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万葉集読解・・・210(3348~ 3360番歌)
巻14はすべて短歌で、かつ、すべてが東歌(あづまうた)。東国(あづまのくに)は奈良・京都より東方にある国々を指す。巻14の目次(表題)によると、国名のはっきりしている歌とそうでない歌に大別されている。特異な巻で、この巻の存在によって短歌文化は遙か遠く、陸奥(むつ)国(今の青森、岩手、宮城、福島の4県)まで及んでいたことが知られ、かつ、東国方言をうかがうことが出来る。貴重な巻である。
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万葉集読解・・・210(3348~ 3360番歌)
巻14はすべて短歌で、かつ、すべてが東歌(あづまうた)。東国(あづまのくに)は奈良・京都より東方にある国々を指す。巻14の目次(表題)によると、国名のはっきりしている歌とそうでない歌に大別されている。特異な巻で、この巻の存在によって短歌文化は遙か遠く、陸奥(むつ)国(今の青森、岩手、宮城、福島の4県)まで及んでいたことが知られ、かつ、東国方言をうかがうことが出来る。貴重な巻である。
3348 夏麻引く海上潟の沖つ洲に船は留めむさ夜更けにけり
(奈都素妣久 宇奈加美我多能 於伎都渚尓 布袮波等<杼>米牟 佐欲布氣尓家里)
「夏麻(なつそ)引く」は枕詞。4例ある。3例は「うな」にかかる。海上潟(うなかみがた)は千葉市付近という説がある。1176番歌にも「夏麻引く海上潟の沖つ洲に~」とあり、決定できない。文字通り「海の干潟」と解するのが無難だろう。
「沖の干潟に船をとどめることにしよう。夜も更けてきたので」という歌である。
右一首は上総國の歌。(かづさ。今の千葉県中部)。
(奈都素妣久 宇奈加美我多能 於伎都渚尓 布袮波等<杼>米牟 佐欲布氣尓家里)
「夏麻(なつそ)引く」は枕詞。4例ある。3例は「うな」にかかる。海上潟(うなかみがた)は千葉市付近という説がある。1176番歌にも「夏麻引く海上潟の沖つ洲に~」とあり、決定できない。文字通り「海の干潟」と解するのが無難だろう。
「沖の干潟に船をとどめることにしよう。夜も更けてきたので」という歌である。
右一首は上総國の歌。(かづさ。今の千葉県中部)。
3349 葛飾の真間の浦廻を漕ぐ船の船人騒く波立つらしも
(可豆思加乃 麻萬能宇良<未>乎 許具布祢能 布奈妣等佐和久 奈美多都良思母)
「葛飾(かつしか)」は千葉、埼玉、東京にまたがる一帯。真間は市川市内。432番歌にも「我れも見つ人にも告げむ勝鹿の真間の手児名が奥津城ところ」とある。「船人騒く」と「波立つらしも」をかけている。
「葛飾の真間の浦のあたりを漕ぐ船の船頭が忙しく立ち騒いでいる。波が立ち騒ぎだしたらしい」という歌である。
右一首下総國の歌(しもふさ。今の千葉県北部と茨城県南西部)。
(可豆思加乃 麻萬能宇良<未>乎 許具布祢能 布奈妣等佐和久 奈美多都良思母)
「葛飾(かつしか)」は千葉、埼玉、東京にまたがる一帯。真間は市川市内。432番歌にも「我れも見つ人にも告げむ勝鹿の真間の手児名が奥津城ところ」とある。「船人騒く」と「波立つらしも」をかけている。
「葛飾の真間の浦のあたりを漕ぐ船の船頭が忙しく立ち騒いでいる。波が立ち騒ぎだしたらしい」という歌である。
右一首下総國の歌(しもふさ。今の千葉県北部と茨城県南西部)。
3350 筑波嶺の新桑繭の衣はあれど君が御衣しあやに着欲しも [或本歌曰:たらちねの 又云 あまた着欲しも]
