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そ の 147 へ
万葉集読解・・・146(2233~2251番歌)
2233 高松のこの峰も狭に笠立てて満ち盛りたる秋の香のよさ
(高松之 此峯迫尓 笠立而 盈盛有 秋香乃吉者)
芳香を詠んだ歌(原文:詠芳)。芳しい香りの歌と思われるが、本歌にしかなく、異例。
「高松」は場所不詳。「狭(せ)に」は「所せまし」という意味。「笠立てて」は、結句に「秋の香のよさ」とあるので、松茸のことと思われる。「高松のこの峰に所狭しと笠をひらいて生えた松茸。辺り一面に満ちあふれた香りのよさ」という歌である。
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万葉集読解・・・146(2233~2251番歌)
2233 高松のこの峰も狭に笠立てて満ち盛りたる秋の香のよさ
(高松之 此峯迫尓 笠立而 盈盛有 秋香乃吉者)
芳香を詠んだ歌(原文:詠芳)。芳しい香りの歌と思われるが、本歌にしかなく、異例。
「高松」は場所不詳。「狭(せ)に」は「所せまし」という意味。「笠立てて」は、結句に「秋の香のよさ」とあるので、松茸のことと思われる。「高松のこの峰に所狭しと笠をひらいて生えた松茸。辺り一面に満ちあふれた香りのよさ」という歌である。
2234 一日には千重しくしくに我が恋ふる妹があたりにしぐれ降れ見む
(一日 千重敷布 我戀 妹當 為暮零礼見)
雨を詠んだ歌。なので、「しくしく」を「我が恋ふる」だけにかけて読むのは不十分。1440番歌に「春雨のしくしく降るに高円の~」とあるように「しきりに」という意味である。「一日(ひとひ)には千重(ちへ)しくしくに」は「一日に幾度も幾度もしきりに」という意味。「恋ふる」と「しぐれ」の両方にかけている。「一日に幾度も幾度もしきりに彼女のことが恋しくてたまらないが、そのようにもしぐれよ、彼女の家のあたりにしきりに降ってくれないか、じっと眺めていたいから」という歌である。左注に「右の一首、柿本朝臣人麻呂の歌集に出ている」とある。
(一日 千重敷布 我戀 妹當 為暮零礼見)
雨を詠んだ歌。なので、「しくしく」を「我が恋ふる」だけにかけて読むのは不十分。1440番歌に「春雨のしくしく降るに高円の~」とあるように「しきりに」という意味である。「一日(ひとひ)には千重(ちへ)しくしくに」は「一日に幾度も幾度もしきりに」という意味。「恋ふる」と「しぐれ」の両方にかけている。「一日に幾度も幾度もしきりに彼女のことが恋しくてたまらないが、そのようにもしぐれよ、彼女の家のあたりにしきりに降ってくれないか、じっと眺めていたいから」という歌である。左注に「右の一首、柿本朝臣人麻呂の歌集に出ている」とある。
2235 秋田刈る旅の廬りにしぐれ降り我が袖濡れぬ干す人なしに
(秋田苅 客乃廬入尓 四具礼零 我袖沾 干人無二)
「旅の廬(いほ)り」とは仮小屋のこと。「稲の刈り入れを行う為に仮小屋に宿っていたら、しぐれが降ってきて、着物の袖が濡れてしまった。干してくれる人もいないのに」という歌である。
(秋田苅 客乃廬入尓 四具礼零 我袖沾 干人無二)
「旅の廬(いほ)り」とは仮小屋のこと。「稲の刈り入れを行う為に仮小屋に宿っていたら、しぐれが降ってきて、着物の袖が濡れてしまった。干してくれる人もいないのに」という歌である。
2236 玉たすき懸けぬ時なし我が恋はしぐれし降らば濡れつつも行かむ
(玉手次 不懸時無 吾戀 此具礼志零者 沾乍毛将行)
