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万葉集読解・・・214(3405~3418番歌)

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     万葉集読解・・・214(3405~3418番歌)
3405  上つ毛野乎度の多杼里が川路にも子らは逢はなもひとりのみして
      (可美都氣努 乎度能多杼里我 可波治尓毛 兒良波安波奈毛 比等理能未思弖)
  上つ毛野(かみつけの)国は上野国(群馬県)。「乎度(をど)の」は「小野」の東国訛りと思われる。。「多杼里(たどり)」は所在不明。が、群馬県の旧村に小野村(現藤岡市)というのがあった。なので小野村内ではないかと思料される。「子ら」は親愛の「ら」。「逢はなも」は「逢ってくれないかな」という願望。
 「上つ毛野の小野の多杼里(たどり)の川辺であの子は逢ってくれないかな、ひとりっきりで」という歌である。
 異伝歌は次のようになっている。
 或本歌曰:上つ毛野の小野の多杼里が安波路にも背なは逢はなも見る人なしに
      (或本歌曰:可美都氣乃 乎野乃多杼里我 安波治尓母 世奈波安波奈母 美流比登奈思尓)
 「小野の多杼里」は本歌参照。「安波路(あはぢ)にも」は「川路(かはぢ)にも」の訛りであろうい。内容からして、異伝歌というより問答歌。
 「上つ毛野の小野の多杼里の川辺であの人は逢ってくれないかな、ひっそりと」という歌である。

3406  上つ毛野佐野の茎立ち折りはやし我れは待たむゑことし来ずとも
      (可美都氣野 左野乃九久多知 乎里波夜志 安礼波麻多牟恵 許登之許受登母)
 見解の分かれる難解な歌である。佐野(さの)は群馬県高崎市東南部一帯のこと。「茎(くく)立ち」は青菜のこと。「青菜の茎が伸びて」という意味か?。「折りはやし」は強意の「し」。「折り取って」ないし「折り茂らせる」という意味。難解なのは、ここまでの上三句と後半の下二句が歌意の上でどうつながるのか分からない点である。前半は「上つ毛野の佐野の青菜の茎が伸びてきたので折り取って」という意味。後半は「私は待ちましょうよ、今年来なくとも」という意味。このままでは歌意が通らない。ちょっと大胆な推量になるが、これは上つ毛野における一種の歌垣の場面ではないかと思う。歌垣は、2951番歌等に歌われているように、農家の若い男女が寄り集まってきて歌ったり踊ったりする、いわば一種のお祭りだ。この推量が正しいとすると、歌意はつながる。「我れは待たむゑ」の「ゑ」もぴったり決まる。
 「上つ毛野の佐野の青菜の茎が伸びてきたので折り取って踊ろう。(あの人)または(あの子)を待とうではないか、たとえ今年来なくとも」という歌である。

3407  上つ毛野まぐはしまとに朝日さしまきらはしもなありつつ見れば
      (可美都氣努 麻具波思麻度尓 安佐日左指 麻伎良波之母奈 安利都追見礼婆)
 「まぐはしまと」は地名というが所在不詳。あるいは「まぐはし窓」すなわち「まぶしい窓」という意味か?。「まきらはしもな」は「まぶしいなあ」ということ。「ありつつ見れば」は「このまま見ていると」という意味。
 「上つ毛野のまぐはし窓に朝日が差し、まぶしいなあ、彼女をこのまま見ていると」という歌である。

3408  新田山嶺にはつかなな我に寄そりはしなる子らしあやに愛しも
      (尓比多夜麻 祢尓波都可奈那 和尓余曽利 波之奈流兒良師 安夜尓可奈思<母>) 太田市金山
 新田山(にひたやま)は群馬県太田市にある金山のことという。「つかなな」は「付かないで」という意味。金山にはいくつかの峰があることを言外に述べている。「子らし」は強意の「し」。
 「新田山(にひたやま)のどの峰にも付かないで、この私に寄り添ってくれる、目立たないあの子は本当に愛しい」という歌である。

3409  伊香保ろに天雲い継ぎかぬまづく人とおたはふいざ寝しめとら
      (伊香保呂尓 安麻久母伊都藝 可奴麻豆久 比等登於多波布 伊射祢志米刀羅)
 伊香保(いかほ)は群馬県渋川市内の伊香保温泉で有名。「伊香保ろ」」は親愛の意味をもつ東国訛り。「かぬまづく」は「かずまふ」(仲間の)の東国訛り。「おたはふ」は「あたはふ」(出来る)も東国訛り?。「とら」は「子ら」の東国訛り。
 「伊香保に天雲が次々にかかる。仲間の内の人と認めてさあ共寝しようか、親愛なる彼女よ」という歌である。
 
3410  伊香保ろの沿ひの榛原ねもころに奥をな兼ねそまさかしよかば
      (伊香保呂能 蘇比乃波里波良 祢毛己呂尓 於久乎奈加祢曽 麻左可思余加婆)
 「伊香保ろ」は前歌参照。「沿ひの榛原(はりはら)」は「近くの榛の木の原」のことで「ねもころに」を導く序歌。「な兼ねそ」は「な~そ」の禁止形。「心配しなさんな」という意味である。「まさかし」は強意の「し」。「まさか」は「今現実は」という意味。2985番歌や3403番歌に使われている。「伊香保の近くの原のハンの木のように入り組んだ根のように、くよくよと先のことまで心配しなさんな。今現在が幸せならいいではないか」という歌である。

