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万葉集読解・・・215(3419~3433番歌)
3419 伊香保世欲奈可中次下於毛比度路隈こそしつと忘れ為なふも
(伊可保世 欲奈可中次下 於毛比度路 久麻許曽之都等 和須礼西奈布母)
本歌は結句以外はことごとく未詳とされる。このため歌意不明。私自身はこう解釈する。初句「伊香保世」は「伊香保夜」で、伊香保への呼びかけ。次句は「欲りな悲しげ」、第三句は「思ひ閉ぢ」、第四句と第五句は「岩波大系本」に同じ。かくて次のような訓を得る。
伊香保の夜欲りな悲しげ思ひ閉ぢ隈こそしつと忘れ為なふも
「欲りな悲し気」は「悲しみに誘われ」という意味。「隈(くま)こそしつと」は「心の隅にじっと」という意味。「しつと」は東国訛りか。「忘れ為(せ)なふも」は「(あの人のことを)忘れようにも忘れられない」という意味である。
「伊香保の夜、悲しみに誘われ思いを閉じこめて心の隅にじっととどめている。でも(あの人のことを)忘れようにも忘れられない」という歌である。
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万葉集読解・・・215(3419~3433番歌)
3419 伊香保世欲奈可中次下於毛比度路隈こそしつと忘れ為なふも
(伊可保世 欲奈可中次下 於毛比度路 久麻許曽之都等 和須礼西奈布母)
本歌は結句以外はことごとく未詳とされる。このため歌意不明。私自身はこう解釈する。初句「伊香保世」は「伊香保夜」で、伊香保への呼びかけ。次句は「欲りな悲しげ」、第三句は「思ひ閉ぢ」、第四句と第五句は「岩波大系本」に同じ。かくて次のような訓を得る。
伊香保の夜欲りな悲しげ思ひ閉ぢ隈こそしつと忘れ為なふも
「欲りな悲し気」は「悲しみに誘われ」という意味。「隈(くま)こそしつと」は「心の隅にじっと」という意味。「しつと」は東国訛りか。「忘れ為(せ)なふも」は「(あの人のことを)忘れようにも忘れられない」という意味である。
「伊香保の夜、悲しみに誘われ思いを閉じこめて心の隅にじっととどめている。でも(あの人のことを)忘れようにも忘れられない」という歌である。
3420 上つ毛野佐野の舟橋取り離し親は放くれど我は離るがへ
(可美都氣努 佐野乃布奈波之 登里波奈之 於也波左久礼騰 和波左可流賀倍)
佐野(さの)は群馬県高崎市東南部一帯のことという。「佐野の舟橋取り離(はな)し」でいったん区切れ。「離すように」と次句につなげる。結句の「離(さか)るがへ」は「割かれるものか」という作者の意志を示す。「上つ毛野の佐野の舟橋を取り離すように、親は私たちの仲を割こうとするが、私は離れるものか」という歌である。
(可美都氣努 佐野乃布奈波之 登里波奈之 於也波左久礼騰 和波左可流賀倍)
佐野(さの)は群馬県高崎市東南部一帯のことという。「佐野の舟橋取り離(はな)し」でいったん区切れ。「離すように」と次句につなげる。結句の「離(さか)るがへ」は「割かれるものか」という作者の意志を示す。「上つ毛野の佐野の舟橋を取り離すように、親は私たちの仲を割こうとするが、私は離れるものか」という歌である。
3421 伊香保嶺に雷な鳴りそね我が上には故はなけども子らによりてぞ
(伊香保祢尓 可未奈那里曽祢 和我倍尓波 由恵波奈家杼母 兒良尓与里弖曽)
