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そ の 229 へ
万葉集読解・・・228(3612~3626番歌)
「以下、三首。備後國水調郡(みつきのこほり)長井浦(広島県三原市尾道糸崎港)で船が停泊した夜に作った歌」という説明書きがある。
3612 あをによし奈良の都に行く人もがも草枕旅行く船の泊り告げむに
(安乎尓与之 奈良能美也故尓 由久比等毛我母 久左麻久良 多妣由久布祢能 登麻利都ん武仁 [旋頭歌也])
「あをによし」は枕詞。「行く人もがも」は「行く人があったらなあ」という意味である。「草枕」も枕詞。「うつくしい奈良の都に行く人があったらなあ。旅路にあって船が停泊しなければならない辛さを告げてくれるだろうに」という歌である。「これは旋頭歌」という細注がついている。
左注に「右一首は大判官の歌」とある。判官は三等官でここにいう大判官は壬生使主宇太麿(みぶのおみのうだまろ)。
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万葉集読解・・・228(3612~3626番歌)
「以下、三首。備後國水調郡(みつきのこほり)長井浦(広島県三原市尾道糸崎港)で船が停泊した夜に作った歌」という説明書きがある。
3612 あをによし奈良の都に行く人もがも草枕旅行く船の泊り告げむに
(安乎尓与之 奈良能美也故尓 由久比等毛我母 久左麻久良 多妣由久布祢能 登麻利都ん武仁 [旋頭歌也])
「あをによし」は枕詞。「行く人もがも」は「行く人があったらなあ」という意味である。「草枕」も枕詞。「うつくしい奈良の都に行く人があったらなあ。旅路にあって船が停泊しなければならない辛さを告げてくれるだろうに」という歌である。「これは旋頭歌」という細注がついている。
左注に「右一首は大判官の歌」とある。判官は三等官でここにいう大判官は壬生使主宇太麿(みぶのおみのうだまろ)。
3613 海原を八十島隠り来ぬれども奈良の都は忘れかねつも
(海原乎 夜蘇之麻我久里 伎奴礼杼母 奈良能美也故波 和須礼可祢都母)
「八十島(やそしま)隠り」は「多くの島々を縫いながら」という意味である。「大海原を多くの島々を縫いながらやってきたけれど、奈良の都は忘れようにも忘れられない」という歌である。
(海原乎 夜蘇之麻我久里 伎奴礼杼母 奈良能美也故波 和須礼可祢都母)
「八十島(やそしま)隠り」は「多くの島々を縫いながら」という意味である。「大海原を多くの島々を縫いながらやってきたけれど、奈良の都は忘れようにも忘れられない」という歌である。
3614 帰るさに妹に見せむにわたつみの沖つ白玉拾ひて行かな
(可敝流散尓 伊母尓見勢武尓 和多都美乃 於伎都白玉 比利比弖由賀奈)
「帰るさに」は「帰る際に」。「わたつみ」は海神のことだが、海そのものをいう時もある。白玉は一般的に真珠と解されている。「帰った時に彼女に見せようと、海の沖で取れる真珠を拾っていこう」という歌である。
(可敝流散尓 伊母尓見勢武尓 和多都美乃 於伎都白玉 比利比弖由賀奈)
「帰るさに」は「帰る際に」。「わたつみ」は海神のことだが、海そのものをいう時もある。白玉は一般的に真珠と解されている。「帰った時に彼女に見せようと、海の沖で取れる真珠を拾っていこう」という歌である。
頭注に「風速浦に舶泊りした夜に作った歌二首」とある。
風速浦(かざはやうら)は、広島市の東側の東広島市安芸津町にある風速の浦。
3615 我がゆゑに妹嘆くらし風早の浦の沖辺に霧たなびけり
(和我由恵仁 妹奈氣久良之 風早能 宇良能於伎敝尓 奇里多奈妣家利)
「霧たなびけり」は「彼女の嘆くため息が霧となって広がる」を意味していて、1580番歌に「君が行く海辺の宿に霧立たば我が立ち嘆く息と知りませ」とある。「この私がために彼女は嘆いているらしい。ここ風早の浦の沖の方に霧がたなびいているのを見ると」という歌である。
