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万葉集読解・・・240(3794~3809番歌)

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     万葉集読解・・・240(3794~3809番歌)
 竹取翁(たかとりのおきな)の歌に応えて作った娘子たちの歌九首(3794~3802))
3794  はしきやし翁の歌におほほしき九の子らや感けて居らむ [一]
      (端寸八為 老夫之歌丹 大欲寸 九兒等哉 蚊間毛而将居 [一])
 「はしきやし」は「美しくいとしい」という意味。「おほほしき」は「ぼんやりした」。「感(かま)けて居(を)らむ」は「感嘆しているだけ」という意味である。
 「美しくいとしい翁(おきな)の歌に私たち九人の女性はただぼんやりと聞き惚れているだけです」という歌である。

3795  恥を忍び恥を黙して事もなく物言はぬさきに我れは寄りなむ [二]
      (辱尾忍 辱尾黙 無事 物不言先丹 我者将依 [二])
 「恥を忍び恥を黙して」は「老人にきつく言った恥を黙って」という意味である。「寄りなむ」は「心に寄り添う」すなわち「老人に感嘆する」という意味である。
 「老人にきつく言った恥を黙って忍び、何か言い訳する前に、私は翁に感嘆します」という歌である。

3796  否も諾も欲しきまにまに許すべき顔見ゆるかも我れも寄りなむ [三]
      (否藻諾藻 随欲 可赦 皃所見哉 我藻将依 [三])
 「否も諾(を)も」は「否も応もなく」ということ。「欲しきまにまに許すべき」は「私の欲するままに許してくれそうな」という意味。
 「否も応もなく私の欲するままに許してくれそうなお爺さんの顔に見える、私も心に寄り添うわ」という歌である。

3797  死にも生きも同じ心と結びてし友や違はむ我れも寄りなむ [四]
      死藻生藻 同心迹 結而為 友八違 我藻将依 [四]
 「結びてし」は「誓い合った」という意味。平明歌。
 「死ぬも生きるも一緒よと誓い合った友ですもの。私も違わずお爺さんの心に寄り添うわ」という歌である。

3798  何せむと違ひは居らむ否も諾も友のなみなみ我れも寄りなむ [五]
      (何為迹 違将居 否藻諾藻 友之波々 我裳将依 [五])
 「否も諾(を)も」は前々歌参照。「友のなみなみ」は「友並に」すなわち「友のみなさんと同じく」という意味である。
 「どうして私が違う気持ちなど持ちましょう。否も応もなく、友のみなさんと同じく、お爺さんの心に寄り添うわ」という歌である。

3799  あにもあらじおのが身のから人の子の言も尽さじ我れも寄りなむ [六]
      (豈藻不在 自身之柄 人子之 事藻不盡 我藻将依 [六])
 「あにもあらじ」は「決してそうじゃないと言えようか」という意味。「人の子の言(こと)も尽さじ」は「一人前の口をたたけましょう」という意味である。
 「決してそうじゃないと言えようか。この(半人前の)身で一人前の口をたたくなんて。私もお爺さんの心に寄り添うわ」という歌である。

3800  はだすすき穂にはな出でそ思ひたる心は知らゆ我れも寄りなむ [七]
      (者田為々寸 穂庭莫出 思而有 情者所知 我藻将依 [七])
 「はだすすき」は枕詞。「な出でそ」は「な~そ」の禁止形。「心は知らゆ」は「みなさんの心は分かっています」という意味。
 「ススキの穂のように口には出さないで、皆さんの思いはよく分かっているわ。私もお爺さんの心に寄り添うわ」という歌である。

3801  住吉の岸野の榛ににほふれどにほはぬ我れやにほひて居らむ [八]
      (墨之江之 岸野之榛丹 々穂所經迹 丹穂葉寐我八 丹穂氷而将居 [八]) 「住吉(すみのえ)の岸野」は3791番長歌に詠われている「住吉の遠里小野」を指す。染料に使われる榛の木(はんのき)の産地だったらしい。大阪市南部から堺市北部にかけての一帯。「にほふ」は「染まる」。
 「(名高い)住吉の岸野の榛の木(はんのき)のように染めようとしても染まらない私だけど、今回はみなさんと同様お爺さんの歌に染まっております」という歌である。

3802  春の野の下草靡き我れも寄りにほひ寄りなむ友のまにまに [九]
      (春之野乃 下草靡 我藻依 丹穂氷因将 友之随意 [九])
 平明歌。
 「春の野の下草がなびくように、私もお爺さんの心に染まり寄り添いましょう。みなさんと同じく」という歌である。

 以上で、3791番長歌以下一連の歌は終了である。結局、何の寓意があるのかさっぱり分からない歌群だ。
 振り返ってみると、翁の「人はどんなに時めいていても、誰しも老いる。」という歌に対し、美しい9人の娘たちは一様に「お爺さんの言うとおりです。心に寄り添います」と詠う形になっている。単に老人の愚痴話にしか見えないが、好意的に解釈すればこういうことだろうか。
 「人は誰しも老い、娘たちから誰も相手にしてもらえなくなる。娘たちも順番にやがて白髪になる。老人を敬うことは大切ですよ」
 ただ、どうしても分からないのは3791番長歌の結句「それだから昔の賢人たちもこれを後の世の鑑(かがみ)にしようと、老人を送った車を持ち帰ってきた、持ち帰ってきた」
 という言葉である。「昔の賢人たち」とはたとえば誰なのか。「後の世の鑑(かがみ)」とはどういうことか。「持ち帰ってきた、持ち帰ってきた」と繰り返して終わる意味は何なのか。さっぱりわからないのである。