(筑波祢乃 尓比具波麻欲能 伎奴波安礼杼 伎美我美家思志 安夜尓伎保思母 [或本歌曰:多良知祢能 又云 安麻多伎保思母])
筑波嶺(つくはね)は茨城県筑波山。「新桑繭(にひぐはまよ)の衣(きぬ)はあれど」は「新しい繭で織った着物」。「あやに」は「たいそう」ないし「むしょうに」という意味である。
「筑波山で新しく織られた着物はいいのですが、私はあなたがお召しになっている着物がたいそう着てみとうございます」という歌である。
(筑波祢乃 尓比具波麻欲能 伎奴波安礼杼 伎美我美家思志 安夜尓伎保思母 [或本歌曰:多良知祢能 又云 安麻多伎保思母])
筑波嶺(つくはね)は茨城県筑波山。「新桑繭(にひぐはまよ)の衣(きぬ)はあれど」は「新しい繭で織った着物」。「あやに」は「たいそう」ないし「むしょうに」という意味である。
「筑波山で新しく織られた着物はいいのですが、私はあなたがお召しになっている着物がたいそう着てみとうございます」という歌である。
3351 筑波嶺に雪かも降らるいなをかも愛しき子ろがにぬ乾さるかも
(筑波祢尓 由伎可母布良留 伊奈乎可母 加奈思吉兒呂我 尓努保佐流可母)
筑波嶺(つくはね)は茨城県筑波山。「降らる」は「降れる」の訛りというが、本例一例しかなく、「降れる」は「降れるしぐれの」(1551番歌)とか「降れる白雪」(3926番歌)というふうに使用されている。なので、訛りには相違ないが、方言と見た方がいいだろう。同様に「子ろ」は「子ら」、「にぬ」は「ぬの(布)」の方言とみてよい。
「筑波嶺に雪が降っているのか、いや、そうではないのかな。愛しいあの子は布を干しているのだろうか」という歌である。
右二首常陸國の歌(ひたち。今の茨城県の大部分)。
(筑波祢尓 由伎可母布良留 伊奈乎可母 加奈思吉兒呂我 尓努保佐流可母)
筑波嶺(つくはね)は茨城県筑波山。「降らる」は「降れる」の訛りというが、本例一例しかなく、「降れる」は「降れるしぐれの」(1551番歌)とか「降れる白雪」(3926番歌)というふうに使用されている。なので、訛りには相違ないが、方言と見た方がいいだろう。同様に「子ろ」は「子ら」、「にぬ」は「ぬの(布)」の方言とみてよい。
「筑波嶺に雪が降っているのか、いや、そうではないのかな。愛しいあの子は布を干しているのだろうか」という歌である。
右二首常陸國の歌(ひたち。今の茨城県の大部分)。
3352 信濃なる須我の荒野に霍公鳥鳴く声聞けば時過ぎにけり
(信濃奈流 須我能安良能尓 保登等藝須 奈久許恵伎氣<婆> 登伎須疑尓家里)
「須我の荒野」は未詳。霍公鳥はホトトギス。
「信濃の国の須我の荒野にホトトギスが鳴いているところを見ると時は過ぎ去っていったのだな」という歌である。
右一首信濃國の歌(しなの。今の長野県)。
(信濃奈流 須我能安良能尓 保登等藝須 奈久許恵伎氣<婆> 登伎須疑尓家里)
「須我の荒野」は未詳。霍公鳥はホトトギス。
「信濃の国の須我の荒野にホトトギスが鳴いているところを見ると時は過ぎ去っていったのだな」という歌である。
右一首信濃國の歌(しなの。今の長野県)。
相聞歌。
3353 あらたまの伎倍の林に汝を立てて行きかつましじ寝を先立たね
(阿良多麻能 伎倍乃波也之尓 奈乎多弖天 由伎可都麻思自 移乎佐伎太多尼)
「あらたまの」は枕詞ではなく、静岡県浜松市の浜北区にあった麁玉郡(あらたまぐん)のこととされている。「伎倍(きへ)」はその麁玉郡内の地名。「行きかつましじ」は「そのままにして行ってしまってよいのだろうか」、すなわち「行くわけにはいかない」という意味である。
