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万葉集読解・・・262(4080~4093番歌)
頭注に「姑(をば)の大伴氏坂上郎女(さかのうへのいらつめ)が越中守大伴宿祢家持に贈ってきた二首」とある。
4080 常人の恋ふといふよりはあまりにて我れは死ぬべくなりにたらずや
(都祢比等能 故布登伊敷欲利波 安麻里尓弖 和礼波之奴倍久 奈里尓多良受也)
「常人(つねひと)の」は「一般の人たちの」という意味。「あまりにて」は「それ以上に」という意味。「なりにたらずや」は「なっているではありませんか」。
「一般の人たちのいう恋を通り越して私は死ぬ思いでいるではありませんか」という歌である。
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万葉集読解・・・262(4080~4093番歌)
頭注に「姑(をば)の大伴氏坂上郎女(さかのうへのいらつめ)が越中守大伴宿祢家持に贈ってきた二首」とある。
4080 常人の恋ふといふよりはあまりにて我れは死ぬべくなりにたらずや
(都祢比等能 故布登伊敷欲利波 安麻里尓弖 和礼波之奴倍久 奈里尓多良受也)
「常人(つねひと)の」は「一般の人たちの」という意味。「あまりにて」は「それ以上に」という意味。「なりにたらずや」は「なっているではありませんか」。
「一般の人たちのいう恋を通り越して私は死ぬ思いでいるではありませんか」という歌である。
4081 片思ひを馬にふつまに負ほせ持て越辺に遣らば人かたはむかも
(可多於毛比遠 宇万尓布都麻尓 於保世母天 故事部尓夜良波 比登加多波牟可母)
「ふつまに」は「すっかり」という意味。「人かたはむかも」の「かた」は「片思ひ」の「かた」。「人(家持を指す)は片側に寄ってきてくれるかも」という意味である。
「片思ひをすっかり馬に背負わせて越の国の辺りへつかわせば、あなたも私同様片側に寄ってきてくれるのかしらね」という歌である。
(可多於毛比遠 宇万尓布都麻尓 於保世母天 故事部尓夜良波 比登加多波牟可母)
「ふつまに」は「すっかり」という意味。「人かたはむかも」の「かた」は「片思ひ」の「かた」。「人(家持を指す)は片側に寄ってきてくれるかも」という意味である。
「片思ひをすっかり馬に背負わせて越の国の辺りへつかわせば、あなたも私同様片側に寄ってきてくれるのかしらね」という歌である。
頭注に「越中守大伴宿祢家持が応え、思いを述べた歌三首」とある。
4082 天離る鄙の奴に天人しかく恋すらば生ける験あり
(安万射可流 比奈能<夜都>故尓 安米比度之 可久古非須良波 伊家流思留事安里)
「天離(あまざか)る鄙」は「都から遠く遠く離れた片田舎」という意味。「生ける験(しるし)あり」は「生きている甲斐があります」。
「都から遠く遠く離れた片田舎のこんな私めに都の人がこんなに恋して下さるなんて生きている甲斐があります」という歌である。
4082 天離る鄙の奴に天人しかく恋すらば生ける験あり
(安万射可流 比奈能<夜都>故尓 安米比度之 可久古非須良波 伊家流思留事安里)
「天離(あまざか)る鄙」は「都から遠く遠く離れた片田舎」という意味。「生ける験(しるし)あり」は「生きている甲斐があります」。
「都から遠く遠く離れた片田舎のこんな私めに都の人がこんなに恋して下さるなんて生きている甲斐があります」という歌である。
