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万葉集読解・・・232(3674~3687番歌)

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     万葉集読解・・・232(3674~3687番歌)
  頭注に「引津亭(ひきつとまり)に舶を停泊させて作った歌七首」とある。引津(ひきつ)は福岡県糸島市の引津湾。
3674  草枕旅を苦しみ恋ひ居れば可也の山辺にさ牡鹿鳴くも
      (久左麻久良 多婢乎久流之美 故非乎礼婆 可也能山邊尓 草乎思香奈久毛)
 「草枕」はお馴染みの枕詞。「可也の山」は引津湾東方の志摩小富士のことか。「さ牡鹿」のさは強意。
 「旅の苦しさに故郷を恋しく思い出していると、可也の山辺で牡鹿が鳴きたてている」という歌である。

3675  沖つ波高く立つ日にあへりきと都の人は聞きてけむかも
      (於吉都奈美 多可久多都日尓 安敝利伎等 美夜古能比等波 伎吉弖家牟可母)
 「あへりき」は「遭遇した」ということ。「都の人は」は「都の人々は」ということ。
 「沖の波が高く荒れた日に(われわれ一行は)遭遇したと都の人々は聞き及んでいるだろうか」という歌である。
 左注に「右二首は大判官の歌」とある。判官は三等官でここにいう大判官は壬生使主宇太麿(みぶのおみのうだまろ)。

3676  天飛ぶや雁を使に得てしかも奈良の都に言告げ遣らむ
      (安麻等夫也 可里乎都可比尓 衣弖之可母 奈良能弥夜故尓 許登都ん夜良武)
 「天飛ぶや雁を使に」は、中国の故事に基づいて「雁の足に手紙をつけて本国に連絡した」ことを意味する。すなわち使いのこと。「得てしかも」は「得たいものだ」という願望。
 「空を飛ぶ雁を使いにしたいものだ。奈良の都に言づてを託すことができように」という歌である。

3677  秋の野をにほはす萩は咲けれども見る験なし旅にしあれば
      (秋野乎 尓保波須波疑波 佐家礼杼母 見流之留思奈之 多婢尓師安礼婆)
 「にほはす」は「彩る」という意味。「見る験(しるし)なし」は「見る甲斐がない」という意味。
 「秋の野を美しく彩る萩の花は咲いているけれど、観賞する甲斐(張り合い)がない。旅にある身なので」という歌である。

3678  妹を思ひ寐の寝らえぬに秋の野にさ牡鹿鳴きつ妻思ひかねて
      (伊毛乎於毛比 伊能祢良延奴尓 安伎乃野尓 草乎思香奈伎都 追麻於毛比可祢弖)
 「さ牡鹿」は強意の「さ」。「妻思ひかねて」は「妻呼ぶ思いに耐えかねて」という意味である。
 「彼女のことを思って寝るに寝られずにいると、秋の野に牡鹿が鳴き立てている。妻を呼ぶ思いに耐えかねて」という歌である。

3679  大船に真楫しじ貫き時待つと我れは思へど月ぞ経にける
      (於保夫祢尓 真可治之自奴伎 等吉麻都等 和礼波於毛倍杼 月曽倍尓家流)
 「真楫(まかじ)しじ貫き」は「たくさんの梶をとりつける(穴に通す)」ことをいう。出航の準備を整えることを意味する。「真楫」の真は美称。
 「大船にたくさんの梶を取り付け、いつでも出発出来ると機をうかがっているつもりでいる内に、いつのまにか月替わりしてしまった」という歌である。

3680  夜を長み寐の寝らえぬにあしひきの山彦響めさ牡鹿鳴くも
      (欲乎奈我美 伊能年良延奴尓 安之比奇能 山妣故等余米 佐乎思賀奈君母)
 「夜を長み」は「~ので」の「み」。「あしひきの」はお馴染みの枕詞。「山彦響(とよ)め」は「やまびこを轟かせ」という意味。「さ牡鹿」は強意の「さ」。
 「夜が長いので寝るに寝られないでいると、やまびこを轟かせ牡鹿が鳴き立てる」という歌である。

