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そ の 282 へ
万葉集読解・・・281(4306~4322番歌)
頭注に「七夕歌八首」とある。4306~4313番歌まで。
4306 初秋風涼しき夕解かむとぞ紐は結びし妹に逢はむため
(波都秋風 須受之伎由布弊 等香武等曽 比毛波牟須妣之 伊母尓安波牟多米)
天の川をはさんで彦星と織り姫が一年に一度だけ逢瀬を許されるという、七夕伝説を念頭に置いた一連の作品。
「初めて吹く秋の涼しい夕方(七月七日)になったら解こうと着物の紐を固く結んだ、彼女に逢う時のため」という歌である。
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万葉集読解・・・281(4306~4322番歌)
頭注に「七夕歌八首」とある。4306~4313番歌まで。
4306 初秋風涼しき夕解かむとぞ紐は結びし妹に逢はむため
(波都秋風 須受之伎由布弊 等香武等曽 比毛波牟須妣之 伊母尓安波牟多米)
天の川をはさんで彦星と織り姫が一年に一度だけ逢瀬を許されるという、七夕伝説を念頭に置いた一連の作品。
「初めて吹く秋の涼しい夕方(七月七日)になったら解こうと着物の紐を固く結んだ、彼女に逢う時のため」という歌である。
4307 秋と言へば心ぞ痛きうたて異に花になそへて見まく欲りかも
(秋等伊閇婆 許己呂曽伊多伎 宇多弖家尓 花仁奈蘇倍弖 見麻久保里香聞)
「うたて異(け)に」は「ますます不思議にも」という意味である。2949番歌に「うたて異に心いぶせし事計りよくせ我が背子逢へる時だに」とある。
「花になそへて」は「花になぞらえて」という意味。
「秋と言えば心が痛くなる。ますます不思議にも彼女を花になぞらえて遇いたくて仕方がなくなる」という歌である。
(秋等伊閇婆 許己呂曽伊多伎 宇多弖家尓 花仁奈蘇倍弖 見麻久保里香聞)
「うたて異(け)に」は「ますます不思議にも」という意味である。2949番歌に「うたて異に心いぶせし事計りよくせ我が背子逢へる時だに」とある。
「花になそへて」は「花になぞらえて」という意味。
「秋と言えば心が痛くなる。ますます不思議にも彼女を花になぞらえて遇いたくて仕方がなくなる」という歌である。
4308 初尾花花に見むとし天の川へなりにけらし年の緒長く
(波都乎婆奈 <々々>尓見牟登之 安麻乃可波 弊奈里尓家良之 年緒奈我久)
尾花はススキの穂。「へなりにけらし」は「隔てられている」という意味。「年の緒長く」は「一年もの長い間」ということ。
「初めて延びるススキの穂。彼女はその尾花のように見える。天野川に隔てられているからだろうか。一年もの長い間」という歌である。
(波都乎婆奈 <々々>尓見牟登之 安麻乃可波 弊奈里尓家良之 年緒奈我久)
尾花はススキの穂。「へなりにけらし」は「隔てられている」という意味。「年の緒長く」は「一年もの長い間」ということ。
「初めて延びるススキの穂。彼女はその尾花のように見える。天野川に隔てられているからだろうか。一年もの長い間」という歌である。
4309 秋風に靡く川辺のにこ草のにこよかにしも思ほゆるかも
(秋風尓 奈妣久可波備能 尓故具左能 尓古餘可尓之母 於毛保由流香母)
「にこ草」は「やわらかな草」という意味。「にこやか」を導く序歌。
「秋風になびく川辺のにこ草ではないが、(待ちに待った)時が来たかとにこやかな気分に襲われる」という歌である。
(秋風尓 奈妣久可波備能 尓故具左能 尓古餘可尓之母 於毛保由流香母)