3411  多胡の嶺に寄せ綱延へて寄すれどもあにくやしづしその顔よきに
      (多胡能祢尓 与西都奈波倍弖 与須礼騰毛 阿尓久夜斯豆之 曽能可抱与吉尓)
多胡の嶺は群馬県高崎市の旧吉井町にある山。考古学に関心のある人にはおなじみの多湖碑がある。「あにくやしづし」は未詳とされている。が、「づし」は東国訛りとみて、「ほんに悔し」という意味。
 「多胡の嶺に綱を結わえて引き寄せようとしても、ああ悔しいな、美人ゆえに何ともならない」という歌である。

3412  上つ毛野久路保の嶺ろの葛葉がた愛しけ子らにいや離り来も
      (賀美都家野 久路保乃祢呂乃 久受葉我多 可奈師家兒良尓 伊夜射可里久母)
 久路保(くろほ)の嶺は群馬県の中央部前橋市、桐生市、沼田市等にまたがる有名な赤城山系のこと。その最高峰を黒檜(くろび)山という。久路保(くろほ)は黒檜(くろび)の訛りと見られる。「葛葉がた」は「葛の蔓」のこと。
 「上つ毛野の黒檜(くろび)山の葛葉の蔓が別々に別れて伸びていくように、愛しいあの子にああ別れて来たよ」という歌である。

3413  利根川の川瀬も知らず直渡り波にあふのす逢へる君かも
      (刀祢河泊乃 可波世毛思良受 多太和多里 奈美尓安布能須 安敝流伎美可母)
 「あふのす」は「あふなす」のことで、「あったと同じく」という意味。「のす」をこの意味で使うのは巻14しかなく、「なす」の東国訛りと思われる。ここまで「逢へる」を導く序歌。結句だけの歌でこんな長い序歌は極めて珍しい。
 「利根川の浅瀬の場所も知らないで直(じか)に川を渡り、波に出合ったように、ぱったりあの人に逢ったわ」という歌である。

3414  伊香保ろのやさかの堰塞に立つのじの現はろまでもさ寝をさ寝てば
      (伊香保呂能 夜左可能為提尓 多都努自能 安良波路萬代母 佐祢乎佐祢弖婆)
 「伊香保ろの」は3409番歌参照。「やさかの堰塞(ゐで)」はどこの堰塞(水をとめるセキ)を言っているのか不明。「のじ」は虹のことで、「伊香保ろの」や「現(あら)はろ」や「さ寝てば」と同様、東国訛り。
 「伊香保のやさかの堰塞(ゐで)に立つ虹が現れてくるまで(夜明けまで)、一緒に共寝したらどんなに楽しいだろう」という歌である。

3415  上つ毛野伊香保の沼に植ゑ小水葱かく恋ひむとや種求めけむ
      (可美都氣努 伊可保乃奴麻尓 宇恵古奈<宜> 可久古非牟等夜 多祢物得米家武)
 「小水葱(こなぎ)」は広辞苑によるとミズアオイ科の一年草。女性の比喩か。
 「上つ毛野の伊香保の沼に種をまいて植えた小水葱(こなぎ)草。こんなに恋に苦しむことになろうと思って種を求めたわけでもないのに」という歌である。

3416  上つ毛野可保夜が沼のいはゐつら引かばぬれつつ我をな絶えそね
      (可美都氣努 可保夜我奴麻能 伊波為都良 比可波奴礼都追 安乎奈多要曽祢)
 3378番歌にそっくりな歌。その3378番歌は「入間道の大家が原のいはゐつら引かばぬるぬる我にな絶えそね」となっている。埼玉県川越市の歌。これに対し本歌は群馬県の歌。両歌がそっくりな理由は分からない。「可保夜(かほや)が沼」は不詳。「いはゐつら」は強意の「い」。「つら」は「蔓」の方言。3378番歌の「ぬるぬる」は「ずるずる」の方言と思われるが、本歌の「ぬれつつ」は「ずられながら」の方言か。結句の「な~そ」は禁止形。
 「上つ毛野可保夜が沼に生え延びる蔓のように、引いたらずられながら寄ってくるように、決して切れることがないようにね」という歌である。

3417  上つ毛野伊奈良の沼の大藺草外に見しよは今こそまされ [柿本朝臣人麻呂歌集出也]
      (可美都氣努 伊奈良能奴麻乃 於保為具左 与曽尓見之欲波 伊麻許曽麻左礼 [柿本朝臣人麻呂歌集出也])
 「伊奈良(いなら)の沼」は不詳。大藺草(おほゐくさ)は太蘭(ふとい)のことでカヤツリ科の多年草。沼沢に自生。
 「上つ毛野の伊奈良(いなら)の沼の大藺草(おほゐくさ)ではないが、遠くから見ていた時より、恋仲になった今の方が恋しさがまさる」という歌である。
 左注に「柿本朝臣人麻呂の歌集に登載されている」とある。

3418  上つ毛野佐野田の苗のむら苗に事は定めつ今はいかにせも
      (可美都氣努 佐野田能奈倍能 武良奈倍尓 許登波佐太米都 伊麻波伊可尓世母)
 佐野田は群馬県高崎市内の地名。「むら苗に」を「群苗に」と訓じて解釈しようとする向きがある。が、これは「占(うら)苗に」に相違ない。「むら」は「うら」の東国訛り。結句の「せも」も「せむ」の東国訛り。
 「上つ毛野の佐野田の苗の苗占いによって事は決めてしまった。いまさらなんとしよう」という歌である。
           (2016年4月14日記、2019年3月26日)
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