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そ の 231 へ
万葉集読解・・・230(3638~3655番歌)
頭注に「大嶋の鳴門を過ぎて、二泊経過した後、追って作った歌二首」とある。ここにいう大島は山口県岩国市の屋代島という。
3638 これやこの名に負ふ鳴門のうづ潮に玉藻刈るとふ海人娘子ども
(巨礼也己能 名尓於布奈流門能 宇頭之保尓 多麻毛可流登布 安麻乎等女杼毛)
「これやこの」は「これがまあ、あの」という意味。「鳴門のうづ潮」とは淡路島南あわじ市と徳島県鳴門市の間の狭い海峡(鳴門海峡)に発生するうず潮。
「これがまあ、有名な鳴門のうず潮と、玉藻を刈るという海人娘子(あまおとめ)たちだな」という歌である。
左注に「右の一首は田邊秋庭(たなべのあきには)」とある。
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万葉集読解・・・230(3638~3655番歌)
頭注に「大嶋の鳴門を過ぎて、二泊経過した後、追って作った歌二首」とある。ここにいう大島は山口県岩国市の屋代島という。
3638 これやこの名に負ふ鳴門のうづ潮に玉藻刈るとふ海人娘子ども
(巨礼也己能 名尓於布奈流門能 宇頭之保尓 多麻毛可流登布 安麻乎等女杼毛)
「これやこの」は「これがまあ、あの」という意味。「鳴門のうづ潮」とは淡路島南あわじ市と徳島県鳴門市の間の狭い海峡(鳴門海峡)に発生するうず潮。
「これがまあ、有名な鳴門のうず潮と、玉藻を刈るという海人娘子(あまおとめ)たちだな」という歌である。
左注に「右の一首は田邊秋庭(たなべのあきには)」とある。
3639 波の上に浮き寝せし宵あど思へか心悲しく夢に見えつる
(奈美能宇倍尓 宇伎祢世之欲比 安杼毛倍香 許己呂我奈之久 伊米尓美要都流)
「あど思へか」。東国訛りか?。「何と思ってか」という意味である。
「波の上に浮き寝した夜、何と思ってか妻がうらがなしくも夢に出てきた」という歌である。
(奈美能宇倍尓 宇伎祢世之欲比 安杼毛倍香 許己呂我奈之久 伊米尓美要都流)
「あど思へか」。東国訛りか?。「何と思ってか」という意味である。
「波の上に浮き寝した夜、何と思ってか妻がうらがなしくも夢に出てきた」という歌である。
頭注に「熊毛の浦に舶が停泊した夜に作った歌四首」とある。「熊毛の浦」は山口県熊毛郡の浜。
3640 都辺に行かむ船もが刈り薦の乱れて思ふ言告げやらむ
(美夜故邊尓 由可牟船毛我 可里許母能 美太礼弖於毛布 許登都ん夜良牟)
「都辺(みやこべ)に行かむ」は「都の方向に向かう」。すなわち「大和に向かう」という意味。「船もが」は「船があったらなあ」という願望。「刈り薦(こも)の」は「刈り取った薦のように」という意味。「都の方向に向かう船があったらなあ。刈り取った薦(こも)のように乱れたこの思いを妻に言付けしようものを」という歌である。
左注に「右の一首、羽栗の歌」とある。
3640 都辺に行かむ船もが刈り薦の乱れて思ふ言告げやらむ
(美夜故邊尓 由可牟船毛我 可里許母能 美太礼弖於毛布 許登都ん夜良牟)
