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松尾芭蕉は伊賀上野(三重県北西部上野盆地)に生まれ、江戸に出て水道工事等に従事していた。むろん、立派な武家の出だが、芭蕉の兄は実質的には百姓をしていた、という。
庶民に寄り添う芭蕉の根っこにこういうものがある。
たとえば、次のような句がある。
行春を 近江の人と おしみける (芭蕉)
ところで、幕末近くに活躍した小林一茶の句には次のような句がある。
芭蕉は庶民に寄り添い、後述することになろうが、礼儀正しく教養も豊かな人物だった。これが芭蕉の魅力と言ってよい。
松尾芭蕉は伊賀上野(三重県北西部上野盆地)に生まれ、江戸に出て水道工事等に従事していた。むろん、立派な武家の出だが、芭蕉の兄は実質的には百姓をしていた、という。
庶民に寄り添う芭蕉の根っこにこういうものがある。
たとえば、次のような句がある。
行春を 近江の人と おしみける (芭蕉)
いざ子供 昼顔咲かば 瓜剥かん (芭蕉)
それぞれ解釈の仕方により差があるだろうが、琵琶湖の春が過ぎて行くのを惜しみ、子供たちに瓜を剥いて食べようと地元の人々に呼びかける庶民に寄り添う姿勢が感じられる。ところで、幕末近くに活躍した小林一茶の句には次のような句がある。
やせ蛙 負けるな一茶 これにあり (一茶)
雀の子 そこのけそこのけ 御馬が通る (一茶)
これは一茶が庶民に寄り添っての句ではなく、一茶が庶民そのものであった所に根っこがある。つまり、芭蕉のように武家ではなく、農家の子として生まれている。雀の子 そこのけそこのけ 御馬が通る (一茶)
芭蕉は庶民に寄り添い、後述することになろうが、礼儀正しく教養も豊かな人物だった。これが芭蕉の魅力と言ってよい。
人混みに居ると落ち着く盆踊り (桐山芳夫)
(2019年5月19日)
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(2019年5月19日)