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万葉集読解・・・282(4323~4333番歌)

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     万葉集読解・・・282(4323~4333番歌)
4323  時々の花は咲けども何すれぞ母とふ花の咲き出来ずけむ
      (等伎騰吉乃 波奈波佐家登母 奈尓須礼曽 波々登布波奈乃 佐吉泥己受祁牟)
 「時々の」は「季節季節の」という、「咲き出来(こ)ずけむ」は「咲いて来ないのだろう」という意味である。
 「四季折々に花は色々咲くけれど、どうして母という花は咲いて来ないのだろう」という歌である。
 左注に「右は防人、山名郡の丈部真麻呂(はせべのままろ)の歌」とある。山名郡は静岡県磐田市から袋井市にかけてあった郡。

4324  遠江志留波の磯と尓閇の浦と合ひてしあらば言も通はむ
      (等倍多保美 志留波乃伊宗等 尓閇乃宇良等 安比弖之阿良<婆> 己等母加由波牟)
 遠江(とへたほみ)は静岡県西部にあった国。「志留波(しるは)の磯」と「尓閇(にへ)の浦」は共に未詳。「言(こと)も通はむ」は「消息を交わすことも出来ように」という意味である。
 「遠江(とへたほみ)の志留波(しるは)の磯と尓閇(にへ)の浦が接していれば消息を交わすことも出来ように」という歌である。
 左注に「右は同郡の丈部川相(はせべのかはひ)の歌」とある。同郡は前歌と同じ山名郡。

4325  父母も花にもがもや草枕旅は行くとも捧ごて行かむ
      (知々波々母 波奈尓母我毛夜 久佐麻久良 多妣波由久等母 佐々己弖由加牟)
 「花にもがもや」は「花であってくれればなあ」という意味である。「草枕」は枕詞。「捧(ささ)ごて」は「捧げて」の地方訛りとされる。「父も母も花であってくれればなあ。旅に出るにしても捧げ持って行けるのに」という歌である。
 左注に「右は佐野郡の丈部黒當(はせべのくろまさ)の歌」とある。佐野郡(さやぐん)は遠江(静岡県掛川市あたり)にあった郡。

4326  父母が殿の後方のももよ草百代いでませ我が来るまで
      (父母我 等能々志利弊乃 母々余具佐 母々与伊弖麻勢 和我伎多流麻弖)
 「父母が殿の後方のももよ草」は次句の百代(ももよ)を導く序歌。ももよ草は不詳。
 「父母が住んでいらっしゃる家の裏手のももよ草の名のごとく、どうか末永く生きていて下さい、この私が戻ってくるまで」という歌である。
 左注に「右は同郡の壬生部足國(みぶべたりくに)の歌」とある。同郡は前歌と同じ佐野郡。

4327  我が妻も絵に描き取らむ暇もが旅行く我れは見つつ偲はむ
      (和我都麻母 畫尓可伎等良無 伊豆麻母加 多妣由久阿礼波 美都々志努波牟)
 平明歌。「我が妻を絵に描きとる暇があったらなあ、旅を行くときその絵を見ながら妻をしのぶことが出来るのに」という歌である。
 左注に「右は長下郡の物部古麻呂(もののべのこまろ)の歌」とある。長下郡(ながのしものこほり)は長田下郡にあった郡で、現在、静岡県浜松市南区。
 4321番歌以下の七首の総注として「二月六日防人部領使の遠江國史生、坂本朝臣人上(ひとかみ)は十八首の歌をたてまつったが、拙劣歌の十一首は不掲載とし、(掲載歌は七首)」とある。二月六日は天平勝宝7年(755年)。防人部領使(さきもりのことりづかひ)は防人を京に引率する役目。史生(ししょう)は書記官。

4328  大君の命畏み磯に触り海原渡る父母を置きて
      (於保吉美能 美許等可之古美 伊蘇尓布理 宇乃波良和多流 知々波々乎於伎弖)
 「大君の命(みこと)畏(かしこ)み」は「恐れ多くも大君のご命令を承けて」という意味で、常套句。「磯に触(ふ)り」はいまいちはっきりしないが、「磯の近くを通って」という意味だろう。
 「恐れ多くも大君のご命令を承けて磯の近くを通って大海原を渡る父母を置いて」という歌である。
 左注に「右は助丁の丈部造(はせべのみやつこ)人麻呂の歌」とある。助丁は國造(くにのみやつこ)の使用人のひとつ。

4329  八十国は難波に集ひ船かざり我がせむ日ろを見も人もがも
      (夜蘇久尓波 那尓波尓都度比 布奈可射里 安我世武比呂乎 美毛比等母我<毛>)
 「八十国(やそくに)」は諸国の防人(さきもり)のこと。「船かざり」は出帆の準備。「日ろ」は「その日」、「見も」は「見む」の東国訛り。
 「諸国の防人(さきもり)が難波に集結し、船かざりをして出帆に備える。その出帆せんとする私の姿を見送る人がいたらなあ」という歌である。
 左注に「右は足下郡の上丁、丹比部國人(たぢひべのくにひと)の歌」とある。足下郡は神奈川県足柄下郡のことで、多くは小田原市内にあった。上丁は國造(くにのみやつこ)の上級使用人。

4330  難波津に装ひ装ひて今日の日や出でて罷らむ見る母なしに
      (奈尓波都尓 余曽比余曽比弖 氣布能<比>夜 伊田弖麻可良武 美流波々奈之尓)
 「装ひ装ひて」は前歌の「船かざり」のこと。
 「難波津で船を飾り立てて今日の日を迎えた。さあ、出帆だ。見送りに来る母もないまま」という歌である。
 左注に「右は鎌倉郡の上丁、丸子連多麻呂(まるこのむらじおほまろ)の歌」とある。
 4328番歌以下の三首の総注として「二月七日相模國の防人部領使守、従五位下藤原朝臣宿奈麻呂(ふじはらのあそみすくなまろ)は八首の歌をたてまつったが、拙劣歌の五首は不掲載とし、(掲載歌は三首)」とある。二月七日は天平勝宝7年(755年)。防人部領使は4307番歌左注参照。