4083 常の恋いまだやまぬに都より馬に恋来ば担ひあへむかも
(都祢<乃>孤悲 伊麻太夜麻奴尓 美夜古欲里 宇麻尓古非許婆 尓奈比安倍牟可母)
「常の恋」は4080番歌の「常人の恋」をうけた表現。「担(にな)ひあへむかも」は「背負いきれるでしょうか」という意味である。
「一般の人たちがする恋さえいまだやまないのに、都から馬に背負わせてやってきた恋の荷物を私なんかに背負いきれるでしょうか」という歌である。
(都祢<乃>孤悲 伊麻太夜麻奴尓 美夜古欲里 宇麻尓古非許婆 尓奈比安倍牟可母)
「常の恋」は4080番歌の「常人の恋」をうけた表現。「担(にな)ひあへむかも」は「背負いきれるでしょうか」という意味である。
「一般の人たちがする恋さえいまだやまないのに、都から馬に背負わせてやってきた恋の荷物を私なんかに背負いきれるでしょうか」という歌である。
別に思いを述べた一首
4084 暁に名告り鳴くなる霍公鳥いやめづらしく思ほゆるかも
(安可登吉尓 名能里奈久奈流 保登等藝須 伊夜米豆良之久 於毛保由流香母)
便りをホトトギスにこと寄せて詠んだ歌である。
「暁に名を告げながら鳴くホトトギス。いや本当に懐かしく思いました」という歌である。
左注に「右は四日付けで都に向かう使いにことづけた」とある。四日付はいつのことかはっきりしないが次歌の頭注から天平感宝元年(749年)五月四日、または天平感宝に改元される(4月14日)直前の天平二十一年四月とみられる。
4084 暁に名告り鳴くなる霍公鳥いやめづらしく思ほゆるかも
(安可登吉尓 名能里奈久奈流 保登等藝須 伊夜米豆良之久 於毛保由流香母)
便りをホトトギスにこと寄せて詠んだ歌である。
「暁に名を告げながら鳴くホトトギス。いや本当に懐かしく思いました」という歌である。
左注に「右は四日付けで都に向かう使いにことづけた」とある。四日付はいつのことかはっきりしないが次歌の頭注から天平感宝元年(749年)五月四日、または天平感宝に改元される(4月14日)直前の天平二十一年四月とみられる。
頭注に「天平感宝元年五月五日、東大寺の占墾地使僧平榮等をもてなし、さら酒を贈った時の守大伴宿祢家持の歌一首」とある。占墾地(せんこんち)は朝廷が寺院に認めた開墾地。それを確認するために使いが開墾地を訪れた。越中の国にも東大寺の開墾地があったらしい。
4085 焼太刀を砺波の関に明日よりは守部遣り添へ君を留めむ
(夜伎多知乎 刀奈美能勢伎尓 安須欲里波 毛利敝夜里蘇倍 伎美乎等登米牟)
「焼太刀を」は本例一例しかなく、枕詞(?)。砺波(となみ)の関は、富山県小矢部市の旧町石動町(いするぎちょう)に置かれた関所。市役所の近く。「守部遣り添へ」は「番人を現地に添えて」という意味。
「焼太刀を研ぐという砺波(となみ)の関に明日からは番人を置いて、あなたにゆっくり留まっていただきましょう」という歌である。
4085 焼太刀を砺波の関に明日よりは守部遣り添へ君を留めむ
(夜伎多知乎 刀奈美能勢伎尓 安須欲里波 毛利敝夜里蘇倍 伎美乎等登米牟)
「焼太刀を」は本例一例しかなく、枕詞(?)。砺波(となみ)の関は、富山県小矢部市の旧町石動町(いするぎちょう)に置かれた関所。市役所の近く。「守部遣り添へ」は「番人を現地に添えて」という意味。
「焼太刀を研ぐという砺波(となみ)の関に明日からは番人を置いて、あなたにゆっくり留まっていただきましょう」という歌である。
