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万葉集読解・・・246(3885~3889番歌)

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     万葉集読解・・・246(3885~3889番歌)
 頭注に「乞食者(ほかひびと)の詠(うた)二首」とある。乞食者は祭りの際などに家の門口に立って芸を行う人。
3885番長歌  いとこ 汝背の君 居り居りて 物にい行くとは 韓国の 虎といふ神を 生け捕りに 八つ捕り持ち来 その皮を 畳に刺し 八重畳 平群の山に 四月と 五月との間に 薬猟 仕ふる時に あしひきの この片山に 二つ立つ 櫟が本に 梓弓 八つ手挟み ひめ鏑 八つ手挟み 獣待つと 我が居る時に さを鹿の 来立ち嘆かく たちまちに 我れは死ぬべし 大君に 我れは仕へむ 我が角は み笠のはやし 我が耳は み墨の坩 我が目らは ますみの鏡 我が爪は み弓の弓弭 我が毛らは み筆はやし 我が皮は み箱の皮に 我が肉は み膾はやし 我が肝も み膾はやし 我がみげは み塩のはやし 老いたる奴 我が身一つに 七重花咲く 八重花咲くと 申しはやさね 申しはやさね
      (伊刀古 名兄乃君 居々而 物尓伊行跡波 韓國乃 虎神乎 生取尓 八頭取持来 其皮乎 多々弥尓刺 八重疊 平群乃山尓 四月 与五月間尓 藥猟 仕流時尓 足引乃 此片山尓 二立 伊智比何本尓 梓弓 八多婆佐弥 比米加夫良 八多婆左弥 完待跡 吾居時尓 佐男鹿乃 来<立>嘆久 頓尓 吾可死 王尓 吾仕牟 吾角者 御笠乃<波>夜詩 吾耳者 御墨坩 吾目良波 真墨乃鏡 吾爪者 御弓之弓波受 吾毛等者 御筆波夜斯 吾皮者 御箱皮尓 吾完者 御奈麻須波夜志 吾伎毛母 御奈麻須波夜之 吾美義波 御塩乃波夜之 耆矣奴 吾身一尓 七重花佐久 八重花生跡 白賞尼 <白賞尼>)
 本歌及び次歌は門口芸人の舞い歌。なので、ここに長歌調に訳しても雰囲気が伝わらないかも知れない。多少の不正確は恐れずに意訳を試み、雰囲気を伝えるよう試みてみたい。
  この歌は威勢良く舞うための歌なのか、「韓国の」、「虎といふ神を」、「八つ捕り持ち来」、「八つ手挟み」等々直接歌の内容とは関係ないように思われる、めでたく歯切れの良い語句がぽんぽん飛び出してくる。「平群(へぐり)の山」もその一つ。奈良県生駒郡平群町の山というが、不意に飛び出す用語で意味不明。「櫟が本に」の櫟(いちひ)はイチイガシのこと。ブナ科の常緑高木。以下、用語の解説は一切省略。語句の対比は次の意訳歌から各自類推いただければ幸いである。

  (口語訳)
 (意訳歌)「さあてみなさんお立ち会い。家にずっといなさるかいな。仮に物がほしいと韓国にでも行ってみなされ。怖い虎神様を八頭も捕らえてきてその皮を畳に張りつけるなんて、豪勢なものよ。その畳を縁起の良い平群の山のような八重畳とし、鹿の角を取って薬猟りせんとするなり。片山に二本立つイチイガシのもと、八本の弓矢を構えて鹿を待ってたらさ、鹿がやってきて嘆き節。おいらはたちまち死ぬ身なり。どうせ死ぬなら大君のお役に立ちたいものよ。おいらの立派な角は大君の御笠の飾りになりゃしませんか。耳はさ、み墨の坩(るつぼ)よ。目は澄んで鏡にいいよ。我が爪は弓の弦をとめるユハズにもってこいさ。毛は筆よ。皮は箱に張るといいさ。おいらの肉や肝は切り刻んでナマスにするのさ。胃は塩からの材料よ。老いたる私めでもこうすりゃ七重八重に花が咲くというもんでさあ。さあ、お立ち会い、お立ち会い」
 こんな歌であるが、祭りの際などに家の門口に立って芸を行う人の歌というが、目的は、鹿の用品の宣伝販売。現代流にいえば宮内庁ご用達というふれこみのような歌だ。
 左注に「右の歌一首は鹿の痛みを述べて作ったもの」とある。