「都辺(みやこべ)に行かむ」は「都の方向に向かう」。すなわち「大和に向かう」という意味。「船もが」は「船があったらなあ」という願望。「刈り薦(こも)の」は「刈り取った薦のように」という意味。「都の方向に向かう船があったらなあ。刈り取った薦(こも)のように乱れたこの思いを妻に言付けしようものを」という歌である。
左注に「右の一首、羽栗の歌」とある。
3641 暁の家恋しきに浦廻より楫の音するは海人娘子かも
(安可等伎能 伊敝胡悲之伎尓 宇良未欲理 可治乃於等須流波 安麻乎等女可母)
「暁(あかとき)の」は「明け方頃」のこと。「浦廻(うらみ)より」は「浦の辺りから」という意味。
「明け方頃、故郷の家が恋しいとき、浦の辺りから舟の梶音が聞こえてきた。あれは漁民の娘子(をとめ)たちだろうか」という歌である。
(安可等伎能 伊敝胡悲之伎尓 宇良未欲理 可治乃於等須流波 安麻乎等女可母)
「暁(あかとき)の」は「明け方頃」のこと。「浦廻(うらみ)より」は「浦の辺りから」という意味。
「明け方頃、故郷の家が恋しいとき、浦の辺りから舟の梶音が聞こえてきた。あれは漁民の娘子(をとめ)たちだろうか」という歌である。
3642 沖辺より潮満ち来らし可良の浦にあさりする鶴鳴きて騒きぬ
(於枳敝欲理 之保美知久良之 可良能宇良尓 安佐里須流多豆 奈伎弖佐和伎奴)
「可良(から)の浦」は所在未詳。
「沖の方から潮が満ちてきたらしい。可良(から)の浦であさりする鶴が鳴き騒いでいる」という歌である。
(於枳敝欲理 之保美知久良之 可良能宇良尓 安佐里須流多豆 奈伎弖佐和伎奴)
「可良(から)の浦」は所在未詳。
「沖の方から潮が満ちてきたらしい。可良(から)の浦であさりする鶴が鳴き騒いでいる」という歌である。
3643 沖辺より船人上る呼び寄せていざ告げ遣らむ旅の宿りを [一云 旅の宿りをいざ告げ遣らむ]
(於吉敝欲里 布奈妣等能煩流 与妣与勢弖 伊射都氣也良牟 多婢能也登里乎 [一云 多妣能夜杼里乎 伊射都氣夜良奈])
「船人上る」は「船人は都に向かって漕いでいく」という意味である。「いざ告げ遣らむ」は「さあ、家の者に言付けてやりたい」という意味。
「沖の方を都に向かってのぼって行く船がある。その船人を呼び寄せて、家の者に言付けてやりたい。旅の宿りのこのわびしさを」という歌である。
異伝歌は第四句と第五句が逆転しているが、意味は不変。
(於吉敝欲里 布奈妣等能煩流 与妣与勢弖 伊射都氣也良牟 多婢能也登里乎 [一云 多妣能夜杼里乎 伊射都氣夜良奈])
「船人上る」は「船人は都に向かって漕いでいく」という意味である。「いざ告げ遣らむ」は「さあ、家の者に言付けてやりたい」という意味。
「沖の方を都に向かってのぼって行く船がある。その船人を呼び寄せて、家の者に言付けてやりたい。旅の宿りのこのわびしさを」という歌である。
異伝歌は第四句と第五句が逆転しているが、意味は不変。
頭注に「佐婆の海中で忽ち逆風に遭い漲浪に漂流する。一夜を経て、幸いに順風を得、豊前國下毛郡分間浦に到着。ここに、艱難を痛み悲しんで、追って作った歌八首」とある。「佐婆の海中」は山口県防府市佐波の海上。佐波には佐波川が流れており、その河口付近のことか。豊前國(とよのみちのくちのくに)下毛郡(しもつみけのこほり)。分間(わくま)の浦は大分県中津市あたりとされる。周防(すおう)灘。
3644 大君の命畏み大船の行きのまにまに宿りするかも
(於保伎美能 美許等可之故美 於保<夫>祢能 由伎能麻尓末尓 夜杼里須流可母)