伊香保(いかほ)は群馬県渋川市内にある。伊香保温泉で有名。「雷(かみ)な鳴りそね」は「な~そ」の禁止形。「子らによりてぞ」は「あの子の故に」すなわち「あの子が怖がるからさ」。「伊香保嶺の雷さんよ鳴りとどろかないでおくれ。別に私は怖くないけれど、あの子が怖がるからさ」という歌である。
(伊香保祢尓 可未奈那里曽祢 和我倍尓波 由恵波奈家杼母 兒良尓与里弖曽)
伊香保(いかほ)は群馬県渋川市内にある。伊香保温泉で有名。「雷(かみ)な鳴りそね」は「な~そ」の禁止形。「子らによりてぞ」は「あの子の故に」すなわち「あの子が怖がるからさ」。「伊香保嶺の雷さんよ鳴りとどろかないでおくれ。別に私は怖くないけれど、あの子が怖がるからさ」という歌である。
3422 伊香保風吹く日吹かぬ日ありと言へど我が恋のみし時なかりけり
(伊可保可是 布久日布加奴日 安里登伊倍杼 安我古非能未思 等伎奈可里家利)
読解不要の平明歌。「伊香保の風は吹く日も吹かぬ日もあるというけれど、私の恋心はやむときはない」という歌である。
(伊可保可是 布久日布加奴日 安里登伊倍杼 安我古非能未思 等伎奈可里家利)
読解不要の平明歌。「伊香保の風は吹く日も吹かぬ日もあるというけれど、私の恋心はやむときはない」という歌である。
3423 上つ毛野伊香保の嶺ろに降ろ雪の行き過ぎかてぬ妹が家のあたり
(可美都氣努 伊可抱乃祢呂尓 布路与伎能 遊吉須宜可提奴 伊毛賀伊敝乃安多里)
「嶺ろ」のろは例によって東国訛り。「嶺ら」のことで、親しみを込めて呼ぶ。「~降ろ雪の」までは「行き」を導く序歌。
「上つ毛野の伊香保のあの嶺に降る雪ではないが、行き過ぎ難い。彼女の家のあたりは」という歌である。
右廿二首(3402~3423番歌)は上野國の歌(かみつけ。今の群馬県)。
(可美都氣努 伊可抱乃祢呂尓 布路与伎能 遊吉須宜可提奴 伊毛賀伊敝乃安多里)
「嶺ろ」のろは例によって東国訛り。「嶺ら」のことで、親しみを込めて呼ぶ。「~降ろ雪の」までは「行き」を導く序歌。
「上つ毛野の伊香保のあの嶺に降る雪ではないが、行き過ぎ難い。彼女の家のあたりは」という歌である。
右廿二首(3402~3423番歌)は上野國の歌(かみつけ。今の群馬県)。
3424 下つ毛野美可母の山のこ楢のすまぐはし子ろは誰が笥か持たむ
(之母都家野 美可母乃夜麻能 許奈良能須 麻具波思兒呂波 多賀家可母多牟)
下つ毛野(しもつけの)は下野国(栃木県)のことで旧国名。美可母(みかも)の山は栃木県佐野市の東の山で、現在なお「三鴨小学校」に名をとどめている。「こ楢(なら)のす」は「「こ楢(なら)の木のように美しい」という意味である。「まぐはし子ろは」は「美しいあの子は」という意味。笥(け)は食物を盛る器。
「下つ毛野の美可母(みかも)の山のこ楢のように美しいあの子は、いったい誰のために食物の器を差し出すというのだろう。(夫になる人が羨ましい)」という歌である。
(之母都家野 美可母乃夜麻能 許奈良能須 麻具波思兒呂波 多賀家可母多牟)
下つ毛野(しもつけの)は下野国(栃木県)のことで旧国名。美可母(みかも)の山は栃木県佐野市の東の山で、現在なお「三鴨小学校」に名をとどめている。「こ楢(なら)のす」は「「こ楢(なら)の木のように美しい」という意味である。「まぐはし子ろは」は「美しいあの子は」という意味。笥(け)は食物を盛る器。
「下つ毛野の美可母(みかも)の山のこ楢のように美しいあの子は、いったい誰のために食物の器を差し出すというのだろう。(夫になる人が羨ましい)」という歌である。