 頭注に「追って防人の悲別の心を痛んで作った歌と短歌」とある。
4331番長歌  
   大君の 遠の朝廷と しらぬひ 筑紫の国は 敵守る おさへの城ぞと 聞こし食す 四方の国には 人さはに 満ちてはあれど 鶏が鳴く 東男は 出で向ひ かへり見せずて 勇みたる 猛き軍士と ねぎたまひ 任けのまにまに たらちねの 母が目離れて 若草の 妻をも巻かず あらたまの 月日数みつつ 葦が散る 難波の御津に 大船に ま櫂しじ貫き 朝なぎに 水手ととのへ 夕潮に 楫引き折り 率ひて 漕ぎ行く君は 波の間を い行きさぐくみ ま幸くも 早く至りて 大君の 命のまにま 大夫の 心を持ちて あり廻り 事し終らば つつまはず 帰り来ませと 斎瓮を 床辺に据ゑて 白栲の 袖折り返し ぬばたまの 黒髪敷きて 長き日を 待ちかも恋ひむ 愛しき妻らは
      (天皇乃 等保能朝<廷>等 之良奴日 筑紫國波 安多麻毛流 於佐倍乃城曽等 聞食 四方國尓波 比等佐波尓 美知弖波安礼杼 登利我奈久 安豆麻乎能故波 伊田牟可比 加敝里見世受弖 伊佐美多流 多家吉軍卒等 祢疑多麻比 麻氣乃麻尓々々 多良知祢乃 波々我目可礼弖 若草能 都麻乎母麻可受 安良多麻能 月日餘美都々 安之我知流 難波能美津尓 大船尓 末加伊之自奴伎 安佐奈藝尓 可故等登能倍 由布思保尓 可知比伎乎里 安騰母比弖 許藝由久伎美波 奈美乃間乎 伊由伎佐具久美 麻佐吉久母 波夜久伊多里弖 大王乃 美許等能麻尓末 麻須良男乃 許己呂乎母知弖 安里米具<理> 事之乎波良<婆> 都々麻波受 可敝理伎麻勢登 伊波比倍乎 等許敝尓須恵弖 之路多倍能 蘇田遠利加敝之 奴婆多麻乃 久路加美之伎弖 奈我伎氣遠 麻知可母戀牟 波之伎都麻良波)

  長歌は用語の解説を最小限にとどめる。[しらぬひ]は久々に登場。本歌も含め3例しかなく、四音表記。枕詞と解されているが、のを補って五音表記にし、「しらぬひの」とするのがよいと考えている。「聞こし食す」は「お治めになっている」という意味。その他「鶏が鳴く」、「たらちねの」、「若草の」、「あらたまの」、「葦が散る」等はみな枕詞。「ねぎたまひ」は「労をねぎらいなさって」という意味。「水手(かこ)ととのへ」は「漕ぎ手を集め」ということ。「斎瓮(いはいへ)」は「祭祀用の酒かめ」という意味。

  (口語訳)
 「大君の、遠く離れた朝廷(みかど)たる筑紫の国(北九州)は外敵から身を守る抑えの砦。大君のお治めになっている四方の国々には人は多く満ちているけれども、とりわけ東男(あづまおとこ)は敵に向かって命をもかえりみない勇敢な兵士だと労をねぎらいなさる。任命されるままに母もとから離れ、あるいはなよやかな妻から離れ、任務につく。その日までの月日を数えながら難波の港に集結し、大船の梶を左右そろえて貫き並べる。朝なぎを見計らって、漕ぎ手を集め、夕潮に乗って、梶をたおし、軍団を率いていく貴君。波の間を押し分け、早く無事に筑紫にたどりついて、大君の任命のままに任務を果たそうとばかり。男子たる心を持って防備の任につく。任務が終わったらつつがなく(難波に)帰ってきなされと祈っています。神聖な酒かめを床の辺に据え、純白の着物の袖を折り返し、黒髪を敷いて長い日々を待っていることだろう、彼らの愛しい妻たちは」という歌である。

4332  大夫の靫取り負ひて出でて行けば別れを惜しみ嘆きけむ妻
      (麻須良男能 由伎等里於比弖 伊田弖伊氣<婆> 和可礼乎乎之美 奈氣伎家牟都麻)
 「大夫(ますらを)の」は「男子たるにふさわしい」という意味である。靫(さや)は矢を入れて背負う箱形の筒。
 「男子たるにふさわしく、靫(さや)を背負って門出をする夫と別れを惜しみ、嘆いたことだろうその妻は」という歌である。

4333  鶏が鳴く東壮士の妻別れ悲しくありけむ年の緒長み
      (等里我奈久 安豆麻乎等故能 都麻和可礼 可奈之久安里家牟 等之能乎奈我美)
 「鶏が鳴く」は枕詞。「年の緒長み」は「別れの年月が長いので」という意味。みは「~ので」の「み」。
 「東壮士(あづまおとこ)の妻との別れはさぞかし悲しかったことであろう。別れの年月が長いので」という歌である。
 左注に「右は二月八日兵部少輔大伴宿祢家持の歌」とある。二月八日は天平勝宝7年(755年)。「兵部少輔」は兵部省次官。
           (2017年2月18日記、2019年4月16日)
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