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万葉集読解・・・234(3700~3717番歌)

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     万葉集読解・・・234(3700~3717番歌)
  頭注に「竹敷の浦に舶を停泊させた時、各々の心情を陳べて作った歌十八首」とある。竹敷(たかしき)の浦は長崎県対馬市(島)を南北に隔てる浅茅湾。
3700  あしひきの山下光る黄葉の散りの乱ひは今日にもあるかも
      (安之比奇能 山下比可流 毛美知葉能 知里能麻河比波 計布仁聞安流香母)
 「あしひきの」は枕詞。「山下光る黄葉(もみちば)の」は「山裾の方まで光り輝くもみじが」という意味。「散りの乱(まが)ひは」は「散り乱れる」様。
 「もみじが山裾の方まで光り輝き、散り乱れるのは今真っ盛り」という歌である。
 左注に「右の一首は大使の歌」とある。大使は阿倍継麻呂(あべのつぐまろ)。

3701  竹敷の黄葉を見れば我妹子が待たむと言ひし時ぞ来にける
      (多可之伎能 母美知乎見礼婆 和藝毛故我 麻多牟等伊比之 等伎曽伎尓家流)
 竹敷(たかしき)は前歌頭注参照。
 「竹敷(たかしき)の黄葉を見ていると、彼女が、このころにはお帰りになるんですね、と言った、その時節がやってきたんだなあと思う」という歌である。
 左注に「右の一首は副使の歌」とある。副使は大伴宿禰三中。「続日本紀」天平九年(737年)の条に「副使従六位下大伴宿禰三中染病、不得入京」とある。病気になり、帰京できなかったことがわかる。

3702  竹敷の浦廻の黄葉我れ行きて帰り来るまで散りこすなゆめ
      (多可思吉能 宇良<未>能毛美知 <和>礼由伎弖 可敝里久流末悌 知里許須奈由米)
 竹敷(たかしき)は対馬の浅茅湾。「なゆめ」は「~しないで決して」という意味。
 「竹敷(たかしき)の浦辺に色づく黄葉よ。私が新羅に行って戻って来るまで、散らないでおくれ、決して」という歌である。
  左注に「右の一首は大判官の歌」とある。判官は三等官でここにいう大判官は壬生使主宇太麿(みぶのおみのうだまろ)。

3703  竹敷の宇敝可多山は紅の八しほの色になりにけるかも
      (多可思吉能 宇敝可多山者 久礼奈為能 也之保能伊呂尓 奈里尓家流香聞)
 竹敷(たかしき)は対馬の浅茅湾。宇敝可多山(うへかたやま)は所在不詳。「八しほ」は「幾度も染める」こと。
 「竹敷(たかしき)の宇敝可多山(うへかたやま)の紅葉は幾度も染めたように色濃くなったもんだな」という歌である。
                                         左注に「右の一首は小判官の歌」とある。この小判官は大蔵忌寸麿(おおくらのいみきまろ)。

3704  黄葉の散らふ山辺ゆ漕ぐ船のにほひにめでて出でて来にけり
      (毛美知婆能 知良布山邊由 許具布祢能 尓保比尓米悌弖 伊悌弖伎尓家里)
 「散らふ」は「散りつづく」こと。「山辺ゆ」は「~から」の「ゆ」。「にほひにめでて」は「景色がきれいなので」という意味である。「にほひ」は通常「染まる」とか「染める」という意味だが、「美しい景色」のこともいう。
 「黄葉が散り続いている山の麓から、あまりに景色がきれいなので、船を漕いでやってまいりました」という歌である。

3705  竹敷の玉藻靡かし漕ぎ出なむ君がみ船をいつとか待たむ
      (多可思吉能 多麻毛奈<婢>可之 己<藝>悌奈牟 君我美布祢乎 伊都等可麻多牟)
 竹敷(たかしき)は対馬の浅茅湾。「いつとか待たむ」は「いつになるか分かりませんが待ちます」という意味である。これから新羅に向かうことを言っている。
 「竹敷(たかしき)の玉藻を靡かせながら(新羅へと)漕ぎ出して行かれるあなた様の御船、お帰りはいつになるか分かりませんがお待ちします」という歌である。
 左注に「右二首は對馬の娘子(をとめ)の歌。名を玉槻(たまつき)という」とある。

3706  玉敷ける清き渚を潮満てば飽かず我れ行く帰るさに見む
      (多麻之家流 伎欲吉奈藝佐乎 之保美弖婆 安可受和礼由久 可反流左尓見牟)
 「飽かず」は「見飽きないのに」という意味。
 「玉を敷き詰めたような美しい渚に潮が満ちてくる。その光景を見飽きないまま(新羅へ)向かう。帰りには必ず見よう」という歌である。
 左注に「右の一首は大使の歌」とある。大使は阿倍継麻呂(あべのつぐまろ)。

