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万葉集読解・・・280(4293~4305番歌)
(安之比奇能 山行之可婆 山人乃 和礼尓依志米之 夜麻都刀曽許礼)
「あしひきの」はおなじみの枕詞。「山づと」は「山の土産」。
「山に行ったら、山人が私にくれた山の土産がこれです」という歌である。
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万葉集読解・・・280(4293~4305番歌)
頭注に「山村に先太上天皇がいらっしゃった時の歌二首。その際、お供の緒王や臣下に、私の歌に応えなさいとおっしゃった」とある。山村(やまむら)は奈良市山町の帯解(おびとけ)山地。先太上天皇(さきのおほきすめらみこと)とは前々代天皇四十四代元正天皇。
4293 あしひきの山行きしかば山人の我れに得しめし山づとぞこれ(安之比奇能 山行之可婆 山人乃 和礼尓依志米之 夜麻都刀曽許礼)
「あしひきの」はおなじみの枕詞。「山づと」は「山の土産」。
「山に行ったら、山人が私にくれた山の土産がこれです」という歌である。
頭注に「舎人親王が詔に応えて差し出された一首」とある。舎人(とねり)親王は天武天皇の皇子。
4294 あしひきの山に行きけむ山人の心も知らず山人や誰れ
(安之比奇能 山尓由伎家牟 夜麻妣等能 情母之良受 山人夜多礼)
「あしひきの」はおなじみの枕詞。
「山にお行きになったら、山人が(土産を)くれたといいますが、どんなつもりなのでしょう。山人とはどなたのことでしょう」という歌である。
左注に「天平勝寳五年五月に大納言藤原朝臣の家で事案を相談している際、少納言大伴宿祢家持が、少主鈴山田史土麻呂(ふひとひぢまろ)から、昔聞いたと言った歌がこの歌」とある。天平勝寳五年は753年。大納言藤原朝臣は仲麻呂。少主鈴は中務省の下級官。
4294 あしひきの山に行きけむ山人の心も知らず山人や誰れ
(安之比奇能 山尓由伎家牟 夜麻妣等能 情母之良受 山人夜多礼)
「あしひきの」はおなじみの枕詞。
「山にお行きになったら、山人が(土産を)くれたといいますが、どんなつもりなのでしょう。山人とはどなたのことでしょう」という歌である。
左注に「天平勝寳五年五月に大納言藤原朝臣の家で事案を相談している際、少納言大伴宿祢家持が、少主鈴山田史土麻呂(ふひとひぢまろ)から、昔聞いたと言った歌がこの歌」とある。天平勝寳五年は753年。大納言藤原朝臣は仲麻呂。少主鈴は中務省の下級官。
頭注に「天平勝寳五年八月十二日、二、三人の大夫たちが各々壷酒を携えて高圓の野に登り、思いを述べた歌三首」とある。天平勝寳五年は753年。高円山(たかまどやま)は奈良市春日山の南方の山。
4295 高円の尾花吹き越す秋風に紐解き開けな直ならずとも
(多可麻刀能 乎婆奈布伎故酒 秋風尓 比毛等伎安氣奈 多太奈良受等母)
「尾花」はススキの穂。結句の「直(ただ)ならずとも」は「直接ではないが」という意味だが、残暑が厳しい時期と考えると、単純にそのままの解釈でよかろう。むろん、「恋人に解いてもらわなくとも」と解して戯れ歌ととることも可能。
「高円のススキの穂に吹いてくる秋風、着物の紐を解いておくと、自然に着物の裾が翻って涼しい」という歌である。
左注に「右一首左京少進大伴宿祢池主」とある。京内を左京と右京に分け、行政を司った。現在の東京都のような事務か?。左京少進は三等官。池主は越前から京に戻ってきていたらしい。
4295 高円の尾花吹き越す秋風に紐解き開けな直ならずとも
(多可麻刀能 乎婆奈布伎故酒 秋風尓 比毛等伎安氣奈 多太奈良受等母)
「尾花」はススキの穂。結句の「直(ただ)ならずとも」は「直接ではないが」という意味だが、残暑が厳しい時期と考えると、単純にそのままの解釈でよかろう。むろん、「恋人に解いてもらわなくとも」と解して戯れ歌ととることも可能。
「高円のススキの穂に吹いてくる秋風、着物の紐を解いておくと、自然に着物の裾が翻って涼しい」という歌である。
