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万葉集読解・・・260(4049~4064番歌)

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     万葉集読解・・・260(4049~4064番歌)
4049  おろかにぞ我れは思ひし乎布の浦の荒磯の廻り見れど飽かずけり
      (於呂可尓曽 和礼波於母比之 乎不乃宇良能 安利蘇野米具利 見礼度安可須介利)
 「おろかにぞ」は「おろそかに」ということ。「乎布(をふ)の浦」は布勢の水海にあったとされる浦。その布勢の水海(みづうみ)は塩水湖で、かなり大きな湖だったらしい。今は現存しない。富山県氷見市にあった。
 「私はうっかりおろそかに思っていた、乎布の浦を・・・。が、実際に見てみると、その荒磯の周囲は見ても見ても見 飽きませんねえ」という歌である。
 左注に「右の一首、田邊史福麻呂(たなべのふびとさきまろ)作」とある。福麻呂は中央官吏。

4050  めづらしき君が来まさば鳴けと言ひし山霍公鳥何か来鳴かぬ
      (米豆良之伎 吉美我伎麻佐婆 奈家等伊比之 夜麻保<登等>藝須 奈尓加伎奈可奴)
 「めづらしき君」は「珍客のあなた」、すなわち、中央官吏、田邊史福麻呂(たなべのふびとさきまろ)。4032番歌頭注参照。
 「珍客のあなた様がいらっしゃったら鳴けよと言っておいたのに山ホトトギスよ、なぜやってきて鳴かないのだろう」という歌である。
 左注に「右の一首、掾久米朝臣廣縄(ひろなは)作」とある。廣縄は掾大伴宿祢池主(いけぬし)の後任に相違ない。掾は国司(国の役所)に置かれた四部官。守(かみ)、介(すけ)、掾(じょう)、目(さかん)の一つ。

4051  多古の崎木の暗茂に霍公鳥来鳴き響めばはだ恋ひめやも
      (多胡乃佐伎 許能久礼之氣尓 保登等藝須 伎奈伎等余米<婆> 波太古非米夜母)
 多古(たこ)は前々歌に言及した布勢の水海(みづうみ)に浮かんでいたとされる島。「木の暗茂(くれしげ)に」は「木の生い茂った暗がりに」ということ。「はだ恋ひめやも」は「こうも甚だしく恋求めるものか」という意味である。
 「多古の島の崎に生い茂る木の暗がりにやって来て鳴きたててくれたらホトトギスよ、こうも甚だしくそなたを恋求めるものか」という歌である。
 左注に「右の一首、大伴宿祢家持作。以上の十五首は廿五日作」とある。廿五日は天平廿年(748)春三月。

 頭注に「掾久米朝臣廣縄の舘において田邊史福麻呂を饗応した際の歌四首」とある。廣縄及び福麻呂は前々歌参照。
4052  霍公鳥今鳴かずして明日越えむ山に鳴くとも験あらめやも
      (保登等藝須 伊麻奈可受之弖 安須古要牟 夜麻尓奈久等母 之流思安良米夜母)
 「明日越えむ」は「明日都に帰る途中に越える」という意味である。「験(しるし)あらめやも」は「何の甲斐があるだろう」という意味。
 「ホトトギスよ。今鳴かないでなんとしよう。明日都に帰る途中に越える山で鳴いても何の甲斐があるだろう」という歌である。
 左注に「右の一首、田邊史福麻呂(たなべのふびとさきまろ)作」とある。

4053  木の暗になりぬるものを霍公鳥何か来鳴かぬ君に逢へる時
      (許能久礼尓 奈里奴流母能乎 保等登藝須 奈尓加伎奈可奴 伎美尓安敝流等吉)
 「君に逢へる時」の君は珍客。すなわち福麻呂(4050番歌参照)のこと。
 「木の茂みが暗くなってきたのに、ホトトギスよ。都からやってきた珍客に逢えるこの時、なぜやってきて鳴かないのだ」という歌である。
 左注に「右の一首、久米朝臣廣縄(ひろなは)作」とある。

4054  霍公鳥こよ鳴き渡れ燈火を月夜になそへその影も見む
      (保等登藝須 許欲奈枳和多礼 登毛之備乎 都久欲尓奈蘇倍 曽能可氣母見牟)
 「なそへ」は「なぞらへて」すなわち「見立てて」という意味。
 「ホトトギスよ、ここを鳴きつつ渡っておくれ。この灯火を月夜の月光に見立てて飛ぶその影も見たいから」という歌である。

4055  可敝流廻の道行かむ日は五幡の坂に袖振れ我れをし思はば
      (可敝流未能 美知由可牟日波 伊都波多野 佐可尓蘇泥布礼 和礼乎事於毛波婆)
 「可敝流(かへる)」は、かってあった旧今庄町(福井県)の地名の一つ。現在は福井県南条郡南越前町。「五幡(いつはた)」は福井県敦賀市の海岸近く。現在五幡海水浴場があり、その東側に五幡神社(延喜式掲載神社)が鎮座する。
 「帰(かへる)近辺の道を(都に)お帰りになる日は、五幡(いつはた)の坂の上から、どうか袖をお振り下され、この私を忘れがたく思って下さるなら」という歌である。
 左注に「右の二首、大伴宿祢家持作。以上四首、廿六日作」とある。廿六日は天平廿年(748年)春三月。