「にこ草」は「やわらかな草」という意味。「にこやか」を導く序歌。
「秋風になびく川辺のにこ草ではないが、(待ちに待った)時が来たかとにこやかな気分に襲われる」という歌である。
4310 秋されば霧立ちわたる天の川石並置かば継ぎて見むかも
(安吉佐礼婆 奇里多知和多流 安麻能河波 伊之奈弥於可<婆> 都藝弖見牟可母)
「秋されば」は「秋がやってくると」という意味。「石並置かば」は「飛び石を並べれば」という意味。「継ぎて見むかも」は「続け様に逢えるのに」という願望。
「秋がやってくると、霧がたちこめる天の川、飛び石を並べれば続け様に逢えるのに」という歌である。
(安吉佐礼婆 奇里多知和多流 安麻能河波 伊之奈弥於可<婆> 都藝弖見牟可母)
「秋されば」は「秋がやってくると」という意味。「石並置かば」は「飛び石を並べれば」という意味。「継ぎて見むかも」は「続け様に逢えるのに」という願望。
「秋がやってくると、霧がたちこめる天の川、飛び石を並べれば続け様に逢えるのに」という歌である。
4311 秋風に今か今かと紐解きてうら待ち居るに月かたぶきぬ
(秋風尓 伊麻香伊麻可等 比母等伎弖 宇良麻知乎流尓 月可多夫伎奴)
「うら待ち」の「うら」は心、すなわち「心待ち」。
「秋風の吹く夜、着物の紐を解いて今か今かと船が来るのをお待ちしているうちに月が傾いてきた」という歌である。
(秋風尓 伊麻香伊麻可等 比母等伎弖 宇良麻知乎流尓 月可多夫伎奴)
「うら待ち」の「うら」は心、すなわち「心待ち」。
「秋風の吹く夜、着物の紐を解いて今か今かと船が来るのをお待ちしているうちに月が傾いてきた」という歌である。
4312 秋草に置く白露の飽かずのみ相見るものを月をし待たむ
(秋草尓 於久之良都由能 安可受能未 安比見流毛乃乎 月乎之麻多牟)
結句の「月をし待たむ」の解し方にかかっている歌である。手元の3書は次のように解している。
a 「来年の七月を待つとしよう」(岩波大系本)。
b 「いたずらに月ばかりを待たねばならぬというのか」(伊藤本)。
c 「月が経ってゆくのを待とう」(中西本)。
「岩波大系本」に引っ張られてか、経過する月と解している。が、経過する月と解すると、「秋草に置く白露の」を持ち出す意味が不可解。これは目前の形容句の筈である。本歌は「七夕歌」と明記されている。つまり、七夕歌なので、経過月のことを言っているとは考えにくい。「月をし待たむ」は七夕の夜の目前の「月の出」のことに相違ない。こう解することで、上二句の「秋草に置く白露の」が生きてくる。
「秋草に輝く白露のように飽きもしない美しいあなたを相見られる。今夜の月の出が待ち遠しい」という歌である。
(秋草尓 於久之良都由能 安可受能未 安比見流毛乃乎 月乎之麻多牟)
結句の「月をし待たむ」の解し方にかかっている歌である。手元の3書は次のように解している。
a 「来年の七月を待つとしよう」(岩波大系本)。
b 「いたずらに月ばかりを待たねばならぬというのか」(伊藤本)。
c 「月が経ってゆくのを待とう」(中西本)。
「岩波大系本」に引っ張られてか、経過する月と解している。が、経過する月と解すると、「秋草に置く白露の」を持ち出す意味が不可解。これは目前の形容句の筈である。本歌は「七夕歌」と明記されている。つまり、七夕歌なので、経過月のことを言っているとは考えにくい。「月をし待たむ」は七夕の夜の目前の「月の出」のことに相違ない。こう解することで、上二句の「秋草に置く白露の」が生きてくる。
