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万葉集読解・・・235(3718~3735番歌)

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     万葉集読解・・・235(3718~3735番歌)
  頭注に「筑紫に到りきて、海路を入京せんとして播磨國の家嶋に寄ったとき作った歌五首」とある。家島は兵庫県姫路市に所属する島。
3718  家島は名にこそありけれ海原を我が恋ひ来つる妹もあらなくに
      (伊敝之麻波 奈尓許曽安里家礼 宇奈波良乎 安我古非伎都流 伊毛母安良奈久尓)
 新羅への使いを果たし、大和に向かう帰途、播磨國の家島に立ち寄った時の歌。それを踏まえて読めばすんなり頭に入ってくる。
 「家島という名に心惹かれて、海原をこえてやってきた。その島に彼女がいるわけではないけれど」という歌である。

3719  草枕旅に久しくあらめやと妹に言ひしを年の経ぬらく
      (久左麻久良 多婢尓比左之久 安良米也等 伊毛尓伊比之乎 等之能倍奴良久)
 「草枕」は枕詞。「久しくあらめや」は「長くはあるまいと」という意味。
 「これから旅に出るが、そんなに長くはあるまいと、妻に言って家を出てきたが、いや、もう年を越してしまった」という歌である。

3720  我妹子を行きて早見む淡路島雲居に見えぬ家つくらしも
      (和伎毛故乎 由伎弖波也美武 安波治之麻 久毛為尓見延奴 伊敝都久良之母)
 「雲居に見えぬ」は否定ではなく「雲のかかっているあたりに見えてきた」という意味である。「家つくらしも」は「家が近くなってきたらしい」という意味。
 「早く帰って彼女に逢いたいな。雲のかかっているあたりに淡路島が見えてきた。家が近くなってきたらしい」という歌である。

3721  ぬばたまの夜明かしも船は漕ぎ行かな御津の浜松待ち恋ひぬらむ
      (奴婆多麻能 欲安可之母布<祢>波 許藝由可奈 美都能波麻末都 麻知故非奴良武)
 「ぬばたまの」はお馴染みの枕詞。「御津」は大伴氏の本拠があったとされる大阪湾の東浜一帯を指す。
 「夜が明けてきたらしい。が、船はこのまま漕ぎ進めよう。御津の浜辺の、あの松並木もわれらを待ち焦がれているだろうから」という歌である。

3722  大伴の御津の泊りに船泊てて龍田の山をいつか越え行かむ
      (大伴乃 美津能等麻里尓 布祢波弖々 多都多能山乎 伊都可故延伊加武)
  御津は前歌参照。龍田山は奈良県生駒郡の山の一つ。
 「大伴の御津の港に船を泊め、大和に入るあの龍田の山をもうすぐ越える所まできた」という歌である。

 頭注に「中臣朝臣宅守(なかとみのあそみやかもり)と狭野弟上娘子(さののおとかみのをとめ)の贈答歌」とある。宅守は中臣一族の一人で、中臣東人(あずまびと)の子。その東人は、長屋王(ながやのおほきみ)が国家を転覆せんと企んでいる、と密告した人物ということになっている。狭野弟上娘子は伝不詳。なお、万葉集巻15の目録には「宅守は越前国(福井県東部)に罪流された」との記載がある。
3723  あしひきの山道越えむとする君を心に持ちて安けくもなし
      (安之比奇能 夜麻治古延牟等 須流君乎 許々呂尓毛知弖 夜須家久母奈之)
 「あしひきの」はお馴染みの枕詞。「心に持ちて」は「心にあって」という意味。
 「山道を越えて行こうとされるあなたが心に引っかかって心が安まりません」という歌である。

3724  君が行く道の長手を繰り畳ね焼き滅ぼさむ天の火もがも
      (君我由久 道乃奈我弖乎 久里多々祢 也伎保呂煩散牟 安米能火毛我母)
 「繰り畳ね」は長く続く道を長いむしろに見立てた表現、「天の火もがも」は「天の火があったらなあ」という願望。
 「あなたが行く道の長さを思うと、それを折り畳んで焼き滅ぼしてしまいたい。そんな天の火があったらなあ」という歌である。

3725  我が背子しけだし罷らば白栲の袖を振らさね見つつ偲はむ
      (和我世故之 氣太之麻可良<婆> 思漏多倍乃 蘇悌乎布良左祢 見都追志努波牟)
 宅守(やかもり)の配流の件を知っての歌。「背子(せこ)し」は強意の「し」。「白栲(しろたへ)の」は袖の美称ないし「真っ白な」という意味。
 「私のあなた、もしも遠くの国へ行っておしまいになるなら、真っ白なその袖をお振りになって下さい。それを記憶にとどめてあなたのことを心に刻んでおきます」という歌である。

3726  このころは恋ひつつもあらむ玉櫛笥明けてをちよりすべなかるべし
      (己能許呂波 古非都追母安良牟 多麻久之氣 安氣弖乎知欲利 須辨奈可流倍思)
 「このころは」は「今はまだ」という意味。玉櫛笥(たまくしげ)は櫛箱、玉は美称。「明けて」を導く序句。「をちより」は「をちこち」の「をち」で「遠く」、以降の意。
 「今はまだ、(あなたがいらっしゃるので)恋したしんでいればいいのですが、玉櫛笥の蓋を開けるように夜が明けたならそれ以降はどうしようもありません」という歌である。
 左注に「右の四首は娘子が別れに臨んで作った歌」とある。