左注に「右一首左京少進大伴宿祢池主」とある。京内を左京と右京に分け、行政を司った。現在の東京都のような事務か?。左京少進は三等官。池主は越前から京に戻ってきていたらしい。
4296 天雲に雁ぞ鳴くなる高円の萩の下葉はもみちあへむかも
(安麻久母尓 可里曽奈久奈流 多加麻刀能 波疑乃之多婆波 毛美知安倍牟可聞)
高円は前歌頭注参照。「天雲に雁ぞ鳴くなる」でいったんひと区切り。「もみちあへむかも」は「紅葉に染まる暇があるだろうか」という意味である。
「天雲の彼方に雁が鳴く季節になった。ここ高円の萩の下葉は美しく紅葉に染まる暇があるだろうか」という歌である。
左注に「右一首左中辨中臣清麻呂朝臣」とある。弁官は太政官に直属し、左右に分かれていた。左弁官は、中務省、式部省、治部省、民部省の四省を、右弁官は兵部省、刑部省、大蔵省、宮内省の四省を管轄していた。大、中、小の弁官があった。
(安麻久母尓 可里曽奈久奈流 多加麻刀能 波疑乃之多婆波 毛美知安倍牟可聞)
高円は前歌頭注参照。「天雲に雁ぞ鳴くなる」でいったんひと区切り。「もみちあへむかも」は「紅葉に染まる暇があるだろうか」という意味である。
「天雲の彼方に雁が鳴く季節になった。ここ高円の萩の下葉は美しく紅葉に染まる暇があるだろうか」という歌である。
左注に「右一首左中辨中臣清麻呂朝臣」とある。弁官は太政官に直属し、左右に分かれていた。左弁官は、中務省、式部省、治部省、民部省の四省を、右弁官は兵部省、刑部省、大蔵省、宮内省の四省を管轄していた。大、中、小の弁官があった。
4297 をみなへし秋萩しのぎさを鹿の露別け鳴かむ高円の野ぞ
(乎美奈<弊>之 安伎波疑之努藝 左乎之可能 都由和氣奈加牟 多加麻刀能野曽)
「をみなへし(女郎花)」はオミナエシ科の多年草。山野に自生。「さを鹿の」のさは牡鹿の強意。「露別け」は「露を押し分けて」という意味。「高円は前々歌頭注参照。
「オミナエシが秋萩をしのいで咲き誇り、牡鹿が露を押し分けて鳴く季節なのだろう、高円の野は」という歌である。
左注に「右は少納言大伴宿祢家持の歌」とある。
(乎美奈<弊>之 安伎波疑之努藝 左乎之可能 都由和氣奈加牟 多加麻刀能野曽)
「をみなへし(女郎花)」はオミナエシ科の多年草。山野に自生。「さを鹿の」のさは牡鹿の強意。「露別け」は「露を押し分けて」という意味。「高円は前々歌頭注参照。
「オミナエシが秋萩をしのいで咲き誇り、牡鹿が露を押し分けて鳴く季節なのだろう、高円の野は」という歌である。
左注に「右は少納言大伴宿祢家持の歌」とある。
頭注に「六年正月四日、大伴氏一族が少納言大伴宿祢家持の宅に集って賀正の宴を開いた際の歌三首」とある。六年は天平勝宝6年(754年)。
4298 霜の上に霰た走りいやましに我れは参ゐ来む年の緒長く [古今未詳]
(霜上尓 安良礼多<婆>之里 伊夜麻之尓 安礼<波>麻為許牟 年緒奈我久 [古今未詳])
「いやましに」は「これまで以上にますます」、「年の緒長く」は「末永く」という意味である。
「霜が降りている上にあられが飛び散っているように、これまで以上に私はますますしげしげとやって参りましょう、末永く」(歌注:古歌か新作歌か未詳)という歌である。
左注に「右は左兵衛督大伴宿祢千室(ちむろ)の歌」とある。左兵衛督(さひょうえのかみ)は左兵衛府の長官。皇居緒門の警護等を司った。右兵衛府も置かれていた。
4298 霜の上に霰た走りいやましに我れは参ゐ来む年の緒長く [古今未詳]
(霜上尓 安良礼多<婆>之里 伊夜麻之尓 安礼<波>麻為許牟 年緒奈我久 [古今未詳])
「いやましに」は「これまで以上にますます」、「年の緒長く」は「末永く」という意味である。
「霜が降りている上にあられが飛び散っているように、これまで以上に私はますますしげしげとやって参りましょう、末永く」(歌注:古歌か新作歌か未詳)という歌である。
左注に「右は左兵衛督大伴宿祢千室(ちむろ)の歌」とある。左兵衛督(さひょうえのかみ)は左兵衛府の長官。皇居緒門の警護等を司った。右兵衛府も置かれていた。
