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万葉集読解・・・242(3824~3837番歌)

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     万葉集読解・・・242(3824~3837番歌)
 頭注に「長忌寸意吉麻呂(ながのいみきおきまろ)の歌八首」とある。3824~3831番歌。
3824  さし鍋に湯沸かせ子ども櫟津の桧橋より来む狐に浴むさむ
      (刺名倍尓 湯和可世子等 櫟津乃 桧橋従来許武 狐尓安牟佐武)
 「さし鍋」は「柄をもって注ぐ鍋」、片手鍋のようなものか。「子ども」は「子供」のことではなく、有名な63番歌に「いざ子ども早く大和へ大伴の御津の浜松待ち恋ひぬらむ」とある「子ども」と同じ用語。従者や仲間等を指す。櫟津(いちひつ)は奈良県天理市櫟本町(いちのもとちょう)の船着場のこととされる。桧橋(ひばし)はそこに架かっていた橋か?。櫟本町には和爾下神社が鎮座していて、その境内に本歌の歌碑が立っている。
 「この片手鍋に湯を沸かせ、みなさん。櫟津(いちひつ)の桧橋(ひばし)よりやってくる狐に浴びせてやろうではないか」という歌である。
 左注に大略こうある。「一同が集まって宴を催した。真夜中に狐の声がした。人々は意吉麻呂に、この片手鍋、湯を沸かす器、狐の鳴き声、川、橋等を使って歌作せよと乞うた」とある
 宴席での即興歌。

 頭注に「行騰、蔓菁、食薦、屋梁を詠んだ歌」とある。
3825  食薦敷き青菜煮て来む梁にむかばき懸けて休むこの君
      (食薦敷 蔓菁煮将来 梁尓 行騰懸而 息此公)
 行騰(むかばき)は脚に垂らして覆う用具。蔓菁(あをな)は青菜の総称。食薦(すこも)は食事時の敷物。屋梁(やのうつはり)は天井を支える棟木。
 「食事用のむしろに青菜を煮てもってきて下され。棟木にむかばきを掛けて休んでおられるこの君に」という歌である。

 頭注に「荷葉(はちすば)を詠んだ歌」とある。荷葉は蓮の葉のこと。
3826  蓮葉はかくこそあるもの意吉麻呂が家なるものは芋の葉にあらし
      (蓮葉者 如是許曽有物 意吉麻呂之 家在物者 <宇>毛乃葉尓有之)
 「かくこそあるもの」は「こんな葉だったのか」という意味。平明歌。
 「蓮の葉というのはこんな形をしているんだな。してみると、この意吉麻呂(おきまろ)の家に茂るのはきっと芋の葉だろうな」という歌である。

 頭注に「双六の頭(さへ)を詠んだ歌」とある。
3827  一二の目のみにはあらず五六三四さへありけり双六のさえ
      (一二之目 耳不有 五六三 四佐倍有<来> 雙六乃佐叡)
 頭(さへ)はサイコロのこと。平明歌。
 「一二の目だけでなく、五六に加え三四の目さえあるのだからな、このサイコロには」という歌である。

 頭注に「香、塔、厠、屎、鮒、奴を詠んだ歌」とある。
3828  香塗れる塔にな寄りそ川隈の屎鮒食めるいたき女奴
      (香塗流 塔尓莫依 川隈乃 屎鮒喫有 痛女奴)
 「厠(かはや)」は便所のこと。「な寄りそ」は「な~そ」の禁止形、「寄りなさんな」という意味。「川隈の」は「厠(かはや)のそばを流れる川の隅」のこと。「屎鮒(くそぶな)」は「尿や糞で汚れた鮒(ふな)」のこと。「いたき女奴(めやっこ)」は「たまらない女召」。
 「香を塗ったきれいな塔に寄りなさんな。厠のそばを流れる川隅の糞尿にまみれた鮒(ふな)を食べる臭くてたまらない女召使いよ」という歌である。

 頭注に「酢、醤、蒜、鯛、水葱を詠んだ歌」とある。
3829  醤酢に蒜搗きかてて鯛願ふ我れにな見えそ水葱の羹
      (醤酢尓 蒜都伎合而 鯛願 吾尓勿所見 水ク乃煮物)
 醤(ひしほ)は今日の醤油の元。蒜(ひる)は野蒜(ノビル)のこと。ユリ科の多年草で、その葉や茎を食用にする。「蒜搗きかてて」は「ノビルをつきまぜて」という意味。「な見えそ」は「な~そ」の禁止形。水葱(なぎ)はミズアオイ科の一年草。かっては葉を食用にした。羹(あつもの)は「熱い吸い物」。
 「醤油の元や酢に野蒜(ノビル)をつきまぜて鯛(たひ)を願っているこの私に、見せてくれるな、水葱(なぎ)の熱い吸い物を」という歌である。

 頭注に「玉掃、鎌、天木香、棗を詠んだ歌」とある。
3830  玉掃刈り来鎌麻呂むろの木と棗が本とかき掃かむため
      (玉掃 苅来鎌麻呂 室乃樹 與棗本 可吉将掃為)
 玉掃(たまばはき)はホウキグサの古名。アカザ科の一年草。茎を乾かして箒(ほうき)を作る。天木香(むろ)はネズの古名。ヒノキ科の常緑針葉樹。果実を利尿薬とする。棗(なつめ)はクロウメモドキ科の落葉小高木。果実を食用ないし強壮剤とする。染料にも使われる。鎌麻呂(かままろ)は鎌の擬人化。「むろの木と棗(なつめ)が本(もと)」は「むろとなつめの木の下」という意味。
 「玉掃(たまばはき)を刈り取って来いよ、鎌麻呂君。むろとなつめの木の下を箒で掃くから」という歌である。