「秋草に輝く白露のように飽きもしない美しいあなたを相見られる。今夜の月の出が待ち遠しい」という歌である。
4313 青波に袖さへ濡れて漕ぐ舟のかし振るほとにさ夜更けなむか
(安乎奈美尓 蘇弖佐閇奴礼弖 許具布祢乃 可之布流保刀尓 左欲布氣奈武可)
「青波」は天の川の波のことである。「かし振るほとに」は「かし(杭)を振り下ろして水中に立てる」こと。舟をつなぎ止めるために行うが、結構手間がかかる。
「青波に着物の袖さえ濡らしながら漕ぐ舟を、杭を振り下ろして水中に立て、つなぎとめている間に夜が更けてしまうだろうか」という歌である。
左注に「以上八首は、大伴宿祢家持ひとり天の川を仰いで作る」とある。
(安乎奈美尓 蘇弖佐閇奴礼弖 許具布祢乃 可之布流保刀尓 左欲布氣奈武可)
「青波」は天の川の波のことである。「かし振るほとに」は「かし(杭)を振り下ろして水中に立てる」こと。舟をつなぎ止めるために行うが、結構手間がかかる。
「青波に着物の袖さえ濡らしながら漕ぐ舟を、杭を振り下ろして水中に立て、つなぎとめている間に夜が更けてしまうだろうか」という歌である。
左注に「以上八首は、大伴宿祢家持ひとり天の川を仰いで作る」とある。
4314 八千種に草木を植ゑて時ごとに咲かむ花をし見つつ偲はな
(八千種尓 久佐奇乎宇恵弖 等伎其等尓 佐加牟波奈乎之 見都追思<努>波奈)
「八千種(やちぐさ)に」は「草木をいろいろに」という意味。「花をし」は強意の「し」。「見つつ偲(しの)はな」は「愛でて楽しもう」ということ。
「色々な草木を庭に植えて、折々に咲く花を愛でて楽しもう」という歌である。
左注に「右は、同月廿八日大伴宿祢家持が作った歌」とある。同月廿八日は天平勝宝6年(754年)七月。
(八千種尓 久佐奇乎宇恵弖 等伎其等尓 佐加牟波奈乎之 見都追思<努>波奈)
「八千種(やちぐさ)に」は「草木をいろいろに」という意味。「花をし」は強意の「し」。「見つつ偲(しの)はな」は「愛でて楽しもう」ということ。
「色々な草木を庭に植えて、折々に咲く花を愛でて楽しもう」という歌である。
左注に「右は、同月廿八日大伴宿祢家持が作った歌」とある。同月廿八日は天平勝宝6年(754年)七月。
4315 宮人の袖付け衣秋萩ににほひよろしき高円の宮
(宮人乃 蘇泥都氣其呂母 安伎波疑尓 仁保比与呂之伎 多加麻刀能美夜)
「袖付け衣」は袖の先に狭い袖をつけた、いわゆる「長袖の着物」のこと。「高円の宮」は4507番歌に「高円の峰の上の宮は荒れぬとも立たしし君の御名忘れめや」と詠われている。聖武天皇の離宮をいう。高円山(たかまどやま)は奈良市春日山の南方の山。
「宮人(女官か)が着飾っている長袖の着物が秋の萩に照り映えてよく似合う、高円の宮は」という歌である。
(宮人乃 蘇泥都氣其呂母 安伎波疑尓 仁保比与呂之伎 多加麻刀能美夜)
「袖付け衣」は袖の先に狭い袖をつけた、いわゆる「長袖の着物」のこと。「高円の宮」は4507番歌に「高円の峰の上の宮は荒れぬとも立たしし君の御名忘れめや」と詠われている。聖武天皇の離宮をいう。高円山(たかまどやま)は奈良市春日山の南方の山。
「宮人(女官か)が着飾っている長袖の着物が秋の萩に照り映えてよく似合う、高円の宮は」という歌である。
4316 高円の宮の裾廻の野づかさに今咲けるらむをみなへしはも
(多可麻刀能 宮乃須蘇未乃 努都可佐尓 伊麻左家流良武 乎美奈弊之波母)
「高円の宮」は前歌参照。「野づかさ」は野の小高くなったところ。
「高円の宮の麓の小高くなったあたりに、今を盛りと咲いているオミナエシの花」という歌である。
