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万葉集読解・・・211(3361~3372番歌)

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     万葉集読解・・・211(3361~3372番歌)
3361  足柄の彼面此面にさすわなのか鳴る間しづみ子ろ我れ紐解く
      (安思我良能 乎弖毛許乃母尓 佐須和奈乃 可奈流麻之豆美 許呂安礼比毛等久)
 「足柄」は神奈川県足柄山。東南方向に箱根山につながる。「彼面此面(をてもこのも)に」は「あっちにもこっちにも」という意味である。「さすわなの」は獣を捕獲するために「仕掛ける罠」のこと。「か鳴る間しづみ」は「獲物がかかったときの音とその間の静けさ」という意味である。「子ろ」は「子ら」の方言。「子ら」は親愛の「ら」。
 「足柄山のあっちにもこっちにも仕掛けた罠。獲物がかかった時はけたたましくなり、それを待つ間の静けさ。その静けさの中であの子と私は着物のひもを解く」という歌である。

3362  相模嶺の小峰見そくし忘れ来る妹が名呼びて我を音し泣くな
      (相模祢乃 乎美祢見所久思 和須礼久流 伊毛我名欲妣弖 吾乎祢之奈久奈)
 第二句「小峰見そくし」を、「佐々木本」以外は「小峰見かくし」と訓じ、その「見かくし」は「見て見ぬふりをする」、すなわち「見捨てて」と解している。この表現は次の異伝歌と同じなので、両歌とも共用できなければならない。「見かくし」は原文の「見所久思」を「見可久思」の誤りとして解釈したものだ。
 さて、原文にしたがって「佐々木本」のように「見そくし」と訓じた場合はどうか。「見そくし」は「見るにつけても」という意味である。つまり小峰は隠れるどころか「いつまでも見えている」という意味。次の異伝歌にも通用する。
 「相模の山々の峰が遠ざかって小峰になりつつ、いつまでも見えている。小峰よ、忘れさろうとしているのにあの子の名を呼び覚まして私を泣かせないでおくれ」という歌である。

 本歌には異伝歌が登載されていて、次のようになっている。
 或本歌曰:武蔵嶺の小峰見そくし忘れ行く君が名かけて我を音し泣くる
      (或本歌曰;武蔵祢能 乎美祢見所久思 和須礼遊久 伎美我名可氣弖 安乎祢思奈久流)
 武蔵は東京都や埼玉県を一帯とする武州の国。その山々を意味している。本歌の「忘れ来る」が「忘れ行く」になっている。本歌は別れて遠ざかっていく山々を見つつ、彼女を惜しむ心情を詠ったもの。これに対し、この異伝歌は遠ざかっていく彼に焦点を当てて、彼方の武蔵の山々に向かっていくのを見送る女の心情を歌にしている。
 これでぴったり。これは異伝歌というより、男の心情と女の心情を詠ったもの。「忘れ来る」と「忘れ行く」、そして相模嶺と武蔵嶺と、原文の相違には大きな意味があるのである。
 「武蔵の山々の小峰に向かって、遠ざかっていく忘れられないあの人、その名を口にすると泣けてくる」という歌である。

3363  我が背子を大和へ遣りて待つしだす足柄山の杉の木の間か
      (和我世古乎 夜麻登敝夜利弖 麻都之太須 安思我良夜麻乃 須疑乃木能末可)
 「待つしだす」は古来難解とされている。その前に先ず結句の「杉の木の間か」。杉の木の間に立っているのは作者の女性。歌意はその彼女が大和へ向かう夫を見送っている図と考えるのが自然である。「待つしだす」は強意の「し」。これで歌意が通ればいいわけだ。
 「あの人を大和へ送り出す。足柄山の杉の木の間に立って見送りながら待つつらさよ」という歌である。

3364  足柄の箱根の山に粟蒔きて実とはなれるを粟無くもあやし [或本歌末句曰 這ふ葛の引かば寄り来ね下なほなほに]
      (安思我良能 波I祢乃夜麻尓 安波麻吉弖 實登波奈礼留乎 阿波奈久毛安夜思 [或本歌末句曰 波布久受能 比可波与利己祢 思多奈保那保尓])
 足柄山は3361番歌参照。「逢わない」を「粟(あわ)無く」にかけた歌。
 「足柄の箱根の山に粟(あわ)を蒔いて粟が実になったというのに、粟がない(逢わない)とは奇妙なことだね」という歌である。
 異伝歌は「這ふ葛の引かば寄り来ね下なほなほに」となっている。「下なほなほに」は「すなおに」という意味。下句だけ記してあるが、上句と合わせると次のようになる。
 「足柄の箱根の山に這う葛(くず)が引けば寄ってくる。その葛のようにすなおに逢ってちょうだい」という歌である。

3365  鎌倉の見越しの崎の岩崩えの君が悔ゆべき心は持たじ
      (可麻久良乃 美胡之能佐吉能 伊波久叡乃 伎美我久由倍伎 己許呂波母多自)
 鎌倉は、ご存知、後に鎌倉幕府の開かれた所。神奈川県鎌倉市。「見越しの崎」は不詳。「岩崩(いはく)えの」は岩崩れのこと。ここまで「悔ゆべき」を導く序歌。
 「鎌倉の見越しの崎の岩崩れのように、あなたが後悔なさるような心を私は決して持ちません」という歌である。

