Quantcast
Channel: 古代史の道
Viewing all articles
Browse latest Browse all 1223

万葉集読解・・・261(4065~4079番歌)

$
0
0
 巻17~20メニュー へ   
そ の 262 へ 
         
     万葉集読解・・・261(4065~4079番歌)
 頭注に「射水郡の驛舘(うまや)の屋の柱に記された一首」とある。驛舘(うまや)は馬の乗り継ぎ所。旧新湊市。現在、富山県射水市新湊庁舎がある。
4065  朝びらき入江漕ぐなる楫の音のつばらつばらに我家し思ほゆ
      (安佐妣良伎 伊里江許具奈流 可治能於登乃 都波良都<婆>良尓 吾家之於母保由)
 「朝びらき」は「朝が明ける」こと。「つばらつばらに」は「つくづくと」という意味である。333番歌に「浅茅原つばらつばらにもの思へば古りにし里し思ほゆるかも」とある。
 「朝が明けて入り江を漕ぐ梶の音がしきりに聞こえてくる。その梶の音のように故郷の我が家がつくづく偲ばれる」という歌である。
 左注に「右一首山上臣作、名は不明。或は憶良大夫の息子という。其の正名未詳」とある。

 頭注に「四月一日掾久米朝臣廣縄(ひろなは)の舘で開催された宴席の歌四首」とある。廣縄は4050番歌で言及したように池主の後任と見られる人物。掾(じょう)は中央から国司に赴任した官吏の3番目の官。
4066  卯の花の咲く月立ちぬ霍公鳥来鳴き響めよ含みたりとも
      (宇能花能 佐久都奇多知奴 保等登藝須 伎奈吉等与米余 敷布美多里登母)
 卯の花は初夏に咲く花。「含(ふふ)みたりとも」は「つぼみであっても」という意味である。
 「卯の花が咲く月がやってきた(旧暦4月)。ホトトギスよ。やって来て鳴き響いておくれ、花はまだ蕾みであっても」という歌である。
 左注に「右の一首守大伴宿祢家持作」とある。

4067  二上の山に隠れる霍公鳥今も鳴かぬか君に聞かせむ
      (敷多我美能 夜麻尓許母礼流 保等登藝須 伊麻母奈加奴香 伎美尓<伎>可勢牟)
 二上の山は富山県高岡市の山。今でも二上山がある。
 「二上山にこもっているホトトギスよ。今こそ鳴いてくれないか。わが君に聞かせたいから」という歌である。
 左注に「右の一首、遊行女婦(うかれめ)土師(はにし)作」とある。遊行女婦(うかれめ)は宴席等に携わった女性。

4068  居り明かしも今夜は飲まむ霍公鳥明けむ朝は鳴き渡らむぞ [歌注に:(旧暦四月)二日は立夏に当たる。なのでホトトギスが鳴くだろう」とある]
      (乎里安加之母 許余比波能麻牟 保等登藝須 安氣牟安之多波 奈伎和多良牟曽 [二日應立夏節 故謂之明旦将喧也])
 「居(を)り明かしも」は「宴席に座ったまま夜を明かしても」という意味。
 「宴席に座ったまま夜を明かしても今夜は飲もうではないか。ホトトギスは明日の朝になれば、鳴いて飛び渡ることだろう」という歌である。
 左注に「右の一首守大伴宿祢家持作」とある。

4069  明日よりは継ぎて聞こえむ霍公鳥一夜のからに恋ひわたるかも
      (安須欲里波 都藝弖伎許要牟 保登等藝須 比登欲能可良尓 古非和多流加母)
 「継ぎて」は「続け様に」という意味。「一夜のからに」は「たった一夜のことなのに」という意味である。
 「明日(二日)からは続け様に聞こえるホトトギスの鳴き声。たった一夜のことなのに待ち遠しくてならない」という歌である。
 左注に「右の一首、羽咋郡(はくひのこほり)擬主帳(ぎしゅちょう))能登臣乙美(のとのおみ)おとみ)作」とある。羽咋郡は石川県羽咋市。擬主帳は帳簿担当官。乙美は不詳。

 庭のナデシコの花を詠める歌一首。
4070  一本のなでしこ植ゑしその心誰れに見せむと思ひ始めけむ
      (比登母等能 奈泥之故宇恵之 曽能許己呂 多礼尓見世牟等 於母比曽米家牟)
 「一本(ひともと)の」は「一株の」のこと。故郷の妻に当てた歌と思われる。
「一本のなでしこを赴任先の邸宅の庭に植えたその心は誰に見せようと思い立ったのだろう」という歌である。
 左注に「これは、國師の従僧清見が都に帰ることになり、主人の大伴宿祢家持が宴席を設け、清見にこの歌を作って送った」とある。國師は朝廷から各国に遣わされた高僧。従僧はその高僧に随伴する僧。この注によると、僧清見にこの歌をあつらえたものか。

