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万葉集読解・・・244(3855~3873番歌)

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     万葉集読解・・・244(3855~3873番歌)
 頭注に「高宮王(たかみやのおほきみ)が種々の物を詠んだ歌二首」とある。
3855  皀莢に延ひおほとれる屎葛絶ゆることなく宮仕へせむ
      (皀莢尓 延於保登礼流 屎葛 絶事無 宮将為)
 皀莢(さうけふ)はサイカチのこと。マメ科の落葉高木。長い莢(さや)を付ける。「延(は)ひおほとれる」は「這い広がる」ないし「這いまつわる」という意味。屎葛(くそかづら)はヘクソカズラのことで、長く延びる蔓草。
 「サイカチに這いまつわるヘソカズラのように絶えることなく、宮仕えしたいものだ」という歌である。

3856  波羅門の作れる小田を食む烏瞼腫れて幡桙に居り
      (波羅門乃 作有流小田乎 喫烏 <瞼>腫而 幡幢尓居)
 波羅門(ばらもん)はインドの高僧。「瞼(まぶた)腫れて」は現代でも「米粒食べ残したら目がつぶれるで! 」と言われることがあるが、その古代版。幡桙(はたほこ)は旗竿のこと。
 「バラモンの偉い坊さんが耕してらっしゃる田の稲を食べたカラスめ、目蓋がふくれあがって旗竿にとまっているよ」という歌である。

 頭注に「夫君を恋う歌一首」とある。
3857  飯食めど うまくもあらず 行き行けど 安くもあらず あかねさす 君が心し 忘れかねつも
      (飯喫騰 味母不在 雖行徃 安久毛不有 赤根佐須 君之情志 忘可祢津藻)
 本歌は五七七五七七の形の旋頭歌。第三句の原文は「雖行徃」。「行き行けど」としか読めない。が、「岩波大系本」は補注を設けて詳細に論じ、中国文献等の一例に「食不甘味寝不安席」とあるのを挙げて「寝ぬれども」の誤りとしている。非常に魅力的な説である。が、原文通り「行き行けど」で意味が通らないかと言えば、そうではない。原文尊重の趣旨から「行き行けど」としておきたい。「あかねさす」は枕詞。「君が心し」は強意の{し
 「食事をしてもうまくなく、行ったり来たりしても落ち着かない。あかねさすあなたの心が忘れられません」という歌である。
 左注に大略こうある。「佐為王(さゐのおほきみ)に仕える侍女がいた。侍女の宿直が長く続き、夫に逢えず、恋情高じて本歌を口ずさんだ。王は彼女の宿直をしばし免ぜられた」

3858  このころの我が恋力記し集め功に申さば五位の冠
      (比来之 吾戀力 記集 功尓申者 五位乃冠)
 「恋力」は「恋に捧げる労力」のこと。結句の「五位の冠」であるが、奈良時代の官位は冠位制から位階制に変わっていて、正一位・従一位、、正二位・従二位、等々の位階制になっていた。上位8階級は親王や諸王が占めていたので、事実上、官吏は五位が最高といってよかった。このことを踏まえているのである。
 「ここんところ私が恋に費やしている労力を記録して集め、功に換算すれば五位の冠に匹敵するだろうね」という歌である。

3859  このころの我が恋力賜らずはみさとづかさに出でて訴へむ
      (<頃>者之 吾戀力 不給者 京兆尓 出而将訴)
 「賜(たば)らずは」は「頂けないのでしたら」という意味。「みさとづかさ」は京に置かれた左右の裁判所。
 「ここんところ私が恋に費やしている労力に見返りがないとしたら、裁判所に訴え出てやる」という歌である。

 頭注に「筑前國(つくしのみちのくちのくに)志賀島の白水郎(あま)の歌十首」とある。志賀島は金印が出たことで有名。
3860  大君の遣はさなくにさかしらに行きし荒雄ら沖に袖振る
      (王之 不遣尓 情進尓 行之荒雄良 奥尓袖振)
 「さかしらに」は「利口ぶって」という意味。ここは「男気を出して」という意味。「荒雄」は人名。「ら」は親愛の「ら」。のちに荒雄は沈没する。
 「大君がお遣わしになったわけでもないのに、男気を出して海に出たあの人、沖に出て袖を振っていたのに」という歌である。

3861  荒雄らを来むか来じかと飯盛りて門に出で立ち待てど来まさず
      (荒雄良乎 将来可不来可等 飯盛而 門尓出立 雖待来不座)
 平明歌。
 「あの人は今帰って来るか来るかと、ご飯を盛って門に出て立って待っていたのに、ああ、帰って来なかった」という歌である。

3862  志賀の山いたくな伐りそ荒雄らがよすかの山と見つつ偲はむ
      (志賀乃山 痛勿伐 荒雄良我 余須可乃山跡 見管将偲)
 「な伐りそ」は「な~そ」の禁止形。
 「葬った志賀の山をひどく刈り取らないで、あの人を偲ぶよすがの山と見ているのですもの」という歌である。

3863  荒雄らが行きにし日より志賀の海人の大浦田沼は寂しくもあるか
      (荒雄良我 去尓之日従 志賀乃安麻乃 大浦田沼者 不樂有哉)
 大浦田沼(おほうらたぬ)は地名。志賀島最北部一帯。
 「あの人が海に出てからというもの、志賀の海人たちの住む大浦田沼(おほうらたぬ)は寂しくなったね」という歌である。

