Quantcast
Channel: 古代史の道
Viewing all articles
Browse latest Browse all 1223

言い訳

$
0
0
日々つれづれ-11トップへ
 言い訳というのは、通常、当事者の相手方ないしは第三者に対して行われる行為と理解されている。「言い訳が立たない」(弁解が出来ない)、「言い訳できない」(弁解の余地がない)といった使い方である。が、本当にそうであろうか。圧倒的に多いのは、当事者の相手方ないしは第三者に対するものではなく、誰あろう、自分自身に対する場合ではなかろうか。
 たとえば人と待ち合わせをして時間に遅れた場合、「いやあ、バスに乗り遅れちゃってね」と頭をかきかき弁解する。同時に自分自身に向かって「たまのことだからいいじゃないか」と言い訳してませんか。「次からは遅れないようにしよう」と言い聞かせるのが筋なのに、つい「たまのことだから」と言い訳する。
 遅刻のことだからそれでもいいが、深刻な場合もある。事故って相手を殺傷した場合はどうだろう。事故原因が半々の場合でも、「相手が突っ込んで来なかったら」とか「もう五分早く出発していれば」などと言い訳してませんか。「次からは気を付けよう」などとは思わないのが私たち人間なのでなかろうか。
 厄介なのは研究の成果が出なかったような場合である。「もう少し妻が協力してくれていたら」などと言い訳してませんか。自分自身の着眼点のまずさや努力の足りなさにはなかなか目が向かないのが実態ではなかろうか。自分自身に甘い私ごときが言えた義理ではないが、確実に言えることがある。自分自身に対する言い訳。理由の如何を問わず、言い訳によって決して事態が好転したり進展したりはしないことである。時計の針は決して止まったり逆回転することはない。ひとたび起こったことは百万言を費やして言い訳してみたところでどうにかなるものではない。次には起こさないように、あるいは起きた場合の対処に目を向ける以外に道はないと思うのである。
            (2015年3月7日)
イメージ 1


Viewing all articles
Browse latest Browse all 1223

Trending Articles