4299 年月は新た新たに相見れど我が思ふ君は飽き足らぬかも [古今未詳]
(年月波 安良多々々々尓 安比美礼騰 安我毛布伎美波 安伎太良奴可母 [古今未詳])
平明歌。
「毎年新たにお逢いしますが、お慕いしているあなた様は見飽きることがございません」(歌注:古歌か新作歌か未詳)という歌である。
左注に「右は民部少丞大伴宿祢村上(むらかみ)の歌」とある。民部少丞(せうじょう)は民部省の三等官。民部省は戸籍、租税、賦役などを司った。
(年月波 安良多々々々尓 安比美礼騰 安我毛布伎美波 安伎太良奴可母 [古今未詳])
平明歌。
「毎年新たにお逢いしますが、お慕いしているあなた様は見飽きることがございません」(歌注:古歌か新作歌か未詳)という歌である。
左注に「右は民部少丞大伴宿祢村上(むらかみ)の歌」とある。民部少丞(せうじょう)は民部省の三等官。民部省は戸籍、租税、賦役などを司った。
4300 霞立つ春の初めを今日のごと見むと思へば楽しとぞ思ふ
(可須美多都 春初乎 家布能其等 見牟登於毛倍波 多努之等曽毛布)
「見むと思へば」は「これからもお逢いできると思うと」という意味である。
「霞が立ちこめる春の初めに今日のようにこれからもお逢いできると思うと楽しゅうございます」という歌である。
左注に「右は左京少進大伴宿祢池主(いけぬし)の歌」とある。左京少進は4295番歌の左注参照。
(可須美多都 春初乎 家布能其等 見牟登於毛倍波 多努之等曽毛布)
「見むと思へば」は「これからもお逢いできると思うと」という意味である。
「霞が立ちこめる春の初めに今日のようにこれからもお逢いできると思うと楽しゅうございます」という歌である。
左注に「右は左京少進大伴宿祢池主(いけぬし)の歌」とある。左京少進は4295番歌の左注参照。
頭注に「七日に天皇、太上天皇、皇大后は東の日常起居されている南大殿で肆宴された時の歌」とある。七日は天平勝宝6年(754年)1月。孝謙天皇、聖武上皇、光明皇太后。肆宴(とよのあかり)は宴会のこと。
4301 印南野の赤ら柏は時はあれど君を我が思ふ時はさねなし
(伊奈美野乃 安可良我之波々 等伎波安礼騰 伎美乎安我毛布 登伎波佐祢奈之)
印南野(いなみの)は兵庫県明石付近。聖武上皇は、天皇在位中に、かって神亀三年(726年)に行幸されたことがある(936番歌)。「赤ら柏」はブナ科の落葉喬木。広い大きな葉を持ち、柏餅等に使われる。「さねなし」は「全くありません」という意味である。
「印南野(いなみの)アカラガシワは時節がありますが、大君をお慕いする気持ちには時節などございません」という歌である。
左注に「右は播磨國守安宿王(あすかべのおほきみ)が奏した歌。古歌か新作歌か未詳」とある。
4301 印南野の赤ら柏は時はあれど君を我が思ふ時はさねなし
(伊奈美野乃 安可良我之波々 等伎波安礼騰 伎美乎安我毛布 登伎波佐祢奈之)
印南野(いなみの)は兵庫県明石付近。聖武上皇は、天皇在位中に、かって神亀三年(726年)に行幸されたことがある(936番歌)。「赤ら柏」はブナ科の落葉喬木。広い大きな葉を持ち、柏餅等に使われる。「さねなし」は「全くありません」という意味である。
「印南野(いなみの)アカラガシワは時節がありますが、大君をお慕いする気持ちには時節などございません」という歌である。
左注に「右は播磨國守安宿王(あすかべのおほきみ)が奏した歌。古歌か新作歌か未詳」とある。
頭注に「三月十九日、家持の荘園(私有地)に立つ槻の樹の下で開かれた宴会の際の歌二首」とある。三月十九日は天平勝宝6年(754年)。槻(つき)の樹はケヤキのことで、ニレ科の落葉高木。
4302 山吹は撫でつつ生ほさむありつつも君来ましつつかざしたりけり
(夜麻夫伎波 奈埿都々於保佐牟 安里都々母 伎美伎麻之都々 可射之多里家利)
「撫でつつ生(お)ほさむ」は「慈しんで育てましょう」という、「ありつつも」は「このまま変わらないように」という意味である。
