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そ の 276 へ
万葉集読解・・・275(4224~4237番歌)
4224 朝霧のたなびく田居に鳴く雁を留め得むかも我が宿の萩
(朝霧之 多奈引田為尓 鳴鴈乎 留得哉 吾屋戸能波義)
田居(たゐ)は田んぼのこと。色々例歌があるが、わかりやすいのは2250番歌。「春霞たなびく田居に~」とある。
「朝霧がたなびく田んぼで鳴く雁、その雁をそのまま留めておくことができるだろうか、我が家の庭の萩は」という歌である。
左注に「右は吉野の宮に幸(いで)ましし時に藤原皇后がお作りになった歌。その年月はいまだ不詳。十月五日、河邊朝臣東人(あへのあそみあづまひと)の傳誦による」とある。
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万葉集読解・・・275(4224~4237番歌)
4224 朝霧のたなびく田居に鳴く雁を留め得むかも我が宿の萩
(朝霧之 多奈引田為尓 鳴鴈乎 留得哉 吾屋戸能波義)
田居(たゐ)は田んぼのこと。色々例歌があるが、わかりやすいのは2250番歌。「春霞たなびく田居に~」とある。
「朝霧がたなびく田んぼで鳴く雁、その雁をそのまま留めておくことができるだろうか、我が家の庭の萩は」という歌である。
左注に「右は吉野の宮に幸(いで)ましし時に藤原皇后がお作りになった歌。その年月はいまだ不詳。十月五日、河邊朝臣東人(あへのあそみあづまひと)の傳誦による」とある。
4225 あしひきの山の紅葉に雫あひて散らむ山道を君が越えまく
(足日木之 山黄葉尓 四頭久相而 将落山道乎 公之超麻久)
「あしひきの」はお馴染みの枕詞。
「山の紅葉は雫(しづく)にあって散り敷く山路をあなたは越えていかれるのですね」という歌である。
左注に「右は、同月十六日、朝集使少目秦伊美吉石竹(はたのいみきいはたけ)が都に赴くとき、はなむけに守大伴宿祢家持作る」とある。朝集使は一年間の政治状況を記した朝集帳を持って中央に報告に行く役目。少目(せうさくわん)は国司に置かれた四部官の一つで4番目の官。
(足日木之 山黄葉尓 四頭久相而 将落山道乎 公之超麻久)
「あしひきの」はお馴染みの枕詞。
「山の紅葉は雫(しづく)にあって散り敷く山路をあなたは越えていかれるのですね」という歌である。
左注に「右は、同月十六日、朝集使少目秦伊美吉石竹(はたのいみきいはたけ)が都に赴くとき、はなむけに守大伴宿祢家持作る」とある。朝集使は一年間の政治状況を記した朝集帳を持って中央に報告に行く役目。少目(せうさくわん)は国司に置かれた四部官の一つで4番目の官。
頭注に「雪の日作った歌」とある。
4226 この雪の消残る時にいざ行かな山橘の実の照るも見む
(此雪之 消遺時尓 去来歸奈 山橘之 實光毛将見)
「山橘(やまたちばな)」はヤブコウジのことという。ヤブコウジはヤブコウジ科の常緑小低木。実は小粒で冬に紅く熟す。669番歌に「あしひきの山橘の色に出でよ語らひ継ぎて逢ふこともあらむ」とある。「照るも見む」は「照り輝く様を見よう」という意味である。
「この雪が消え残っている間にさあ行こう。山橘の実が照り輝く様を見に」という歌である。
左注に「右は十二月、大伴宿祢家持作」とある。
4226 この雪の消残る時にいざ行かな山橘の実の照るも見む
(此雪之 消遺時尓 去来歸奈 山橘之 實光毛将見)
