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万葉集読解・・・274(4214~4223番歌)
挽歌并びに短歌
4214番長歌
天地の 初めの時ゆ うつそみの 八十伴の男は 大君に まつろふものと 定まれる 官にしあれば 大君の 命畏み 鄙離る 国を治むと あしひきの 山川へだて 風雲に 言は通へど 直に逢はず 日の重なれば 思ひ恋ひ 息づき居るに 玉桙の 道来る人の 伝て言に 我れに語らく はしきよし 君はこのころ うらさびて 嘆かひいます 世間の 憂けく辛けく 咲く花も 時にうつろふ うつせみも 常なくありけり たらちねの 母の命 何しかも 時しはあらむを まそ鏡 見れども飽かず 玉の緒の 惜しき盛りに 立つ霧の 失せぬるごとく 置く露の 消ぬるがごとく 玉藻なす 靡き臥い伏し 行く水の 留めかねつと たはことか 人の言ひつる およづれか 人の告げつる 梓弓 爪引く夜音の 遠音にも 聞けば悲しみ にはたづみ 流るる涙 留めかねつも
(天地之 初時従 宇都曽美能 八十伴男者 大王尓 麻都呂布物跡 定有 官尓之在者 天皇之 命恐 夷放 國乎治等 足日木 山河阻 風雲尓 言者雖通 正不遇 日之累者 思戀 氣衝居尓 玉桙之 道来人之 傳言尓 吾尓語良久 波之伎餘之 君者比来 宇良佐備弖 嘆息伊麻須 世間之 ?家口都良家苦 開花毛 時尓宇都呂布 宇都勢美毛 无常阿里家利 足千根之 御母之命 何如可毛 時之波将有乎 真鏡 見礼杼母不飽 珠緒之 惜盛尓 立霧之 失去如久 置露之 消去之如 玉藻成 靡許伊臥 逝水之 留不得常 枉言哉 人之云都流 逆言乎 人之告都流 梓<弓> <弦>爪夜音之 遠音尓毛 聞者悲弥 庭多豆水 流涕 留可祢都母)
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万葉集読解・・・274(4214~4223番歌)
挽歌并びに短歌
4214番長歌
天地の 初めの時ゆ うつそみの 八十伴の男は 大君に まつろふものと 定まれる 官にしあれば 大君の 命畏み 鄙離る 国を治むと あしひきの 山川へだて 風雲に 言は通へど 直に逢はず 日の重なれば 思ひ恋ひ 息づき居るに 玉桙の 道来る人の 伝て言に 我れに語らく はしきよし 君はこのころ うらさびて 嘆かひいます 世間の 憂けく辛けく 咲く花も 時にうつろふ うつせみも 常なくありけり たらちねの 母の命 何しかも 時しはあらむを まそ鏡 見れども飽かず 玉の緒の 惜しき盛りに 立つ霧の 失せぬるごとく 置く露の 消ぬるがごとく 玉藻なす 靡き臥い伏し 行く水の 留めかねつと たはことか 人の言ひつる およづれか 人の告げつる 梓弓 爪引く夜音の 遠音にも 聞けば悲しみ にはたづみ 流るる涙 留めかねつも
(天地之 初時従 宇都曽美能 八十伴男者 大王尓 麻都呂布物跡 定有 官尓之在者 天皇之 命恐 夷放 國乎治等 足日木 山河阻 風雲尓 言者雖通 正不遇 日之累者 思戀 氣衝居尓 玉桙之 道来人之 傳言尓 吾尓語良久 波之伎餘之 君者比来 宇良佐備弖 嘆息伊麻須 世間之 ?家口都良家苦 開花毛 時尓宇都呂布 宇都勢美毛 无常阿里家利 足千根之 御母之命 何如可毛 時之波将有乎 真鏡 見礼杼母不飽 珠緒之 惜盛尓 立霧之 失去如久 置露之 消去之如 玉藻成 靡許伊臥 逝水之 留不得常 枉言哉 人之云都流 逆言乎 人之告都流 梓<弓> <弦>爪夜音之 遠音尓毛 聞者悲弥 庭多豆水 流涕 留可祢都母)
長歌は用語の解説を最小限にとどめる。「天地の初めの時」だが、『古事記』本文の冒頭に「天地初めてひらけし時」とある。「八十伴(やそとも)の男は」は「多くの官人たちは」という意味。「あしひきの」、「玉桙(たまほこ)の」、「たらちねの」、「玉の緒の」、、「にはたづみ」は、いずれも枕詞。「うらさびて」は「心さびしく」という意味。「およづれ」は「人惑わしの言葉」。
(口語訳)
