでしょう。せめて夢の中に出てきて逢って下さい。満ち足りた夜にするために」という歌である。

3282  衣手にあらしの吹きて寒き夜を君来まさずはひとりかも寝む
      (衣袖丹 山下吹而 寒夜乎 君不来者 獨鴨寐)
 平明歌。
 「着物の袖に嵐が吹きすさぶこの寒い夜。あの人がいらっしゃらなくてこの夜を独りっきりで寝ることになるのかしら」という歌である。

3283  今さらに恋ふとも君に逢はめやも寝る夜をおちず夢に見えこそ
      (今更 戀友君<二> 相目八毛 眠夜乎不落 夢所見欲)
 「おちず」は「欠かさず」という意味。
 「今さら、恋い焦がれたところであの人に逢えるだろうか。せめて毎夜毎夜欠かさず夢に現れてほしい」という歌である。
 以上、長反歌四首。

3284番長歌
  菅の根の ねもころごろに 我が思へる 妹によりては 言の忌みも なくありこそと 斎瓮を 斎ひ掘り据ゑ 竹玉を 間なく貫き垂れ 天地の 神をぞ我が祷む いたもすべなみ
 (菅根之 根毛一伏三向凝呂尓 吾念有 妹尓緑而者 言之禁毛 無在乞常 齊戸乎 石相穿居 竹珠乎 無間貫垂 天地之 神祇乎曽吾祈 甚毛為便無見)

 「菅(すが)の根の」は多くが「ねもころ」にかかる枕詞。「ねもころごろに」は「ねんごろに」ということ。「妹によりては」は「妹に関して」という意味。「言の忌(い)みも」は原文に「言之禁毛」とあるとおり「言葉に出してはいけないこと」、すなわち「よからぬ噂」ないし「汚い言葉」という意味。「斎瓮(いはひべ)」は「神事に使う器」。「斎(いは)ひ掘り据ゑ」は「慎んで堀り据える」ということ。竹玉(たかたま)は竹を短く切って管にし、紐を通したもの。「神をぞ我が祷(の)む」は「神に祈る」という意味である。

  (口語訳)
 「ねんごろに慕っている彼女に関してよからぬ噂がたったりすることのないよう、斎瓮(いはひべ)に供え物を入れて、慎んで掘って据え付け、竹玉をびっしり貫き通し、頭を垂れて神々に祈る。どうしようもなく、ただ祈るのみ」という歌である。
 左注に『「妹によりては」とあるが「君によりては」とすべきである。なぜなら反歌に「君がまにまに」とあるからである』としている。

3285  たらちねの母にも言はずつつめりし心はよしゑ君がまにまに
      (足千根乃 母尓毛不謂 裹有之 心者縦 公之随意)
 「たらちねの」はおなじみの枕詞。「よしゑ」は「ええいもう」という間投詞。
 「母さんにも言わず、包み隠してきたこの心。ええいもうこの心はあなたの意のままです」という歌である。

 「或本の歌にいう」として次歌を掲載。 
3286番長歌
  玉たすき 懸けぬ時なく 我が思へる 君によりては しつ幣を 手に取り持ちて 竹玉を 繁に貫き垂れ 天地の 神をぞ我が祷む いたもすべなみ
 (玉手<次> 不懸時無 吾念有 君尓依者 倭文幣乎 手取持而 竹珠(口+リ) 之自二貫垂 天地之 神(口+リ)曽吾乞 痛毛須部奈見)

 「玉たすき」は枕詞。「君によりては」は「あなたに関して」という意味である。「しつ幣(ぬさ)を」(原文:倭文幣乎)のしつ(倭文)は日本古来の織物。幣(ぬさ)は神に祈るときに捧げる供え物。「竹玉(たかたま)」は前々歌参照。「繁(しじ)に貫き垂れ」は「びっしりと貫き垂らし」という意味である。「神をぞ我が祷(の)む」は「神に祈る」という意味。「をぞ」は強意。

  (口語訳)
 「たすきを掛けるようにあなたのことが気に懸からぬ時はなく、我が慕うあなたに関して、しつ(倭文)織りの布を両手に捧げ持ち、竹玉(たかたま)をびっしり貫いて天地の神々に我が思いが届くようお祈りします。どうしようもなくて」という歌である。

3287  天地の神を祈りて我が恋ふる君いかならず逢はずあらめやも
      (乾坤乃 神乎祷而 吾戀 公以必 不相在目八)
 「君い」は強意の「い」。
 「天地の神々に我が思いをお祈りしたのですもの。恋しいあなた様が必ずや逢って下さらないということがありましょうか」という歌である。

 さらに、「或本の歌にいう」として次歌を掲載。 
3288番長歌
  大船の 思ひ頼みて さな葛 いや遠長く 我が思へる 君によりては 言の故も なくありこそと 木綿たすき 肩に取り懸け 斎瓮を 斎ひ掘り据ゑ 天地の 神にぞ我が祷む いたもすべなみ
 (大船之 思憑而 木<妨>己 弥遠長 我念有 君尓依而者 言之故毛 無有欲得 木綿手次 肩荷取懸 忌戸乎 齊穿居 玄黄之 神祇二衣吾祈 甚毛為便無見)

 「さな葛(かづら)いや遠長く」はつるの縁語として「さな葛のつるのようにずっと思い続ける」という意味である。「木綿(ゆふ)たすき」は「コウゾの皮を裂いたような木綿のタスキ」で神事に使われる。「斎瓮(いはひべ)」は「神事に使う器」。「斎(いは)ひ掘り据ゑ」は「慎んで堀り据える」ということ。

  (口語訳)
 「大船に乗った思いで、さな葛のつるのようにずっと恋続けるあの方に関しては妙な噂の立つことがないよう、あってほしいと、木綿たすきを肩に取り掛け、斎瓮に供え物を入れて、慎んで掘って据え付け、頭を垂れて神々に祈る。どうしようもなく、ただ祈るのみ」という歌である。
 以上、長反歌五首。
           (2016年2月11日記、2019年3月22日)
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