「玉たすき」は「かける」にかかる枕詞といってしまえばそれまでだが、単純にそう割り切れない例がある。たとえば1335番歌。「思ひあまりいたもすべなみ玉たすき畝傍の山に我れ標結ひつ」とある。「玉たすき」は「畝傍の山」にかかっている。玉は美称だが、「たすき」は意図的に使用している可能性がある。つまり、単なる決まり文句(枕詞)とは言い切れない所がある。「たすき」は「さあ」という意気込みを示す言葉として使われている気がするのである。「私の恋はなんとか成就しようという、たすき掛けの状態にある。しぐれが降っても、濡れながらでもそのまま進もう」という歌である。こういう決意の歌と取らないと私には歌意が通らない。
(玉手次 不懸時無 吾戀 此具礼志零者 沾乍毛将行)
「玉たすき」は「かける」にかかる枕詞といってしまえばそれまでだが、単純にそう割り切れない例がある。たとえば1335番歌。「思ひあまりいたもすべなみ玉たすき畝傍の山に我れ標結ひつ」とある。「玉たすき」は「畝傍の山」にかかっている。玉は美称だが、「たすき」は意図的に使用している可能性がある。つまり、単なる決まり文句(枕詞)とは言い切れない所がある。「たすき」は「さあ」という意気込みを示す言葉として使われている気がするのである。「私の恋はなんとか成就しようという、たすき掛けの状態にある。しぐれが降っても、濡れながらでもそのまま進もう」という歌である。こういう決意の歌と取らないと私には歌意が通らない。
2237 黄葉を散らすしぐれの降るなへに夜さへぞ寒きひとりし寝れば
(黄葉乎 令落四具礼能 零苗尓 夜副衣寒 一之宿者)
「~なへに」は例によって「~とともに」の意。若干言葉を補って解さないと「しぐれ」と「夜さへぞ寒き」が結びつかない。「寒さで黄葉を散らすしぐれが降っている。が、夜もまた寒さが身に染みる。たった一人で寝ると」という歌である。
(黄葉乎 令落四具礼能 零苗尓 夜副衣寒 一之宿者)
「~なへに」は例によって「~とともに」の意。若干言葉を補って解さないと「しぐれ」と「夜さへぞ寒き」が結びつかない。「寒さで黄葉を散らすしぐれが降っている。が、夜もまた寒さが身に染みる。たった一人で寝ると」という歌である。
2238 天飛ぶや雁の翼の覆ひ羽のいづく漏りてか霜の降りけむ
(天飛也 鴈之翅乃 覆羽之 何處漏香 霜之零異牟)
「霜を詠んだ歌」とあるのでそれを念頭に置く必要がある。分かり難い歌である。「覆(おほ)ひ羽(ば)の」だが、初句に「天飛ぶや」とあるので、素直に解すれば「大空を覆う羽根」という意味である。先ず、歌意だが、「大空を飛ぶ雁。空を覆う羽根のどこが漏れて霜が降りてきたのだろう」という歌である。本歌は雁の大群をモチーフにしているに相違ない。一羽や二羽では「大空を覆う羽根」などとは詠わないだろう。が、空を覆い尽くさんばかりの大群に目を向けると、印象が雁の大群にいき、「霜を詠んだ歌」ではなく「雁を詠んだ歌」とした方がよくなる。歌意は平明なのに題詞が邪魔をして歌を分かり難くしている。それとも、作者の真意は「空を覆い尽くさんばかりの雁の大群でさえとめられない一面に降りた霜」と詠いたかったのであろうか。
(天飛也 鴈之翅乃 覆羽之 何處漏香 霜之零異牟)
「霜を詠んだ歌」とあるのでそれを念頭に置く必要がある。分かり難い歌である。「覆(おほ)ひ羽(ば)の」だが、初句に「天飛ぶや」とあるので、素直に解すれば「大空を覆う羽根」という意味である。先ず、歌意だが、「大空を飛ぶ雁。空を覆う羽根のどこが漏れて霜が降りてきたのだろう」という歌である。本歌は雁の大群をモチーフにしているに相違ない。一羽や二羽では「大空を覆う羽根」などとは詠わないだろう。が、空を覆い尽くさんばかりの大群に目を向けると、印象が雁の大群にいき、「霜を詠んだ歌」ではなく「雁を詠んだ歌」とした方がよくなる。歌意は平明なのに題詞が邪魔をして歌を分かり難くしている。それとも、作者の真意は「空を覆い尽くさんばかりの雁の大群でさえとめられない一面に降りた霜」と詠いたかったのであろうか。
2239 秋山のしたひが下に鳴く鳥の声だに聞かば何か嘆かむ
(金山 舌日下 鳴鳥 音谷聞 何嘆)
本歌から秋相聞歌。2239~2311番歌の73首。
