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万葉集読解・・・283(4334~4349番歌)
4334 海原を遠く渡りて年経とも子らが結べる紐解くなゆめ
(海原乎 等保久和多里弖 等之布等母 兒良我牟須敝流 比毛等久奈由米)
「子ら」は「妹(いも)」とほぼ同意。親しみの「ら」。
「海原を遠く渡って年月が経っても彼女が結んでくれた着物の紐を決して解いてはなりません」という歌である。
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万葉集読解・・・283(4334~4349番歌)
4334 海原を遠く渡りて年経とも子らが結べる紐解くなゆめ
(海原乎 等保久和多里弖 等之布等母 兒良我牟須敝流 比毛等久奈由米)
「子ら」は「妹(いも)」とほぼ同意。親しみの「ら」。
「海原を遠く渡って年月が経っても彼女が結んでくれた着物の紐を決して解いてはなりません」という歌である。
4335 今替る新防人が船出する海原の上に波なさきそね
(今替 尓比佐伎母利我 布奈弖須流 宇奈波良乃宇倍尓 奈美那佐伎曽祢)
「今替る新防人(にひさきもり)が」は三年ごとに新しい防人が任務につくことをいう。主として東国より招集される。「波なさきそね」の「な~そ」は禁止形。「決して波立つな」という意味。
「旧防人に替わって任務につくことになった新防人たちが船出するけれど、その海原の上に波よ波頭を立てないでおくれ」という歌である。
(今替 尓比佐伎母利我 布奈弖須流 宇奈波良乃宇倍尓 奈美那佐伎曽祢)
「今替る新防人(にひさきもり)が」は三年ごとに新しい防人が任務につくことをいう。主として東国より招集される。「波なさきそね」の「な~そ」は禁止形。「決して波立つな」という意味。
「旧防人に替わって任務につくことになった新防人たちが船出するけれど、その海原の上に波よ波頭を立てないでおくれ」という歌である。
4336 防人の堀江漕ぎ出る伊豆手船梶取る間なく恋は繁けむ
(佐吉母利能 保理江己藝豆流 伊豆手夫祢 可治登流間奈久 戀波思氣家牟)
堀江は難波の港。防人たちはここに集結し、九州に向かった。「伊豆手船」伊豆で作られる小型の舟。「~梶取る」は「間なく」を導く序歌。
「難波の港から漕ぎ出した伊豆の小舟に似て梶を操るのがせわしないように、彼女への恋しさが募ってたまらないことだろう」という歌である。
左注に「右は二月九日大伴宿祢家持の歌」とある。二月九日は天平勝宝7年(755年)。
(佐吉母利能 保理江己藝豆流 伊豆手夫祢 可治登流間奈久 戀波思氣家牟)
堀江は難波の港。防人たちはここに集結し、九州に向かった。「伊豆手船」伊豆で作られる小型の舟。「~梶取る」は「間なく」を導く序歌。
「難波の港から漕ぎ出した伊豆の小舟に似て梶を操るのがせわしないように、彼女への恋しさが募ってたまらないことだろう」という歌である。
左注に「右は二月九日大伴宿祢家持の歌」とある。二月九日は天平勝宝7年(755年)。
4337 水鳥の立ちの急ぎに父母に物言はず来にて今ぞ悔しき
(美豆等<利>乃 多知能已蘇岐尓 父母尓 毛能波須價尓弖 已麻叙久夜志伎)
「来(き)にて」は原文「價尓弖」で「来(け)にて」とよむ。駿河方言とみなされている。
「水鳥が飛び立つように、急いで父母に物もいわずに出立してきてしまった。今となってはそれが口惜しい」という歌である。
左注に「右は、上丁、有度部牛麻呂(うとべのうしまろ)の歌」とある。上丁は國造(くにのみやつこ)の上級使用人。