(多可麻刀能 宮乃須蘇未乃 努都可佐尓 伊麻左家流良武 乎美奈弊之波母)
「高円の宮」は前歌参照。「野づかさ」は野の小高くなったところ。
「高円の宮の麓の小高くなったあたりに、今を盛りと咲いているオミナエシの花」という歌である。
4317 秋野には今こそ行かめもののふの男女の花にほひ見に
(秋野尓波 伊麻己曽由可米 母能乃布能 乎等古乎美奈能 波奈尓保比見尓)
「もののふの」は多く「八十」にかかる枕詞。多くの廷臣。本歌は女官も含めて「男女の廷臣」を指す。「にほひ」は基本的には「染まる」ことだが、「はなやか」ないし「香り」等の意味にも使われる。
「秋の野に今こそ出かけよう。男女の官人たちの装いが花に染まるのを見に」という歌である。
(秋野尓波 伊麻己曽由可米 母能乃布能 乎等古乎美奈能 波奈尓保比見尓)
「もののふの」は多く「八十」にかかる枕詞。多くの廷臣。本歌は女官も含めて「男女の廷臣」を指す。「にほひ」は基本的には「染まる」ことだが、「はなやか」ないし「香り」等の意味にも使われる。
「秋の野に今こそ出かけよう。男女の官人たちの装いが花に染まるのを見に」という歌である。
4318 秋の野に露負へる萩を手折らずてあたら盛りを過ぐしてむとか
(安伎能野尓 都由於弊流波疑乎 多乎良受弖 安多良佐可里乎 須<具>之弖牟登香)
平明歌。ただ若干言葉を補わないと歌意が伝わりにくい。寓意と解するか否かは読み手の自由であろう。
「秋の野に露にまみれた美しい萩の花を手折らないで、いたずらに、その美しい盛りを黙って見過ごしてしまおうというのか」という歌である。
(安伎能野尓 都由於弊流波疑乎 多乎良受弖 安多良佐可里乎 須<具>之弖牟登香)
平明歌。ただ若干言葉を補わないと歌意が伝わりにくい。寓意と解するか否かは読み手の自由であろう。
「秋の野に露にまみれた美しい萩の花を手折らないで、いたずらに、その美しい盛りを黙って見過ごしてしまおうというのか」という歌である。
4319 高円の秋野の上の朝霧に妻呼ぶ壮鹿出で立つらむか
(多可麻刀能 秋野乃宇倍能 安佐疑里尓 都麻欲夫乎之可 伊泥多都良牟可)
「高円の」は4315番歌参照。「出で立つらむか」は「出で立って鳴いていることだろうか」という意味である。
「秋の高円の野に朝霧が立ちこめている。こんな朝には妻を呼ぶ牡鹿が出で立って鳴いていることだろうか」という歌である。
(多可麻刀能 秋野乃宇倍能 安佐疑里尓 都麻欲夫乎之可 伊泥多都良牟可)
「高円の」は4315番歌参照。「出で立つらむか」は「出で立って鳴いていることだろうか」という意味である。
「秋の高円の野に朝霧が立ちこめている。こんな朝には妻を呼ぶ牡鹿が出で立って鳴いていることだろうか」という歌である。
4320 大夫の呼び立てしかばさを鹿の胸別け行かむ秋野萩原
(麻須良男乃 欲妣多天思加婆 左乎之加能 牟奈和氣由加牟 安伎野波疑波良)
「大夫(ますらを)」は廷臣ないし官人。鹿狩りの場面か?。
「官人たちが呼び立てるので、牡鹿は胸で秋の野を萩を押し分けながら逃げていく」という歌である。
左注に「右六首は兵部少輔大伴宿祢家持が獨り秋の野を思っていささか拙い懐いを述べたもの」とある。「兵部少輔」は兵部省次官。家持は少納言から兵部省次官になったようだ。天平勝宝6年に。
(麻須良男乃 欲妣多天思加婆 左乎之加能 牟奈和氣由加牟 安伎野波疑波良)
「大夫(ますらを)」は廷臣ないし官人。鹿狩りの場面か?。
「官人たちが呼び立てるので、牡鹿は胸で秋の野を萩を押し分けながら逃げていく」という歌である。