長々と続いてきた秋雑歌からいきなり相聞歌になるのでとまどう。が、相聞歌として読まなければならない。なので「鳴く鳥の声」は彼女の寓意だと見当がつく。「したひ(原文:舌日)」は本歌以外に例がない。「岩波大系本」は「赤く色づくこと」とし、217番長歌の「秋山のしたへる妹~」の例を挙げている。が、「したひ」と「したへる」が同じ動詞からきているとするのは疑問。217番歌の原文は「下部留妹」で「舌部」ではない。私は「舌日下」は「舌のように長く伸びた日差しの下」のことではないかと思う。「舌のように長く伸びた秋の山の日差しのかげで鳥が鳴いている。せめてあの子の声だけでも聞くことが出来たら、どうしてこんなに嘆くことがあろう」という歌である。
(金山 舌日下 鳴鳥 音谷聞 何嘆)
本歌から秋相聞歌。2239~2311番歌の73首。
長々と続いてきた秋雑歌からいきなり相聞歌になるのでとまどう。が、相聞歌として読まなければならない。なので「鳴く鳥の声」は彼女の寓意だと見当がつく。「したひ(原文:舌日)」は本歌以外に例がない。「岩波大系本」は「赤く色づくこと」とし、217番長歌の「秋山のしたへる妹~」の例を挙げている。が、「したひ」と「したへる」が同じ動詞からきているとするのは疑問。217番歌の原文は「下部留妹」で「舌部」ではない。私は「舌日下」は「舌のように長く伸びた日差しの下」のことではないかと思う。「舌のように長く伸びた秋の山の日差しのかげで鳥が鳴いている。せめてあの子の声だけでも聞くことが出来たら、どうしてこんなに嘆くことがあろう」という歌である。
2240 誰ぞかれと我れをな問ひそ九月の露に濡れつつ君待つ我れを
(誰彼 我莫問 九月 露沾乍 君待吾)
「我れをな問ひそ」は「私を問いつめないで下さいな」という意味である。「あの人は誰なのなどと私を問いつめないで下さいな。九月(現在の十月から十一月)の冷たい露に濡れながらあの方を待っている私ですのに」という歌である。
(誰彼 我莫問 九月 露沾乍 君待吾)
「我れをな問ひそ」は「私を問いつめないで下さいな」という意味である。「あの人は誰なのなどと私を問いつめないで下さいな。九月(現在の十月から十一月)の冷たい露に濡れながらあの方を待っている私ですのに」という歌である。
2241 秋の夜の霧立ちわたりおほほしく夢にぞ見つる妹が姿を
(秋夜 霧發渡 <凡>々 夢見 妹形矣)
「おほほしく」は「ぼうっとした様子」。「秋の夜に一面に立ちこめた霧のように、ぼうっとした彼女の姿を夢に見た」という歌である。
(秋夜 霧發渡 <凡>々 夢見 妹形矣)
「おほほしく」は「ぼうっとした様子」。「秋の夜に一面に立ちこめた霧のように、ぼうっとした彼女の姿を夢に見た」という歌である。
2242 秋の野の尾花が末の生ひ靡き心は妹に寄りにけるかも
(秋野 尾花末 生靡 心妹 依鴨)
「尾花が末(うれ)」はススキの穂先のこと。「秋の野に伸びたススキの穂先が風に靡くように、私の心はあの子の方に寄ってしまった」という歌である。
(秋野 尾花末 生靡 心妹 依鴨)
「尾花が末(うれ)」はススキの穂先のこと。「秋の野に伸びたススキの穂先が風に靡くように、私の心はあの子の方に寄ってしまった」という歌である。
2243 秋山に霜降り覆ひ木の葉散り年は行くとも我れ忘れめや
(秋山 霜零覆 木葉落 歳雖行 我忘八)
「年は行くとも」は「年がすぎてゆくけれど」ということ。他は読解不要だろう。「秋の山も霜が降り、一面を覆い、木の葉も散って年がすぎてゆくけれど、あなたのことは忘れようにも忘れられません」という歌である。
左注に「右、柿本朝臣人麻呂の歌集に出ている」とある。ただ「右」とあるだけなので、本歌のみを指すのか、複数の歌を指すのか不明。
(秋山 霜零覆 木葉落 歳雖行 我忘八)