「麁玉(あらたま)の伎倍(きへ)の林に見送るあんたを立たせたまま行ってしまってよいのだろうか。その前に共寝をしようではないか」という歌である。
3353 あらたまの伎倍の林に汝を立てて行きかつましじ寝を先立たね
(阿良多麻能 伎倍乃波也之尓 奈乎多弖天 由伎可都麻思自 移乎佐伎太多尼)
「あらたまの」は枕詞ではなく、静岡県浜松市の浜北区にあった麁玉郡(あらたまぐん)のこととされている。「伎倍(きへ)」はその麁玉郡内の地名。「行きかつましじ」は「そのままにして行ってしまってよいのだろうか」、すなわち「行くわけにはいかない」という意味である。
「麁玉(あらたま)の伎倍(きへ)の林に見送るあんたを立たせたまま行ってしまってよいのだろうか。その前に共寝をしようではないか」という歌である。
3354 伎倍人のまだら衾に綿さはだ入りなましもの妹が小床に
(伎倍比等乃 萬太良夫須麻尓 和多佐波太 伊利奈麻之母乃 伊毛我乎杼許尓)
「伎倍(きへ)」は前歌参照。「まだら衾(ぶすま)」は「まだら模様の寝具」のこと。「綿さはだ」は「綿が一杯に」という意味。ここまで「入り」を導く序歌。
「伎倍人(きへびと)のまだら模様の寝具に綿がいっぱい入っている。その綿のように、私も綿になって彼女の床に入りこみたいものだ」という歌である。
右二首遠江國の歌(とほつあはうみ。今の静岡県西部)。
(伎倍比等乃 萬太良夫須麻尓 和多佐波太 伊利奈麻之母乃 伊毛我乎杼許尓)
「伎倍(きへ)」は前歌参照。「まだら衾(ぶすま)」は「まだら模様の寝具」のこと。「綿さはだ」は「綿が一杯に」という意味。ここまで「入り」を導く序歌。
「伎倍人(きへびと)のまだら模様の寝具に綿がいっぱい入っている。その綿のように、私も綿になって彼女の床に入りこみたいものだ」という歌である。
右二首遠江國の歌(とほつあはうみ。今の静岡県西部)。
3355 天の原富士の柴山この暗の時ゆつりなば逢はずかもあらむ
(安麻乃波良 不自能之婆夜麻 己能久礼能 等伎由都利奈波 阿波受可母安良牟)
「時ゆつりなば」は「時が移ったならば」、すなわち「時が過ぎていったなら」という意味である。
「天の原に聳える富士の柴山(雑木林)に日暮れ時がやってきた。この時を逃したらもう彼女に二度と逢えないだろうな」という歌である。
(安麻乃波良 不自能之婆夜麻 己能久礼能 等伎由都利奈波 阿波受可母安良牟)
「時ゆつりなば」は「時が移ったならば」、すなわち「時が過ぎていったなら」という意味である。
「天の原に聳える富士の柴山(雑木林)に日暮れ時がやってきた。この時を逃したらもう彼女に二度と逢えないだろうな」という歌である。
3356 富士の嶺のいや遠長き山路をも妹がりとへばけによばず来ぬ
(不盡能祢乃 伊夜等保奈我伎 夜麻治乎毛 伊母我理登倍婆 氣尓餘婆受吉奴)
「妹がり」は「暗がり」という表現があるように、「彼女の許へ」という意味。「けによばず」は漢字で「日(け)に及(よ)ばず」と書けばはっきりするが、「一日もかからず」という意味である。
「富士の嶺のいや遠く長い山路であっても、彼女の許へ訪れるつもりなら一日もかからず来られるよ」という歌である。
(不盡能祢乃 伊夜等保奈我伎 夜麻治乎毛 伊母我理登倍婆 氣尓餘婆受吉奴)
「妹がり」は「暗がり」という表現があるように、「彼女の許へ」という意味。「けによばず」は漢字で「日(け)に及(よ)ばず」と書けばはっきりするが、「一日もかからず」という意味である。