(美豆等<利>乃 多知能已蘇岐尓 父母尓 毛能波須價尓弖 已麻叙久夜志伎)
「来(き)にて」は原文「價尓弖」で「来(け)にて」とよむ。駿河方言とみなされている。
「水鳥が飛び立つように、急いで父母に物もいわずに出立してきてしまった。今となってはそれが口惜しい」という歌である。
左注に「右は、上丁、有度部牛麻呂(うとべのうしまろ)の歌」とある。上丁は國造(くにのみやつこ)の上級使用人。
4338 畳薦牟良自が磯の離磯の母を離れて行くが悲しさ
(多々美氣米 牟良自加已蘇乃 波奈利蘇乃 波々乎波奈例弖 由久我加奈之佐)
「畳薦(たたみこも)」は畳にする薦。2777番歌に「畳薦へだて編む数通はさば道の芝草生ひずあらましを」とある。「牟良自(むらじ)が磯」は所在不詳。母子の間をしっかりとした磯にたとえたのは斬新である。
「畳薦の目のような牟良自の磯から離れていく磯のように、母の許を離れて行くのが悲しい」という歌である。
左注に「右は、助丁、生部道麻呂(みぶべのみちまろ)の歌」とある。助丁は國造(くにのみやつこ)の使用人。
(多々美氣米 牟良自加已蘇乃 波奈利蘇乃 波々乎波奈例弖 由久我加奈之佐)
「畳薦(たたみこも)」は畳にする薦。2777番歌に「畳薦へだて編む数通はさば道の芝草生ひずあらましを」とある。「牟良自(むらじ)が磯」は所在不詳。母子の間をしっかりとした磯にたとえたのは斬新である。
「畳薦の目のような牟良自の磯から離れていく磯のように、母の許を離れて行くのが悲しい」という歌である。
左注に「右は、助丁、生部道麻呂(みぶべのみちまろ)の歌」とある。助丁は國造(くにのみやつこ)の使用人。
4339 国廻るあとりかまけり行き廻り帰り来までに斎ひて待たね
(久尓米具留 阿等利加麻氣利 由伎米具利 加比利久麻弖尓 已波比弖麻多祢)
「国廻(めぐ)る」は「国から国へ巡り渡る」という意味である。「あとりかまけり」はアトリ、カモ、ケリのことで、いずれも渡り鳥。ただ、カモは種類も多く、漠然としているので私はカモメだと思う。「斎(いは)ひて」は「祈って」という意味。
「国から国へ巡り渡るアトリ、カモメ、ケリのように、私は防人としてあちこち巡り歩くだろうが、私が帰ってくるまで祈って待っていて下さい」という歌である。
左注に「右は刑部虫麻呂(おさかべむしまろ)の歌」とある。
(久尓米具留 阿等利加麻氣利 由伎米具利 加比利久麻弖尓 已波比弖麻多祢)
「国廻(めぐ)る」は「国から国へ巡り渡る」という意味である。「あとりかまけり」はアトリ、カモ、ケリのことで、いずれも渡り鳥。ただ、カモは種類も多く、漠然としているので私はカモメだと思う。「斎(いは)ひて」は「祈って」という意味。
「国から国へ巡り渡るアトリ、カモメ、ケリのように、私は防人としてあちこち巡り歩くだろうが、私が帰ってくるまで祈って待っていて下さい」という歌である。
左注に「右は刑部虫麻呂(おさかべむしまろ)の歌」とある。
4340 父母え斎ひて待たね筑紫なる水漬く白玉取りて来までに
(等知波々江 已波比弖麻多祢 豆久志奈流 美豆久白玉 等里弖久麻弖尓)
「とちははえ」(原文「等知波々江」)は、「父母え」は「父母よ」の東国訛りで、原文「等知波々江」(とちははえ)。「斎(いは)ひて」は「祈って」という意味。「水漬(づ)く白玉」は「海底に沈む真珠」のこと。
「父さん、母さん、私の無事を祈って待っていて下さい。筑紫に行ったらそこの海底に沈んでいるという真珠を取って帰ってくるまで」という歌である。