「年は行くとも」は「年がすぎてゆくけれど」ということ。他は読解不要だろう。「秋の山も霜が降り、一面を覆い、木の葉も散って年がすぎてゆくけれど、あなたのことは忘れようにも忘れられません」という歌である。
左注に「右、柿本朝臣人麻呂の歌集に出ている」とある。ただ「右」とあるだけなので、本歌のみを指すのか、複数の歌を指すのか不明。
2244 住吉の岸を田に墾り蒔きし稲のさて刈るまでに逢はぬ君かも
(住吉之 岸乎田尓墾 蒔稲 乃而及苅 不相公鴨)
水田に寄せて(本歌~2251番歌)。住吉は大阪市住吉区のことだろうが、その沿岸部は市街化や埋め立てなどによって変貌を遂げており、岸だけでは特定不可。「田に墾(は)り」は「水田として開拓し」という意味。「(あの人は)住吉の岸を水田として開拓し、稲を蒔いた。次は稲を刈り取る番だが、それまであの人は逢ってくれないつもりでしょうか」という歌である。
(住吉之 岸乎田尓墾 蒔稲 乃而及苅 不相公鴨)
水田に寄せて(本歌~2251番歌)。住吉は大阪市住吉区のことだろうが、その沿岸部は市街化や埋め立てなどによって変貌を遂げており、岸だけでは特定不可。「田に墾(は)り」は「水田として開拓し」という意味。「(あの人は)住吉の岸を水田として開拓し、稲を蒔いた。次は稲を刈り取る番だが、それまであの人は逢ってくれないつもりでしょうか」という歌である。
2245 大刀の後玉纒田井にいつまでか妹を相見ず家恋ひ居らむ
(剱後 玉纒田井尓 及何時可 妹乎不相見 家戀将居)
「大刀の後(たちのしり)」は本歌のほかに1272番旋頭歌の「大刀の後鞘に入野に~」の一例しかなく枕詞(?)とせざるを得ない。「玉纒田井(たままきたゐ)に」は地名その他諸説あるというが、私は、これは「大刀の後鞘に入野に~」と同様、刀の縁語に結びつけた言い方で、刀の柄(つか)に「巻く玉」と稲の「種を蒔く」をかけたものと見る。むろん「田井」は「田」のこと。すなわち「種蒔く田井に」という意味に相違ない。「刀の柄に巻き付ける玉ではないが、種を蒔くのにいつまでかかるのだろう。その間、彼女と顔を合わせないまま家が恋しい」という歌である。
(剱後 玉纒田井尓 及何時可 妹乎不相見 家戀将居)
「大刀の後(たちのしり)」は本歌のほかに1272番旋頭歌の「大刀の後鞘に入野に~」の一例しかなく枕詞(?)とせざるを得ない。「玉纒田井(たままきたゐ)に」は地名その他諸説あるというが、私は、これは「大刀の後鞘に入野に~」と同様、刀の縁語に結びつけた言い方で、刀の柄(つか)に「巻く玉」と稲の「種を蒔く」をかけたものと見る。むろん「田井」は「田」のこと。すなわち「種蒔く田井に」という意味に相違ない。「刀の柄に巻き付ける玉ではないが、種を蒔くのにいつまでかかるのだろう。その間、彼女と顔を合わせないまま家が恋しい」という歌である。
2246 秋の田の穂の上に置ける白露の消ぬべくも我は思ほゆるかも
(秋田之 穂<上>置 白露之 可消吾者 所念鴨)
「消ぬべくも」は「消えてしまいそうに」。「秋の田の稲穂の上に付いている白露が消えてしまいそうなほどあの人のことが思われて切ない」という歌である。
(秋田之 穂<上>置 白露之 可消吾者 所念鴨)
「消ぬべくも」は「消えてしまいそうに」。「秋の田の稲穂の上に付いている白露が消えてしまいそうなほどあの人のことが思われて切ない」という歌である。
2247 秋の田の穂向きの寄れる片寄りに我れは物思ふつれなきものを
(秋田之 穂向之所依 片縁 吾者物念 都礼無物乎)
結句の「つれなきものを」は「(あの人は)つれないけれど」という意味である。「秋の田の稲穂が風にいっせいに片方になびくように私は一心にお慕いしております。あの人はつれないけれど」という歌である。
(秋田之 穂向之所依 片縁 吾者物念 都礼無物乎)
結句の「つれなきものを」は「(あの人は)つれないけれど」という意味である。「秋の田の稲穂が風にいっせいに片方になびくように私は一心にお慕いしております。あの人はつれないけれど」という歌である。