「富士の嶺のいや遠く長い山路であっても、彼女の許へ訪れるつもりなら一日もかからず来られるよ」という歌である。
3357 霞居る富士の山びに我が来なばいづち向きてか妹が嘆かむ
(可須美為流 布時能夜麻備尓 和我伎奈婆 伊豆知武吉弖加 伊毛我奈氣可牟)
「山びに」は「山辺に」ということで、富士の裾野を意味する。
「霞がたちこめる富士の裾野に迷い込んで私がやって来ないとしたら霞で分からず、どちらの方向に向かって彼女は嘆くことだろう」という歌である。
(可須美為流 布時能夜麻備尓 和我伎奈婆 伊豆知武吉弖加 伊毛我奈氣可牟)
「山びに」は「山辺に」ということで、富士の裾野を意味する。
「霞がたちこめる富士の裾野に迷い込んで私がやって来ないとしたら霞で分からず、どちらの方向に向かって彼女は嘆くことだろう」という歌である。
3358 さ寝らくは玉の緒ばかり恋ふらくは富士の高嶺の鳴沢のごと
(佐奴良久波 多麻乃緒婆可里 <古>布良久波 布自能多可祢乃 奈流佐波能其登)
これまでの例だと「玉の緒」は細く長いという意味に解されている。「切れやすい」という意味。たとえば2789番歌に「玉の緒の絶えたる恋の乱れなば死なまくのみぞまたも逢はずして」と使われている。結句の「鳴沢のごと」は「ごうごうと鳴る沢のように」という意味である。
「共寝するのは玉の緒のように切れやすい。が、恋心は富士の高嶺のごうごうと鳴る沢のように激しく長く続く」という歌である。
(佐奴良久波 多麻乃緒婆可里 <古>布良久波 布自能多可祢乃 奈流佐波能其登)
これまでの例だと「玉の緒」は細く長いという意味に解されている。「切れやすい」という意味。たとえば2789番歌に「玉の緒の絶えたる恋の乱れなば死なまくのみぞまたも逢はずして」と使われている。結句の「鳴沢のごと」は「ごうごうと鳴る沢のように」という意味である。
「共寝するのは玉の緒のように切れやすい。が、恋心は富士の高嶺のごうごうと鳴る沢のように激しく長く続く」という歌である。
本歌には異伝歌が登載されていて、その第一は次のとおりである。
或本歌曰:ま愛しく寝らくはしけらくさ鳴らくは伊豆の高嶺の鳴沢なすよ
(麻可奈思美 奴良久波思家良久 佐奈良久波 伊豆能多可祢能 奈流佐波奈須与)
「~しけらく」でいったん切ると「さ鳴らくは」は「噂が激しく」と解釈できる。なので「しけらく」は本歌の歌意と合わせて「切れやすい」すなわち「いっとき」という意味になる。
「あの子が可愛くて共寝したのはいっときのことだが、ひとの噂は激しくて、伊豆の高嶺のごうごうと鳴る沢音のようだ」という歌である。
或本歌曰:ま愛しく寝らくはしけらくさ鳴らくは伊豆の高嶺の鳴沢なすよ
(麻可奈思美 奴良久波思家良久 佐奈良久波 伊豆能多可祢能 奈流佐波奈須与)
「~しけらく」でいったん切ると「さ鳴らくは」は「噂が激しく」と解釈できる。なので「しけらく」は本歌の歌意と合わせて「切れやすい」すなわち「いっとき」という意味になる。
「あの子が可愛くて共寝したのはいっときのことだが、ひとの噂は激しくて、伊豆の高嶺のごうごうと鳴る沢音のようだ」という歌である。
第二の異伝歌は次のとおりである。
一本歌曰:逢へらくは玉の緒しけや恋ふらくは富士の高嶺に降る雪なすも
(阿敝良久波 多麻能乎思家也 古布良久波 布自乃多可祢尓 布流由伎奈須毛)
「玉の緒しけや」は「玉の緒は切れやすく」という意味。
「逢うのは玉の緒のようにいっときのことだが、恋心は富士の高嶺に降る雪のように激しく続く」という歌である。
一本歌曰:逢へらくは玉の緒しけや恋ふらくは富士の高嶺に降る雪なすも