左注に「右は川原虫麻呂(かはらのむしまろ)の歌」とある。
(等知波々江 已波比弖麻多祢 豆久志奈流 美豆久白玉 等里弖久麻弖尓)
「とちははえ」(原文「等知波々江」)は、「父母え」は「父母よ」の東国訛りで、原文「等知波々江」(とちははえ)。「斎(いは)ひて」は「祈って」という意味。「水漬(づ)く白玉」は「海底に沈む真珠」のこと。
「父さん、母さん、私の無事を祈って待っていて下さい。筑紫に行ったらそこの海底に沈んでいるという真珠を取って帰ってくるまで」という歌である。
左注に「右は川原虫麻呂(かはらのむしまろ)の歌」とある。
4341 橘の美袁利の里に父を置きて道の長道は行きかてぬかも
(多知波奈能 美袁利乃佐刀尓 父乎於伎弖 道乃長道波 由伎加弖努加毛)
「橘の美袁利(みをり)の里」はどこの里か未詳。
「橘郡の美袁利(みをり)の里に、父を残して長い旅路を行くのが辛い」という歌である。
左注に「右は丈部足麻呂(はせべのたりまろ)の歌」とある。
(多知波奈能 美袁利乃佐刀尓 父乎於伎弖 道乃長道波 由伎加弖努加毛)
「橘の美袁利(みをり)の里」はどこの里か未詳。
「橘郡の美袁利(みをり)の里に、父を残して長い旅路を行くのが辛い」という歌である。
左注に「右は丈部足麻呂(はせべのたりまろ)の歌」とある。
4342 真木柱ほめて造れる殿のごといませ母刀自面変はりせず
(麻氣波之良 寶米弖豆久礼留 等乃能其等 已麻勢波々刀自 於米加波利勢受)
「真木柱ほめて」の真は美称。「立派な木材を讃えて作った主柱」。「母刀自(とじ)」は主婦の尊称。「母上」というニュアンス。
「立派な木材を讃えて作った主柱で建てた立派な御殿のように、母上、いつまでも元気で、面やつれなさらないようにしてて下さい」という歌である。
左注に「右は坂田部首麻呂(さかたべのおびとまろ)の歌」とある。
(麻氣波之良 寶米弖豆久礼留 等乃能其等 已麻勢波々刀自 於米加波利勢受)
「真木柱ほめて」の真は美称。「立派な木材を讃えて作った主柱」。「母刀自(とじ)」は主婦の尊称。「母上」というニュアンス。
「立派な木材を讃えて作った主柱で建てた立派な御殿のように、母上、いつまでも元気で、面やつれなさらないようにしてて下さい」という歌である。
左注に「右は坂田部首麻呂(さかたべのおびとまろ)の歌」とある。
4343 我ろ旅は旅と思ほど家にして子持ち痩すらむ我が妻愛しも
(和呂多比波 多比等於米保等 已比尓志弖 古米知夜須良牟 和加美可奈志母)
「我ろ」は「我れ」の東国訛り。「旅は旅と思ほど」は「旅は旅だと思えばいいが」という意味。
「おいらは旅は旅だと思って割り切ればいいが、家では、妻が子供を抱えて痩せ衰えているだろうと思うと、妻が愛しくてたまらない」という歌である。
左注に「右は玉作部廣目(たまつくりべのひろめ)の歌」とある。
(和呂多比波 多比等於米保等 已比尓志弖 古米知夜須良牟 和加美可奈志母)
「我ろ」は「我れ」の東国訛り。「旅は旅と思ほど」は「旅は旅だと思えばいいが」という意味。
「おいらは旅は旅だと思って割り切ればいいが、家では、妻が子供を抱えて痩せ衰えているだろうと思うと、妻が愛しくてたまらない」という歌である。
左注に「右は玉作部廣目(たまつくりべのひろめ)の歌」とある。
4344 忘らむて野行き山行き我れ来れど我が父母は忘れせのかも
(和須良牟弖 努由伎夜麻由伎 和例久礼等 和我知々波々波 和須例勢努加毛)
「忘らむて」は「忘らむと」の、「忘れせのかも」は「忘れせぬかも」の東国訛り。