頭注に「同月九日、官人たちが少目(せうさくわん)秦伊美吉石竹(はたのいみきいはたけ)の舘に集まって宴を催した。主人の石竹は白合の花でかずら(髪飾り)を作り、食器に三枚づつ疊んで置き、客に差し上げた。客たちはこのカズラを詠んで作った三首」とある。目(さかん)は国司(国の役所)に置かれた四部官。守(かみ)、介(すけ)、掾(じょう)、目(さかん)の一つ。4番目の官。
4086 油火の光りに見ゆる吾がかづらさ百合の花の笑まはしきかも
(安夫良火乃 比可里尓見由流 和我可豆良 佐由利能波奈能 恵麻波之伎香母)
油火(あぶらび)は油をたいた灯火。「さ百合」のさは美称。
「灯火の光に揺れて見えるわがかづら、百合の花のなんとほほえましい」という歌である。
左注に「右一首守大伴宿祢家持」とある。
4086 油火の光りに見ゆる吾がかづらさ百合の花の笑まはしきかも
(安夫良火乃 比可里尓見由流 和我可豆良 佐由利能波奈能 恵麻波之伎香母)
油火(あぶらび)は油をたいた灯火。「さ百合」のさは美称。
「灯火の光に揺れて見えるわがかづら、百合の花のなんとほほえましい」という歌である。
左注に「右一首守大伴宿祢家持」とある。
4087 灯火の光りに見ゆるさ百合花ゆりも逢はむと思ひそめてき
(等毛之火能 比可里尓見由流 左由理婆奈 由利毛安波牟等 於母比曽米弖伎)
「ゆりも逢はむと」はゆり(後)にかけた表現。
「灯火の光に揺れて見える百合の花、そのゆりではないが、後々もこうして会おうと思い始めました」という歌である。
左注に「右の一首は介(すけ)内蔵伊美吉縄麻呂(くらのいみきつなまろ)」とある。介(すけ)は前歌頭注参照。
(等毛之火能 比可里尓見由流 左由理婆奈 由利毛安波牟等 於母比曽米弖伎)
「ゆりも逢はむと」はゆり(後)にかけた表現。
「灯火の光に揺れて見える百合の花、そのゆりではないが、後々もこうして会おうと思い始めました」という歌である。
左注に「右の一首は介(すけ)内蔵伊美吉縄麻呂(くらのいみきつなまろ)」とある。介(すけ)は前歌頭注参照。
4088 さ百合花ゆりも逢はむと思へこそ今のまさかもうるはしみすれ
(左由理<婆>奈 由<里>毛安波牟等 於毛倍許曽 伊末能麻左可母 宇流波之美須礼)
「さ百合花」のさは美称。「うるはしみすれ」は「胸襟を開いてつき合っている」という意味。
「百合花ではありませんが、後々までも会おうと思うからこそ今の今もこうして胸襟を開いてつき合っているのです」という歌である。
左注に「右の一首は大伴宿祢家持が応えたもの」とある。
(左由理<婆>奈 由<里>毛安波牟等 於毛倍許曽 伊末能麻左可母 宇流波之美須礼)
「さ百合花」のさは美称。「うるはしみすれ」は「胸襟を開いてつき合っている」という意味。
「百合花ではありませんが、後々までも会おうと思うからこそ今の今もこうして胸襟を開いてつき合っているのです」という歌である。
左注に「右の一首は大伴宿祢家持が応えたもの」とある。
頭注に「独り家にいて遙かにホトトギスの鳴き声を聞きながら作った歌並びに短歌」とある。
4089番長歌
高御倉 天の日継と すめろきの 神の命の 聞こしをす 国のまほらに 山をしも さはに多みと 百鳥の 来居て鳴く声 春されば 聞きのかなしも いづれをか 別きて偲はむ 卯の花の 咲く月立てば めづらしく 鳴く霍公鳥 菖蒲ぐさ 玉貫くまでに 昼暮らし 夜わたし聞けど 聞くごとに 心つごきて うち嘆き あはれの鳥と 言はぬ時なし