「この山吹は慈しんで育てましょう。このまま変わらないように。あなた様がいらっしゃって、髪飾りになさいますもの」という歌である。
左注に「右は置始連長谷(おきそめのむらじはつせ)の歌」とある。
4302 山吹は撫でつつ生ほさむありつつも君来ましつつかざしたりけり
(夜麻夫伎波 奈埿都々於保佐牟 安里都々母 伎美伎麻之都々 可射之多里家利)
「撫でつつ生(お)ほさむ」は「慈しんで育てましょう」という、「ありつつも」は「このまま変わらないように」という意味である。
「この山吹は慈しんで育てましょう。このまま変わらないように。あなた様がいらっしゃって、髪飾りになさいますもの」という歌である。
左注に「右は置始連長谷(おきそめのむらじはつせ)の歌」とある。
4303 我が背子が宿の山吹咲きてあらばやまず通はむいや年の端に
(和我勢故我 夜度乃也麻夫伎 佐吉弖安良婆 也麻受可欲波牟 伊夜登之能波尓)
「いや年の端に」は「年がかわるたびに」という意味である。
「貴君ちの庭の山吹がこんなに美しく咲くのでしたら、毎年ここにやってきましょう」という歌である。
左注に「右は長谷(はつせ)が山吹の花を折り取り、酒壷を提げてやってきたので、大伴宿祢家持が応えて作った歌」とある。
(和我勢故我 夜度乃也麻夫伎 佐吉弖安良婆 也麻受可欲波牟 伊夜登之能波尓)
「いや年の端に」は「年がかわるたびに」という意味である。
「貴君ちの庭の山吹がこんなに美しく咲くのでしたら、毎年ここにやってきましょう」という歌である。
左注に「右は長谷(はつせ)が山吹の花を折り取り、酒壷を提げてやってきたので、大伴宿祢家持が応えて作った歌」とある。
頭注に「同月廿五日左大臣橘卿が山田御母の宅で宴会を行った際の歌」とある。同月廿五日は天平勝宝6年(754年)3月。左大臣は橘諸兄。山田御母は孝謙天皇の乳母。
4304 山吹の花の盛りにかくのごと君を見まくは千年にもがも
(夜麻夫伎乃 花能左香利尓 可久乃其等 伎美乎見麻久波 知登世尓母我母)
「千年にもがも」は「千年先までも続けばいい」という意味である。
「山吹の花のさかりのような、こんなわが君を千年の先々まで見とうございます」という歌である。
左注に「右は少納言大伴宿祢家持が時節の花(山吹)を見て作った歌。但し、披露する前に宴が終わって左大臣が退出され、唱えるに至らなかった」とある。
4304 山吹の花の盛りにかくのごと君を見まくは千年にもがも
(夜麻夫伎乃 花能左香利尓 可久乃其等 伎美乎見麻久波 知登世尓母我母)
「千年にもがも」は「千年先までも続けばいい」という意味である。
「山吹の花のさかりのような、こんなわが君を千年の先々まで見とうございます」という歌である。
左注に「右は少納言大伴宿祢家持が時節の花(山吹)を見て作った歌。但し、披露する前に宴が終わって左大臣が退出され、唱えるに至らなかった」とある。
頭注に「霍公鳥を詠った歌一首」とある。
4305 木の暗の茂き峰の上を霍公鳥鳴きて越ゆなり今し来らしも
(許乃久礼能 之氣伎乎乃倍乎 保等登藝須 奈伎弖故由奈理 伊麻之久良之母)
平明歌。「木々のうっそうと繁る、あの峰の上をホトトギスが鳴きながら越えてゆく。今にもこちらまでやって来そうだ」という歌である。
左注に「右は四月大伴宿祢家持作歌」とある。四月は天平勝宝6年(754年)。
(2017年2月12日記、2019年4月15日)
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4305 木の暗の茂き峰の上を霍公鳥鳴きて越ゆなり今し来らしも
(許乃久礼能 之氣伎乎乃倍乎 保等登藝須 奈伎弖故由奈理 伊麻之久良之母)
平明歌。「木々のうっそうと繁る、あの峰の上をホトトギスが鳴きながら越えてゆく。今にもこちらまでやって来そうだ」という歌である。
左注に「右は四月大伴宿祢家持作歌」とある。四月は天平勝宝6年(754年)。
(2017年2月12日記、2019年4月15日)
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