Quantcast
Channel: 古代史の道
Viewing all articles
Browse latest Browse all 1223

万葉集読解・・・236(3736~3753番歌)

$
0
0
 巻13~16メニュー へ   
そ の 237 へ 
         
     万葉集読解・・・236(3736~3753番歌)
3736  遠くあれば一日一夜も思はずてあるらむものと思ほしめすな
      (等保久安礼婆 一日一夜毛 於<母>波受弖 安流良牟母能等 於毛保之賣須奈)
 平明歌。「遠く離れていて、一日や一夜は私を思わないこともあろうと思わないで。私は一日だって一夜だってあなたのことを思わないことはありません」という歌である。

3737  人よりは妹ぞも悪しき恋もなくあらましものを思はしめつつ
      (比等余里波 伊毛曽母安之伎 故非毛奈久 安良末<思>毛能乎 於毛波之米都追)
 「人よりは」は「誰あろう」という表現。「恋もなくあらましものを」は「恋さえ知らなければこんな思いはしないのに」という意味。この歌はあまり取り上げられないようだが、普遍性や平明さがあり、作者の思いがすんなり伝わってくる。石川啄木歌を思わせる、名歌中の名歌といってよいだろう。
 「誰あろう、あなたが悪い。この私が恋さえ知らなければこんな思いはしないのに、そうし向けたあなたが悪い」という歌である。

3738  思ひつつ寝ればかもとなぬばたまの一夜もおちず夢にし見ゆる
      (於毛比都追 奴礼婆可毛<等>奈 奴婆多麻能 比等欲毛意知受 伊米尓之見由流)
 「もとな」は「しきりに」ないし「心もとない」。「ぬばたまの」はお馴染みの枕詞。「一夜もおちず」は「一夜も欠かさず」という意味である。
 「あなたのことを思って寝るせいか、しきりに、一晩も欠かさず、あなたの夢をみる」という歌である。

3739  かくばかり恋ひむとかねて知らませば妹をば見ずぞあるべくありける
      (可久婆可里 古非牟等可祢弖 之良末世婆 伊毛乎婆美受曽 安流倍久安里家留)
 「かくばかり」は「こんなにも」という意味。「妹をば見ずぞ」は「彼女に出会わなければjという意味である。結句の「あるべくありける」は「出会わずに済めばよかった」という意味。
 「こんなにも恋い焦がれ、苦しむと、かねて分かっていれば、彼女に出会わなければよかった」という歌である。

3740  天地の神なきものにあらばこそ我が思ふ妹に逢はず死にせめ
      (安米都知能 可未奈伎毛能尓 安良婆許曽 安我毛布伊毛尓 安波受思仁世米)
 「あらばこそ」は「あったなら」である。「死にせめ」は「死んでいけただろうに」という意味。
 「天地の神々がいらっしゃらなければ、わが恋する彼女に遇うこともなく、死んでいけただろうに。神々が彼女に引き合わせてくれたばかりに・・・」という歌である。

3741  命をし全くしあらばあり衣のありて後にも逢はざらめやも [一云 ありての後も]
      (伊能知乎之 麻多久之安良婆 安里伎奴能 安里弖能知尓毛 安波射良米也母 [一云 安里弖能乃知毛])
 「命をし」は強意の「し」。「全くしあらば」は「無事であったなら」という意味である。
「あり衣(きぬ)の」は枕詞説や「絹の着物」のほか諸説あってはっきりしない。全部で3例あるが、どの説もぴんとこない。枕詞説は広辞苑にものっていて「さゑさゑ」、「たから」、「あり」にかかるとしている。3例ともバラバラで、枕詞とは言いづらい。さりとて「絹の着物」では3例に通用しにくい。3481番歌に「あり衣のさゑさゑしづみ家の妹に物言はず来にて思ひ苦しも」がある。歌意から考えて「ありのままの着物」すなわち「普段着の着物」という意味ではないかと私は解した。本歌の場合は「あり衣(きぬ)の」は「ありて後にも」を導く序歌。なので、どう解釈してもいい。
 「この命が無事であったなら、あり衣(きぬ)のありではないが、このまま生きていれば、再び遇わないことがありましょうか」という歌である。
 異伝歌には「ありて後にも」が「ありての後も」となっている。

3742  逢はむ日をその日と知らず常闇にいづれの日まで我れ恋ひ居らむ
      (安波牟日乎 其日等之良受 等許也未尓 伊豆礼能日麻弖 安礼古非乎良牟)
 「その日と知らず」は「彼女に逢える日がいつか分からず」、すなわち「いつ逢えるとも分からないまま」という意味である。常闇(とこやみ)は「常時真っ暗闇の状態」という意味。
 「逢える日が来るかどうか分からないまま真っ暗闇の中にいます。いつまで私は恋焦がれなければならぬのだろう」という歌である。

3743  旅といへば言にぞやすきすくなくも妹に恋ひつつすべなけなくに
      (多婢等伊倍婆 許等尓曽夜須伎 須久奈久毛 伊母尓戀都々 須敝奈家奈久尓)
 「旅といへば言(こと)にぞやすき」は「旅と言葉でいえば簡単だが」という意味。「すくなくも」は「通常の旅のつらさに加えて少なくとも」という意味である。
 「旅と言葉でいえば簡単だが、私には、通常の旅のつらさに加えて少なくとも彼女に恋い焦がれてなすすべがない、というつらさや苦しみがあるのです」という歌である。