(高御座 安麻乃日継登 須賣呂伎能 可<未>能美許登能 伎己之乎須 久尓能麻保良尓 山乎之毛 佐波尓於保美等 百鳥能 来居弖奈久許恵 春佐礼婆 伎吉<乃> 可奈之母 伊豆礼乎可 和枳弖之努波<无> 宇能花乃 佐久月多弖婆 米都良之久 鳴保等登藝須 安夜女具佐 珠奴久麻泥尓 比流久良之 欲和多之伎氣騰 伎久其等尓 許己呂都呉枳弖 宇知奈氣伎 安波礼能登里等 伊波奴登枳奈思)
4089番長歌
高御倉 天の日継と すめろきの 神の命の 聞こしをす 国のまほらに 山をしも さはに多みと 百鳥の 来居て鳴く声 春されば 聞きのかなしも いづれをか 別きて偲はむ 卯の花の 咲く月立てば めづらしく 鳴く霍公鳥 菖蒲ぐさ 玉貫くまでに 昼暮らし 夜わたし聞けど 聞くごとに 心つごきて うち嘆き あはれの鳥と 言はぬ時なし
(高御座 安麻乃日継登 須賣呂伎能 可<未>能美許登能 伎己之乎須 久尓能麻保良尓 山乎之毛 佐波尓於保美等 百鳥能 来居弖奈久許恵 春佐礼婆 伎吉<乃> 可奈之母 伊豆礼乎可 和枳弖之努波<无> 宇能花乃 佐久月多弖婆 米都良之久 鳴保等登藝須 安夜女具佐 珠奴久麻泥尓 比流久良之 欲和多之伎氣騰 伎久其等尓 許己呂都呉枳弖 宇知奈氣伎 安波礼能登里等 伊波奴登枳奈思)
長歌は用語の解説を最小限にとどめる。「国のまほらに」は「秀でて美しい国土」という意味である。「菖蒲ぐさ 玉貫くまでに」は「菖蒲(あやめ)を玉に通して薬玉を飾る五月」という意味。「心つごきて」は「心が激しく動く」こと。
(口語訳)
高御倉(たかみくら)にあって天から受け継がれた神の命(みこと)天皇としてお治めになるこの秀でて美しい国土。山々は多く、諸々の鳥がやってきて鳴く。春になるとその鳴き声の愛しいこと。いずれの声が愛しいというわけでもないが、とくに卯の花の咲く季節がやってくると、愛らしく鳴くホトトギス。菖蒲(あやめ)を玉に通して薬玉を飾る五月まで、昼はずっと鳴き、夜は夜中鳴いて声を聞くけれど、聞くたびに心が激しく動き、いとしく愛らしい鳥と思わない時はない。
高御倉(たかみくら)にあって天から受け継がれた神の命(みこと)天皇としてお治めになるこの秀でて美しい国土。山々は多く、諸々の鳥がやってきて鳴く。春になるとその鳴き声の愛しいこと。いずれの声が愛しいというわけでもないが、とくに卯の花の咲く季節がやってくると、愛らしく鳴くホトトギス。菖蒲(あやめ)を玉に通して薬玉を飾る五月まで、昼はずっと鳴き、夜は夜中鳴いて声を聞くけれど、聞くたびに心が激しく動き、いとしく愛らしい鳥と思わない時はない。
反歌
4090 ゆくへなくありわたるとも霍公鳥鳴きし渡らばかくや偲はむ
(由久敝奈久 安里和多流登毛 保等登藝須 奈枳之和多良婆 可久夜思努波牟)
「ゆくへなくありわたるとも」は「途方に暮れた日々を送ることがあっても」という意味である。 「途方に暮れた日々を送ることがあってもホトトギスが鳴く声が続いたらこうして気が晴れることだろう」という歌である。
4090 ゆくへなくありわたるとも霍公鳥鳴きし渡らばかくや偲はむ
(由久敝奈久 安里和多流登毛 保等登藝須 奈枳之和多良婆 可久夜思努波牟)
「ゆくへなくありわたるとも」は「途方に暮れた日々を送ることがあっても」という意味である。 「途方に暮れた日々を送ることがあってもホトトギスが鳴く声が続いたらこうして気が晴れることだろう」という歌である。
4091 卯の花のともにし鳴けば霍公鳥いやめづらしも名告り鳴くなへ
(宇能花能 <登聞>尓之奈氣婆 保等登藝須 伊夜米豆良之毛 名能里奈久奈倍)