「天地が初めてひらけた時から、この世の中の多くの官人たちは、大君に服従すると定まっている。そういう官人の身なので、大君の仰せにしたがって、都から遠く離れた国を治めるためにやってきた。山川を隔て、風や雲の便りに消息は流れてくるものの、直接逢うことはかなわない。かくて日が重なれば、恋しくなるばかり。ため息ばかり増します。そんな折りに都からやってきた人が私に告げて申します。「ああ、愛しいあの方はこのごろ心寂しく嘆いておいででしょうか。人の世にあって厭わしく辛いのは、咲く花も時と共にうつろうように、人の世も変わらずにいられないことです。母上様はどう思っておいででしょう。ほかに時はいくらもありましょうに、今、ここに来られる定めとは。鏡のように、お美しく、まだまだ惜しい年の盛りでいらっしゃるのに、立った霧が消え失せてしまうように、降りた露が消えてしまうように、玉藻のように床に靡き伏せっていらっしゃるとは。流れゆく水をお止めできませんでした」と・・・。戯言に申したのでしょうか。それとも、人惑わしの言葉を告げたのでしょうか。梓弓(あづさゆみ)を爪弾く夜の音のように、遠音にも聞けば悲しく、流れ出してくる涙は留めようがありません」という歌である。
反歌二首
4215 遠音にも君が嘆くと聞きつれば哭のみし泣かゆ相思ふ我れは
(遠音毛 君之痛念跡 聞都礼婆 哭耳所泣 相念吾者)
「遠音(とほと)にも」は前歌を受けた表現。「人伝えに聞いたことであっても」という意味。「君が嘆くと」の君は誰のことか本歌だけでは不明。次歌の左注によって、家持の娘婿と解釈できる。
「人伝えに聞いたことであっても、婿殿が嘆いていると聞いて私まで声を上げて泣けてきました。婿殿と同じ思いですので」という歌である。
「天地が初めてひらけた時から、この世の中の多くの官人たちは、大君に服従すると定まっている。そういう官人の身なので、大君の仰せにしたがって、都から遠く離れた国を治めるためにやってきた。山川を隔て、風や雲の便りに消息は流れてくるものの、直接逢うことはかなわない。かくて日が重なれば、恋しくなるばかり。ため息ばかり増します。そんな折りに都からやってきた人が私に告げて申します。「ああ、愛しいあの方はこのごろ心寂しく嘆いておいででしょうか。人の世にあって厭わしく辛いのは、咲く花も時と共にうつろうように、人の世も変わらずにいられないことです。母上様はどう思っておいででしょう。ほかに時はいくらもありましょうに、今、ここに来られる定めとは。鏡のように、お美しく、まだまだ惜しい年の盛りでいらっしゃるのに、立った霧が消え失せてしまうように、降りた露が消えてしまうように、玉藻のように床に靡き伏せっていらっしゃるとは。流れゆく水をお止めできませんでした」と・・・。戯言に申したのでしょうか。それとも、人惑わしの言葉を告げたのでしょうか。梓弓(あづさゆみ)を爪弾く夜の音のように、遠音にも聞けば悲しく、流れ出してくる涙は留めようがありません」という歌である。
反歌二首
4215 遠音にも君が嘆くと聞きつれば哭のみし泣かゆ相思ふ我れは
(遠音毛 君之痛念跡 聞都礼婆 哭耳所泣 相念吾者)
「遠音(とほと)にも」は前歌を受けた表現。「人伝えに聞いたことであっても」という意味。「君が嘆くと」の君は誰のことか本歌だけでは不明。次歌の左注によって、家持の娘婿と解釈できる。
「人伝えに聞いたことであっても、婿殿が嘆いていると聞いて私まで声を上げて泣けてきました。婿殿と同じ思いですので」という歌である。
4216 世間の常なきことは知るらむを心尽くすな大夫にして
(世間之 <无>常事者 知良牟乎 情盡莫 大夫尓之氐)
「心尽くすな」は「嘆きのあまり心が尽きるようなことはなさいますな」という意味。
「世の中の無常なことは(婿殿も)ご存じでいらっしゃいましょう。嘆きのあまり心が尽きるようなことはなさいますな。ご立派な男子でいらっしゃるのですから」という歌である。
