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万葉集読解・・・231(3656~3673番歌)

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     万葉集読解・・・231(3656~3673番歌)
  頭注に「七夕に天の川を仰ぎ觀て各々の思いを陳べて作った歌三首」とある。
3656  秋萩ににほへる我が裳濡れぬとも君が御船の綱し取りてば
      (安伎波疑尓 々保敝流和我母 奴礼奴等母 伎美我美布祢能 都奈之等理弖婆)
 織女の立場で作歌。「にほへる」は1534番歌「~紅ににほへる山の散らまく惜しも」等多く使用例があるように「美しく染まる」という意味である。「取りてば」は「取ることができて」という意味。「うれしい」心情を含む余韻表現。
 「秋萩の色に美しく染まった私の裳が濡れましょうとも、川に入ってあなた様(牽牛)の御船の綱を取ることができてうれしゅうございます」という歌である。
 左注に「右の一首は大使の歌」とある。続日本紀天平八年(七三六年)二月の条に「以従五位下阿倍朝臣継麻呂為遣新羅大使」とある。つまり、この時の遣新羅大使は阿倍継麻呂(あべのつぐまろ)。

3657  年にありて一夜妹に逢ふ彦星も我れにまさりて思ふらめやも
      (等之尓安里弖 比等欲伊母尓安布 比故保思母 和礼尓麻佐里弖 於毛布良米也母)
 「年にありて」は「一年を通して」という意味。「思ふらめやも」は「思っているでしょうか」という意味。
 「一年に一夜だけ妻である私に逢う彦星も私以上に強く私を思っているでしょうか」という歌である。

3658  夕月夜影立ち寄り合ひ天の川漕ぐ船人を見るが羨しさ
      (由布豆久欲 可氣多知与里安比 安麻能我波 許具布奈妣等乎 見流我等母之佐)
 「影立ち寄り合ひ」は「彦星と淑女の影が寄り合う」という意味である。船人は彦星。 「夕月夜、彦星と織女の影が寄り合う天の川、その天の川を船を漕いで渡っていく彦星を見ると羨ましくなる」という歌である。

  頭注に「海邊で月を望んで作った歌九首」とある。
3659  秋風は日に異に吹きぬ我妹子はいつとか我れを斎ひ待つらむ
      (安伎可是波 比尓家尓布伎奴 和伎毛故波 伊都登<加>和礼乎 伊波比麻都良牟)
 「日に異(け)に」は「日増しに」という意味。
 「秋風が日増しに強く吹くようになってきた。私の妻はいまごろ、私がいつ帰って来るだろうかと祈りながら待っていることだろう」という歌である。
 左注に「大使の次男の歌」とある。

3660  神さぶる荒津の崎に寄する波間なくや妹に恋ひわたりなむ
      (可牟佐夫流 安良都能左伎尓 与須流奈美 麻奈久也伊毛尓 故非和多里奈牟)
 「神さぶる」は「神々しい」ないし「古びた」という意味。「荒津の崎」は福岡市西公園のあたりという。「恋ひわたりなむ」は「恋い続けるだろう」という意味。
 「神々しい荒津の崎に寄せくる波のように、間断なく彼女を恋い続けるだろう」という歌である。
 左注に「右の一首は土師稲足(はにしのいなたり)の歌」とある。

3661  風のむた寄せ来る波に漁りする海人娘子らが裳の裾濡れぬ [一云 海人娘子が裳の裾濡れぬ]
      (可是能牟多 与世久流奈美尓 伊射里須流 安麻乎等女良我 毛能須素奴礼奴 [一云 安麻乃乎等賣我 毛能須蘇奴礼濃])
 「風のむた」は「風と共に」。平明歌。
 「風と共に寄せてくる波に、漁をする海人娘子(あまをとめ)たちの裳裾が濡れている」という歌である。
 異伝歌は「海人娘子らが」が「海人娘子が」となっている。

3662  天の原振り放け見れば夜ぞ更けにけるよしゑやしひとり寝る夜は明けば明けぬとも
      (安麻能波良 布里佐氣見礼婆 欲曽布氣尓家流 与之恵也之 比<等>里奴流欲波 安氣婆安氣奴等母)
 「よしゑやし」は「たとえ~しようと」すなわち「ええいままよ」という感嘆詞。「明けば明けぬとも」は少し丁寧に作者の心情をくみとる必要がある。「明けたら明けたで、少しも惜しいことはない」(「岩波大系本」)や「明けるなら明けてしまっても・・・。」(「伊藤本」)とするのはまちがいとは言えないが、いまいちだ。
 「天空を振り仰ぐと夜が更けてしまった。ええいままよ、一人っきりで寝るこんな夜はああ、早く明けてほしい」という歌である。
 左注に「右の一首は旋頭歌(せどうか)なり」 とある。

3663  わたつみの沖つ縄海苔来る時と妹が待つらむ月は経につつ
      (和多都美能 於伎都奈波能里 久流等伎登 伊毛我麻都良牟 月者倍尓都追)
 「わたつみ」は海神のことだが、海そのものを指す時もある。縄海苔(なはのり)は海産物で紅藻類(縄のように長い海苔)。「たぐり寄せる」を「来る」にかけている。
 「沖の海底に生える縄海苔をたぐり寄せるように、今月こそ帰って来るだろうと妻が待っている月も無情に暮れていく」という歌である。