左注に「右六首は兵部少輔大伴宿祢家持が獨り秋の野を思っていささか拙い懐いを述べたもの」とある。「兵部少輔」は兵部省次官。家持は少納言から兵部省次官になったようだ。天平勝宝6年に。
頭注に「天平勝寳七歳乙未二月交代して諸國から筑紫に勤務することになった防人たちの歌」とある。「天平勝寳七歳乙未」は755年乙未の年。防人は「さきもり」と読み、多くは東国から徴発され 筑紫、壱岐、対馬など北九州の防備に当たった兵士。三年ごとに交代という制度だった。
4321 畏きや命被り明日ゆりや草がむた寝む妹なしにして
(可之古伎夜 美許等加我布理 阿須由利也 加曳我牟多祢牟 伊牟奈之尓志弖)
「命(みこと)被(かがふ)り」は「朝命を承けて」ということ。「明日ゆりや」は4087番歌や4088番歌に「ゆりも逢はむと」と使われている。ゆりは後という意味。「草がむた」は「草と共に」。
「恐れ多くも朝命を承けて、明日からは草と共に寝ることになるのだろうか、妻もいないままの状態で」という歌である。
左注に「右は國造の丁、長下郡出身の物部秋持(もののべのあきもち)の歌」とある。國造(くにのみやつこ)は土地の豪族で、ほぼ郡を治めていた。朝廷から任命された地方官。丁はその使用人。長下郡(ながのしものこほり)は長田下郡のことで、現在、静岡県浜松市南区。
4321 畏きや命被り明日ゆりや草がむた寝む妹なしにして
(可之古伎夜 美許等加我布理 阿須由利也 加曳我牟多祢牟 伊牟奈之尓志弖)
「命(みこと)被(かがふ)り」は「朝命を承けて」ということ。「明日ゆりや」は4087番歌や4088番歌に「ゆりも逢はむと」と使われている。ゆりは後という意味。「草がむた」は「草と共に」。
「恐れ多くも朝命を承けて、明日からは草と共に寝ることになるのだろうか、妻もいないままの状態で」という歌である。
左注に「右は國造の丁、長下郡出身の物部秋持(もののべのあきもち)の歌」とある。國造(くにのみやつこ)は土地の豪族で、ほぼ郡を治めていた。朝廷から任命された地方官。丁はその使用人。長下郡(ながのしものこほり)は長田下郡のことで、現在、静岡県浜松市南区。
4322 我が妻はいたく恋ひらし飲む水に影さへ見えてよに忘られず
(和我都麻波 伊多久古<非>良之 乃牟美豆尓 加其佐倍美曳弖 余尓和須良礼受)
「恋ひらし」は「恋ふらし」の地方訛りと見られている。「よに」は「少しも」という意味。
「私の妻は私のことを非常に恋しく思っているようだ。飲む水に面影になって出てくる。少しも忘れることが出来ない」という歌である。
左注に「右は主帳丁、麁玉郡出身の若倭部身麻呂(わかやまとべのみまろ)の歌」とある。主帳丁は國造配下の書記官。國造は前歌左注参照。麁玉郡(あらたまのこほり)は静岡県浜松市浜北区にあったとされる郡。
(2017年2月15日記、2019年4月16日)
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(和我都麻波 伊多久古<非>良之 乃牟美豆尓 加其佐倍美曳弖 余尓和須良礼受)
「恋ひらし」は「恋ふらし」の地方訛りと見られている。「よに」は「少しも」という意味。
「私の妻は私のことを非常に恋しく思っているようだ。飲む水に面影になって出てくる。少しも忘れることが出来ない」という歌である。
左注に「右は主帳丁、麁玉郡出身の若倭部身麻呂(わかやまとべのみまろ)の歌」とある。主帳丁は國造配下の書記官。國造は前歌左注参照。麁玉郡(あらたまのこほり)は静岡県浜松市浜北区にあったとされる郡。
(2017年2月15日記、2019年4月16日)