「忘れよう、忘れようと思って、おいらは野を行き山を越えてやってきたが、父さん、母さんのことは忘れようにも忘れられない」という歌である。
左注に「右は商長首麻呂(あきのをさのおびとまろ)の歌」とある。
(和須良牟弖 努由伎夜麻由伎 和例久礼等 和我知々波々波 和須例勢努加毛)
「忘らむて」は「忘らむと」の、「忘れせのかも」は「忘れせぬかも」の東国訛り。
「忘れよう、忘れようと思って、おいらは野を行き山を越えてやってきたが、父さん、母さんのことは忘れようにも忘れられない」という歌である。
左注に「右は商長首麻呂(あきのをさのおびとまろ)の歌」とある。
4345 我妹(わぎめ)子と二人我が見しうち寄する駿河の嶺らは恋しくもあるか
(和伎米故等 不多利和我見之 宇知江須流 々々河乃祢良波 苦不志久米阿流可)
「わぎめこ」(原文「和伎米故」)は「我妹子」の、「うちえする」(原文「宇知江須流」)は「うち寄する」の東国訛り。駿河(するが)は静岡県中央部の国。「嶺ら」は親しみの「ら」、「あの山」というニュアンス。「くふしくめあるか」(原文「苦不志久米阿流可」)は「恋しくもあるか」の東国訛り。
「彼女と二人して見た波打ち寄せる駿河の、あの山(富士山であろう)が恋しいなあ」という歌である。
左注に「右は春日部麻呂(かすがべのまろの歌」とある。
(和伎米故等 不多利和我見之 宇知江須流 々々河乃祢良波 苦不志久米阿流可)
「わぎめこ」(原文「和伎米故」)は「我妹子」の、「うちえする」(原文「宇知江須流」)は「うち寄する」の東国訛り。駿河(するが)は静岡県中央部の国。「嶺ら」は親しみの「ら」、「あの山」というニュアンス。「くふしくめあるか」(原文「苦不志久米阿流可」)は「恋しくもあるか」の東国訛り。
「彼女と二人して見た波打ち寄せる駿河の、あの山(富士山であろう)が恋しいなあ」という歌である。
左注に「右は春日部麻呂(かすがべのまろの歌」とある。
4346 父母がかしら掻き撫で幸くあれて言ひし言葉ぜ忘れかねつる
(知々波々我 可之良加伎奈弖 佐久安例弖 伊比之氣等<婆>是 和須礼加祢<豆>流)
「さくあれて」(原文「佐久安例弖」)は「幸(さき)くあれと」の、「言葉ぜ」は「言葉ぞ」の東国訛り。
「父母がこのおいらの頭を撫でて無事でなと言った言葉が忘れようにも忘れられない」という歌である。
左注に「右は丈部稲麻呂(はせかべのいなまろ)の歌」とある。
4334番歌以下の十三首の総注として「二月七日、駿河國の防人部領使、守従五位下布勢朝臣人主(ふせのあそみひとぬし)がとりまとめ、九日に奉った歌の数廿首、但し「拙劣歌は登載せず」とある。防人部領使(さきもりのことりづかひ)は防人を京に引率する役目。二月七日及び九日は天平勝宝7年(755年)。
(知々波々我 可之良加伎奈弖 佐久安例弖 伊比之氣等<婆>是 和須礼加祢<豆>流)
「さくあれて」(原文「佐久安例弖」)は「幸(さき)くあれと」の、「言葉ぜ」は「言葉ぞ」の東国訛り。
「父母がこのおいらの頭を撫でて無事でなと言った言葉が忘れようにも忘れられない」という歌である。
左注に「右は丈部稲麻呂(はせかべのいなまろ)の歌」とある。
4334番歌以下の十三首の総注として「二月七日、駿河國の防人部領使、守従五位下布勢朝臣人主(ふせのあそみひとぬし)がとりまとめ、九日に奉った歌の数廿首、但し「拙劣歌は登載せず」とある。防人部領使(さきもりのことりづかひ)は防人を京に引率する役目。二月七日及び九日は天平勝宝7年(755年)。