3864  官こそさしても遣らめさかしらに行きし荒雄ら波に袖振る
      (官許曽 指弖毛遣米 情出尓 行之荒雄良 波尓袖振)
 「官こそさしても遣らめ」は「お役所なら指名して遣わすだろうが」という意味。「さかしらに」は「男気を出して」。
 「お役所なら指名して遣わすだろうが、男気を出して海に出たあの人、波間に袖を振っていたわ」という歌である。

3865  荒雄らは妻子の業をば思はずろ年の八年を待てど来まさず
      (荒雄良者 妻子之産業乎波 不念呂 年之八歳乎 将騰来不座)
 「思はずろ」は「思わなかったんだろうか」という意味。
 「あの人は妻子の生活を思わなかったんだろうか。帰ってくると思ってもう八年も待っているのにお帰りにならない」という歌である。

3866  沖つ鳥鴨とふ船の帰り来ば也良の崎守早く告げこそ
      (奥鳥 鴨云船之 還来者 也良乃埼守 早告許曽)
 「沖つ鳥」は本歌と次歌の実質一例しかなく枕詞(?)。「也良の崎」だが、志賀島の南海上に能古島がある。その能古島の北端にある崎。崎守は崎の番人。
 「沖のカモメという名の船が帰ってきたら、也良の崎の番人さん、早く知らせてよ」という歌である。

3867  沖つ鳥鴨とふ船は也良の崎廻みて漕ぎ来と聞こえ来ぬかも
      (奥鳥 鴨云舟者 也良乃埼 多未弖榜来跡 所聞許奴可聞)
 「廻(た)みて漕ぎ来」は「崎をめぐって漕いでやってくる」という意味。
 「沖のカモメという名の船が也良の崎をめぐって漕いでやってくる、なんて噂でもいいから聞こえてこないかしら」という歌である。

3868  沖行くや赤ら小舟につと遣らばけだし人見て開き見むかも
      (奥去哉 赤羅小船尓 裹遣者 若人見而 解披見鴨)
 「つと遣らば」は「包みを預けたら」、すなわち「土産物をあつらえたら」という意味である。「けだし人見て」の人は「あの人」。
 「赤い小舟が沖を行く。あの小舟に土産物をあつらえたら、ひょっとしてあの人が気づいて開けてみるかも」という歌である。

3869  大船に小舟引き添へ潜くとも志賀の荒雄に潜き逢はめやも
      (大船尓 小船引副 可豆久登毛 志賀乃荒雄尓 潜将相八方)
 「潜(かづ)くとも」は「海中に潜ろうとも」ということ。
 「大船に小舟を引き連れて海中に潜っていけば、志賀のあの人に海中で出会えないだろうか」という歌である。
 以上、死去した夫荒雄を思う歌。
  左注に大略こうある。「太宰府は、神亀年間(724~729)に対馬へ食料を届ける船の船頭に宗像郡の宗形部津麻呂(むなかたべのつまろ)を当てた。ところが津麻呂はこの役目を志賀島の漁師荒雄に頼み込んだ。荒雄はこれを引き受け、肥前國松浦縣美祢良久埼(長崎県五島列島の五島市三井楽町)から対馬に向かったとたん沈没。妻子は悲しんでこの歌を作ったという。あるいは筑前國守だった山上憶良(やまのうへのおくら)が妻子の傷心をおもんばかって作ったともいう」

3870  紫の粉潟の海に潜く鳥玉潜き出ば我が玉にせむ
      (紫乃 粉滷乃海尓 潜鳥 珠潜出者 吾玉尓将為)
 粉潟(こがた)は地名とみられるが不詳。
 「紫色の粉潟(こがた)の海に潜る鳥、その鳥が玉をくわえて出てきたら私の玉にしてしまおう」という歌である。
左注に「右歌一首」とある。

3871  角島の瀬戸のわかめは人の共荒かりしかど我れとは和海藻
      (角嶋之 迫門乃稚海藻者 人之共 荒有之可杼 吾共者和海藻)
 角島(つのしま)は山口県西北に浮かぶ島。「人の共(むた)」は「人の中にいるときは」という意味である。わかめはをとめの寓意か。
 「角島(つのしま)の瀬戸のわかめは、人の中にいるときは荒々しかったけれど、私の前では柔らかいわかめ」という歌である。
左注に「右歌一首」とある。

3872  我が門の榎の実もり食む百千鳥千鳥は来れど君ぞ来まさぬ
      (吾門之 榎實毛利喫 百千鳥 々々者雖来 君曽不来座)
 榎(えのき)はニレ科の落葉高木。実は小さく甘い。「実もり食(は)む」は「もぎ取るようについばむこと」こと。百(もも)千鳥はたくさんの鳥。
 「私の家の門に立つ榎の実、それをついばむ鳥たちはたくさん集まってくるが、あなたはいらっしゃって下さらない」という歌である。

3873  我が門に千鳥しば鳴く起きよ起きよ我が一夜妻人に知らゆな
      (吾門尓 千鳥數鳴 起余々々 我一夜妻 人尓所知名)
 「しば鳴く」は「しきりになく」という意味。
 「私の家の門で多くの鳥がしきりに鳴く、起きよ起きよと。私のいとしい一夜妻。人に知られずに起きて」という歌である。
 左注に「右歌二首」とある。
           (2016年8月27日記、2019年4月5日)
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