 歌の解題に大略こうある。「昔男と女が恋仲になりひそかに関係をもった。娘は親に知らせたいと思って歌を作った」
3803  隠りのみ恋ふれば苦し山の端ゆ出でくる月の顕さばいかに
      (隠耳 戀<者>辛苦 山葉従 出来月之 顕者如何)
 「隠(こも)りのみ」は「ひそかに」という意味。「山の端ゆ」は「~から」の「ゆ」。
 「密かに恋仲でいるのは苦しい。山の端から出てくる月のように、そろそろ表沙汰にしてはどうかしら」という歌である。
 左注に「本歌は男に応えた歌とされるが今だにその歌がみつかっていない」とある。

 歌の解題に大略こうある。「昔男は新婚をなした。が、幾ばくも経ない内に驛使(はゆまづかい)(継ぎ馬を行う官)を任ぜられ、遠国に下った。新妻は会う機会もなく、病に伏し、やつれ果てた。幾年かして任を解かれ、帰京してみると妻はみるかげもなく、やせ衰え、悲嘆にくれた男が作った歌」
3804  かくのみにありけるものを猪名川の沖を深めて我が思へりける
      (如是耳尓 有家流物乎 猪名川之 奥乎深目而 吾念有来)
 「かくのみにありけるものを」は「こんなにやつれ果てているとも知らず」という意味である。猪名川(いながわ)は兵庫県と大阪府の県境付近を流れる川。
 「こんなにやつれ果てているとも知らず、私は猪名川(いながわ)の川底深くそなたが変わらぬと思いこんでいた」という歌である。

 頭注に「床に臥した女性は夫の歌を聴いて枕から頭を上げ、応えた歌一首」とある。
3805  ぬばたまの黒髪濡れて沫雪の降るにや来ますここだ恋ふれば
      (烏玉之 黒髪所<沾>而 沫雪之 零也来座 幾許戀者)
 「ぬばたまの」はお馴染みの枕詞。「降るにや」は「降る中を」という意味。「ここだ」は「しきりに」という意味。
 「黒髪がびっしょり濡れていますわ。淡雪が降りしきる中をいらっしゃったんですね。私がしきりに恋い焦がれるものだから」という歌である。
 左注に「今考えるに、夫が幾年もの驛使(はゆまづかい)の任を終え、帰京した時が冬の雪の季節だったのであろう」とある。

3806  事しあらば小泊瀬山の石城にも隠らばともにな思ひそ我が背
      (事之有者 小泊瀬山乃 石城尓母 隠者共尓 莫思吾背)
 「事しあらば」は強意の「し」。「小泊瀬山」の小は接頭語で、「あの泊瀬山(はせやま)」という感覚。奈良県櫻井市長谷寺の一帯。石城(いはき)は石棺のこと。「な思ひそ」は「な~そ」の禁止形。
 「何か事があってあの泊瀬山に葬られることがあったら、私も共に葬られましょう。ですから心配なさらないで、私のあなた」という歌である。
 左注に「言い伝えによると、この女性は父母に内緒で、密かに男と関係を持った。男も親を恐れて愚図愚図していたので、女は相手にこの歌を贈った」とある。

3807  安積山影さへ見ゆる山の井の浅き心を我が思はなくに
      (安積香山 影副所見 山井之 淺心乎 吾念莫國)
 安積山(あさかやま)は福島県郡山市にある山。「山の井」は「山の湖水」で、ここまで「浅き」を導く序歌。
 「安積山(あさかやま)の影さえ見える山の湖水の、その安積山ではないが、決して浅い心などで思いをかけたりしません」という歌である。
 長い左注が付いていて、大略次の通り。
 「葛城王(かづらきのおほきみ)が陸奥國に派遣された折、国司の接待がまずく、酒宴を設けても王は不機嫌だった。時に都の采女を終えて戻った女性がいて、葛城王の接待に出て、この歌を作った。王はたちまち上機嫌になり、終日宴が続いた」
 陸奥国(むつ)は、今の青森、岩手、宮城、福島の4県。

3808  住吉の小集楽に出でてうつつにもおの妻すらを鏡と見つも
      (墨江之 小集樂尓出而 寤尓毛 己妻尚乎 鏡登見津藻)
 住吉(すみのえ)は大阪市南部。小集楽(をづめ)は橋のたもとのことで、そこで野遊びが行われたらしい。「うつつにも」は「目の当たりに」のことで、「夢の中ではなく」という強調表現になっている。「鏡と見つも」は「鏡のように美しく輝いて見えた」という意味である。
 「妻と二人で住吉の小集楽(をづめ)の野遊びに出てみたが、自分の妻ではあるが、人々の中で目の当たりにすると、美しく輝いて見えた」という歌である。
 この歌にも長い左注が付いていて、大略次の通り。
 「昔、田舎人がいた。男女が集まってきて野遊びを行ったところ、その田舎人の夫婦もいた。その妻は衆に抜きんでて容姿端麗に見えた。夫は妻を見直してこの歌を作った」

3809  商返しめすとの御法あらばこそ我が下衣返し給はめ
      (商變 領為跡之御法 有者許曽 吾下衣 反賜米)
 「商返(あきかへ)し」は「契約を反古にする」こと。「めすとの御法(みのり)」は「反古にしてもよい法令」。
 「契約を反古にしてもかまわないという法令があるのでしたら、さしあげた私の下着をお返し下さるのも分かりますが・・・。」という歌である。
 左注が付いていて、大略次の通り。
 「あるとき、君主の寵愛を受けた女性がいた。寵愛が薄れ、下着を返された女性が恨みに思って作った歌」
           (2016年8月11日記、2019年4月4日)
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