左注に「右は大伴宿祢家持が娘婿である南家の右大臣家藤原二郎の慈母がお亡くなりになったのでそのことをとぶらった歌、五月廿七日」とある。藤原氏は南家、北家、式家、京家の4家に別れていたので、その南家をいう。二郎が次男のことなのか二人の息子のことなのか、説が分かれているようだが、ここは家持の娘婿という理解で十分。それよりも、長歌(4214番)の内容が、何のことかはっきりしない。都から来た人が娘婿の慈母が死去したことを伝えたとしたら、実際の長歌は自分(家持)のことを語った件ばかりの歌で、ここの長短歌はどこか不可解。誤って別の長歌がここに収録されたのだろうか?。
(世間之 <无>常事者 知良牟乎 情盡莫 大夫尓之氐)
「心尽くすな」は「嘆きのあまり心が尽きるようなことはなさいますな」という意味。
「世の中の無常なことは(婿殿も)ご存じでいらっしゃいましょう。嘆きのあまり心が尽きるようなことはなさいますな。ご立派な男子でいらっしゃるのですから」という歌である。
左注に「右は大伴宿祢家持が娘婿である南家の右大臣家藤原二郎の慈母がお亡くなりになったのでそのことをとぶらった歌、五月廿七日」とある。藤原氏は南家、北家、式家、京家の4家に別れていたので、その南家をいう。二郎が次男のことなのか二人の息子のことなのか、説が分かれているようだが、ここは家持の娘婿という理解で十分。それよりも、長歌(4214番)の内容が、何のことかはっきりしない。都から来た人が娘婿の慈母が死去したことを伝えたとしたら、実際の長歌は自分(家持)のことを語った件ばかりの歌で、ここの長短歌はどこか不可解。誤って別の長歌がここに収録されたのだろうか?。
頭注に「霖雨(長雨)が晴れた日に作った歌」とある。
4217 卯の花を腐す長雨の始水逝く寄る木屑なす寄らむ子もがも
(宇能花乎 令腐霖雨之 始水逝 縁木積成 将因兒毛我母)
「卯の花を腐(くた)す長雨」は「卯の花を腐らせるような長雨」のことで、長く長く降り続いた雨のことを言っている。これに続けて次句を「岩波大系本」以下3書は「始水に」(原文「始水逝」)としている。原文の「始水逝」は「始水邇」の誤りと解している。
ところが、「始水に」では意味をなさず、川に水が流れ出した鼻水と解し、木屑(ごみ)が流れ出したとしている。そしておおむね結句の「寄らむ子もがも」を「寄ってくる木屑(女性)がいたらなあ」という意味だとしている。いくら古代でも女性を木屑に喩えるのはあまりに失礼。そんな筈はない。万葉仮名では「始」は「し」。「水」は「み」。つまり、原文の「始水逝」は原文通り「清水行く」なのである。長い長い雨がやんで晴れた日の歌。川は流れ流れて清水のように美しい水になっている筈だ。「寄る木屑なす」は「両側に木屑を寄せたように」と読む。以上が私の解。
「卯の花を腐らせる長雨の後の川の水、両側に木屑を寄せたように美しい水、そんな女性がいたらなあ」という歌である。
4217 卯の花を腐す長雨の始水逝く寄る木屑なす寄らむ子もがも
(宇能花乎 令腐霖雨之 始水逝 縁木積成 将因兒毛我母)
「卯の花を腐(くた)す長雨」は「卯の花を腐らせるような長雨」のことで、長く長く降り続いた雨のことを言っている。これに続けて次句を「岩波大系本」以下3書は「始水に」(原文「始水逝」)としている。原文の「始水逝」は「始水邇」の誤りと解している。
ところが、「始水に」では意味をなさず、川に水が流れ出した鼻水と解し、木屑(ごみ)が流れ出したとしている。そしておおむね結句の「寄らむ子もがも」を「寄ってくる木屑(女性)がいたらなあ」という意味だとしている。いくら古代でも女性を木屑に喩えるのはあまりに失礼。そんな筈はない。万葉仮名では「始」は「し」。「水」は「み」。つまり、原文の「始水逝」は原文通り「清水行く」なのである。長い長い雨がやんで晴れた日の歌。川は流れ流れて清水のように美しい水になっている筈だ。「寄る木屑なす」は「両側に木屑を寄せたように」と読む。以上が私の解。
「卯の花を腐らせる長雨の後の川の水、両側に木屑を寄せたように美しい水、そんな女性がいたらなあ」という歌である。
頭注に「漁夫の火光(灯火)を見て」とある。
4218 鮪突くと海人の灯せる漁り火の穂にか出ださむ我が下思ひを
(鮪衝等 海人之燭有 伊射里火之 保尓可将出 吾之下念乎)