「山橘(やまたちばな)」はヤブコウジのことという。ヤブコウジはヤブコウジ科の常緑小低木。実は小粒で冬に紅く熟す。669番歌に「あしひきの山橘の色に出でよ語らひ継ぎて逢ふこともあらむ」とある。「照るも見む」は「照り輝く様を見よう」という意味である。
「この雪が消え残っている間にさあ行こう。山橘の実が照り輝く様を見に」という歌である。
左注に「右は十二月、大伴宿祢家持作」とある。
4227番長歌
大殿の この廻りの 雪な踏みそね しばしばも 降らぬ雪ぞ 山のみに 降りし雪ぞ ゆめ寄るな 人やな踏みそね 雪は
(大殿之 此廻之 雪莫踏祢 數毛 不零雪曽 山耳尓 零之雪曽 由米縁勿 人哉莫履祢 雪者)
大殿の この廻りの 雪な踏みそね しばしばも 降らぬ雪ぞ 山のみに 降りし雪ぞ ゆめ寄るな 人やな踏みそね 雪は
(大殿之 此廻之 雪莫踏祢 數毛 不零雪曽 山耳尓 零之雪曽 由米縁勿 人哉莫履祢 雪者)
長歌は用語の解説を最小限にとどめる。大殿は左大臣藤原北卿(房前)邸を指す。「雪な踏みそね」は「な」~そ」の禁止形。
(口語訳)
「左大臣邸のまわりの雪を踏んではいけない。しばしばも降らない雪が降ったのだから。通常、このあたりの雪は山に降る雪。決して近寄るな。この雪は踏んではならない、この雪は」という歌である。
「左大臣邸のまわりの雪を踏んではいけない。しばしばも降らない雪が降ったのだから。通常、このあたりの雪は山に降る雪。決して近寄るな。この雪は踏んではならない、この雪は」という歌である。
反歌一首
4228 ありつつも見したまはむぞ大殿のこの廻りの雪な踏みそね
(有都々毛 御見多麻波牟曽 大殿乃 此母等保里能 雪奈布美曽祢)
「ありつつも」は、「あるがまま」という意味。「雪な踏みそね」は「な」~そ」の禁止形。
「あるがままにご覧になられるぞ、この邸宅のまわりの雪を。この雪を踏んではならない」という歌である。
左注に「右二首は、三形沙弥(みかたのさみ)が左大臣藤原北卿(房前)の言葉をくみとって作り、差し上げたもの。それを聞いて笠朝臣子君(かさのあそみこぎみ)が伝誦し、さらに後に越中國掾久米朝臣廣縄(くめのあそみひろつな)が伝誦したもの」とある。掾(じょう)は国司に置かれた四部官。3番目の官。
4228 ありつつも見したまはむぞ大殿のこの廻りの雪な踏みそね
(有都々毛 御見多麻波牟曽 大殿乃 此母等保里能 雪奈布美曽祢)
「ありつつも」は、「あるがまま」という意味。「雪な踏みそね」は「な」~そ」の禁止形。
「あるがままにご覧になられるぞ、この邸宅のまわりの雪を。この雪を踏んではならない」という歌である。
左注に「右二首は、三形沙弥(みかたのさみ)が左大臣藤原北卿(房前)の言葉をくみとって作り、差し上げたもの。それを聞いて笠朝臣子君(かさのあそみこぎみ)が伝誦し、さらに後に越中國掾久米朝臣廣縄(くめのあそみひろつな)が伝誦したもの」とある。掾(じょう)は国司に置かれた四部官。3番目の官。
頭注に「天平勝寳三年(751年)」とある。
4229 新しき年の初めはいや年に雪踏み平し常かくにもが
(新 年之初者 弥年尓 雪踏平之 常如此尓毛我)
「いや年に」は「年を重ねて」という意味。「雪踏み平(なら)し」は「積もった雪を踏みならして平穏に」という意味。「常かくにもが」は「毎年このようでありたい」という意味である。
「新年の初めをいよいよこのように年を重ね、積もった雪を踏みならして平穏に迎え、いつもこんな風でありたいものよ」という歌である。