4071  しなざかる越の君らとかくしこそ柳かづらき楽しく遊ばめ
      (之奈射可流 故之能吉美良等 可久之許曽 楊奈疑可豆良枳  多努之久安蘇婆米)
 「しなざかる」は「天離(あまざか)る」と同意、「遠く遠く離れた」という意味。「柳かづらき」は「柳を頭髪の飾りにして」という意味である。
 「都から遠く遠く離れた越の国のあなたがたとこうして柳を頭髪の飾りにして遊ぼうではありませんか」という歌である。
 左注に「郡司以下子弟等諸人が多くこの宴に集まってくれたので、守大伴宿祢家持が此歌を作れり」とある。

4072  ぬばたまの夜渡る月を幾夜経と数みつつ妹は我れ待つらむぞ
      (奴<婆>多麻能 欲和多流都奇乎 伊久欲布等 余美都追伊毛波 和礼麻都良牟曽)
 「ぬばたまの」は枕詞。「数(よ)みつつ」は「数えつつ」で、現代風にいえば「指折り数えて」という意味。
 「月は毎夜毎夜、天空を渡っていくが、その月夜を指折り数えて故郷の彼女は私を待っているだろうに」という歌である。
 左注に「此の夕、月光が緩やかに投げかけ、風は穏やかに吹き、興を催して作った歌」とある。

 頭注に「越前國(こしのみちのくちのくに)掾大伴宿祢池主から贈られてきた三首」とある。掾(じょう)は中央から国司に赴任した3番目の官。池主は廣縄の前任者と見られ、この時は越前國(福井県)の掾だったようだ。続けて頭注に大略こうある。「今月十四日深見村にまいり、北方を望見しました。かってお勤めした越の国の近くで急に懐かしくなり、お手紙を差し上げる失礼をお許し下さい。」。深見村は石川県河北郡津幡町と目され、そこから国府のあった富山県高岡市は北北東にあたる。
     三月十五日  大伴宿禰池主
 一、「古人云はく」
4073  月見れば同じ国なり山こそば君があたりを隔てたりけれ
      (都奇見礼婆 於奈自久尓奈里 夜麻許曽婆 伎美我安多里乎 敝太弖多里家礼)
 「山こそば」は「山こそ隔たっていますが」という意味。「君があたりを」は「あなた様(大伴家持)のいらっしゃるあたり」という意味である。
 「こことあなた様のいらっしゃるあたりは山こそ隔たっていますが、月を見ると同じ国なんですね」という歌である。

 二、「事物を見て」
4074  桜花今ぞ盛りと人は言へど我れは寂しも君としあらねば
      (櫻花 今曽盛等 雖人云 我佐不之毛 支美止之不在者)
 平明歌。
 「桜の花は今まさに盛りと人は言うけれど、私は寂しい。あなた様と一緒でないので」という歌である。

 三、「思いを述べる」
4075  相思はずあるらむ君をあやしくも嘆きわたるか人の問ふまで
      (安必意毛波受 安流良牟伎美乎 安夜思苦毛 奈氣伎和多流香 比登能等布麻泥)
 「あやしくも」は「不思議に」という意味。
 「私ほど思って下さらないだろうあなた様を、不思議に思って嘆き続けています。人が不審に思って問いかけるほどに」という歌である。

 頭注に「越中國守大伴家持が贈歌に応えた四首」とある。
 「古人云はく」に応えて。
4076  あしひきの山はなくもが月見れば同じき里を心隔てつ
      (安之比奇能 夜麻波奈久毛我 都奇見礼婆 於奈自伎佐刀乎 許己呂敝太底都)
 「あしひきの」は枕詞。「心隔てつ」は「心を隔てている」。
 「山がなければなあ、月を見ると同じ里にいると思われるのにそんな心を山は隔ててしまっている」という歌である。

 「事物を見て」に応えると共に、貴君のいた旧宅の西北隅の桜の木を詠む。
4077  我が背子が古き垣内の桜花いまだ含めり一目見に来ね
      (和我勢故我 布流伎可吉都能 佐<久>良婆奈 伊麻太敷布賣利 比等目見尓許祢)
 「含(ふふ)めり」は「まだ蕾みです」。
 「なつかしい貴君の家の古い垣根の内の桜花、まだつぼみのままですよ。一目見にいらっしゃい」という歌である。

 「思いを述べる」に応え、古人の歌に今応える。
4078  恋ふといふはえも名付けたり言ふすべのたづきもなきは我が身なりけり
      (故敷等伊布波 衣毛名豆氣多理 伊布須敝能 多豆伎母奈吉波 安<我>未奈里家利)
 「えも名付けたり」は「よくぞおっしゃったものです」という意味。「たづきもなきは」は「言いようもないのは」という意味である。
 「恋しい(相思はず)とはよくぞおっしゃったものです。言いようもないのは私の方ではありませんか」という歌である。

 更に、目についた事物に寄せて。
4079  三島野に霞たなびきしかすがに昨日も今日も雪は降りつつ
      (美之麻野尓 可須美多奈妣伎 之可須我尓 伎乃敷毛家布毛 由伎波敷里都追)
 三島野(みしまの)は富山県高岡市二上山のふもとの野。「しかすがに」は「そうは言うものの」という意味。
 「三島野に霞がたなびいているが、そうはいうものの昨日も今日も雪が降っています」という歌である。
     三月十六日。
           (2016年11月12日記、2019年4月10日)
イメージ 1


Viewing all articles
Browse latest Browse all 1223

Trending Articles