「大君の命(みこと)畏み」は「朝命(朝廷の命令)を承って」という意味の常套句。
「朝命を承って大船の行くがままに任せて旅宿りする身です」という歌である。
左注に「右の一首は雪宅麻呂(ゆきのやかまろ)の歌」とある。
3644 大君の命畏み大船の行きのまにまに宿りするかも
(於保伎美能 美許等可之故美 於保<夫>祢能 由伎能麻尓末尓 夜杼里須流可母)
「大君の命(みこと)畏み」は「朝命(朝廷の命令)を承って」という意味の常套句。
「朝命を承って大船の行くがままに任せて旅宿りする身です」という歌である。
左注に「右の一首は雪宅麻呂(ゆきのやかまろ)の歌」とある。
3645 我妹子は早も来ぬかと待つらむを沖にや住まむ家つかずして
(和伎毛故波 伴也母許奴可登 麻都良牟乎 於伎尓也須麻牟 伊敝都可受之弖)
結句の「家つかずして」。本歌は新羅に向かう途次の歌。なので家に着くという解釈は不可。「家に近づくこともなく」すなわち「家から遠く離れたまま」という意味になる。 「彼女は早く帰ってこないかと待っているだろうに、長く沖にとどまり、家から遠く離れたまま」という歌である。
(和伎毛故波 伴也母許奴可登 麻都良牟乎 於伎尓也須麻牟 伊敝都可受之弖)
結句の「家つかずして」。本歌は新羅に向かう途次の歌。なので家に着くという解釈は不可。「家に近づくこともなく」すなわち「家から遠く離れたまま」という意味になる。 「彼女は早く帰ってこないかと待っているだろうに、長く沖にとどまり、家から遠く離れたまま」という歌である。
3646 浦廻より漕ぎ来し船を風早み沖つみ浦に宿りするかも
(宇良未欲里 許藝許之布祢乎 風波夜美 於伎都美宇良尓 夜杼里須流可毛)
「浦廻(うらみ)より」は「浦辺より」という意味。「風早み」は「~なので」の「み」。「沖つみ浦に」は沖を浦に見立てた表現、「沖に」という意味。
「浦辺より漕ぎ進めてきた船だが、風が激しく吹くので漕ぐのをやめ、沖合で船宿りすることにした」という歌である。
(宇良未欲里 許藝許之布祢乎 風波夜美 於伎都美宇良尓 夜杼里須流可毛)
「浦廻(うらみ)より」は「浦辺より」という意味。「風早み」は「~なので」の「み」。「沖つみ浦に」は沖を浦に見立てた表現、「沖に」という意味。
「浦辺より漕ぎ進めてきた船だが、風が激しく吹くので漕ぐのをやめ、沖合で船宿りすることにした」という歌である。
3647 我妹子がいかに思へかぬばたまの一夜もおちず夢にし見ゆる
(和伎毛故我 伊可尓於毛倍可 奴婆多末能 比登欲毛於知受 伊米尓之美由流)
「ぬばたまの」はお馴染みの枕詞。「一夜もおちず」は「一夜も欠かさず」という意味。「夢にし」は強意の「し」。
「あの子がどう思ってか、毎晩毎晩夢に出てくる」という歌である。
(和伎毛故我 伊可尓於毛倍可 奴婆多末能 比登欲毛於知受 伊米尓之美由流)
「ぬばたまの」はお馴染みの枕詞。「一夜もおちず」は「一夜も欠かさず」という意味。「夢にし」は強意の「し」。
「あの子がどう思ってか、毎晩毎晩夢に出てくる」という歌である。
3648 海原の沖辺に灯し漁る火は明かして灯せ大和島見む
(宇奈波良能 於伎敝尓等毛之 伊射流火波 安可之弖登母世 夜麻登思麻見無)
夜の船上から漁船を眺めている歌。「漁(いさ)る火は」は漁船の火への呼びかけ。結句の「大和島見む」は255番歌の「天離る鄙の長道ゆ恋ひ来れば明石の門より大和島見ゆ」と同趣旨。