3886番長歌
   おしてるや 難波の小江に 廬作り 隠りて居る 葦蟹を 大君召すと 何せむに 我を召すらめや 明けく 我が知ることを 歌人と 我を召すらめや 笛吹きと 我を召すらめや 琴弾きと 我を召すらめや かもかくも 命受けむと 今日今日と 飛鳥に至り 置くとも 置勿に至り つかねども 都久野に至り 東の 中の御門ゆ 参入り来て 命受くれば 馬にこそ ふもだしかくもの 牛にこそ 鼻縄はくれ あしひきの この片山の もむ楡を 五百枝剥き垂り 天照るや 日の異に干し さひづるや 韓臼に搗き 庭に立つ 手臼に搗き おしてるや 難波の小江の 初垂りを からく垂り来て 陶人の 作れる瓶を 今日行きて 明日取り持ち来 我が目らに 塩塗りたまひ きたひはやすも きたひはやすも
      (忍照八 難波乃小江尓 廬作 難麻理弖居 葦河尓乎 王召跡 何為牟尓 吾乎召良米夜 明久 吾知事乎 歌人跡 和乎召良米夜 笛吹跡 和乎召良米夜 琴引跡 和乎召良米夜 彼此毛 命受牟跡 今日々々跡 飛鳥尓到 雖置 々勿尓到 雖不策 都久怒尓到 東 中門由 参納来弖 命受例婆 馬尓己曽 布毛太志可久物 牛尓己曽 鼻縄波久例 足引乃 此片山乃 毛武尓礼乎 五百枝波伎垂 天光夜 日乃異尓干 佐比豆留夜 辛碓尓舂 庭立 <手>碓子尓舂 忍光八 難波乃小江乃 始垂乎 辛久垂来弖 陶人乃 所作龜乎 今日徃 明日取持来 吾目良尓 塩と給 <セ>賞毛 <セ賞毛>)

 本歌も「乞食者(ほかひびと)の詠(うた」。乞食者は祭りの際などに家の門口に立って芸を行った。鹿の代わりに蟹を題材にした歌。本歌も用語の解説は一切省略。次の意訳歌から類推いただければ幸いである。

  (口語訳)
 (意訳歌)「私めは難波の小江に棲んでひっそり隠れている葦蟹(あしがに)でござんす。あいや聞いて下され、その私めを大君が召しておられるというじゃありませんか。どうして私めなんかお召しになるのでしょう。明らかなことは、歌う人とこの私めを、笛吹き人と私めを、琴弾き人と私めを、一緒に所望なさったらしい。とにもかくにもお召しをお受けしようと、今日明日の飛鳥に至り、置くともの置きなに至り、つかないとの都久野に至り、東の中の御門より参内して用命をお受けしました。私めが馬なら手綱、牛なら鼻輪で、片山のニレの木につなぎとめる。が、私めは蟹ゆえ幾日も日に干し、からからとさえずるような音を立てて、韓臼で搗き、庭に出て、手臼に搗くのでございます。そうしておいて、私めの故郷である難波の小江から作った濃く辛い初塩を陶職人の作る瓶(かめ)に垂らし込む。その瓶を早急に取り寄せてわが目に塗り込めるんでござんす。そうしておいて、干物にさらし、干物にさらすんでがんすよ 」
 こんな歌であるが、この歌も鹿の歌と同様、その目的は、門口をまわって蟹の干物を宣伝し、販売することにあったような歌だ。
  左注に「右の歌一首は蟹の痛みを述べて作ったもの」とある。

 頭注に「怕(おそれる)物の歌三首」とある。
3887  天にあるやささらの小野に茅草刈り草刈りばかに鶉を立つも
      (天尓有哉 神樂良能小野尓 茅草苅 々々婆可尓 鶉乎立毛)
 「ささらの小野」は「天空にあるとされる野」。「茅草刈り」の茅草(ちがや)は原野に生えるイネ科の多年草。高さ60センチほどの草で、万葉歌に多く取り上げられていそうだが、不思議に「ちがや」という形では使われていない。本歌のみ。ただ、「浅茅」(丈の低い茅)という形では数多く使われている。たとえば、3196番歌に「春日野の浅茅が原に遅れ居て時ぞともなし我が恋ふらくは」とある。「草刈りばかに」は「その草刈り場に」という意味。
 「天空のささらの小野で茅草(ちがや)を刈っていたら、その草刈り場に不意に鶉(ウズラ)が飛び立った」という歌である。

3888  沖つ国うしはく君の塗り屋形丹塗りの屋形神の門渡る
      (奥國 領君之 柒屋形 黄柒乃屋形 神之門渡)
 「うしはく」は短歌は本歌だけだが、「うしはくかみの」(1759番長歌)のほかに「うしはきいます」(4000番長歌)というかたちで使われている。「支配する」という意味。
 「沖の方の海をお治めになる大君の丹塗りの屋形丹、その丹塗りの屋形丹が神の門をお渡りになる」という歌である。

3889  人魂のさ青なる君がただひとり逢へりし雨夜の離れずさ思ゆ(葉非左思所念は難解として定訓なし)
      (人魂乃 佐青有公之 但獨 相有之雨夜乃 葉非左思所念)
 難解歌とされる。「人魂のさ青なる君が」(さは接頭語)は、「青く燃えるリン」を擬人化した表現。「逢へりし」は主語省略の原則に従って主語は作者。単純に素直にこう受け取れば状況が見えてくる。つまり、作者は雨の夜に青い人魂に出会ったのである。結句が難解。万葉仮名とみて読むと「葉非左」は「はひさ」としか読めず、不可解。各書とも難解とし、誤字、脱字説を繰り出して混乱。なるほど「葉非左」では不可解だ。「葉非左思所念」(原文)は私はこう読みたい。「葉非」は「はならず」すなわち「離れず」である。そして、「左思所念」は「さ思ゆ」(さは接頭語)である。つまり結句は「離れずさ思ゆ」となる。結句を「離れずさ思ゆ」と読解して歌意が通るかである。
 「人魂である君がただひとりさまよっている。その君に私は雨の夜に出会い、君は離れずについてくるように思える」という歌である。

       巻16はこれで完了である。
           (2016年9月3日記、2019年4月6日)
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