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万葉集読解・・・150(2310~2330番歌)

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     万葉集読解・・・150(2310~2330番歌)
2310  こほろぎの我が床の辺に鳴きつつもとな起き居つつ君に恋ふるに寐ねかてなくに
      (蟋蟀之 吾床隔尓 鳴乍本名 起居管 君尓戀尓 宿不勝尓)
 旋頭歌。「もとな」は「心もとなく」ないしは「しきりに」という意味。結句の「寐(い)ねかてなくに」は「寝ようにも寝られない」という意味。「コオロギが寝床のあたりでしきりに鳴いている。やむなく起きているが、あなたのことが恋しくて寝ようにも寝られません」という歌である。

2311  はだすすき穂には咲き出ぬ恋をぞ我がする玉かぎるただ一目のみ見し人ゆゑに
     (皮為酢寸 穂庭開不出 戀乎吾為 玉蜻 直一目耳 視之人故尓)
 旋頭歌。「はだすすき」は穂がないススキ。「玉かぎる」は枕詞(?)。「玉」は美称。「かぎる」は陽炎。「はだすすきのように、穂になって咲き出ない(尾花にならない)恋に陥っています。ただ一目おみかけしただけの陽炎のような人なのですもの」という歌である。

2312  我が袖に霰た走る巻き隠し消たずてあらむ妹が見むため
      (我袖尓 雹手走 巻隠 不消有 妹為見)
 区分は冬雑歌。2312~2332番歌の21首。
 「霰(あられ)た走る」は「あられが袖をころころ走る」ことを言っている。結句の「妹為見(原文)」は直訳すれば「彼女が見るので」となるが、歌意は「彼女に見せたいから」という意味である。「あられが袖に降りかかってきて、ころころ走り回る。それを袖を巻いて隠し包み、なくならないようにしよう。彼女に見せたいから」という歌である。

2313  あしひきの山かも高き巻向の崖の小松にみ雪降りくる
      (足曳之 山鴨高 巻向之 木志乃子松二 三雪落来)
 「あしひきの」は次次歌ともどもお馴染みの枕詞。奈良県天理駅と桜井駅の途中に巻向駅と三輪駅がある。両駅の東方に三輪山、その東方に巻向山がそびえる。「山かも高き」はちょっとした倒置表現。「高き山かも」と倒置して読むとすっと頭に入ってくる。「巻向山は高い山よな。そのせいでその崖に生える松に雪が降りかかる」という歌である。

2314  巻向の檜原もいまだ雲居ねば小松が末ゆ沫雪流る
      (巻向之 檜原毛未 雲居者 子松之末由 沫雪流)
 前歌に関連した歌か?。檜原(ひばら)は檜の生える原。その向こうに崖があって松が生えている。前歌も本歌もその松に雪が降りかかっている状況を詠んだのだろう。「小松が末(うれ)ゆ」は「松の梢から」という意味。小松は小さな松という意味ではない。一種の美称語。「巻向山の檜の原の辺りにはまだ雪雲がかかていないのに、あの松の梢には雪が降りかかり淡雪が流れてくる」という歌である。

2315  あしひきの山道も知らず白橿の枝もとををに雪の降れれば [或云 枝もたわたわ]
      (足引 山道不知 白牫牱 枝母等乎々尓 雪落者 [或云 枝毛多和々々])
 「山道(やまぢ)も知らず」は「道が分からないほどに」、「枝もとををに」は1595番歌等に詠われているように、「枝がたわむほど」という意味。「道が分からないほどに、また、堅い白橿(シラカシ)の枝がたわむほど雪が降り積もった」という歌である。異伝歌は第四句の「枝もとををに」が「枝もたわたわ」となっている。
 本歌には左注が付いていて、「右は柿本朝臣人麻呂の歌集に登載されている。ただし、或本に本歌は三方沙弥(みかたのさみ)の作と記されている」とある。この左注によれば2312~2315番歌の四首の出典は「柿本人麿歌集」である。

2316  奈良山の嶺なほ霧らふうべしこそ籬が下の雪は消ずけれ
      (奈良山乃 峯尚霧合 宇倍志社 前垣之下乃 雪者不消家礼)
 雪を詠んだ歌。2316~2324番歌。
 奈良山は平城京の北方、京都府井手町にある丘陵地。「うべしこそ」は「なるほどもっともなことだ」という意味。籬(まがき)は柴や竹で作った垣根。「奈良山の嶺は雪ぐもにけむっている。なるほど、我が家の垣根に雪が消え残っているのももっともだ」という歌である。