3744  我妹子に恋ふるに我れはたまきはる短き命も惜しけくもなし
      (和伎毛故尓 古布流尓安礼波 多麻吉波流 美自可伎伊能知毛 乎之家久母奈思)
 「たまきはる」は枕詞。「命」にかかる。
 「我が彼女に恋い焦がれている私だが、その恋しさに苦しんで死ぬことがあっても、この短い命決して惜しいとは思いません」という歌である。
 左注に「右十四首は中臣朝臣宅守(なかとみのあそみやかもり)の歌」とある。3731~3744番歌。

3745  命あらば逢ふこともあらむ我がゆゑにはだな思ひそ命だに経ば
      (伊能知安良婆 安布許登母安良牟 和我由恵尓 波太奈於毛比曽 伊能知多尓敝波)
 「はだな思ひそ」は「な~そ」の禁止形。「そんなに強く思い悩まないで下さい」という意味。
 「命があれば逢えることもありましょう。私のためにそんなに強く思い悩まないで下さい、生きながらえて下さいまし」という歌である。

3746  人の植うる田は植ゑまさず今さらに国別れして我れはいかにせむ
      (比等能宇々流 田者宇恵麻佐受 伊麻佐良尓 久尓和可礼之弖 安礼波伊可尓勢武)
 「人の植うる」は「人みなが植える」という意味。「今さらに」は「今になって」という意味。相手(宅守)が流罪にあって国を離れざるを得なくなった事情を作者は十分に承知している。これを知って本歌を観賞すれば作者のどうしようもない悲しみが伝わってくる。
 「世間一般が植える田(結婚式)をお植えにならないで、今になって国を超えて行ってしまわれた。私はどうすればいいのでしょう」という歌である。

3747  我が宿の松の葉見つつ我れ待たむ早帰りませ恋ひ死なぬとに
      (和我屋度能 麻都能葉見都々 安礼麻多無 波夜可反里麻世 古非之奈奴刀尓)
 「我が宿の」は「我が家の庭の」こと。「松の葉見つつ」までは「我れ待たむ」を導く序歌。結句の「恋ひ死なぬとに」は「私が恋い焦がれて死なないうちに」という意味である。
 「我が家の庭の松の葉を眺めながらお待ちします。一刻も早くお帰り下さい。私が恋い焦がれて死なないうちに」という歌である。

3748  他国は住み悪しとぞ言ふ速けく早帰りませ恋ひ死なぬとに
      (比等久尓波 須美安之等曽伊布 須牟也氣久 波也可反里万世 古非之奈奴刀尓)
 「速(すむや)けく」(すみやかに)と「早帰りませ」と同意語を二つ並べて心情を強調している。「恋ひ死なぬとに」は前歌参照。
 「他国は住みにくいと申します。出来るだけ早く、早くお帰りなさいませ。私が恋い焦がれて死なないうちに」という歌である。

3749  他国に君をいませていつまでか我が恋ひ居らむ時の知らなく
      (比等久尓々 伎美乎伊麻勢弖 伊<都><麻>弖可 安我故非乎良牟 等伎乃之良奈久)
 平明歌。
 「他国にあなた様をやってしまって、いつまで私は恋い焦がれていればよいのでしょう。いつ果てるとも知らないまま」という歌である。

3750  天地の底ひのうらに我がごとく君に恋ふらむ人はさねあらじ
      (安米都知乃 曽許比能宇良尓 安我其等久 伎美尓故布良牟 比等波左祢安良自)
 「底ひのうらに」は「極みの内に」すなわち「天地ひろしと言えど」という意味である。「さねあらじ」は「実あらじ」で「現実にはないでしょう」という意味。
 「天地ひろしと言えど、この私のようにあなたに恋い焦がれている人は決していないでしょう」という歌である。

3751  白栲の我が下衣失はず持てれ我が背子直に逢ふまでに
      (之呂多倍能 安我之多其呂母 宇思奈波受 毛弖礼和我世故 多太尓安布麻弖尓)
 「白栲(しろたへ)の」は「真っ白な」という意味。下衣(したごろも)は下着の着物だろう。 「私が差し上げた真っ白な下着の着物、なくさないように持ってて下さいな、あなた。直接お逢い出来る日が来るまで」という歌である。

3752  春の日のうら悲しきに後れ居て君に恋ひつつうつしけめやも
      (波流乃日能 宇良我奈之伎尓 於久礼為弖 君尓古非都々 宇都之家米也母)
 「うら悲しきに」は「心悲しいうえに」という意味。「後れ居て」は「取り残されて」ということ。「うつし」は「現し」で正気という意味。
 「春の日のもの悲しい上に、一人取り残されて終始あなたを恋い焦がれていて正気でいられるものでしょうか」という歌である。

3753  逢はむ日の形見にせよとたわや女の思ひ乱れて縫へる衣ぞ
      (安波牟日能 可多美尓世与等 多和也女能 於毛比美太礼弖 奴敝流許呂母曽)
 「逢はむ日」は「逢える日」という意味。「たわや女(め)」は「か弱い女の身」のこと。
 「逢える日が来るまでの形見にして下さいと、か弱い女の身の私が思い乱れつつ縫い上げた着物です、これは」という歌である。
 左注に「右の九首は娘子(をとめ)の歌」とある。娘子は狭野弟上娘子(さののおとかみのをとめ)。
           (2016年7月23日記。2019年4月2日)
イメージ 1


Viewing all articles
Browse latest Browse all 1223

Trending Articles