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万葉集読解・・・226(3578~3596番歌)

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     万葉集読解・・・226(3578~3596番歌)
 巻15の目録に「天平八年(737年)丙子夏六月、使いを新羅の国に遣わした」とある。その際、「遣新羅への使人等が別れを悲しんで贈答した歌、及び海路にあって思いを述べた歌、並びに所にあたって詠み上げた古歌」と注記している。145首。3578~3722番歌。

3578  武庫の浦の入江の洲鳥羽ぐくもる君を離れて恋に死ぬべし
      (武庫能浦乃 伊里江能渚鳥 羽具久毛流 伎美乎波奈礼弖 古非尓之奴倍之)
 武庫川は兵庫県西宮市と尼崎市の間を流れる川。「武庫の浦の入江」はその河口付近を指している。洲鳥(すどり)は干潟のような洲に巣くう鳥。「羽ぐくもる」は「親鳥の羽に包まれる」こと。
 「武庫川の河口付近の入り江の洲(しま)の水鳥が羽に包むように、私を守ってくれたあなた。そのあなたから離れたら私は恋い焦がれて死んでしまうでしょう」という歌である。

3579  大船に妹乗るものにあらませば羽ぐくみ持ちて行かましものを
      (大船尓 伊母能流母能尓 安良麻勢<婆> 羽具久美母知弖 由可麻之母能乎)
 平明歌。
 「大船にきみを乗せていけるものなら、羽に包んで携えていきたいものを」という歌である。

3580  君が行く海辺の宿に霧立たば我が立ち嘆く息と知りませ
      (君之由久 海邊乃夜杼尓 奇里多々婆 安我多知奈氣久 伊伎等之理麻勢)
 平明歌。「あなたが行く海路に霧が立ちこめたら、私が立ちつくして嘆く私の息と知って下さい」という歌である。

3581  秋さらば相見むものを何しかも霧に立つべく嘆きしまさむ
      (秋佐良婆 安比見牟毛能乎 奈尓之可母 奇里尓多都倍久 奈氣伎之麻佐牟)
 「秋さらば」は「秋になれば」という意味。
 「秋になればきっと逢えるのに、どうして立ちこめる霧ほども嘆くのだろう」という歌である。

3582  大船を荒海に出だしいます君障むことなく早帰りませ
      (大船乎 安流美尓伊太之 伊麻須君 都追牟許等奈久 波也可敝里麻勢)
 「障(つつ)むことなく」は「差し障りなく」すなわち「ご無事で」という意味。
 「大船を荒海に出していらっしゃろうとなさるあなた。どうかご無事で早くお帰りなさいませ」という歌である。

3583  ま幸くて妹が斎はば沖つ波千重に立つとも障りあらめやも
      (真幸而 伊毛我伊波伴伐 於伎都奈美 知敝尓多都等母 佐波里安良米也母)
 「ま幸(さき)くて」は「無事でいてくれれば」という意味。「斎(いは)はば」は「身を清めて神に祈るなら」という意味。「障(さは)りあらめやも」は「事故など起きることがありましょうか」という意味である。
 「きみが無事でいてくれて、身を清めて神に祈っていてくれれば、沖の波がどれほど立とうと、事故など起きることがありましょうか」という歌である。

3584  別れなばうら悲しけむ我が衣下にを着ませ直に逢ふまでに
      (和可礼奈波 宇良我奈之家武 安我許呂母 之多尓乎伎麻勢 多太尓安布麻弖尓)
 「うら悲しけむ」は「心悲しい」という意味。「下にを着ませ」は強意の「を」。「直(ただ)に」は「直接」という意味。
 「お別れしたらうら悲しゅうございます。私のこの着物を肌身に着て下さい。直接お逢い出来る日が来るまで」という歌である。

3585  我妹子が下にも着よと贈りたる衣の紐を我れ解かめやも
      (和伎母故我 之多尓毛伎余等 於久理多流 許呂母能比毛乎 安礼等可米也母)
 平明歌。「彼女が肌身に着なさいと贈ってくれたこの着物の紐、それを解くことなどありましょうか」という歌である。

3586   我がゆゑに思ひな痩せそ秋風の吹かむその月逢はむものゆゑ
      (和我由恵尓 於毛比奈夜勢曽 秋風能 布可武曽能都奇 安波牟母能由恵)
 「な痩せそ」は「な~そ」の禁止形。「逢はむものゆゑ」は「逢えるのだから」という意味。
 「この私のことを思って痩せ細らないでくれ。秋風が吹くその月になればきっと逢えるのだから」という歌である。

3587  栲衾新羅へいます君が目を今日か明日かと斎ひて待たむ
      (多久夫須麻 新羅邊伊麻須 伎美我目乎 家布可安須可登 伊波比弖麻多牟)
 「栲衾(たくぶすま)」は枕詞。「君が目を」は「あなたに逢えるのを」という意味である。「斎(いは)ひて」は「神にお祈りして」という意味。
 「遠く新羅(しらぎ)へいらっしゃるあなたに逢えるのを、今日か明日かと神様にお祈りしながらお待ちします」という歌である。

