万葉集読解・・・216(3434~3445番歌)
3434 上つ毛野阿蘇山つづら野を広み延ひにしものをあぜか絶えせむ
(可美都家野 安蘇夜麻都豆良 野乎比呂美 波比尓思物能乎 安是加多延世武)
「上つ毛野阿蘇」は上毛野国(群馬県)阿蘇のことだが、3425番歌には「下つ毛野阿蘇」とあって栃木県にも阿蘇がある。阿蘇郡は群馬県と栃木県にまたがる郡域だったのだろうか。はっきりしない。本歌の標記どおりなら群馬県にも阿蘇郡の一部がまたがっていたと解釈できる。「山つづら」は全訳古語辞典に「つる草の総称」とある。「野を広み」は「~ので」の「み」。「あぜか」は5例もあるが、すべて巻14に集中。「などか」の東国訛りとみてよい。「なぜか」という意味。
「上つ毛野阿蘇の山つづらは野が広いので伸び放題に伸びていく、その思いはどうして絶えることがありましょう」という歌である。
3434 上つ毛野阿蘇山つづら野を広み延ひにしものをあぜか絶えせむ
(可美都家野 安蘇夜麻都豆良 野乎比呂美 波比尓思物能乎 安是加多延世武)
「上つ毛野阿蘇」は上毛野国(群馬県)阿蘇のことだが、3425番歌には「下つ毛野阿蘇」とあって栃木県にも阿蘇がある。阿蘇郡は群馬県と栃木県にまたがる郡域だったのだろうか。はっきりしない。本歌の標記どおりなら群馬県にも阿蘇郡の一部がまたがっていたと解釈できる。「山つづら」は全訳古語辞典に「つる草の総称」とある。「野を広み」は「~ので」の「み」。「あぜか」は5例もあるが、すべて巻14に集中。「などか」の東国訛りとみてよい。「なぜか」という意味。
「上つ毛野阿蘇の山つづらは野が広いので伸び放題に伸びていく、その思いはどうして絶えることがありましょう」という歌である。
3435 伊香保ろの沿ひの榛原我が衣に着きよらしもよひたへと思へば
(伊可保呂乃 蘇比乃波里波良 和我吉奴尓 都伎与良之母与 比多敝登於毛敝婆)
「伊香保ろの」は親愛の「ろ」。東国訛り。「沿ひの榛(はり)原」は「山沿いに広がる榛原」。榛は榛(はん)の木のことで落葉高木。実や皮は黒色の染料として使われた。「我が衣に着きよらしもよ」は「わが着物に染めると丁度いい」という意味。「ひたへと思へば」の「ひたへ」は意味不明。普通に解すると「一重(ひとへ)」だが、「着物にするとちょうどいい」と「一重」がどう結びつくのか分からない。「裏もない一重」の意味とか「相手の女性が純粋だから一重に合う」という意味とか、「岩波大系本」以下各書ともさんざん苦労して一重に結びつけようとしている。が、どこかしっくりこない。私もさんざん悩み抜いたが、「ひたへ」は「直(ひた)に」の東国訛りと考えるに至った。これで歌意がすっきり通った。
「伊香保の山沿いに広がる榛原。榛(はん)の木で私の着物を染めるとちょうどいい。直に(一途に)思えば思いは届くだろう」という歌である。
(伊可保呂乃 蘇比乃波里波良 和我吉奴尓 都伎与良之母与 比多敝登於毛敝婆)
「伊香保ろの」は親愛の「ろ」。東国訛り。「沿ひの榛(はり)原」は「山沿いに広がる榛原」。榛は榛(はん)の木のことで落葉高木。実や皮は黒色の染料として使われた。「我が衣に着きよらしもよ」は「わが着物に染めると丁度いい」という意味。「ひたへと思へば」の「ひたへ」は意味不明。普通に解すると「一重(ひとへ)」だが、「着物にするとちょうどいい」と「一重」がどう結びつくのか分からない。「裏もない一重」の意味とか「相手の女性が純粋だから一重に合う」という意味とか、「岩波大系本」以下各書ともさんざん苦労して一重に結びつけようとしている。が、どこかしっくりこない。私もさんざん悩み抜いたが、「ひたへ」は「直(ひた)に」の東国訛りと考えるに至った。これで歌意がすっきり通った。