2248 秋田刈る刈廬を作り廬りしてあるらむ君を見むよしもがも
(秋田苅 借廬作 五目入為而 有藍君(口+リ) 将見依毛欲得)
刈廬(かりほ)は稲刈り用の仮小屋。「見むよしもがも」は「逢える術があればなあ」という意味である。「稲刈りのための仮小屋を作ってそこにあなたは寝泊まりしていらっしゃるでしょうが、そのあなたに逢える術があればなあ」という歌である。
(秋田苅 借廬作 五目入為而 有藍君(口+リ) 将見依毛欲得)
刈廬(かりほ)は稲刈り用の仮小屋。「見むよしもがも」は「逢える術があればなあ」という意味である。「稲刈りのための仮小屋を作ってそこにあなたは寝泊まりしていらっしゃるでしょうが、そのあなたに逢える術があればなあ」という歌である。
2249 鶴が音の聞こゆる田居に廬りして我れ旅なりと妹に告げこそ
(鶴鳴之 所聞田井尓 五百入為而 吾客有跡 於妹告社)
結句の「告げこそ」は「告げておくれ」という意味なので、鶴に呼びかけた歌とみていい。「おい鶴よ。お前の声が聞こえる田んぼで仮小屋にいると彼女に告げておくれ」という歌である。
(鶴鳴之 所聞田井尓 五百入為而 吾客有跡 於妹告社)
結句の「告げこそ」は「告げておくれ」という意味なので、鶴に呼びかけた歌とみていい。「おい鶴よ。お前の声が聞こえる田んぼで仮小屋にいると彼女に告げておくれ」という歌である。
2250 春霞たなびく田居に廬つきて秋田刈るまで思はしむらく
(春霞 多奈引田居尓 廬付而 秋田苅左右 令思良久)
「廬(いほ)つきて」は「仮小屋を作って」という意味である。「思はしむらく」は作者自身の心情と妻をおもんばかる心情と二様にとれる。「岩波大系本」等は後者に解している。が、作者自身の心情を吐露するのが歌だと考えている私の目には前者にしか解することができない。「春霞がたなびく頃から仮小屋を作り、秋の刈り入れの時期まで、長い間の仮住まいは妻を思い続けて暮らさねばならない」という歌である。
(春霞 多奈引田居尓 廬付而 秋田苅左右 令思良久)
「廬(いほ)つきて」は「仮小屋を作って」という意味である。「思はしむらく」は作者自身の心情と妻をおもんばかる心情と二様にとれる。「岩波大系本」等は後者に解している。が、作者自身の心情を吐露するのが歌だと考えている私の目には前者にしか解することができない。「春霞がたなびく頃から仮小屋を作り、秋の刈り入れの時期まで、長い間の仮住まいは妻を思い続けて暮らさねばならない」という歌である。
2251 橘を守部の里の門田早稲刈る時過ぎぬ来じとすらしも
(橘乎 守部乃五十戸之 門田年稲 苅時過去 不来跡為等霜)
橘は樹木だが、1009番歌「橘は実さへ花さへその葉さへ枝に霜降れどいや常葉の木」の題詞に「聖武天皇が左大辨葛城王(かつらきのおほきみ)等に姓に橘氏(たちばなのうぢ)を賜った」とあるように栄えある氏の名でもある。守部の里はどこのことか不詳だが、「栄えある里」という意味か?。「守部の里の門前の早稲を刈りとる時も過ぎてしまった。あの人はやって来ないおつもりなのでしょうか」という歌である。
(2015年3月6日記)
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(橘乎 守部乃五十戸之 門田年稲 苅時過去 不来跡為等霜)
橘は樹木だが、1009番歌「橘は実さへ花さへその葉さへ枝に霜降れどいや常葉の木」の題詞に「聖武天皇が左大辨葛城王(かつらきのおほきみ)等に姓に橘氏(たちばなのうぢ)を賜った」とあるように栄えある氏の名でもある。守部の里はどこのことか不詳だが、「栄えある里」という意味か?。「守部の里の門前の早稲を刈りとる時も過ぎてしまった。あの人はやって来ないおつもりなのでしょうか」という歌である。
(2015年3月6日記)