3425 下つ毛野阿蘇の川原よ石踏まず空ゆと来ぬよ汝が心告れ
(志母都家努 安素乃河泊良欲 伊之布麻受 蘇良由登伎奴与 奈我己許呂能礼)
阿蘇(あそ)は栃木県佐野市、日光市にまたがって存在した旧阿蘇郡。「空ゆと」は通常「空ゆ」(空から)という意味。「と」は強意なのか東国訛りなのか不明。「汝(な)が心告(の)れ」は「あんたの心が知りたい」という意味。
「下つ毛野の阿蘇の川原の石を渡って来ないで空からやってきたのよ、あんたの心が知りたくて」という歌である。
右二首下野國の歌(しもつけ。今の栃木県)。
(志母都家努 安素乃河泊良欲 伊之布麻受 蘇良由登伎奴与 奈我己許呂能礼)
阿蘇(あそ)は栃木県佐野市、日光市にまたがって存在した旧阿蘇郡。「空ゆと」は通常「空ゆ」(空から)という意味。「と」は強意なのか東国訛りなのか不明。「汝(な)が心告(の)れ」は「あんたの心が知りたい」という意味。
「下つ毛野の阿蘇の川原の石を渡って来ないで空からやってきたのよ、あんたの心が知りたくて」という歌である。
右二首下野國の歌(しもつけ。今の栃木県)。
3426 会津嶺の国をさ遠み逢はなはば偲ひにせもと紐結ばさね
(安比豆祢能 久尓乎佐杼抱美 安波奈波婆 斯努比尓勢毛等 比毛牟須婆佐祢)
会津嶺(あひづね)は福島県磐梯山のこと。「さ遠み」は強意の「さ」。みは「~ので」の「み」。「逢はなはば」東国訛りか?。「逢えなくなる」という意味。
「会津嶺(あひづね)のある国は遠いので簡単に逢えなくなる。互いに互いを偲ぶよすがにしよう、着物の紐をしっかり結び合って」という歌である。
(安比豆祢能 久尓乎佐杼抱美 安波奈波婆 斯努比尓勢毛等 比毛牟須婆佐祢)
会津嶺(あひづね)は福島県磐梯山のこと。「さ遠み」は強意の「さ」。みは「~ので」の「み」。「逢はなはば」東国訛りか?。「逢えなくなる」という意味。
「会津嶺(あひづね)のある国は遠いので簡単に逢えなくなる。互いに互いを偲ぶよすがにしよう、着物の紐をしっかり結び合って」という歌である。
3427 筑紫なるにほふ子ゆゑに陸奥の可刀利娘子の結ひし紐解く
(筑紫奈留 尓抱布兒由恵尓 美知能久乃 可刀利乎登女乃 由比思比毛等久)
「筑紫なる」を「岩波大系本」以下各書は九州のことと解している。が、それが陸奥(むつ)の可刀利(かとり)の子とどう結びつくのかさっぱり分からない。私はここは土筆(つくし)の当て字だと思う。
「土筆のように美しいので、その香取の子の結んでいる着物の紐を解く」という歌である。
(筑紫奈留 尓抱布兒由恵尓 美知能久乃 可刀利乎登女乃 由比思比毛等久)
「筑紫なる」を「岩波大系本」以下各書は九州のことと解している。が、それが陸奥(むつ)の可刀利(かとり)の子とどう結びつくのかさっぱり分からない。私はここは土筆(つくし)の当て字だと思う。
「土筆のように美しいので、その香取の子の結んでいる着物の紐を解く」という歌である。
3428 安達太良の嶺に伏す鹿猪のありつつも我れは至らむ寝処な去りそね
(安太多良乃 祢尓布須思之能 安里都々毛 安礼波伊多良牟 祢度奈佐利曽祢)
「安達太良の嶺」は「福島県安達太良山」。「伏す鹿猪(しし)のありつつも」は「そのまま鹿猪が寝床を変えないように」という意味である。「な去りそね」は「な~そ」の禁止形。