「伊香保の山沿いに広がる榛原。榛(はん)の木で私の着物を染めるとちょうどいい。直に(一途に)思えば思いは届くだろう」という歌である。
3436 しらとほふ小新田山の守る山のうら枯れせなな常葉にもがも
(志良登保布 乎尓比多夜麻乃 毛流夜麻乃 宇良賀礼勢奈那 登許波尓毛我母)
「しらとほふ」。本歌一例しかなく、枕詞(?)。新田山(にひたやま)は群馬県太田市にある金山のことという。「うら枯れせなな」は「梢も枯れないでよ」という意味である。
「しらとほふ小新田山(にひたやま)の木々は、山守に大切に守られている。そのように梢も枯れることなく、いつも青々としていてほしいものだ(あの子には)」という歌である。
右三首上野國の歌(かみつけ。今の群馬県)。
(志良登保布 乎尓比多夜麻乃 毛流夜麻乃 宇良賀礼勢奈那 登許波尓毛我母)
「しらとほふ」。本歌一例しかなく、枕詞(?)。新田山(にひたやま)は群馬県太田市にある金山のことという。「うら枯れせなな」は「梢も枯れないでよ」という意味である。
「しらとほふ小新田山(にひたやま)の木々は、山守に大切に守られている。そのように梢も枯れることなく、いつも青々としていてほしいものだ(あの子には)」という歌である。
右三首上野國の歌(かみつけ。今の群馬県)。
3437 陸奥の安達太良真弓はじき置きて反らしめきなば弦はかめかも
(美知乃久能 安太多良末由美 波自伎於伎弖 西良思馬伎那婆 都良波可馬可毛)
陸奥(むつ)の安達太良(あだたら)は福島県中部の連山中、最高峰の山。真弓(まゆみ)の真は立派なという美称。「はじき置きて」は「弦をはずして弓をはじかせたままにしておく」こと。「反(そ)らしめきなば」は「弓を反らせたままにしておくなら」という意味である。
「陸奥の安達太良山の真弓を弦をはずして弓をはじかせたままにしておいて、反らしっぱなしに放置すれば、もう一度弦を張ることなどどうしてできよう」という歌である。
右一首陸奥國の歌(むつ。今の青森、岩手、宮城、福島の4県)。
(美知乃久能 安太多良末由美 波自伎於伎弖 西良思馬伎那婆 都良波可馬可毛)
陸奥(むつ)の安達太良(あだたら)は福島県中部の連山中、最高峰の山。真弓(まゆみ)の真は立派なという美称。「はじき置きて」は「弦をはずして弓をはじかせたままにしておく」こと。「反(そ)らしめきなば」は「弓を反らせたままにしておくなら」という意味である。
「陸奥の安達太良山の真弓を弦をはずして弓をはじかせたままにしておいて、反らしっぱなしに放置すれば、もう一度弦を張ることなどどうしてできよう」という歌である。
右一首陸奥國の歌(むつ。今の青森、岩手、宮城、福島の4県)。
以上で譬喩歌は終わり、次歌から「雜歌」
3438 都武賀野に鈴が音聞こゆ可牟思太の殿の仲子し鳥猟すらしも [或本歌日 美都我野に 又曰 若子し]
(都武賀野尓 須受我於等伎許由 可牟思太能 等能乃奈可知師 登我里須良思母 [或本歌日 美都我野尓 又曰 和久胡思])
都武賀野(つむがの)及び可牟思太(かむしだ)は共に所在不詳。第二句の「鈴が音聞こゆ」と結句の「鳥猟(とがり)すらしも」とがなぜ結びつくかというと、4011番長歌に「(鷹に)白塗の鈴取り付けて」という鷹狩りのくだりがあるからである。「仲子し」は強意の「し」。「中の若様」すなわち「次男坊」のこと。
「都武賀野(つむがの)に(鷹の)鈴の音が聞こえる。可牟思太(かむしだ)の殿の中の若様が鷹狩りをなさっているらしい」という歌である。
3438 都武賀野に鈴が音聞こゆ可牟思太の殿の仲子し鳥猟すらしも [或本歌日 美都我野に 又曰 若子し]
(都武賀野尓 須受我於等伎許由 可牟思太能 等能乃奈可知師 登我里須良思母 [或本歌日 美都我野尓 又曰 和久胡思])