 頭注に「白鷺が木の枝をくわえて飛ぶ様子を詠んだ歌」とある。
3831  池神の力士舞かも白鷺の桙啄ひ持ちて飛び渡るらむ
      (池神 力土N可母 白鷺乃 桙啄持而 飛渡良武)
 池神は地名か神社名かはっきりしない。力士舞もはっきりしない。「岩波大系本」の補注によると、伎楽(ぎがく)の一種。いわゆる舞楽で、外道の男のいちもつを切り落とした力士と呼ぶ男と五人の女が舞う舞楽というが、当時廃れていて確証はない。「桙啄(ほこく)ひ持ちて」は「枝をくわえて」という意味である。
 「池神で行われる力士舞なのかな。白鷺(しらさぎ)が枝をくわえて飛んでいくよ」という歌である。
 歌の内容から小柄な女を抱えて舞ったものか。長忌寸意吉麻呂(ながのいみきおきまろ)の歌はここまで。

 頭注に「忌部首(いむべのおびと)が雑物を詠んだ歌」とある。
3832   からたちと茨刈り除け倉建てむ屎遠くまれ櫛造る刀自
      (枳 蕀原苅除曽氣 倉将立 屎遠麻礼 櫛造刀自)
 からたちは、ミカン科の落葉低木。茨(いばら)が多い。「屎(くそ)遠くまれ」の「まれ」は「たれよ」ということ。刀自(とじ)は年配の女性。敬称ないし「おばはん」という意味。
 「カラタチの茨を刈り取って倉を建てよう。櫛作りのおばはんよ。糞尿は遠くでやってくれよね」という歌である。

 頭注に「境部王(さかひべのおほきみ)が数種の物を詠んだ歌一首」とある。
3833  虎に乗り古屋を越えて青淵に蛟龍捕り来む剣太刀もが
      (虎尓乗 古屋乎越而 青淵尓 鮫龍取将来 劒刀毛我)
 蛟龍(みづち)は淵に棲む想像上の動物。四つ足を持つ大蛇で龍に似ているという。「剣太刀(つるぎたち)もが」は「剣太刀があったらなあ」という意味。
 「虎にまたがり古屋(ふるや)を飛び越えて青い淵に棲む蛟龍(みづち)を生け捕りできる、そんな剣太刀があったらなあ」という歌である。

 頭注に「作者未詳の歌一首」とある。 
3834  梨棗黍に粟つぎ延ふ葛の後も逢はむと葵花咲く
      (成棗 寸三二粟嗣 延田葛乃 後毛将相跡 葵花咲)
 梨(なし)、棗(なつめ)、黍(きび)、粟(あわ)、葛(くず)、葵(あおい)を詠み込む。
 「梨(なし)や棗(なつめ)や黍(きび)に続いて粟(あわ)が実り、葛(くず)が蔓を延ばし、その後も逢いたいと葵(あおい)の花が咲く」という歌である。

 頭注に「新田部親王(にひたべのみこ)に献った歌一首未詳」とある。親王は天武天皇の第七皇子。
3835  勝間田の池は我れ知る蓮なししか言ふ君が鬚なきごとし
      (勝間田之 池者我知 蓮無 然言君之 鬚無如之)
 「勝間田の池」は所在不詳」。「蓮(はちす)なししか」は「蓮はないのではありませんか」という意味である。
 「勝間田の池は私も知っておりますが、あそこにハスがございましたでしょうか。そうおっしゃるあなた様に髭がないようなものですわ」という歌である。
 左注に大略こうある。「新田部親王が散策の折、勝間田の池をご覧になり、感動された。ある婦人に、今日も池を見てきたが、水面の蓮の花は輝くように美しかった、と。そこで婦人は戯れにこの歌を作って口ずさんだ」。頭注にある未詳は作者不詳という意味。

 頭注に「椄(ねじ)け人を謗(そし)った歌一首」とある。
3836  奈良山の児手柏の両面にかにもかくにも侫人の伴
      (奈良山乃 兒手柏之 兩面尓 左毛右毛 侫人之友)
 奈良山は奈良市北方の山。児手柏(このてがしは)は樹木の名らしいが、マツ科かブナ科の木らしいが不確定。幼児の手のように両面がはっきりしない葉の樹木のようである。椄人(ねぢけびと)は「へつらう人」。
 「奈良山の児手柏(このてがしは)のように、ああとも、そうとも相づち打ってへつらってばかりいる輩」という歌である。
 左注に「博士消奈行文大夫(せなのぎやうもんのまへつきみ)作」とある。

3837  ひさかたの雨も降らぬか蓮葉に溜まれる水の玉に似たる見む
      (久堅之 雨毛落奴可 蓮荷尓 渟在水乃 玉似<有将>見)
 「ひさかたの」はお馴染みの枕詞。が、本歌の場合、「久方の」と読める。「久々に」という意味か。「水の玉に似たる見む」は一読するとやや意味が分かりづらい。が、蓮の葉にたまった雨水は玉になって溜まるので意味が通る。
 「久々に雨でも降ってくれないかな。蓮の葉に溜まって水が玉をなすのが見たいものだ」という歌である。
 左注に大略こうある。「ある右兵衛府(うひょうえふ)勤めの役人がいた。歌作が巧みであった。あるとき右兵衛府に官人たちを呼んで酒食を振る舞った。料理は蓮の葉に盛って差し出した。酒食たけなわになった頃、皆がその男に蓮の葉に関して歌を所望したので即座に応じた」とある。
           (2016年8月18日記、2019年4月4日)
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