左注に「右の歌は正月二日守の舘(家持の居宅)に一同参集して宴を開いた。この時降った雪はことのほか多く、四尺に達した。主人の大伴宿祢家持が作った歌」とある。
4229 新しき年の初めはいや年に雪踏み平し常かくにもが
(新 年之初者 弥年尓 雪踏平之 常如此尓毛我)
「いや年に」は「年を重ねて」という意味。「雪踏み平(なら)し」は「積もった雪を踏みならして平穏に」という意味。「常かくにもが」は「毎年このようでありたい」という意味である。
「新年の初めをいよいよこのように年を重ね、積もった雪を踏みならして平穏に迎え、いつもこんな風でありたいものよ」という歌である。
左注に「右の歌は正月二日守の舘(家持の居宅)に一同参集して宴を開いた。この時降った雪はことのほか多く、四尺に達した。主人の大伴宿祢家持が作った歌」とある。
4230 降る雪を腰になづみて参ゐて来し験もあるか年の初めに
(落雪乎 腰尓奈都美弖 参来之 印毛有香 年之初尓)
「腰になづみて」は「腰まで浸かって難渋し」という意味。
「降る雪の中を腰まで浸かって難渋しながら参上したが、その甲斐があるというもの、新年の初めのめでたい雪」という歌である。
左注に「右は、三日に介(すけ)内蔵伊美吉縄麻呂(くらのいみきつなまろ)の舘に一同参集して宴を開いた時の歌。大伴宿祢家持作」とある。介は国司に置かれた四部官。守(かみ)、介(すけ)、掾(じょう)、目(さかん)の一つ。2番目の官。
(落雪乎 腰尓奈都美弖 参来之 印毛有香 年之初尓)
「腰になづみて」は「腰まで浸かって難渋し」という意味。
「降る雪の中を腰まで浸かって難渋しながら参上したが、その甲斐があるというもの、新年の初めのめでたい雪」という歌である。
左注に「右は、三日に介(すけ)内蔵伊美吉縄麻呂(くらのいみきつなまろ)の舘に一同参集して宴を開いた時の歌。大伴宿祢家持作」とある。介は国司に置かれた四部官。守(かみ)、介(すけ)、掾(じょう)、目(さかん)の一つ。2番目の官。
頭注に「積もった雪を積み上げて岩の形を作り、草木の形を巧みに作って飾る。これを見て掾久米朝臣廣縄(くめのあそみひろつな)が作った歌」とある。掾(じょう)は前歌左注参照。
4231 なでしこは秋咲くものを君が家の雪の巌に咲けりけるかも
(奈泥之故波 秋咲物乎 君宅之 雪巌尓 左家理家流可母)
平明歌。「ナデシコは秋に咲く花というが、あなたんちの雪の岩に咲いていますねえ」という歌である。
4231 なでしこは秋咲くものを君が家の雪の巌に咲けりけるかも
(奈泥之故波 秋咲物乎 君宅之 雪巌尓 左家理家流可母)
平明歌。「ナデシコは秋に咲く花というが、あなたんちの雪の岩に咲いていますねえ」という歌である。
頭注に「遊行女婦(うかれめ)蒲生娘子(かまふのをとめ)の歌」とある。
4232 雪の嶋巌に植ゑたるなでしこは千代に咲かぬか君がかざしに
(雪嶋 巌尓殖有 奈泥之故波 千世尓開奴可 君之挿頭尓)
前歌を承けた歌。「君がかざしに」は「ご主君の髪飾りにして」という意味。
「雪の島の岩に植えたナデシコは永遠に咲いてほしいですね。ご主君の髪飾りにして」という歌である。
4232 雪の嶋巌に植ゑたるなでしこは千代に咲かぬか君がかざしに
(雪嶋 巌尓殖有 奈泥之故波 千世尓開奴可 君之挿頭尓)
前歌を承けた歌。「君がかざしに」は「ご主君の髪飾りにして」という意味。
「雪の島の岩に植えたナデシコは永遠に咲いてほしいですね。ご主君の髪飾りにして」という歌である。