風速浦(かざはやうら)は、広島市の東側の東広島市安芸津町にある風速の浦。
3615 我がゆゑに妹嘆くらし風早の浦の沖辺に霧たなびけり
(和我由恵仁 妹奈氣久良之 風早能 宇良能於伎敝尓 奇里多奈妣家利)
「霧たなびけり」は「彼女の嘆くため息が霧となって広がる」を意味していて、1580番歌に「君が行く海辺の宿に霧立たば我が立ち嘆く息と知りませ」とある。「この私がために彼女は嘆いているらしい。ここ風早の浦の沖の方に霧がたなびいているのを見ると」という歌である。
3616 沖つ風いたく吹きせば我妹子が嘆きの霧に飽かましものを
(於伎都加是 伊多久布伎勢波 和伎毛故我 奈氣伎能奇里尓 安可麻之母能乎)
「いたく吹きせば」は「強く吹いたなら」という意味である。「飽かましものを」は「飽きることなく触れていられるものを」。「沖からの風が激しく吹いてくれたなら、沖にかかっている彼女の嘆きの霧がただよってきて、飽きることなく触れていられるものを」という歌である。
(於伎都加是 伊多久布伎勢波 和伎毛故我 奈氣伎能奇里尓 安可麻之母能乎)
「いたく吹きせば」は「強く吹いたなら」という意味である。「飽かましものを」は「飽きることなく触れていられるものを」。「沖からの風が激しく吹いてくれたなら、沖にかかっている彼女の嘆きの霧がただよってきて、飽きることなく触れていられるものを」という歌である。
頭注に「以下五首、安藝國の長門の嶋に舶を停めて、宿をとる磯邊で作った歌」とある。この島は倉橋島のことで、広島県呉市にある。
3617 石走る瀧もとどろに鳴く蝉の声をし聞けば都し思ほゆ
(伊波婆之流 多伎毛登杼呂尓 鳴蝉乃 許恵乎之伎氣婆 京師之於毛保由)
「声をし」のしは強意。「岩を走り下る滝の轟音と共にしきりに鳴き立てる蝉の声を聞くと都がしのばれる」という歌である。
左注に「右の一首は大石蓑麻呂(おほいしのみまろ)の歌」とある。
3617 石走る瀧もとどろに鳴く蝉の声をし聞けば都し思ほゆ
(伊波婆之流 多伎毛登杼呂尓 鳴蝉乃 許恵乎之伎氣婆 京師之於毛保由)
「声をし」のしは強意。「岩を走り下る滝の轟音と共にしきりに鳴き立てる蝉の声を聞くと都がしのばれる」という歌である。
左注に「右の一首は大石蓑麻呂(おほいしのみまろ)の歌」とある。
3618 山川の清き川瀬に遊べども奈良の都は忘れかねつも
(夜麻河<泊>能 伎欲吉可波世尓 安蘇倍杼母 奈良能美夜故波 和須礼可祢都母)
「(この島の)山中の清らかな川瀬に遊んでいるが、奈良の都の山川は忘れられない」という歌である。
(夜麻河<泊>能 伎欲吉可波世尓 安蘇倍杼母 奈良能美夜故波 和須礼可祢都母)
「(この島の)山中の清らかな川瀬に遊んでいるが、奈良の都の山川は忘れられない」という歌である。
3619 磯の間ゆたぎつ山川絶えずあらばまたも相見む秋かたまけて
(伊蘇乃麻由 多藝都山河 多延受安良婆 麻多母安比見牟 秋加多麻氣弖)
「絶えずあらば」は「絶えなければ」という意味。「かたまけて」は2373番歌等に使われているように「やってくると」という意味である。「磯の間を激しく流れる山川が絶えることがなければ秋がやってきて、また、この美しい光景を見られるだろう」という歌である。
(伊蘇乃麻由 多藝都山河 多延受安良婆 麻多母安比見牟 秋加多麻氣弖)
「絶えずあらば」は「絶えなければ」という意味。「かたまけて」は2373番歌等に使われているように「やってくると」という意味である。「磯の間を激しく流れる山川が絶えることがなければ秋がやってきて、また、この美しい光景を見られるだろう」という歌である。
3620 恋繁み慰めかねてひぐらしの鳴く島蔭に廬りするかも
(故悲思氣美 奈具左米可祢弖 比具良之能 奈久之麻可氣尓 伊保利須流可母)
「恋繁(しげ)み慰めかねて」は「故郷に残してきた妻が恋しくて忘れかねる」すなわち「妻が恋しくて」という意味。「廬(いほ)りするかも」は「仮の一夜をとる」こと。「故郷の妻が忘れられず、ひぐらしが鳴く島陰で仮の一夜をとっているよ」という歌である。