 頭注に「太上皇、難波宮におられた時の歌七首、清足姫(きよたらしひめ)天皇のことなり」とある。清足姫天皇は第四十四代元正天皇のことだが、養老8年(724年)聖武天皇に譲位して、この時は上皇であった。
 .左大臣橘宿祢の歌一首。左大臣は橘諸兄のこと。
4056  堀江には玉敷かましを大君を御船漕がむとかねて知りせば
      (保里江尓波 多麻之可麻之乎 大皇乎 美敷祢許我牟登 可年弖之里勢婆)
 「堀江」は難波宮の堀江。難波宮は長い間、所在不明だったが戦後発掘され、大阪市中央区内とされている。「玉敷かましを」は「玉を敷き詰めるんでしたのに」という意味。
 「堀江には玉を敷き詰めるんでしたのに。大君が御船を漕がれるとあらかじめ知っていたならば」という歌である。

 これに応えた上皇の御製歌一首
4057  玉敷かず君が悔いて言ふ堀江には玉敷き満てて継ぎて通はむ [或云 玉扱き敷きて]
      (多萬之賀受 伎美我久伊弖伊布 保里江尓波 多麻之伎美弖々 都藝弖可欲波牟 [或云 多麻古伎之伎弖])
 「継ぎて通はむ」は「引き続き通いましょう」という意味である。「玉を敷かないでとあなたが悔しがるこの堀江には私が玉を敷き詰めて引き続き通いましょう」という歌である。
 異伝歌には「扱(こ)き敷きて(しごき散らして)」とある。
 左注に「右の二首は、御船で江を遡りながら宴(うたげ)した日に左大臣が奏上、これに応えて上皇が御製になったもの」とある。

 上皇の御製歌一首
4058  橘のとをの橘八つ代にも我れは忘れじこの橘を
      (多知婆奈能 登乎能多知<婆>奈 夜都代尓母 安礼波和須礼自 許乃多知婆奈乎)
 「とをの橘(たちばな)」は「たわむ橘」のこと。「八つ代にも」は「いついつまでも」というほどの意味。橘はむろん橘諸兄を指している。
 「橘の実のなかでも枝もたわわんばかりのこの橘を私はいついつまでも忘れはしない、この橘を」という歌である。

 河内女王(かふちのおほきみ)の歌一首(女王は高市皇子の皇女)。
4059  橘の下照る庭に殿建てて酒みづきいます我が大君かも
      (多知婆奈能 之多泥流尓波尓 等能多弖天 佐可弥豆伎伊麻須 和我於保伎美可母)
 「酒みづき」は酒宴のことだろう。
 「橘の木の下に照り輝いている実のなる庭に建てられた御殿で酒宴に興じていらっしゃる大君ですこと」という歌である。

 粟田女王(あはたのおほきみ)の歌一首(系統未詳)。
4060  月待ちて家には行かむ我が插せる赤ら橘影に見えつつ
      (都奇麻知弖 伊敝尓波由可牟 和我佐世流 安加良多知婆奈 可氣尓見要都追)
 「影に見えつつ」は「月影(月光)に照らしつつ」という意味である。
 「月の出を待ってから家に帰ろう。私が插(かざ)しにしている赤く輝く橘の実を月光に照らしながら」という歌である。
 左注に「右一連の歌、左大臣橘卿の宅で酒宴された際の御歌並びに奏上した歌」とある。

4061  堀江より水脈引きしつつ御船さすしづ男の伴は川の瀬申せ
      (保里江欲里 水乎妣吉之都追 美布祢左須 之津乎能登母波 加波能瀬麻宇勢)
  「堀江」は難波宮の堀江。4056番歌参照。「水脈(みを)引きしつつ」は「航跡を引きつつ」という意味。「御船さす」は「さおさす」のさすで、「御船を進める」という意味。「しづ男の伴」は「下働きの者たち」のこと。
 「堀江より航跡を引きつつ御船を進める者たちよ、川の瀬がきたら申してくれ」という歌である。

4062  夏の夜は道たづたづし船に乗り川の瀬ごとに棹さし上れ
      (奈都乃欲波 美知多豆多都之 布祢尓能里 可波乃瀬其等尓 佐乎左指能保礼)
 「道たづたづし」は「道がおぼつかない」という意味。「引き船」が難しいことを言っている。
 「夏の夜は木々が生い茂って引き船がおぼつかない。なので船に乗って、川の瀬ごとにさおを差して行くのがよい」という歌である。
 左注に「右の一件の歌は御船を綱で引いて江を遡りながら宴を行った日の作。これを傳誦した人は田邊史福麻呂(たなべのふびとさきまろ)」とある。

 後に、追って橘に応えた二首。
4063  常世物この橘のいや照りにわご大君は今も見るごと
      (等許余物能 己能多知婆奈能 伊夜弖里尓 和期大皇波 伊麻毛見流其登)
 「常世物(とこよもの)」は「永久不変の物」という意味である。
 「永久不変の物というこの橘の実(橘御殿)がいよいよ照り輝き、われらが大君が今見るように輝き渡られるように」という歌である。

4064  大君は常磐にまさむ橘の殿の橘ひた照りにして
      (大皇波 等吉波尓麻佐牟 多知婆奈能 等能乃多知婆奈 比多底里尓之弖)
 常磐(ときは)も前歌の常世と同様「永久不変」という意味である。
 「大君は永久不変にこのまま輝いておいででしょう。橘の御殿の橘の実が照り輝いているように」という歌である。
 左注に「右の二首、大伴宿祢家持作」とある。
           (2016年11月4日記、2019年4月10日)
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