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昨日、私は慶事を二つ味わった。
一つは、没頭していた「万葉集読解」がやっと完了し、「あとがき」にこぎつけたことである。2013年1月から2019年4月まで、6年3ヶ月余を要した。読んだ人が実際に訪れることが出来るように、地名については特に力を注ぎ、現在どこのあたりになるのか、調べるのに予想外の時間を費やした。
それはさておき、「あとがき」はごく短く簡単なものにとどめた。ために、「あとがき」は、誰一人知らないうちに終え、結果的に「万葉集読解」は静かな完了を迎えた。そもそも、誰かに「おめでとう」と言ってもらいたくて続けたことではないので、「静かな完了」は相応しい。
もう一つの慶事は5ヶ月ぶりの外出を果たしたことである。こちらは「万葉集読解」よりも遙かに短期間で果たしたことになる。にもかかわらず、実際の感覚は逆にこちらの方が遙かに長かった。中村区の第一日赤に救急車で運ばれたのが2018年11月末。生死の境をさまよいながらの入院生活は実に長く、苦しかった。あま市民病院に転院して前月退院。手足が衰えていて、一歩も外に出られなかった。弟に同行してもらって、昨日外出を果たし、第一日赤を訪れた。今後徐々に歩行距離を伸ばしていく事になろう。
以上、二つの慶事は偶然にも同じ日に重なった。長い長い懸案事項がいっぺんに片づいたことになる。まるで神様のお導きに逢ったような偶然である。
肩の荷が降りたようで、すっきりした気分である。路傍に咲いていたツツジが目にまぶしかった。
いちどきに懸案事項かたづきぬ万葉集とおのが健康 (桐山芳夫)
まるで神導かれるごとかたづきぬ万葉集とおのが健康 (桐山芳夫)
(2019年4月27日)
昨日、私は慶事を二つ味わった。
一つは、没頭していた「万葉集読解」がやっと完了し、「あとがき」にこぎつけたことである。2013年1月から2019年4月まで、6年3ヶ月余を要した。読んだ人が実際に訪れることが出来るように、地名については特に力を注ぎ、現在どこのあたりになるのか、調べるのに予想外の時間を費やした。
それはさておき、「あとがき」はごく短く簡単なものにとどめた。ために、「あとがき」は、誰一人知らないうちに終え、結果的に「万葉集読解」は静かな完了を迎えた。そもそも、誰かに「おめでとう」と言ってもらいたくて続けたことではないので、「静かな完了」は相応しい。
もう一つの慶事は5ヶ月ぶりの外出を果たしたことである。こちらは「万葉集読解」よりも遙かに短期間で果たしたことになる。にもかかわらず、実際の感覚は逆にこちらの方が遙かに長かった。中村区の第一日赤に救急車で運ばれたのが2018年11月末。生死の境をさまよいながらの入院生活は実に長く、苦しかった。あま市民病院に転院して前月退院。手足が衰えていて、一歩も外に出られなかった。弟に同行してもらって、昨日外出を果たし、第一日赤を訪れた。今後徐々に歩行距離を伸ばしていく事になろう。
以上、二つの慶事は偶然にも同じ日に重なった。長い長い懸案事項がいっぺんに片づいたことになる。まるで神様のお導きに逢ったような偶然である。
肩の荷が降りたようで、すっきりした気分である。路傍に咲いていたツツジが目にまぶしかった。
いちどきに懸案事項かたづきぬ万葉集とおのが健康 (桐山芳夫)
まるで神導かれるごとかたづきぬ万葉集とおのが健康 (桐山芳夫)
(2019年4月27日)
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