頭注に「宴たけなわになり、夜更けに鶏が鳴く。主人内蔵伊美吉縄麻呂が歌を作る」とある。縄麻呂は4230番歌左注参照。
4233 うち羽振き鶏は鳴くともかくばかり降り敷く雪に君いまさめやも
(打羽振 鶏者鳴等母 如此許 零敷雪尓 君伊麻左米也母)
「うち羽振き」のうちは強意。「君いまさめやも」は「あなたはお帰りになるのでしょうか」という反語表現。
「羽ばたいて鶏が鳴き、夜明けが近いことを告げているが、こんなにも降り積もった雪の中を、あなたはお帰りになるのでしょうか」という歌である。
4233 うち羽振き鶏は鳴くともかくばかり降り敷く雪に君いまさめやも
(打羽振 鶏者鳴等母 如此許 零敷雪尓 君伊麻左米也母)
「うち羽振き」のうちは強意。「君いまさめやも」は「あなたはお帰りになるのでしょうか」という反語表現。
「羽ばたいて鶏が鳴き、夜明けが近いことを告げているが、こんなにも降り積もった雪の中を、あなたはお帰りになるのでしょうか」という歌である。
守大伴宿祢家持が前歌に応えた歌
4234 鳴く鶏はいやしき鳴けど降る雪の千重に積めこそ我が立ちかてね
(鳴鶏者 弥及鳴杼 落雪之 千重尓積許曽 吾等立可?祢)
平明歌。
「鶏はしきりに鳴いて夜明けを告げていますが、降る雪が幾重にも積もってきたので、席を立ちかねているのです」という歌である。
4234 鳴く鶏はいやしき鳴けど降る雪の千重に積めこそ我が立ちかてね
(鳴鶏者 弥及鳴杼 落雪之 千重尓積許曽 吾等立可?祢)
平明歌。
「鶏はしきりに鳴いて夜明けを告げていますが、降る雪が幾重にも積もってきたので、席を立ちかねているのです」という歌である。
頭注に「太政大臣藤原家の縣犬養命婦(あがたのいぬかひのみょうぶ)が天皇に奉った歌」とある。太政大臣藤原家と言えば藤原不比等。縣犬養命婦は不比等の妻、三千代。光明皇后の生母。従って、天皇は聖武天皇と思われる。命婦は高位の女官。
4235 天雲をほろに踏みあだし鳴る神も今日にまさりて畏けめやも
(天雲乎 富呂尓布美安太之 鳴神毛 今日尓益而 可之古家米也母)
本歌は不比等が亡くなって太政大臣を追贈されたことにかんがみ、あらためて死去を天皇がお嘆きになったことを歌にしたものと考えられる。「ほろに踏みあだし」は「ぼろぼろに踏み荒らし」という意味である。
「天雲をぼろぼろに踏み荒らして鳴り響く雷神も今日ばかりは天皇のお嘆きにはかなうまい」という歌である。
4235 天雲をほろに踏みあだし鳴る神も今日にまさりて畏けめやも
(天雲乎 富呂尓布美安太之 鳴神毛 今日尓益而 可之古家米也母)
本歌は不比等が亡くなって太政大臣を追贈されたことにかんがみ、あらためて死去を天皇がお嘆きになったことを歌にしたものと考えられる。「ほろに踏みあだし」は「ぼろぼろに踏み荒らし」という意味である。
「天雲をぼろぼろに踏み荒らして鳴り響く雷神も今日ばかりは天皇のお嘆きにはかなうまい」という歌である。
頭注に「死んだ妻を悲しんでの歌と短歌。作主未詳」とある。
4236番長歌
天地の 神はなかれや 愛しき 我が妻離る 光る神 鳴りはた娘子 携はり ともにあらむと 思ひしに 心違ひぬ 言はむすべ 為むすべ知らに 木綿たすき 肩に取り懸け 倭文幣を 手に取り持ちて な放けそと 我れは祈れど 枕きて寝し 妹が手本は 雲にたなびく
(天地之 神者<无>可礼也 愛 吾妻離流 光神 鳴波多(女+感)嬬 携手 共将有等 念之尓 情違奴 将言為便 将作為便不知尓 木綿手次 肩尓取<挂> 倭文幣乎 手尓取持? 勿令離等 和礼波雖祷 巻而寐之 妹之手本者 雲尓多奈妣久)