都武賀野(つむがの)及び可牟思太(かむしだ)は共に所在不詳。第二句の「鈴が音聞こゆ」と結句の「鳥猟(とがり)すらしも」とがなぜ結びつくかというと、4011番長歌に「(鷹に)白塗の鈴取り付けて」という鷹狩りのくだりがあるからである。「仲子し」は強意の「し」。「中の若様」すなわち「次男坊」のこと。
「都武賀野(つむがの)に(鷹の)鈴の音が聞こえる。可牟思太(かむしだ)の殿の中の若様が鷹狩りをなさっているらしい」という歌である。
3439 鈴が音の早馬駅家の堤井の水を給へな妹が直手よ)
(須受我祢乃 波由馬宇馬夜能 都追美井乃 美都乎多麻倍奈 伊毛我多太手欲)
「早馬駅家(はゆまうまや)」は公用として整備された早馬のための駅。すなわち、急ぎの命令その他を乗せて駆けてきた人馬を、駅家で積み替え、新しい人馬に継いで駆ける制度。「堤井(つつみゐ)の水」は必須の井戸。
「鈴の音がする早馬の駅家の堤井(つつみゐ)の水をいただきたいものだな。彼女が直接掬ってくれるその水を」という歌である。
(須受我祢乃 波由馬宇馬夜能 都追美井乃 美都乎多麻倍奈 伊毛我多太手欲)
「早馬駅家(はゆまうまや)」は公用として整備された早馬のための駅。すなわち、急ぎの命令その他を乗せて駆けてきた人馬を、駅家で積み替え、新しい人馬に継いで駆ける制度。「堤井(つつみゐ)の水」は必須の井戸。
「鈴の音がする早馬の駅家の堤井(つつみゐ)の水をいただきたいものだな。彼女が直接掬ってくれるその水を」という歌である。
3440 この川に朝菜洗ふ子汝れも我れもよちをぞ持てるいで子たばりに [一云 ましも我れも]
(許乃河泊尓 安佐菜安良布兒 奈礼毛安礼毛 余知乎曽母弖流 伊悌兒多婆里尓 [一云 麻之毛安礼母])
各書の解を並べてみよう。
a:この川で朝菜を洗うお方、あなたも私も同じ年頃の子供を持っています。どうかあなたの子を私に下さいな。(「岩波大系本」)。
b:この川で朝菜を洗っているかわい子ちゃん、お前さんも私も似合いのものを持ってるわい。ちょいとその子を頂戴しに行こう。(「伊藤本」)。
c:この川で朝の菜を洗っている女よ。お前もおれも同じ年ごろの子をもっている。さあその子をおくれよ。(「中西本」)。
おそらく、これらはなんのことを言っているのか分からないだろう。実は第四句の「よちをぞ持てる」の解釈から来ている。その句の単独解釈に着目すればこうした解も可能なのかもしれない。
さて、「よち(原文:余知)」だが、804番長歌に「~、紅の赤裳裾引きよち子らと手携はりて遊びけむ、~」という一節がある。この、よちこの原文は「余知古」であるから、同年代の子という意味と分かる。さらに続く結句が「いで子たばりに」(子を賜ろう)なので、a,b、cのような歌意が生まれてくる。aとcは「子持ち同士だから結婚しよう」という求婚歌と解したもの。が、今風にいえば「バツイチでかつ子持ち同士だから」というのではさすがに求婚歌としては不思議な表現。なのでbの解釈が生まれる。「よち」を性器の暗示と解して戯れ歌と見ている。「さあ、セックスしようか」と相手に迫った歌と解している。
ここで肝要なのは全体の歌意である。状況は「朝、川に女性が菜を洗いに来た場面である。ふざけている場面でもなければ宴会の場面でもない。bの解は自動的に消える。次にaとcだが、川に朝菜を洗いにきた子に「俺もお前も子持ちの身だから」と前置きして求婚するとは思えない。
問題の「よちをぞ持てる」は「君も私も同じ年頃を生きてきたんだよね」という意味ではなかろうか。「いで子たばりに」はむろん「いで子賜りに」の東国訛り。「さあ、子を授かりたいね」という意味である。これで全体の歌意は通る。つまり求婚歌なのである。