3707  秋山の黄葉をかざし我が居れば浦潮満ち来いまだ飽かなくに
      (安伎也麻能 毛美知乎可射之 和我乎礼婆 宇良之保美知久 伊麻太安可奈久尓)
 平明歌。
「秋山の黄葉をかざして眺めていると、浦に潮が満ちてきた。いまだ見飽きないというのに」という歌である。
 左注に「右の一首は副使の歌」とある。副使は大伴宿禰三中。

3708  物思ふと人には見えじ下紐の下ゆ恋ふるに月ぞ経にける
      (毛能毛布等 比等尓波美要<緇> 之多婢毛能 思多由故布流尓 都奇曽倍尓家流)
 「下紐の下ゆ」は秘めた思いの表現。「~から」の「ゆ」。
 「物思うと人には分からないようにしているが、心密かに恋続けている内に月が経ってしまった」という歌である。
 左注に「右の一首は大使の歌」とある。大使は阿倍継麻呂(あべのつぐまろ)。

3709  家づとに貝を拾ふと沖辺より寄せ来る波に衣手濡れぬ
      (伊敝豆刀尓 可比乎比里布等 於伎敝欲里 与世久流奈美尓 許呂毛弖奴礼奴)
 「家づとに」は「家への土産に」という意味。
 「家への土産に貝を拾おうとしたら沖から寄せてきた波に着物の袖が濡れてしまった」という歌である。

3710  潮干なばまたも我れ来むいざ行かむ沖つ潮騒高く立ち来ぬ
      (之保非奈<婆> 麻多母和礼許牟 伊射遊賀武 於伎都志保佐為 多可久多知伎奴)
 「またも我れ来む」は「ここ海岸にまた来よう」という意味である。
 「潮が干いたらまたこの海岸に来よう。沖の潮騒が高くなってきたのでさあ船に戻ろう」という歌である。

3711  我が袖は手本通りて濡れぬとも恋忘れ貝取らずは行かじ
      (和我袖波 多毛登等保里弖 奴礼奴等母 故非和須礼我比 等良受波由可自)
 平明歌。
 「波が手元を伝ってきて袖が濡れようと、恋の憂さを忘れさせてくれるという忘れ貝を取らないでは行かれない」という歌である。

3712  ぬばたまの妹が干すべくあらなくに我が衣手を濡れていかにせむ
      (奴<婆>多麻能 伊毛我保須倍久 安良奈久尓 和我許呂母弖乎 奴礼弖伊可尓勢牟)
 「ぬばたまの」は枕詞。ここは夜そのものを指す。「わたつみの」が海そのもを指すのと相似した用法。
 「夜、妻が干してくれるだろうその妻がいない今、この濡れた着物の袖をどうしたらよかろう」という歌である。

3713  黄葉は今はうつろふ我妹子が待たむと言ひし時の経ゆけば
      (毛美知婆波 伊麻波宇都呂布 和伎毛故我 麻多牟等伊比之 等伎能倍由氣婆)
 「今はうつろふ」は「今散ってゆく」ことをこう表現した。
 「(美しい)黄葉は今散ってゆく頃になった。(秋までには帰ってくると)妻に言って家を出たが、それを待つ時節も今過ぎてゆく」という歌である。

3714  秋されば恋しみ妹を夢にだに久しく見むを明けにけるかも
      (安<伎>佐礼婆 故非之美伊母乎 伊米尓太尓 比左之久見牟乎 安氣尓家流香聞)
 「秋されば」は「秋になると」という意味。「恋しみ」は「~ので」の「み」。「恋しさがつのるので」という意味。
 「秋がやってくると恋しさがいっそうつのり、夢だけでも長らく見続けていたいのに、夜はさっさと明けてしまった」という歌である。

3715  ひとりのみ着寝る衣の紐解かば誰れかも結はむ家遠くして
      (比等里能未 伎奴流許呂毛能 比毛等加婆 多礼可毛由波牟 伊敝杼保久之弖)
 「誰(た)れかも結はむ」は「いったい誰が結んでくれよう」という意味である。
 「ひとりだけで着て寝るこの着物の紐を解いたなら、いったい誰が結んでくれよう。家は遙か遠いのに」という歌である。

3716  天雲のたゆたひ来れば九月の黄葉の山もうつろひにけり
      (安麻久毛能 多由多比久礼婆 九月能 毛未知能山毛 宇都呂比尓家里)
 「天雲の」は「天雲のように」という比喩。九月は現在の十月ないし十一月。「うつろひにけり」は「散ってしまった」という意味。
 「天雲のように漂いながらここまでやってきたが、九月の黄葉の山はすっかり散ってしまったなあ」という歌である。

3717  旅にても喪なく早来と我妹子が結びし紐はなれにけるかも
      (多婢尓弖毛 母奈久波也許登 和伎毛故我 牟須妣思比毛波 奈礼尓家流香聞)
 「旅にても喪(も)なく」は「出立なさってもなにごともなく」という意味である。「なれにけるかも」は「すっかりしおれてしまった」という意味。
 「出立なさってもなにごともなく、早く帰っていらしてね、と妻が言いつつしっかり結んでくれた着物の紐もすっかりしおれてしまった」という歌である。
           (2016年7月14日記、2019年4月2日)
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