(故悲思氣美 奈具左米可祢弖 比具良之能 奈久之麻可氣尓 伊保利須流可母)
「恋繁(しげ)み慰めかねて」は「故郷に残してきた妻が恋しくて忘れかねる」すなわち「妻が恋しくて」という意味。「廬(いほ)りするかも」は「仮の一夜をとる」こと。「故郷の妻が忘れられず、ひぐらしが鳴く島陰で仮の一夜をとっているよ」という歌である。
3621 我が命を長門の島の小松原幾代を経てか神さびわたる
(和我伊能知乎 奈我刀能之麻能 小松原 伊久与乎倍弖加 可武佐備和多流)
「我が命を」は次句の「長門の島の」を導く序句。その長門の島はむろん倉橋島のこと。「小松原」は「ちょっとした松原」。「神さびわたる」は「神々しくあり続ける」という意味である。「我が命よ長く続けとばかりに長門島、あの松原は幾代にわたってあのようにも神々しくあり続けているのだろう」という歌である。
(和我伊能知乎 奈我刀能之麻能 小松原 伊久与乎倍弖加 可武佐備和多流)
「我が命を」は次句の「長門の島の」を導く序句。その長門の島はむろん倉橋島のこと。「小松原」は「ちょっとした松原」。「神さびわたる」は「神々しくあり続ける」という意味である。「我が命よ長く続けとばかりに長門島、あの松原は幾代にわたってあのようにも神々しくあり続けているのだろう」という歌である。
頭注に「長門の浦より舶出した夜、月光を仰ぎ見て作った歌三首」とある。
3622 月読みの光りを清み夕なぎに水手の声呼び浦廻漕ぐかも
(月余美乃 比可里乎伎欲美 由布奈藝尓 加古能己恵欲妣 宇良<未>許具可聞)
月読((つくよみ)は『古事記』や『日本書紀』の神話に登場する月読命(つくよみのみこと)(日本書紀は月読尊等)から来ている。月そのものを指すこともある。「清み」は「~ので」のみ。水手(かこ)は舟乗り。水夫とも書く。浦廻(うらみ)は浦辺。「月の光が清らかなので、夕なぎがやっyてきたため、舟乗りたちが声を掛け合って浦辺を漕いでいるよ」という歌である。
3622 月読みの光りを清み夕なぎに水手の声呼び浦廻漕ぐかも
(月余美乃 比可里乎伎欲美 由布奈藝尓 加古能己恵欲妣 宇良<未>許具可聞)
月読((つくよみ)は『古事記』や『日本書紀』の神話に登場する月読命(つくよみのみこと)(日本書紀は月読尊等)から来ている。月そのものを指すこともある。「清み」は「~ので」のみ。水手(かこ)は舟乗り。水夫とも書く。浦廻(うらみ)は浦辺。「月の光が清らかなので、夕なぎがやっyてきたため、舟乗りたちが声を掛け合って浦辺を漕いでいるよ」という歌である。
3623 山の端に月傾けば漁りする海人の燈火沖になづさふ
(山乃波尓 月可多夫氣婆 伊射里須流 安麻能等毛之備 於伎尓奈都佐布)
「なづさふ」は「ただよう」。「山の端に月が傾くと、漁をする海人(あまびと)の燈火が沖にただよう」という歌である。
(山乃波尓 月可多夫氣婆 伊射里須流 安麻能等毛之備 於伎尓奈都佐布)
「なづさふ」は「ただよう」。「山の端に月が傾くと、漁をする海人(あまびと)の燈火が沖にただよう」という歌である。
3624 我れのみや夜船は漕ぐと思へれば沖辺の方に楫の音すなり
(和礼乃未夜 欲布祢波許具登 於毛敝礼婆 於伎敝能可多尓 可治能於等須奈里)
「思へれば」は「思っていたら」である。「この私だけが夜船を漕いでいると思っていたら沖の方に楫の音が聞こえてきた」という歌である。
(和礼乃未夜 欲布祢波許具登 於毛敝礼婆 於伎敝能可多尓 可治能於等須奈里)
「思へれば」は「思っていたら」である。「この私だけが夜船を漕いでいると思っていたら沖の方に楫の音が聞こえてきた」という歌である。
頭注に「古挽歌一首並びに短歌」とある。
3625番長歌
夕されば 葦辺に騒き 明け来れば 沖になづさふ 鴨すらも 妻とたぐひて 我が尾には 霜な降りそと 白栲の 羽さし交へて うち掃ひ さ寝とふものを 行く水の 帰らぬごとく 吹く風の 見えぬがごとく 跡もなき 世の人にして 別れにし 妹が着せてし なれ衣 袖片敷きて ひとりかも寝む