(阿敝良久波 多麻能乎思家也 古布良久波 布自乃多可祢尓 布流由伎奈須毛)
「玉の緒しけや」は「玉の緒は切れやすく」という意味。
「逢うのは玉の緒のようにいっときのことだが、恋心は富士の高嶺に降る雪のように激しく続く」という歌である。
3359 駿河の海おし辺に生ふる浜つづら汝を頼み母に違ひぬ [一云 親に違ひぬ]
(駿河能宇美 於思敝尓於布流 波麻都豆良 伊麻思乎多能美 波播尓多我比奴 [一云 於夜尓多我比奴])
「おし辺に生ふる」は「磯辺に生える」ということで、「おし辺」は方言か。「浜つづら」は「浜に生えた蔓草」のことで、ここまで序歌。
「駿河の海の磯辺に生える浜の蔓草のように、末長くあなたを頼りにし、母さんの意志にそむいてしまいました」という歌である。
右五首駿河國の歌(するが。今の静岡県の中央部)。
(駿河能宇美 於思敝尓於布流 波麻都豆良 伊麻思乎多能美 波播尓多我比奴 [一云 於夜尓多我比奴])
「おし辺に生ふる」は「磯辺に生える」ということで、「おし辺」は方言か。「浜つづら」は「浜に生えた蔓草」のことで、ここまで序歌。
「駿河の海の磯辺に生える浜の蔓草のように、末長くあなたを頼りにし、母さんの意志にそむいてしまいました」という歌である。
右五首駿河國の歌(するが。今の静岡県の中央部)。
3360 伊豆の海に立つ白波のありつつも継ぎなむものを乱れしめめや
(伊豆乃宇美尓 多都思良奈美能 安里都追毛 都藝奈牟毛能乎 美太礼志米梅楊)
「ありつつも」は「このまま続く」という意味。ここまで「継ぎなむものを」を導く序歌。「乱れしめめや」は「乱れさせることがありましょうか」という意味である。
「伊豆の海に立つ白波のようにこのまま続けばいいものを、私があなたの心を乱れさせることがありましょうか」という歌である。
(伊豆乃宇美尓 多都思良奈美能 安里都追毛 都藝奈牟毛能乎 美太礼志米梅楊)
「ありつつも」は「このまま続く」という意味。ここまで「継ぎなむものを」を導く序歌。「乱れしめめや」は「乱れさせることがありましょうか」という意味である。
「伊豆の海に立つ白波のようにこのまま続けばいいものを、私があなたの心を乱れさせることがありましょうか」という歌である。
本歌には異伝歌が登載されていて、次のとおりである。
或本歌曰:白雲の絶えつつも継がむと思へや乱れそめけむ
(或本歌曰:之良久毛能 多延都追母 都我牟等母倍也 美太礼曽米家武)
第二句「絶えつつも」(原文「多延都追母」)は五音。極めて異例。七音が字足らずで六音になる例はあっても、五音はおそらく例がない。あるいは「多く延びつつも」と訓ずべきか。こう訓じた方が歌意が通りそうである。
「白雲の長く延びつつも続かんと思うにあなたの心を乱れさせることがありましょうか」という歌である。
右一首伊豆國の歌(いづ。今の静岡県伊豆半島と東京都伊豆諸島)。
(2016年3月27日記、2019年3月24日)
或本歌曰:白雲の絶えつつも継がむと思へや乱れそめけむ
(或本歌曰:之良久毛能 多延都追母 都我牟等母倍也 美太礼曽米家武)
第二句「絶えつつも」(原文「多延都追母」)は五音。極めて異例。七音が字足らずで六音になる例はあっても、五音はおそらく例がない。あるいは「多く延びつつも」と訓ずべきか。こう訓じた方が歌意が通りそうである。
「白雲の長く延びつつも続かんと思うにあなたの心を乱れさせることがありましょうか」という歌である。
右一首伊豆國の歌(いづ。今の静岡県伊豆半島と東京都伊豆諸島)。
(2016年3月27日記、2019年3月24日)