「卯の花のともにし」は「卯の花が咲くとともに」という意味で、しは強意の「し」。「名告り鳴くなへ」は「自分はホトトギスだよといっているように」という意味。「なへ」は「同時に」という意味。
「卯の花が咲くとともにホトトギスが鳴く、なんと興があることだろう。ちょうど自分はホトトギスだよといっているように」という歌である。
(宇能花能 <登聞>尓之奈氣婆 保等登藝須 伊夜米豆良之毛 名能里奈久奈倍)
「卯の花のともにし」は「卯の花が咲くとともに」という意味で、しは強意の「し」。「名告り鳴くなへ」は「自分はホトトギスだよといっているように」という意味。「なへ」は「同時に」という意味。
「卯の花が咲くとともにホトトギスが鳴く、なんと興があることだろう。ちょうど自分はホトトギスだよといっているように」という歌である。
4092 霍公鳥いとねたけくは橘の花散る時に来鳴き響むる
(保<登等>藝須 伊登祢多家口波 橘<乃> <播>奈治流等吉尓 伎奈吉登余牟流)
「いとねたけくは」は「大変小憎らしいことには」という意味である。「鳴き響(とよ)むる」は「鳴き騒ぐ」すなわち「鳴き立てる」という意味である。
「ホトトギスこの鳥が全く小憎らしいのは、橘の花が散る時にやって来て鳴き立てることさ」という歌である。
左注に「右の四首は十日に大伴宿祢家持が作った歌」とある。十日というのは日付だけなので、いつか不明だが、ホトトギスが「鳴き立てる」とあるので、天平感宝元年(749年)五月十日のことか。
(保<登等>藝須 伊登祢多家口波 橘<乃> <播>奈治流等吉尓 伎奈吉登余牟流)
「いとねたけくは」は「大変小憎らしいことには」という意味である。「鳴き響(とよ)むる」は「鳴き騒ぐ」すなわち「鳴き立てる」という意味である。
「ホトトギスこの鳥が全く小憎らしいのは、橘の花が散る時にやって来て鳴き立てることさ」という歌である。
左注に「右の四首は十日に大伴宿祢家持が作った歌」とある。十日というのは日付だけなので、いつか不明だが、ホトトギスが「鳴き立てる」とあるので、天平感宝元年(749年)五月十日のことか。
頭注に「英遠浦(あをのうら)に行った日に作った一首」とある。
4093 阿尾の浦に寄する白波いや増しに立ちしき寄せ来東風をいたみかも
(安乎能宇良尓 餘須流之良奈美 伊夜末之尓 多知之伎与世久 安由乎伊多美可聞)
「阿尾の浦」は富山県氷見市阿尾の海岸。阿尾城跡がある。「東風(あゆ)をいたみかも」は「東風が激しいからだろうか」という意味である。
「阿尾の浦に寄せる白波、ますます強く大きくなって押し寄せてくる。東風が激しいからであろうか」という歌である。
左注に「右の一首大伴宿祢家持作」とある。
(2016年11月17日記、2019年4月10日)
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4093 阿尾の浦に寄する白波いや増しに立ちしき寄せ来東風をいたみかも
(安乎能宇良尓 餘須流之良奈美 伊夜末之尓 多知之伎与世久 安由乎伊多美可聞)
「阿尾の浦」は富山県氷見市阿尾の海岸。阿尾城跡がある。「東風(あゆ)をいたみかも」は「東風が激しいからだろうか」という意味である。
「阿尾の浦に寄せる白波、ますます強く大きくなって押し寄せてくる。東風が激しいからであろうか」という歌である。
左注に「右の一首大伴宿祢家持作」とある。
(2016年11月17日記、2019年4月10日)