「大海の沖にともる漁船の火よ、赤々とともれよ。その遠くに大和の山々が見えるだろうから」という歌である。
(宇奈波良能 於伎敝尓等毛之 伊射流火波 安可之弖登母世 夜麻登思麻見無)
夜の船上から漁船を眺めている歌。「漁(いさ)る火は」は漁船の火への呼びかけ。結句の「大和島見む」は255番歌の「天離る鄙の長道ゆ恋ひ来れば明石の門より大和島見ゆ」と同趣旨。
「大海の沖にともる漁船の火よ、赤々とともれよ。その遠くに大和の山々が見えるだろうから」という歌である。
3649 鴨じもの浮寝をすれば蜷の腸か黒き髪に露ぞ置きにける
(可母自毛能 宇伎祢乎須礼婆 美奈能和多 可具呂伎可美尓 都由曽於伎尓家類)
「鴨じもの」は「鴨のように」という意味。1184番歌に「鳥じもの海に浮き居て~」とある。「蜷(みな)の腸(わた)」は枕詞。5例あってすべて黒髪にかかる。
「まるで鴨のように海上で浮き寝をしていると、私の黒髪に白露が降りかかる」という歌である。
(可母自毛能 宇伎祢乎須礼婆 美奈能和多 可具呂伎可美尓 都由曽於伎尓家類)
「鴨じもの」は「鴨のように」という意味。1184番歌に「鳥じもの海に浮き居て~」とある。「蜷(みな)の腸(わた)」は枕詞。5例あってすべて黒髪にかかる。
「まるで鴨のように海上で浮き寝をしていると、私の黒髪に白露が降りかかる」という歌である。
3650 ひさかたの天照る月は見つれども我が思ふ妹に逢はぬころかも
(比左可多能 安麻弖流月波 見都礼杼母 安我母布伊毛尓 安波奴許呂可毛)
「ひさかたの」はお馴染みの枕詞。「見つれども」は「見えるけれど」という意味。悩ましいのは「逢はぬころかも」である。普通に「頃かも」と解すると歌意の通りが悪くなる。作者ら一行は長旅の途上にあり、周防(すおう)灘に達している。そこで、「逢えない日々が長くなったこのごろ」と取らなければならない。「空を照らしてこうこうと輝く月は見えるけれど、あの子に逢えない日々が長くなったこのごろだなあ」という歌である。
(比左可多能 安麻弖流月波 見都礼杼母 安我母布伊毛尓 安波奴許呂可毛)
「ひさかたの」はお馴染みの枕詞。「見つれども」は「見えるけれど」という意味。悩ましいのは「逢はぬころかも」である。普通に「頃かも」と解すると歌意の通りが悪くなる。作者ら一行は長旅の途上にあり、周防(すおう)灘に達している。そこで、「逢えない日々が長くなったこのごろ」と取らなければならない。「空を照らしてこうこうと輝く月は見えるけれど、あの子に逢えない日々が長くなったこのごろだなあ」という歌である。
3651 ぬばたまの夜渡る月は早も出でぬかも海原の八十島の上ゆ妹があたり見む [旋頭歌也]
(奴波多麻能 欲和多流月者 波夜毛伊弖奴香文 宇奈波良能 夜蘇之麻能宇倍由 伊毛我安多里見牟 [旋頭歌也])
末注に「旋頭歌也」とある。旋頭歌(せとうか)の歌形は、五七七五七七である。
「ぬばたまの」はお馴染みの枕詞。「八十島(やそしま)」は「多くの島々」。「大空を夜渡る月が早く出てきてくれないかなあ。大海に浮かぶ多くの島々の向こうに彼女の家の方向が見たいから」という歌である。
(奴波多麻能 欲和多流月者 波夜毛伊弖奴香文 宇奈波良能 夜蘇之麻能宇倍由 伊毛我安多里見牟 [旋頭歌也])
末注に「旋頭歌也」とある。旋頭歌(せとうか)の歌形は、五七七五七七である。