「安達太良山の鹿猪(しし)がそのまま寝床を変えないように、私はいつもの寝床に行く。だからそのまま寝床を変えないでほしい」という歌である。
右三首陸奥國の歌(むつ。今の青森、岩手、宮城、福島の4県)
(安太多良乃 祢尓布須思之能 安里都々毛 安礼波伊多良牟 祢度奈佐利曽祢)
「安達太良の嶺」は「福島県安達太良山」。「伏す鹿猪(しし)のありつつも」は「そのまま鹿猪が寝床を変えないように」という意味である。「な去りそね」は「な~そ」の禁止形。
「安達太良山の鹿猪(しし)がそのまま寝床を変えないように、私はいつもの寝床に行く。だからそのまま寝床を変えないでほしい」という歌である。
右三首陸奥國の歌(むつ。今の青森、岩手、宮城、福島の4県)
次歌から譬喩歌とある。
3429 遠江引佐細江のみをつくし我れを頼めてあさましものを
(等保都安布美 伊奈佐保曽江乃 水乎都久思 安礼乎多能米弖 安佐麻之物能乎)
遠江(とほつあふみ)は静岡県浜名湖のこと。これに対して琵琶湖は近淡海(ちかつあふみ)という。 引佐(いなさ)郡は浜名湖の奥まった所にあった郡(現浜松市北区)。細江はその一つ。「みをつくし」は航行する船に通りやすい深い水脈を知らせる杭。結句の「あさましものを」は本歌以外に例がなく、未詳。枕草子97段に「あさましきもの、さし櫛すりて磨く程に、ものにつきさへて折りたる心地」とある。
「遠江の引佐細江(いなさほそえ)に作られたみをつくし、そのみをつくしのように私を頼りにしおって、なんともあさましいものよ」という歌である。
右一首遠江國の歌(とほつあはうみ。今の静岡県西部)。
3429 遠江引佐細江のみをつくし我れを頼めてあさましものを
(等保都安布美 伊奈佐保曽江乃 水乎都久思 安礼乎多能米弖 安佐麻之物能乎)
遠江(とほつあふみ)は静岡県浜名湖のこと。これに対して琵琶湖は近淡海(ちかつあふみ)という。 引佐(いなさ)郡は浜名湖の奥まった所にあった郡(現浜松市北区)。細江はその一つ。「みをつくし」は航行する船に通りやすい深い水脈を知らせる杭。結句の「あさましものを」は本歌以外に例がなく、未詳。枕草子97段に「あさましきもの、さし櫛すりて磨く程に、ものにつきさへて折りたる心地」とある。
「遠江の引佐細江(いなさほそえ)に作られたみをつくし、そのみをつくしのように私を頼りにしおって、なんともあさましいものよ」という歌である。
右一首遠江國の歌(とほつあはうみ。今の静岡県西部)。
3430 志太の浦を朝漕ぐ舟はよしなしに漕ぐらめかもよよしこさるらめ
(斯太能宇良乎 阿佐許求布祢波 与志奈之尓 許求良米可母与 余志許佐流良米)
志太の浦は静岡県富士市から藤枝市にかけてあった郡。現在も志太温泉という名でその名をとどめている。「よしなしに」は「由なしに」という意味で、「わけもなく」という意味。「よしこさるらめ」は「由こそあるらめ」の縮まった用語というが、あるいは東国方言か?。
「志太の浦を朝漕ぐのはわけもなく漕いでいるのだろうか。そんな筈はない。ちゃんとわけがあって漕いでいるに相違ない」という歌である。
右一首駿河國の歌(するが。今の静岡県の中央部)。
(斯太能宇良乎 阿佐許求布祢波 与志奈之尓 許求良米可母与 余志許佐流良米)
志太の浦は静岡県富士市から藤枝市にかけてあった郡。現在も志太温泉という名でその名をとどめている。「よしなしに」は「由なしに」という意味で、「わけもなく」という意味。「よしこさるらめ」は「由こそあるらめ」の縮まった用語というが、あるいは東国方言か?。