3588  はろはろに思ほゆるかもしかれども異しき心を我が思はなくに
      (波呂波呂尓 於<毛>保由流可母 之可礼杼毛 異情乎 安我毛波奈久尓)
 「はろはろに」は「遙か遠くに」ということ。「異(け)しき心を」は「移り心など」という意味。
 「ああ、遙か遠くにいらっしゃるなあ、けれども移り心などを抱こうなどと決して私は思いません」という歌である。
 左注に「右十一首は贈答歌である」とあ。

3589  夕さればひぐらし来鳴く生駒山越えてぞ我が来る妹が目を欲り
      (由布佐礼婆 比具良之伎奈久 伊故麻山 古延弖曽安我久流 伊毛我目乎保里)
 「夕されば」は「夕方になれば」という意味。生駒山は奈良県と大阪府との境の山。「妹が目を欲り」は万葉歌の常套表現。「彼女に逢いたい」という意味。
 「夕方になるとひぐらしがやって来て鳴く生駒山。その生駒山を越えて私はやってきた。彼女に逢いたくて」という歌である。
 左注に「右の一首は秦間満(はだのはしまろ)」とある。

3590  妹に逢はずあらばすべなみ岩根踏む生駒の山を越えてぞ我が来る
      (伊毛尓安波受 安良婆須敝奈美 伊波祢布牟 伊故麻乃山乎 故延弖曽安我久流)
 「すべなみ」は「なすすべなく」すなわち「どうしようもなく」という意味。
 「彼女に逢わないでいると、どうしようもなく、岩根を踏む生駒山を越えて私はやってくるのだ。」という歌である。
 左注に「右の一首は家に帰ってきてしばらくしてから思いを述べた歌」とある。

3591  妹とありし時はあれども別れては衣手寒きものにぞありける
      (妹等安里之 時者安礼杼毛 和可礼弖波 許呂母弖佐牟伎 母能尓曽安里家流)
 「時はあれども」は微妙だが、「時でも寒い時はあったが」という意味。「衣手(ころもで)」は着物の袖口のこと。
 「彼女と共にいたときでも寒い時はあったが、こうして別れてみると、着物の袖口から寒さがしみいってくるのがひとしお強く思われる」という歌である。

3592  海原に浮寝せむ夜は沖つ風いたくな吹きそ妹もあらなくに
      (海原尓 宇伎祢世武夜者 於伎都風 伊多久奈布吉曽 妹毛安良奈久尓)
 「な吹きそ」は「な~そ」の禁止形。平明歌。
 「海上に浮かんだまま寝る夜は、沖の風よ、どうか強く吹いておくれ。共寝する彼女もいないのに」という歌である。

3593  大伴の御津に船乗り漕ぎ出てはいづれの島に廬りせむ我れ
      (大伴能 美津尓布奈能里 許藝出而者 伊都礼乃思麻尓 伊保里世武和礼)
 「大伴の御津(みつ)」は大伴氏の本拠として知られる。難波(大阪湾)の御津。「廬(いほ)りせむ我れ」は「私は宿をとろうか」という意味である。
 「大伴の御津から舟にのり、漕ぎ出そうと思うが、どこの島で私は宿をとろうか」という歌である。
 左注に「右の三首は出発に当たって作った歌」とある。

3594  潮待つとありける船を知らずして悔しく妹を別れ来にけり
      (之保麻都等 安里家流布祢乎 思良受之弖 久夜之久妹乎 和可礼伎尓家利)
 平明歌。
 「船は大潮を待って停泊していると知らないで、悔しくも彼女と早々に別れてきてしまった」という歌である。

3595  朝開き漕ぎ出て来れば武庫の浦の潮干の潟に鶴が声すも
      (安佐妣良伎 許藝弖天久礼婆 牟故能宇良能 之保非能可多尓 多豆我許恵須毛)
 「朝開(あさびら)き」は「朝が明けると共に」ということ。「武庫の浦」は3578番歌参照。
 「朝明け早々漕ぎ出してきたら、武庫川の河口付近の潮干の潟に、鶴の声がしていた」という歌である。

3596  我妹子が形見に見むを印南都麻白波高み外にかも見む
      (和伎母故我 可多美尓見牟乎 印南都麻 之良奈美多加弥 与曽尓可母美牟)
 「形見に見むを」は「「形見に思って見ようと」という意味である。印南都麻(いなみつま)は兵庫県高砂市加古川の河口付近という。「高み」は「~ので」の「み」。
 「彼女の形見と思って印南都麻(いなみつま)の方向を見ようとしたが、白波が高く、視界の外にしか見えない」という歌である。
           (2016年6月12日記、2019年3月30日)
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