3727  塵泥の数にもあらぬ我れゆゑに思ひわぶらむ妹がかなしさ
      (知里比治能 可受尓母安良奴 和礼由恵尓 於毛比和夫良牟 伊母我可奈思佐)
 「塵泥(ちりひぢ)の数にもあらぬ」は「ものの数にも入らない」という意味。「思ひわぶ」は「思ひわび」のことで「わびしい」。
 「塵泥(ちりひぢ)のようにものの数にも入らない私がごときもののためにわびしい思いをして悩む、彼女がいとしい」という歌である。

3728  あをによし奈良の大道は行きよけどこの山道は行き悪しかりけり
      (安乎尓与之 奈良能於保知波 由<吉>余家杼 許能山道波 由伎安之可里家利)
 「あをによし」は枕詞。「行きよけど」は「とおりやすいが」という意味。
 「あをによし奈良の都大路は通り易いが、この山道はなんと通り難いことだろう」という歌である。

3729  うるはしと我が思ふ妹を思ひつつ行けばかもとな行き悪しかるらむ
      (宇流波之等 安我毛布伊毛乎 於毛比都追 由氣婆可母等奈 由伎安思可流良武)
 「うるはし」は「美しく輝かしい」という意味。「もとな」は「心許ない」ないし「しきりに」といった意味。
 「美しく輝いていると私が思っている彼女に、心惹かれつつ行くからだろうか、心もとなくこのまま行きづらい」という歌である。

3730  畏みと告らずありしをみ越道の手向けに立ちて妹が名告りつ
      (加思故美等 能良受安里思乎 美故之治能 多武氣尓多知弖 伊毛我名能里都)
 「畏(かしこ)み」は「~ので」の「み」、「恐れ多いからと」という意味。「告(の)らずありしを」は「口に出さずにきたが」という意味。「み越道(こしぢ)の」は「越前国(福井県東部)への道」。「手向けに立ちて」は幣巾(お供え物)を捧げる場所、すなわち「道祖神にお供えをする場所(通常、峠の頂上ある)に立って」という意味である。
 「恐れ多いからと口に出さずにきたが、越前を目指す峠にさしかかった。旅の無事を願って道祖神にお供えをする段になって、とうとう彼女の名を口に出してしまった」という歌である。
  左注に「右の四首は中臣朝臣宅守(やかもり)が旅だって行く時に作った歌」とある。

3731  思ふゑに逢ふものならばしましくも妹が目離れて我れ居らめやも
      (於毛布恵尓 安布毛能奈良婆 之末思久毛 伊母我目可礼弖 安礼乎良米也母)
 「思ふゑに」は「思ふゆゑに」の略。「しましくも」は「しばらくでも」という意味。「私は流されていく身。思っても再会できぬかもしれない」という含意がある。
 「思う故に逢えるものならば、しばらく彼女に逢わずにいられようが」という歌である。

3732  あかねさす昼は物思ひぬばたまの夜はすがらに音のみし泣かゆ
      (安可祢佐須 比流波毛能母比 奴婆多麻乃 欲流波須我良尓 祢能<未>之奈加由)
 「あかねさす」及び「ぬばたまの」は共に枕詞。「すがら」は「夜もすがら」の「すがら」で「~通し」という意味。
 「昼は物思いに沈むばかり、夜は夜通し声を上げて泣きたいばかり」という歌である。

3733  我妹子が形見の衣なかりせば何物もてか命継がまし
      (和伎毛故我 可多美能許呂母 奈可里世婆 奈尓毛能母弖加 伊能知都我麻之)
 平明歌。
 「彼女の形見の着物がなかったならば、何をもって私は命をつなぐことができよう」という歌である。

3734  遠き山関も越え来ぬ今さらに逢ふべきよしのなきがさぶしさ [一云 さびしさ]
      (等保伎山 世伎毛故要伎奴 伊麻左良尓 安布倍伎与之能 奈伎我佐夫之佐 [一云 左必之佐])
 「関も越え来ぬ」の関は愛発関(あらちのせき)という。近江国(滋賀県)と越前国(福井県)の国境に作られた。東海道の鈴鹿関と東山道の不破関とともに古代の三関とされた。ここを越えると宅守(やかもり)の配流先となる。
 「遠い山も関も越えてやってきた。この期に及んでは彼女に逢える手段もない。本当に寂しい」という歌である。
 異伝歌は結句の末の「さぶしさ」が「さびしさ」となっている。

3735  思はずもまことあり得むやさ寝る夜の夢にも妹が見えざらなくに
      (於毛波受母 麻許等安里衣牟也 左奴流欲能 伊米尓毛伊母我 美延射良奈久尓)
 「思はずも」は「思わないことが」という意味。「見えざらなくに」は「見えないことはない」で二重否定、つまり「見えて仕方ない」という意味である。
 「あなたを思わずにいるなんてことが本当にあるだろうか。毎夜寝る夢の中にさえ彼女が見えて仕方がないのに」という歌である。
           (2016年7月19日記、2019年4月2日)
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