3664  志賀の浦に漁りする海人明け来れば浦廻漕ぐらし楫の音聞こゆ
      (之可能宇良尓 伊射里須流安麻 安氣久礼婆 宇良未許具良之 可治能於等伎許由)
 志賀は志賀島(しかのしま)のことで、福岡県福岡市東区にある。浦廻(うらみ)は「浦の近辺」のこと。
 「志賀の浦で漁をする漁師だろうか。夜が明けるにしたがって浦のあたりを漕ぐ梶の音が聞こえる」という歌である。

3665  妹を思ひ寐の寝らえぬに暁の朝霧隠り雁がねぞ鳴く
      (伊母乎於毛比 伊能祢良延奴尓 安可等吉能 安左宜理其問理 可里我祢曽奈久)
 平明歌。
 「彼女を思って寝るに寝られないのに、明け方朝霧の向こうで雁の鳴き声がする」という歌である。

3666  夕されば秋風寒し我妹子が解き洗ひ衣行きて早着む
      (由布佐礼婆 安伎可是左牟思 和伎母故我 等伎安良比其呂母 由伎弖波也伎牟)
 「夕されば」は「夕方になると」という意味。「行きて」は「早く帰っていって」という意味。
 「夕方になると(浜の)秋風は寒い。妻は私の着物を脱がせて洗ってくれたものだ。早く帰ってその着物を着たいものだ」という歌である。

3667  我が旅は久しくあらしこの我が着る妹が衣の垢つく見れば
      (和我多妣波 比左思久安良思 許能安我家流 伊毛我許呂母能 阿可都久見礼婆)
 「久しくあらし」は「長くなったようだ」という意味。
 「今回の旅はもう長くなったようだ。妻が洗ってくれた我が着る着物に随分垢が付いているのを見ると」という歌である。

 頭注に「筑前國志麻郡の韓亭に到り、舶中泊を経て三日。時に夜、月の光が皎々と照り、この光に旅情がせつせつと湧く。各々その心情を述べて作った歌六首」とある。
 「韓亭(からとまり」)は福岡県西区糸島半島の先端部にある韓泊崎で、船の停泊地。
3668  大君の遠の朝廷と思へれど日長くしあれば恋ひにけるかも
      (於保伎美能 等保能美可度登 於毛敝礼杼 氣奈我久之安礼婆 古非尓家流可母)
 「大君の遠(とほ)の朝廷(みかど)」とは福岡県太宰府市太宰府のこと。「恋ひにけるかも」は「遠の朝廷」(太宰府)に対し「本つ朝廷」(奈良の都)を指す。
 「ここは大君の遠の朝廷とは思うけれど、ここに来るまで随分経つので、あの奈良の都が恋しい」という歌である。
 左注に「右の一首は大使の歌」とある。大使は阿倍継麻呂(あべのつぐまろ)。3656番歌参照。

3669  旅にあれど夜は火灯し居る我れを闇にや妹が恋ひつつあるらむ
      (多妣尓安礼杼 欲流波火等毛之 乎流和礼乎 也未尓也伊毛我 古非都追安流良牟)
 「居る我れを」は「居る私なのだが」という意味で、いったんこの句で切断。往時は燈火は貴重で、主人がいない夜は暗闇で寝たに相違ない。心の闇(寂しさ)も表現している。 「旅の身空にいる私なのだが、夜は燈火を灯している。が、妻は闇夜にいて、私のことを恋しがっていることだろうか」という歌である。
 左注に「右一首は大判官の歌」とある。判官は三等官でここにいう大判官は壬生使主宇太麿(みぶのおみのうだまろ)。

3670  韓亭能許の浦波立たぬ日はあれども家に恋ひぬ日はなし
      (可良等麻里 能<許>乃宇良奈美 多々奴日者 安礼杼母伊敝尓 古非奴日者奈之)
 韓亭(からどまり)は韓泊崎。3668番歌頭注参照。能許(のこ)は韓泊崎の向かいの能古島のこと。
 「韓亭(からどまり)や能許(のこ)の浦に波が立たない日はあっても、故郷の家を恋わない日はない」という歌である。

3671  ぬばたまの夜渡る月にあらませば家なる妹に逢ひて来ましを
      (奴婆多麻乃 欲和多流月尓 安良麻世婆 伊敝奈流伊毛尓 安比弖許麻之乎)
 「ぬばたまの」はお馴染みの枕詞。平明歌。
 「私が夜空を渡っていく月ならば、家にいる妻に逢ってくるものを」という歌である。

3672  ひさかたの月は照りたり暇なく海人の漁りは灯し合へり見ゆ
      (比左可多能 月者弖利多里 伊刀麻奈久 安麻能伊射里波 等毛之安敝里見由)
 「ひさかたの」は枕詞。「暇(いとま)なく」は「せわしなく」という意味。
 「月が皎々と照っている。漁師たちは漁に余念がなく、せわしなく燈火を灯し合っている」という歌である。

3673  風吹けば沖つ白波畏みと能許の亭にあまた夜ぞ寝る
      (可是布氣婆 於吉都思良奈美 可之故美等 能許能等麻里尓 安麻多欲曽奴流)
 「畏(かしこ)みと」は「恐ろしいので」という意味である。「能許(のこ)の亭(とまり)」は「能古島近くの停泊地」。3670番歌参照。
 「風が吹いていて、沖の白波が恐ろしいので能古(のこ)島近くの停泊地で幾夜も過ごした」という歌である。
           (2016年7月1日記、2019年4月1日)
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