4236番長歌
天地の 神はなかれや 愛しき 我が妻離る 光る神 鳴りはた娘子 携はり ともにあらむと 思ひしに 心違ひぬ 言はむすべ 為むすべ知らに 木綿たすき 肩に取り懸け 倭文幣を 手に取り持ちて な放けそと 我れは祈れど 枕きて寝し 妹が手本は 雲にたなびく
(天地之 神者<无>可礼也 愛 吾妻離流 光神 鳴波多(女+感)嬬 携手 共将有等 念之尓 情違奴 将言為便 将作為便不知尓 木綿手次 肩尓取<挂> 倭文幣乎 手尓取持? 勿令離等 和礼波雖祷 巻而寐之 妹之手本者 雲尓多奈妣久)
長歌は用語の解説を最小限にとどめる。「鳴りはた娘子(をとめ)」は「鳴りはためく」の音をとって「波多娘子」としたのであろうと、人名説ないし地名説がある。けれども旗ではなく雷神を指すとしたら「はためく」というのはおかしい。光る神は雷神を連想させる「鳴波多(なるはた)」の娘子、つまり鳴波多郷の娘子という意味だと思う。「倭文幣(しづぬさ)」は、神に捧げる倭文織りの布。絹を主体にした古代日本の織物。「な放(さ)けそと」は「な~そ」の禁止形。「私たち二人を引き離さないで下さい」という意味。
(口語訳)
「天地に神はいないのだろうか。愛しい我が妻は死んでしまった。光る雷神の鳴波多郷の娘子、手を携えて共に暮らしていこうと思っていたのに、思いははずれてしまった。物言う術も為す術も分からない。木綿のたすきを肩に取り結び、神に捧げる倭文(しづ)織りの幣(ぬさ)を手に取り持って、私たち二人を引き離さないで下さいと一心に祈る。けれども、手枕をして取ったあの子の腕は、ああ、雲にたなびいている」という歌である。
「天地に神はいないのだろうか。愛しい我が妻は死んでしまった。光る雷神の鳴波多郷の娘子、手を携えて共に暮らしていこうと思っていたのに、思いははずれてしまった。物言う術も為す術も分からない。木綿のたすきを肩に取り結び、神に捧げる倭文(しづ)織りの幣(ぬさ)を手に取り持って、私たち二人を引き離さないで下さいと一心に祈る。けれども、手枕をして取ったあの子の腕は、ああ、雲にたなびいている」という歌である。
反歌一首
4237 うつつにと思ひてしかも夢のみに手本巻き寝と見ればすべなし
(寤尓等 念氐之可毛 夢耳尓 手本巻<寐>等 見者須便奈之)
「うつつにと」は「現実だと」という意味。「思ひてしかも」の「てしかも」は願望。「思いたい」である。
「現実だと思いたい。手枕をしていることを。が、実際には夢の中だけだと思うとやりきれない」という歌である。
左注に「右二首は遊行女婦蒲生(うかれめかまふ)が傳誦したもの」とある。4232番歌に蒲生の歌が登載されている。
(2017年1月21日記、2019年4月14日)
4237 うつつにと思ひてしかも夢のみに手本巻き寝と見ればすべなし
(寤尓等 念氐之可毛 夢耳尓 手本巻<寐>等 見者須便奈之)
「うつつにと」は「現実だと」という意味。「思ひてしかも」の「てしかも」は願望。「思いたい」である。
「現実だと思いたい。手枕をしていることを。が、実際には夢の中だけだと思うとやりきれない」という歌である。
左注に「右二首は遊行女婦蒲生(うかれめかまふ)が傳誦したもの」とある。4232番歌に蒲生の歌が登載されている。
(2017年1月21日記、2019年4月14日)
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