4347 家にして恋ひつつあらずは汝が佩ける大刀になりても斎ひてしかも
(伊閇尓之弖 古非都々安良受波 奈我波氣流 多知尓奈里弖母 伊波非弖之加母)
「恋ひつつあらずは」は「心配しているよりは」という、「斎(いは)ひてしかも」は「祈って守ってやりたい」という意味。
「家に残って心配しているよりは、お前が腰に帯びている太刀になって祈って守ってやりたい」という歌である。
左注に「右は國造(くにのみやつこ)の丁、日下部使主三中(くさかべのおみみなか)の父の歌」とある。國造(くにのみやつこ)は土地の豪族で、ほぼ郡を治めていた。朝廷から任命された地方官。丁はその使用人。
(伊閇尓之弖 古非都々安良受波 奈我波氣流 多知尓奈里弖母 伊波非弖之加母)
「恋ひつつあらずは」は「心配しているよりは」という、「斎(いは)ひてしかも」は「祈って守ってやりたい」という意味。
「家に残って心配しているよりは、お前が腰に帯びている太刀になって祈って守ってやりたい」という歌である。
左注に「右は國造(くにのみやつこ)の丁、日下部使主三中(くさかべのおみみなか)の父の歌」とある。國造(くにのみやつこ)は土地の豪族で、ほぼ郡を治めていた。朝廷から任命された地方官。丁はその使用人。
4348 たらちねの母を別れてまこと我れ旅の仮廬に安く寝むかも
(多良知祢乃 波々乎和加例弖 麻許等和例 多非乃加里保尓 夜須久祢牟加母)
「たらちねの」はお馴染みの枕詞。「母を別れて」は「母と別れて」の東国訛り。あるいは「母の許を別れて」という意味。「安く寝むかも」は「安眠出来るだろうか」という意味。
「母さんと別れておいらは本当に旅の仮寝で安眠出来るだろうか」という歌である。
左注に「右は國造丁日下部使主三中(くさかべのおみみなか)の歌」とある。
(多良知祢乃 波々乎和加例弖 麻許等和例 多非乃加里保尓 夜須久祢牟加母)
「たらちねの」はお馴染みの枕詞。「母を別れて」は「母と別れて」の東国訛り。あるいは「母の許を別れて」という意味。「安く寝むかも」は「安眠出来るだろうか」という意味。
「母さんと別れておいらは本当に旅の仮寝で安眠出来るだろうか」という歌である。
左注に「右は國造丁日下部使主三中(くさかべのおみみなか)の歌」とある。
4349 百隈の道は来にしをまたさらに八十島過ぎて別れか行かむ
(毛母久麻能 美知波紀尓志乎 麻多佐良尓 夜蘇志麻須藝弖 和加例加由可牟)
「百隈(ももくま)の道」は「たくさんの曲がりくねった道」のこと。
「たくさんの曲がりくねった道をやってきたが、ここからさらに多くの島々を過ぎて、ますます遠くへ別れて行くのだろうか」という歌である。
左注に「右は、助丁、刑部直三野(おさかべのあたひみの)の歌」とある。助丁は國造の下級使用人。
(2017年2月26日記、2019年4月16日)
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(毛母久麻能 美知波紀尓志乎 麻多佐良尓 夜蘇志麻須藝弖 和加例加由可牟)
「百隈(ももくま)の道」は「たくさんの曲がりくねった道」のこと。
「たくさんの曲がりくねった道をやってきたが、ここからさらに多くの島々を過ぎて、ますます遠くへ別れて行くのだろうか」という歌である。
左注に「右は、助丁、刑部直三野(おさかべのあたひみの)の歌」とある。助丁は國造の下級使用人。
(2017年2月26日記、2019年4月16日)
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