3366  ま愛しみさ寝に我は行く鎌倉の美奈の瀬川に潮満つなむか
      (麻可奈思美 佐祢尓和波由久 可麻久良能 美奈能瀬河泊尓 思保美都奈武賀)
 「ま愛(かな)しみ」は「~なので」の「み」。「全く可愛いので」という意味。「美奈の瀬川」は鎌倉市内を流れる稲瀬川のことか?。「なむか」は「らむか」の訛り。
 「あの子が全く可愛いので共寝しに行こうと思うが、鎌倉の美奈の瀬川は潮が満ちていることだろうか」という歌である。

3367  百づ島足柄小舟歩き多み目こそ離るらめ心は思へど
      (母毛豆思麻 安之我良乎夫祢 安流吉於保美 目許曽可流良米 己許呂波毛倍杼)
 「百(もも)づ島」は「多くの島々」という意味。足柄小舟は神奈川県足柄地方の独特の小舟とされる。ちょこまかと歩きまわるように島々をこぎ回るので「歩き多み」と表現したのだろう。「多み」は「~なので」の「み」。「目こそ離(か)るらめ」は「目と目を合わさないものの」、すなわち「ゆっくり顔を合わさないが」という意味である。
 「多くの島々を動きまわる足柄小舟のように立ち寄るところが多いので、ゆっくり顔を合わすことがないのでしょうね。心では思っていらっしゃるのでしょうが」という歌である。

3368  あしがりの土肥の河内に出づる湯のよにもたよらに子ろが言はなくに
      (阿之我利能 刀比能可布知尓 伊豆流湯能 余尓母多欲良尓 故呂河伊波奈久尓)
 「あしがりの」は「足柄の」の訛り。「土肥の河内に出づる湯の」は神奈川県湯河原から静岡県熱海に至る湯河原のこと。「よにもたよらに」ははっきりしない。「ように絶えずに」とも取れるし、「世にも絶えずに」とも取れる。「たよら」は「絶えぬ」の訛りか。「子ろ」は「子ら」の訛り。「小ら」は親愛の「ら」。
 「足柄の河口近辺に出る湯河原温泉の湯、世にも絶えないその湯のように愛情が絶えることはないとあの子は言ってくれない」という歌である。

3369  あしがりの麻万の小菅の菅枕あぜか巻かさむ子ろせ手枕
      (阿之我利乃 麻萬能古須氣乃 須我麻久良 安是加麻可左武 許呂勢多麻久良)
 「あしがりの」は「足柄の」の訛り。「麻万(まま)」は東国語で崖や土手を意味するようだが、はっきりしない。あるいは地名で「麻万製の」という意味かもしれない。「あぜか」は東国語で「なにゆえ」という意味。「子ろせ」は前歌参照。「せ」は「しなさい」という意味。共に東国語と考えられる。
 「足柄の麻万の小菅で作った菅枕、どうして枕にしているの。愛しい子よ私の手を枕にすればいいではないか」という歌である。

3370  あしがりの箱根の嶺ろのにこ草の花つ妻なれや紐解かず寝む
      (安思我里乃 波故祢能祢呂乃 尓古具佐能 波奈都豆麻奈礼也 比母登可受祢牟)
 「あしがりの」は「足柄の」の訛り。「嶺ろのにこ草」は「峰に生える柔らかい草」という意味。「嶺ろの」の「ろ」は「子ろ」と同じく親しみをこめた東国語訛り。
 「足柄の箱根の山のにこ草のような柔らかい花の妻だもの。着物の紐を解くことなく寝るとしよう」という歌である。

3371  足柄のみ坂畏み曇り夜の我が下ばへを言出つるかも
      (安思我良乃 美佐可加思古美 久毛利欲能 阿我志多婆倍乎 許知弖都流可毛)
 「み坂畏(かしこ)み」は(峠は神の御坂)ゆえ「恐れ多いので」という意味。「我が下ばへを」は「わが内心の思いを」という意味である。
 「足柄峠の神のみ坂は恐れ多いけれど、曇った夜にやってきて、(彼女に対する)内心の思いをとうとう言葉に出してしまった」という歌である。

3372  相模道の余綾の浜の真砂なす子らは愛しく思はるるかも
      (相模治乃 余呂伎能波麻乃 麻奈胡奈須 兒良波可奈之久 於毛波流留可毛)
 「余綾(よろき)の浜」は神奈川県小田原市の浜。「真砂なす」は「白砂のような」という意味。。「子ら」は親愛の「ら」。
 「相模道(さがみぢ)の余綾(よろき)の浜の美しい白砂のようなあの子、本当に愛(いと)しく思われることよ」という歌である。
 右十二首相模國の歌(さがみ。今の神奈川県)
           (2016年3月29日記、2019年3月24日)
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