鮪(しび)は関西でいうキハダマグロ(実際はサバ科の魚)のことと思われる。「穂にか出ださむ」は「穂のように表に出してしまおうか」という意味。
「鮪(しび)を突こうと漁夫が灯す漁り火のように、いっそ表に出してしまおうか。胸に秘めたるこの思いを」という歌である。
左注に「右二首は五月作」とある。
4218 鮪突くと海人の灯せる漁り火の穂にか出ださむ我が下思ひを
(鮪衝等 海人之燭有 伊射里火之 保尓可将出 吾之下念乎)
鮪(しび)は関西でいうキハダマグロ(実際はサバ科の魚)のことと思われる。「穂にか出ださむ」は「穂のように表に出してしまおうか」という意味。
「鮪(しび)を突こうと漁夫が灯す漁り火のように、いっそ表に出してしまおうか。胸に秘めたるこの思いを」という歌である。
左注に「右二首は五月作」とある。
4219 我が宿の萩咲きにけり秋風の吹かむを待たばいと遠みかも
(吾屋戸之 芽子開尓家理 秋風之 将吹乎待者 伊等遠弥可母)
「我が宿の」は「我が庭園の」という意味。「いと遠みかも」は「大変遠い先なので」という意味。
「我が家の庭の萩が咲いた。秋風が吹くのを待っていては、まだ遠い季節。なのでいち早く咲いてくれたのはうれしい」という歌である。
左注に「右は、六月十五日に萩の早咲きを見て作る」とある。
(吾屋戸之 芽子開尓家理 秋風之 将吹乎待者 伊等遠弥可母)
「我が宿の」は「我が庭園の」という意味。「いと遠みかも」は「大変遠い先なので」という意味。
「我が家の庭の萩が咲いた。秋風が吹くのを待っていては、まだ遠い季節。なのでいち早く咲いてくれたのはうれしい」という歌である。
左注に「右は、六月十五日に萩の早咲きを見て作る」とある。
頭注に「京師(みやこ)から贈られてきた歌と短歌」とある。。
4220番長歌
海神の 神の命の み櫛笥に 貯ひ置きて 斎くとふ 玉にまさりて 思へりし 我が子にはあれど うつせみの 世の理と 大夫の 引きのまにまに しなざかる 越道をさして 延ふ蔦の 別れにしより 沖つ波 とをむ眉引き 大船の ゆくらゆくらに 面影に もとな見えつつ かく恋ひば 老いづく我が身 けだし堪へむかも
(和多都民能 可味能美許等乃 美久之宜尓 多久波比於伎? 伊都久等布 多麻尓末佐里? 於毛敝里之 安我故尓波安礼騰 宇都世美乃 与能許等和利等 麻須良乎能 比伎能麻尓麻仁 之奈謝可流 古之地乎左之? 波布都多能 和可礼尓之欲理 於吉都奈美 等乎牟麻欲妣伎 於保夫祢能 由久良々々々耳 於毛可宜尓 毛得奈民延都々 可久古非婆 意伊豆久安我未 氣太志安倍牟可母)
4220番長歌
海神の 神の命の み櫛笥に 貯ひ置きて 斎くとふ 玉にまさりて 思へりし 我が子にはあれど うつせみの 世の理と 大夫の 引きのまにまに しなざかる 越道をさして 延ふ蔦の 別れにしより 沖つ波 とをむ眉引き 大船の ゆくらゆくらに 面影に もとな見えつつ かく恋ひば 老いづく我が身 けだし堪へむかも
(和多都民能 可味能美許等乃 美久之宜尓 多久波比於伎? 伊都久等布 多麻尓末佐里? 於毛敝里之 安我故尓波安礼騰 宇都世美乃 与能許等和利等 麻須良乎能 比伎能麻尓麻仁 之奈謝可流 古之地乎左之? 波布都多能 和可礼尓之欲理 於吉都奈美 等乎牟麻欲妣伎 於保夫祢能 由久良々々々耳 於毛可宜尓 毛得奈民延都々 可久古非婆 意伊豆久安我未 氣太志安倍牟可母)
長歌は用語の解説を最小限にとどめる。「海神」は「わたつみ」と読み、海を司る神。「み櫛笥(くしげ)に」は櫛を入れる箱。「斎(いつ)くとふ」は「大切にする」という意味である。[我が子にはあれど」は坂上郎女(さかのうへのいらつめ)の娘、坂上大嬢(さかのうへのおほいらつめ)を指す。家持の父大伴旅人が九州太宰府にいた頃、その妻の大伴郎女が亡くなった。そこで、叔母の坂上郎女が太宰府に行ってまだ少年の身であった家持の面倒を見た。成人になって、家持は叔母の娘、坂上大嬢と結婚する。
「大夫(ますらを)の引きのまにまに」はこのことを指す。つまり「大夫」は家持。「しなざかる」、「延ふ蔦の」、「沖つ波」は共に枕詞。