「志太の浦を朝漕ぐのはわけもなく漕いでいるのだろうか。そんな筈はない。ちゃんとわけがあって漕いでいるに相違ない」という歌である。
右一首駿河國の歌(するが。今の静岡県の中央部)。
3431 足柄の安伎奈の山に引こ船の後引かしもよここば来がたに
(阿之我里乃 安伎奈乃夜麻尓 比古布祢乃 斯利比可志母與 許己波故賀多尓)
足柄(あしがり)は神奈川県足柄郡のこと。大部分は小田原市に編入されたが、現在もなお足柄上郡、足柄下郡として残っている。「安伎奈(あきな)の山」は所在不詳。「ここば来(こ)がたに」の「ここば」のばは東国訛り。「来がたに」は「ここに来るのは難しい」という意味。
「足柄の安伎奈(あきな)の山で作った舟を引っ張りおろすのが難しいように、ここまで来るのは難しい」という歌である。
(阿之我里乃 安伎奈乃夜麻尓 比古布祢乃 斯利比可志母與 許己波故賀多尓)
足柄(あしがり)は神奈川県足柄郡のこと。大部分は小田原市に編入されたが、現在もなお足柄上郡、足柄下郡として残っている。「安伎奈(あきな)の山」は所在不詳。「ここば来(こ)がたに」の「ここば」のばは東国訛り。「来がたに」は「ここに来るのは難しい」という意味。
「足柄の安伎奈(あきな)の山で作った舟を引っ張りおろすのが難しいように、ここまで来るのは難しい」という歌である。
3432 足柄の我を可鶏山のかづの木の我をかづさねも門さかずとも
(阿之賀利乃 和乎可鶏夜麻能 可頭乃木能 和乎可豆佐祢母 可豆佐可受等母)
足柄(あしがり)は前歌参照。可鶏山(かけやま)は所在未詳。「かづの木」はヌルデのことで結句の「門さかずとも」(門を開かなくとも)という意味で、「私を呼ばなくとも」という意味。
「足柄の私を可鶏(かけ)山(心に懸ける山)の穀の木ではないが、数に入れなくとも門を開けなくともいいよ」という歌である。
(阿之賀利乃 和乎可鶏夜麻能 可頭乃木能 和乎可豆佐祢母 可豆佐可受等母)
足柄(あしがり)は前歌参照。可鶏山(かけやま)は所在未詳。「かづの木」はヌルデのことで結句の「門さかずとも」(門を開かなくとも)という意味で、「私を呼ばなくとも」という意味。
「足柄の私を可鶏(かけ)山(心に懸ける山)の穀の木ではないが、数に入れなくとも門を開けなくともいいよ」という歌である。
3433 薪伐る鎌倉山の木垂る木を松と汝が言はば恋ひつつやあらむ
(多伎木許流 可麻久良夜麻能 許太流木乎 麻都等奈我伊波婆 古非都追夜安良牟)
薪伐る(たきぎこる)(原文「多伎木許流」)は「きる」ないし「かる」の東国訛り?。鎌倉山は神奈川県鎌倉市の周辺の山々のこと。
「薪を伐る鎌倉山の枝をしならせている木を松(待つ)とあんたが言ってくれれば、こんなに恋い焦がれていることもあるまいに」という歌である。
右三首相模國の歌(さがみ。今の神奈川県)。
(2016年4月17日記、2019年3月26日)
(多伎木許流 可麻久良夜麻能 許太流木乎 麻都等奈我伊波婆 古非都追夜安良牟)
薪伐る(たきぎこる)(原文「多伎木許流」)は「きる」ないし「かる」の東国訛り?。鎌倉山は神奈川県鎌倉市の周辺の山々のこと。
「薪を伐る鎌倉山の枝をしならせている木を松(待つ)とあんたが言ってくれれば、こんなに恋い焦がれていることもあるまいに」という歌である。
右三首相模國の歌(さがみ。今の神奈川県)。
(2016年4月17日記、2019年3月26日)