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前月、オー・ヘンリーに触発されて一文を弄した。が、同時に触発された作家がもう一人いる。青春時代(二十代)に読んだ作家で衝撃的な出会いと感じた作家である。が、残念なことに作家の名が思い出せなく、今日まで頭の隅っこに引っかかったまま来てしまった。ところが、今朝、まどろみの中で、不意にマンスフィールドの名が浮かんだ。「園遊会」で有名なニュージーランド生まれの女流作家である。翻訳本(文庫)だったが、全編に漂う良質の感性に出会って衝撃を受けた。エミリーブロンテの「嵐が丘」のように、人間の愛憎劇や人生の奥深さが描かれているわけではない。パールバックの「大地」のように、巨大なスケールが広がっているわけでもない。それでいて、私は短編集「園遊会」の持つ感受性の高さ豊かさに衝撃を受けたのである。
いつか原文を読んでじかにその感性に触れてみたいと思いつつ、果たせないまま時が流れ、いつしか作者の名さへ忘れるに至ってしまった。オー・ヘンリーと共に誘発されたキャサリン・マンスフィールド。近々に原文を探し出して読んでみようと思うが、遠い彼方のかすかな記憶によれば、彼女の文章はどの箇所を切り取ってもこれすべて詩であり、こまやかにしてやわらかい感性にあふれている。こんな言い方はどうかと思うが、「生涯に一日一度でいいから、彼女をわが恋人にしてみたい」と思わずにはいられない、そんな作家なのである。私の感性が受け取ったこんな記憶が、記憶通りだったのか否か、じかに確認してみたいと欲しつつある。
「いまさら」だの「老いボケ」だのと揶揄されそうな気もするけれど、この自分自身にマンスフィールドの感性を受け取る力すなわち感性がまだ残存しているかどうか、今から原文に接する日の来ることを楽しみにしている。その結果、その一端なりを本欄にも記してみたい。いつになるか分からないが・・・。
(2015年3月25日)
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前月、オー・ヘンリーに触発されて一文を弄した。が、同時に触発された作家がもう一人いる。青春時代(二十代)に読んだ作家で衝撃的な出会いと感じた作家である。が、残念なことに作家の名が思い出せなく、今日まで頭の隅っこに引っかかったまま来てしまった。ところが、今朝、まどろみの中で、不意にマンスフィールドの名が浮かんだ。「園遊会」で有名なニュージーランド生まれの女流作家である。翻訳本(文庫)だったが、全編に漂う良質の感性に出会って衝撃を受けた。エミリーブロンテの「嵐が丘」のように、人間の愛憎劇や人生の奥深さが描かれているわけではない。パールバックの「大地」のように、巨大なスケールが広がっているわけでもない。それでいて、私は短編集「園遊会」の持つ感受性の高さ豊かさに衝撃を受けたのである。
いつか原文を読んでじかにその感性に触れてみたいと思いつつ、果たせないまま時が流れ、いつしか作者の名さへ忘れるに至ってしまった。オー・ヘンリーと共に誘発されたキャサリン・マンスフィールド。近々に原文を探し出して読んでみようと思うが、遠い彼方のかすかな記憶によれば、彼女の文章はどの箇所を切り取ってもこれすべて詩であり、こまやかにしてやわらかい感性にあふれている。こんな言い方はどうかと思うが、「生涯に一日一度でいいから、彼女をわが恋人にしてみたい」と思わずにはいられない、そんな作家なのである。私の感性が受け取ったこんな記憶が、記憶通りだったのか否か、じかに確認してみたいと欲しつつある。
「いまさら」だの「老いボケ」だのと揶揄されそうな気もするけれど、この自分自身にマンスフィールドの感性を受け取る力すなわち感性がまだ残存しているかどうか、今から原文に接する日の来ることを楽しみにしている。その結果、その一端なりを本欄にも記してみたい。いつになるか分からないが・・・。
(2015年3月25日)