(由布左礼婆 安之敝尓佐和伎 安氣久礼婆 於伎尓奈都佐布 可母須良母 都麻等多具比弖 和我尾尓波 之毛奈布里曽等 之<路>多倍乃 波祢左之可倍弖 宇知波良比 左宿等布毛能乎 由久美都能 可敝良奴其等久 布久可是能 美延奴我其登久 安刀毛奈吉 与能比登尓之弖 和可礼尓之 伊毛我伎世弖思 奈礼其呂母 蘇弖加多思吉弖 比登里可母祢牟)
3625番長歌
夕されば 葦辺に騒き 明け来れば 沖になづさふ 鴨すらも 妻とたぐひて 我が尾には 霜な降りそと 白栲の 羽さし交へて うち掃ひ さ寝とふものを 行く水の 帰らぬごとく 吹く風の 見えぬがごとく 跡もなき 世の人にして 別れにし 妹が着せてし なれ衣 袖片敷きて ひとりかも寝む
(由布左礼婆 安之敝尓佐和伎 安氣久礼婆 於伎尓奈都佐布 可母須良母 都麻等多具比弖 和我尾尓波 之毛奈布里曽等 之<路>多倍乃 波祢左之可倍弖 宇知波良比 左宿等布毛能乎 由久美都能 可敝良奴其等久 布久可是能 美延奴我其登久 安刀毛奈吉 与能比登尓之弖 和可礼尓之 伊毛我伎世弖思 奈礼其呂母 蘇弖加多思吉弖 比登里可母祢牟)
「夕されば」は「夕方になれば」という意味。「なづさふ」は「ただよう」。「妻とたぐひて」は「妻と連れだって」。「霜な降りそと」は「な~そ」の禁止形。「白栲の」は「真っ白な」。「なれ衣(ころも)」は「着慣れた着物」という意味で、「すっかり古びた着物」ということである。
「夕方になれば葦辺(あしべ)にやってきて鳴き騒ぎ、夜明けになると、沖に漂う鴨たちでさへ妻と連れ立ち、尾羽に霜よ降るなと、互いに尾羽をさしかわして霜をうち払って共に寄り添って寝るという。なのに、流れゆく水が帰らぬように、吹く風が見えないように、跡かたもない世の人として妻は死んでしまった。私はかって妻が着せてくれた、すっかり着慣れた着物の袖を寝床に敷いて、ひとりで寝なければならないのか」という歌である。
「夕方になれば葦辺(あしべ)にやってきて鳴き騒ぎ、夜明けになると、沖に漂う鴨たちでさへ妻と連れ立ち、尾羽に霜よ降るなと、互いに尾羽をさしかわして霜をうち払って共に寄り添って寝るという。なのに、流れゆく水が帰らぬように、吹く風が見えないように、跡かたもない世の人として妻は死んでしまった。私はかって妻が着せてくれた、すっかり着慣れた着物の袖を寝床に敷いて、ひとりで寝なければならないのか」という歌である。
反歌一首。
3626 鶴が鳴き葦辺をさして飛び渡るあなたづたづしひとりさ寝れば
(多都我奈伎 安之<敝>乎左之弖 等妣和多類 安奈多頭多頭志 比等里佐奴礼婆)
鶴は「たづ」といい、「~飛び渡る」まで三句は次句の「あなたづたづし」を導く序歌。「あなたづたづし」は「ああたどたどしい」すなわち「言いようもなく心細い」という意味である。「鶴が鳴きながら葦辺に向かって飛んで行く。ああ、言いようもなく心細い、ひとり寝なければならないのが」という歌である。
注に「右は丹比大夫(たぢひのまへつきみ)が妻を亡くして悲しめる歌」とある。
(2016年6月22日記、2019年3月31日)
3626 鶴が鳴き葦辺をさして飛び渡るあなたづたづしひとりさ寝れば
(多都我奈伎 安之<敝>乎左之弖 等妣和多類 安奈多頭多頭志 比等里佐奴礼婆)
鶴は「たづ」といい、「~飛び渡る」まで三句は次句の「あなたづたづし」を導く序歌。「あなたづたづし」は「ああたどたどしい」すなわち「言いようもなく心細い」という意味である。「鶴が鳴きながら葦辺に向かって飛んで行く。ああ、言いようもなく心細い、ひとり寝なければならないのが」という歌である。
注に「右は丹比大夫(たぢひのまへつきみ)が妻を亡くして悲しめる歌」とある。
(2016年6月22日記、2019年3月31日)
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