 頭注に「肥前國松浦郡狛嶋の亭に舶泊せし夜、遥かに海浪を望み、おのおの旅をいたんで作った歌七首」とある。
 肥前國松浦郡は現在、佐賀県及び長崎県にまたがる郡。狛嶋(こましま)の亭(とまり)は、佐賀県唐津市の神集島(かしわじま)のことと言われており、船はその島の周辺に停泊したとみられる。
3681  帰り来て見むと思ひし我が宿の秋萩すすき散りにけむかも
      (可敝里伎弖 見牟等於毛比之 和我夜度能 安伎波疑須々伎 知里尓家武可聞)
 「見むと思ひし」は「見ようと思う」という意味。「我が宿の」は「我が家の庭の」という意味。
 「故郷に無事に帰ってきたら見ようと思って出た家の庭の秋萩やすすきは、今頃は散ってしまっただろうか」という歌である。
 左注に「右の一首は秦田麻呂(はだのまろ)の歌」とある。

3682  天地の神を祈ひつつ我れ待たむ早来ませ君待たば苦しも
      (安米都知能 可未乎許比都々 安礼麻多武 波夜伎万世伎美 麻多婆久流思母)
 「神を祈(こ)ひつつ」は「神々にお祈りしつつ」という意味。故郷の彼女の立場からの歌。
 「天地の神々にあなたのご無事を祈って待っています。どうか早く帰っておいでなさい。こうして待つのは苦しゅうございます」という歌である。
 左注に「右の一首は娘子(をとめ)の歌」とある。

3683  君を思ひ我が恋ひまくはあらたまの立つ月ごとに避くる日もあらじ
      (伎美乎於毛比 安我古非万久波 安良多麻乃 多都追奇其等尓 与久流日毛安良自)
 「我が恋ひまくは」は「恋する心は」という意味。「あらたまの」は枕詞。「避くる日もあらじ」はちょっと洒落た表現。「苦しみから逃れる日はありません」という意味である。
 「あなたのことを思って恋い焦がれる気持ちは、新しく月が変わってもその苦しみから逃れようがありません」という歌である。

3684  秋の夜を長みにかあらむなぞここば寐の寝らえぬもひとり寝ればか
      (秋夜乎 奈我美尓可安良武 奈曽許々波 伊能祢良要奴毛 比等里奴礼婆可)
 「長み」は「~ので」の「み」。「にかあらむ」は「せいであろうか」という意味。すなわち「長いせいであろうか」という意味である。
 「秋の夜が長いせいであろうか、どうしてここは寝るに寝られないのか、いやいやひとりで寝るからだろうか」という歌である。

3685  足日女御船泊てけむ松浦の海妹が待つべき月は経につつ
      (多良思比賣 御舶波弖家牟 松浦乃宇美 伊母我麻都<倍>伎 月者倍尓都々)
 「足日女(たらしひめ)」は神功皇后のこと。第十四代仲哀天皇の皇后で、朝鮮半島に進出して新羅、高句麗、百済を降伏させたという、いわば三韓征伐で名高い皇后。松浦半島一帯は皇后にちなむ伝説の多い所。「松浦」の「待つ浦に」は「妹が待つべき」を導く序歌になっている。
 「足日女(たらしひめ)の御船が泊まったという松浦の海、彼女が待っているに相違ない月も無情に去っていく」という歌である。

3686   旅なれば思ひ絶えてもありつれど家にある妹し思ひ悲しも
      (多婢奈礼婆 於毛比多要弖毛 安里都礼杼 伊敝尓安流伊毛之 於母比我奈思母)
 「思ひ絶えても」は「思いが断たれても」、すなわち「諦められても」という意味。「妹し」は強意の「し」。
 「旅の身なのでたいていのことは諦めがつくのだが、家に残してきた妻のことだけは思うと悲しい」という歌である。

3687  あしひきの山飛び越ゆる雁がねは都に行かば妹に逢ひて来ね
      (安思必奇能 山等妣古由留 可里我祢波 美也故尓由加波 伊毛尓安比弖許祢)
 「あしひきの」はお馴染みの枕詞。「雁がねは」は「雁よ雁よ」という呼びかけ。
 「山を飛び越えていく雁よ雁よ。奈良の都に飛んでいったなら妻に逢ってきておくれ」という歌である。
           (2016年7月8日記、2019年4月2日)
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