「大夫(ますらを)の引きのまにまに」はこのことを指す。つまり「大夫」は家持。「しなざかる」、「延ふ蔦の」、「沖つ波」は共に枕詞。
(口語訳)
「海神がみ箱に蓄えて大切にされている真珠。その真珠以上に大切な我が子であるが、この世のことわり故、あなたが引き寄せるままに、遠い越の国に向かって娘は旅立ちました。あなたと娘に別れてからゆらゆら揺れる眉根に面影がちらついて恋しくてなりません。私はもう老いた身、この寂しさに耐えられるでしょうか」という歌である。
「海神がみ箱に蓄えて大切にされている真珠。その真珠以上に大切な我が子であるが、この世のことわり故、あなたが引き寄せるままに、遠い越の国に向かって娘は旅立ちました。あなたと娘に別れてからゆらゆら揺れる眉根に面影がちらついて恋しくてなりません。私はもう老いた身、この寂しさに耐えられるでしょうか」という歌である。
反歌一首
4221 かくばかり恋しくしあらばまそ鏡見ぬ日時なくあらましものを
(可久婆可里 古<非>之久志安良婆 末蘇可我美 弥奴比等吉奈久 安良麻之母能乎)
「かくばかり」は「こんなにも」という意味。
「こんなにもあなたが恋しいものなら、鏡のようにいつも眺めて過ごしたでしょうに」という歌である。
左注に「右二首は坂上郎女(さかのうへのいらつめ)が娘の大嬢(おほいらつめ)に与えた歌」とある。
4221 かくばかり恋しくしあらばまそ鏡見ぬ日時なくあらましものを
(可久婆可里 古<非>之久志安良婆 末蘇可我美 弥奴比等吉奈久 安良麻之母能乎)
「かくばかり」は「こんなにも」という意味。
「こんなにもあなたが恋しいものなら、鏡のようにいつも眺めて過ごしたでしょうに」という歌である。
左注に「右二首は坂上郎女(さかのうへのいらつめ)が娘の大嬢(おほいらつめ)に与えた歌」とある。
頭注に「九月三日宴歌二首」とある。
4222 このしぐれいたくな降りそ我妹子に見せむがために黄葉取りてむ
(許能之具礼 伊多久奈布里曽 和藝毛故尓 美勢牟我多米尓 母美知等里?牟)
「いたくな降りそ」は「な~そ」の禁止形、「ひどく降らないでおくれ」という意味。
「今降っているしぐれよ、そんなにひどく降らないでおくれ。わが妻に見せようと思ってモミジを採っているのだから」という歌である。
左注に「右は掾(じょう)久米朝臣廣縄(くめのあそみひろつな)作」とある。掾(じょう)は各国に置かれた守(長官)以下3番目の官。
4222 このしぐれいたくな降りそ我妹子に見せむがために黄葉取りてむ
(許能之具礼 伊多久奈布里曽 和藝毛故尓 美勢牟我多米尓 母美知等里?牟)
「いたくな降りそ」は「な~そ」の禁止形、「ひどく降らないでおくれ」という意味。
「今降っているしぐれよ、そんなにひどく降らないでおくれ。わが妻に見せようと思ってモミジを採っているのだから」という歌である。
左注に「右は掾(じょう)久米朝臣廣縄(くめのあそみひろつな)作」とある。掾(じょう)は各国に置かれた守(長官)以下3番目の官。
4223 あをによし奈良人見むと我が背子が標めけむ紅葉地に落ちめやも
(安乎尓与之 奈良比等美牟登 和我世故我 之米家牟毛美知 都知尓於知米也毛)
「あをによし」は枕詞。「標(し)めけむ紅葉」は「目星をつけたモミジ」のこと。
「奈良人(あなたの奥様)に見せようと貴君が目星をつけたモミジだもの、よもや地に落ちることがありましょうか」という歌である。
左注に「右は守大伴宿祢家持作」とある。
(2017年1月19日記、2019年4月13日)
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(安乎尓与之 奈良比等美牟登 和我世故我 之米家牟毛美知 都知尓於知米也毛)
「あをによし」は枕詞。「標(し)めけむ紅葉」は「目星をつけたモミジ」のこと。
「奈良人(あなたの奥様)に見せようと貴君が目星をつけたモミジだもの、よもや地に落ちることがありましょうか」という歌である。
左注に「右は守大伴宿祢家持作」とある。
(2017年1月19日記、2019年4月13日)