「この川に朝菜を洗いに来る子、あんたも私も同じ年頃を生きてきたんだよね。さあ、結婚して子供を授かりたいね」という歌である。
異伝歌は「奈礼毛安礼毛」の部分が「麻之毛安礼母」となっている。意味的には本歌と変わらない。
(許乃河泊尓 安佐菜安良布兒 奈礼毛安礼毛 余知乎曽母弖流 伊悌兒多婆里尓 [一云 麻之毛安礼母])
各書の解を並べてみよう。
a:この川で朝菜を洗うお方、あなたも私も同じ年頃の子供を持っています。どうかあなたの子を私に下さいな。(「岩波大系本」)。
b:この川で朝菜を洗っているかわい子ちゃん、お前さんも私も似合いのものを持ってるわい。ちょいとその子を頂戴しに行こう。(「伊藤本」)。
c:この川で朝の菜を洗っている女よ。お前もおれも同じ年ごろの子をもっている。さあその子をおくれよ。(「中西本」)。
おそらく、これらはなんのことを言っているのか分からないだろう。実は第四句の「よちをぞ持てる」の解釈から来ている。その句の単独解釈に着目すればこうした解も可能なのかもしれない。
さて、「よち(原文:余知)」だが、804番長歌に「~、紅の赤裳裾引きよち子らと手携はりて遊びけむ、~」という一節がある。この、よちこの原文は「余知古」であるから、同年代の子という意味と分かる。さらに続く結句が「いで子たばりに」(子を賜ろう)なので、a,b、cのような歌意が生まれてくる。aとcは「子持ち同士だから結婚しよう」という求婚歌と解したもの。が、今風にいえば「バツイチでかつ子持ち同士だから」というのではさすがに求婚歌としては不思議な表現。なのでbの解釈が生まれる。「よち」を性器の暗示と解して戯れ歌と見ている。「さあ、セックスしようか」と相手に迫った歌と解している。
ここで肝要なのは全体の歌意である。状況は「朝、川に女性が菜を洗いに来た場面である。ふざけている場面でもなければ宴会の場面でもない。bの解は自動的に消える。次にaとcだが、川に朝菜を洗いにきた子に「俺もお前も子持ちの身だから」と前置きして求婚するとは思えない。
問題の「よちをぞ持てる」は「君も私も同じ年頃を生きてきたんだよね」という意味ではなかろうか。「いで子たばりに」はむろん「いで子賜りに」の東国訛り。「さあ、子を授かりたいね」という意味である。これで全体の歌意は通る。つまり求婚歌なのである。
「この川に朝菜を洗いに来る子、あんたも私も同じ年頃を生きてきたんだよね。さあ、結婚して子供を授かりたいね」という歌である。
異伝歌は「奈礼毛安礼毛」の部分が「麻之毛安礼母」となっている。意味的には本歌と変わらない。
3441 ま遠くの雲居に見ゆる妹が家にいつか至らむ歩め我が駒
(麻等保久能 久毛為尓見由流 伊毛我敝尓 伊都可伊多良武 安由賣安我古麻 [柿本朝臣人麻呂歌集曰 等保久之弖 又曰 安由賣久路古麻])
「雲居に」は「雲がかかっている」という意味。駒はむろん馬のこと。有名歌に勝るとも劣らぬ名歌である。万感の思いを胸に秘めたまま何も語らず「歩め我が駒」に込めている。
「遙か遠く雲がかかっているあたりに彼女の家が見える。いつかそこに着くだろう。さあ、歩めわが駒」という歌である。
左注に「柿本朝臣人麻呂の歌集に曰わく。 「遠くして」 と、又曰わく「歩め黒駒」」と・・・。
(麻等保久能 久毛為尓見由流 伊毛我敝尓 伊都可伊多良武 安由賣安我古麻 [柿本朝臣人麻呂歌集曰 等保久之弖 又曰 安由賣久路古麻])
「雲居に」は「雲がかかっている」という意味。駒はむろん馬のこと。有名歌に勝るとも劣らぬ名歌である。万感の思いを胸に秘めたまま何も語らず「歩め我が駒」に込めている。
「遙か遠く雲がかかっているあたりに彼女の家が見える。いつかそこに着くだろう。さあ、歩めわが駒」という歌である。
左注に「柿本朝臣人麻呂の歌集に曰わく。 「遠くして」 と、又曰わく「歩め黒駒」」と・・・。