「ぬばたまの」はお馴染みの枕詞。「八十島(やそしま)」は「多くの島々」。「大空を夜渡る月が早く出てきてくれないかなあ。大海に浮かぶ多くの島々の向こうに彼女の家の方向が見たいから」という歌である。
頭注に「至筑紫の舘に至って遥かに本郷を望み、傷んで作った歌四首」とある。館は公館。本郷はむろん本州のこと。
3652 志賀の海人の一日もおちず焼く塩のからき恋をも我れはするかも
(之賀能安麻能 一日毛於知受 也久之保能 可良伎孤悲乎母 安礼波須流香母)
志賀は志賀島(しかのしま)のことで、福岡県福岡市東区にある。「一日もおちず」は「一日も欠かさず」という意味。「志賀島の海人(あまびと)たちが一日も欠かさず焼く塩は辛い。そんなからい恋に私は落ちてしまった」という歌である。
3652 志賀の海人の一日もおちず焼く塩のからき恋をも我れはするかも
(之賀能安麻能 一日毛於知受 也久之保能 可良伎孤悲乎母 安礼波須流香母)
志賀は志賀島(しかのしま)のことで、福岡県福岡市東区にある。「一日もおちず」は「一日も欠かさず」という意味。「志賀島の海人(あまびと)たちが一日も欠かさず焼く塩は辛い。そんなからい恋に私は落ちてしまった」という歌である。
3653 志賀の浦に漁りする海人家人の待ち恋ふらむに明かし釣る魚
(思可能宇良尓 伊射里須流安麻 伊敝<妣>等能 麻知古布良牟尓 安可思都流宇乎)
志賀は前歌参照。平明歌。「志賀島の浦で漁をする海人(あまびと)、家で妻たちが心待ちしているだろうに、夜を徹して魚を釣っている」という歌である。
(思可能宇良尓 伊射里須流安麻 伊敝<妣>等能 麻知古布良牟尓 安可思都流宇乎)
志賀は前歌参照。平明歌。「志賀島の浦で漁をする海人(あまびと)、家で妻たちが心待ちしているだろうに、夜を徹して魚を釣っている」という歌である。
3654 可之布江に鶴鳴き渡る志賀の浦に沖つ白波立ちし来らしも [一云 満ちし来ぬらし]
(可之布江尓 多豆奈吉和多流 之可能宇良尓 於枳都之良奈美 多知之久良思母 [一云 美知之伎奴良思])
可之布江(かしふえ)は福岡市東区香椎の入り江。「可之布江(かしふえ)に鶴が鳴き渡る志賀島の浦に沖から白波が寄せてきたようだ」という歌である。異伝歌の結句は「満ちてきたようだ」となっている。
(可之布江尓 多豆奈吉和多流 之可能宇良尓 於枳都之良奈美 多知之久良思母 [一云 美知之伎奴良思])
可之布江(かしふえ)は福岡市東区香椎の入り江。「可之布江(かしふえ)に鶴が鳴き渡る志賀島の浦に沖から白波が寄せてきたようだ」という歌である。異伝歌の結句は「満ちてきたようだ」となっている。
3655 今よりは秋づきぬらしあしひきの山松蔭にひぐらし鳴きぬ
(伊麻欲理波 安伎豆吉奴良之 安思比奇能 夜麻末都可氣尓 日具良之奈伎奴)
「秋づきぬらし」は「秋めいてきたようだ」。「あしひきの」は枕詞。「今こそ秋めいてきたようだ。山の松陰にひぐらしが鳴いている」という歌である。
(2016年6月29日記、2019年4月1日)
(伊麻欲理波 安伎豆吉奴良之 安思比奇能 夜麻末都可氣尓 日具良之奈伎奴)
「秋づきぬらし」は「秋めいてきたようだ」。「あしひきの」は枕詞。「今こそ秋めいてきたようだ。山の松陰にひぐらしが鳴いている」という歌である。
(2016年6月29日記、2019年4月1日)