3442 東道の手児の呼坂越えがねて山にか寝むも宿りはなしに
(安豆麻治乃 手兒乃欲妣左賀 古要我祢弖 夜麻尓可祢牟毛 夜杼里波奈之尓)
「東道(あづまぢ)の」は「東国への道」。「手児(てご)の呼坂」は所在不詳。
「東国への道にある手児の呼坂は越え難い。この分だと山中に寝ることになりそうだ。宿を貸してくれる家もないのに」という歌である。
(安豆麻治乃 手兒乃欲妣左賀 古要我祢弖 夜麻尓可祢牟毛 夜杼里波奈之尓)
「東道(あづまぢ)の」は「東国への道」。「手児(てご)の呼坂」は所在不詳。
「東国への道にある手児の呼坂は越え難い。この分だと山中に寝ることになりそうだ。宿を貸してくれる家もないのに」という歌である。
3443 うらもなく我が行く道に青柳の萌りて立てれば物思ひ出つも
(宇良毛奈久 和我由久美知尓 安乎夜宜乃 波里弖多弖礼波 物能毛比弖都母)
「うらもなく」は「心もなくという意味。「萌(は)りて」は「芽吹いて」という意味。
「何気なく歩いていたら行く道に青柳が芽吹いていたので、物思いに誘われた」という歌である。
(宇良毛奈久 和我由久美知尓 安乎夜宜乃 波里弖多弖礼波 物能毛比弖都母)
「うらもなく」は「心もなくという意味。「萌(は)りて」は「芽吹いて」という意味。
「何気なく歩いていたら行く道に青柳が芽吹いていたので、物思いに誘われた」という歌である。
3444 伎波都久の岡の茎韮我れ摘めど籠にも満たなふ背なと摘まさね
(伎波都久乃 乎加能久君美良 和礼都賣杼 故尓毛<美>多奈布 西奈等都麻佐祢)
「伎波都久(きはつく)の岡」は未詳。「茎韮(くくみら)」はニラのこと。掛け合い歌か。
「伎波都久(きはつく)の岡の茎韮(くくみら)は摘んでも摘んでも籠にいっぱいにならないわ。じゃああなた、あなたのいい人と二人して摘めば」という歌である。
(伎波都久乃 乎加能久君美良 和礼都賣杼 故尓毛<美>多奈布 西奈等都麻佐祢)
「伎波都久(きはつく)の岡」は未詳。「茎韮(くくみら)」はニラのこと。掛け合い歌か。
「伎波都久(きはつく)の岡の茎韮(くくみら)は摘んでも摘んでも籠にいっぱいにならないわ。じゃああなた、あなたのいい人と二人して摘めば」という歌である。
3445 港の葦が中なる玉小菅刈り来我が背子床の隔しに
(美奈刀能 安之我奈可那流 多麻古須氣 可利己和我西古 等許乃敝太思尓)
「葦(あし)が中なる」は「葦の中に生い茂る」という意味。「玉小菅(こすげ)」の玉は美称。結句の「床の隔(へだ)しに」。「隔(へだ)しに」は「隔(へだ)てに」の東国方言。「今まで共寝していたがこれからは小菅で仕切り、別床にしよう」という意味で、夫婦に亀裂?。が、「刈り来我が背子」という口調からして亀裂が入ったとは思われない。「互いに落ち着く」という意味のようだ。
「港の葦の中に生い茂る小菅を刈り取って来てよ。ねえ、あなた。ちょっと仕切った方が互いに落ち着くからさ」という歌である。
(2016年4月25日記、2019年3月26日)
(美奈刀能 安之我奈可那流 多麻古須氣 可利己和我西古 等許乃敝太思尓)
「葦(あし)が中なる」は「葦の中に生い茂る」という意味。「玉小菅(こすげ)」の玉は美称。結句の「床の隔(へだ)しに」。「隔(へだ)しに」は「隔(へだ)てに」の東国方言。「今まで共寝していたがこれからは小菅で仕切り、別床にしよう」という意味で、夫婦に亀裂?。が、「刈り来我が背子」という口調からして亀裂が入ったとは思われない。「互いに落ち着く」という意味のようだ。
「港の葦の中に生い茂る小菅を刈り取って来てよ。ねえ、あなた。ちょっと仕切った方が互いに落ち着くからさ」という歌である。
(2016年4月25日記、2019年3月26日)