2317  こと降らば袖さへ濡れて通るべく降りなむ雪の空に消につつ
      (殊落者 袖副沾而 可通 将落雪之 空尓消二管)
 「こと降らば」は「同じ降るなら」。「同じ降るなら袖に舞い降りてきてしみ通るほどに降ればいいのに。雪は降ってくるまでに途中で消えてしまう」という歌である。

2318  夜を寒み朝門を開き出で見れば庭もはだらにみ雪降りたり [一云 庭もほどろに 雪ぞ降りたる]
      (夜乎寒三 朝戸乎開 出見者 庭毛薄太良尓 三雪落有 [一云 庭裳保杼呂尓 雪曽零而有])
 「夜を寒み」の「~み」は「~なので」。「夜中が寒かったので朝戸を開いて庭に出てみたらうっすらと雪が降り積もっていた」という歌である。異伝歌は「はだら」が「ほどろに」となっているが、両者は同意なのでほぼ同意歌。

2319  夕されば衣手寒し高松の山の木ごとに雪ぞ降りたる
      (暮去者 衣袖寒之 高松之 山木毎 雪曽零有)
 「高松の」は地名ととってもいいが、本歌の場合は「高い松が生い茂る」と解してもいいように思われる。「夕方になると着物の袖口が寒い。見ると、山に茂る高い松のどの木にも雪が降っている」という歌である。

2320  我が袖に降りつる雪も流れ行きて妹が手本にい行き触れぬか
      (吾袖尓 零鶴雪毛 流去而 妹之手本 伊行觸<粳>)
 読解不要だろう。「私の着物の袖に雪がふりかかってきたが、この雪が流れていってあの子の手首に降りかからぬものだろうか」という歌である。

2321  淡雪は今日はな降りそ白栲の袖まき干さむ人もあらなくに
      (沫雪者 今日者莫零 白妙之 袖纒将干 人毛不有君)
 「な降りそ」は「な~そ」の禁止形。「白栲(しろたへ)の」は「真っ白な」。「淡雪よ今日は降らないでおくれ。この真っ白な袖を枕にして乾かしてくれる人はいないのだから」という歌である。直訳的にはこれでいいが、「乾かす」というより「氷解する」という意味であろう。

2322  はなはだも降らぬ雪ゆゑこちたくも天つみ空は雲らひにつつ
      (甚多毛 不零雪故 言多毛 天三空者 陰相管)
 「こちたくも」は「仰々しく」。「たいして降りもしない雪なのに仰々しくも空は曇ってきた」という歌である。

2323  我が背子を今か今かと出で見れば淡雪降れり庭もほどろに
      (吾背子乎 且今々々 出見者 沫雪零有 庭毛保杼呂尓)
 「ほどろに」は「うっすらと」(2318番歌参照)。「あの人を今か今かと待ちかねて戸口に出てみたら、庭にうっすらと雪が降り積もっていた」という歌である。

2324  あしひきの山に白きは我が宿に昨日の夕降りし雪かも
      (足引 山尓白者 我屋戸尓 昨日暮 零之雪疑意)
 「山に白きは」は「山が白いのは」。「我が宿に」は「我が家の庭に」という意味である。「山が白いのは、昨夕わが庭に降った雪と同じ雪のせいだろうか」という歌である。

2325  誰が園の梅の花ぞもひさかたの清き月夜にここだ散りくる
      (誰苑之 梅花毛 久堅之 消月夜尓 幾許散来)
 花を詠んだ歌。「ひさかたの」は枕詞。「ここだ」は「しきりに」という意味。「どこの園の梅の花だろう。この清らかな月夜にしきりに散ってくるけれど」という歌である。

2326  梅の花まづ咲く枝を手折りてばつとと名付けてよそへてむかも
      (梅花 先開枝乎 手折而者 褁常名付而 与副手六香聞)
 「つと」は1196番歌に「つともがと乞はば取らせむ~」と詠われて以来久々の用語。手みやげのことである。また、「よそへてむかも」はもう一例、1641番歌に「淡雪に降らえて咲ける梅の花君がり遣らばよそへてむかも」とある。「なぞらえるだろうか」という意味である。つまり「初咲きの梅を手折っておみやげとして差し上げたら私のことと思って下さるでしょうか」という歌である。これを「二人の仲を世間が噂するだろうか」と解する書がある。どこに言(こと)の文字があるのだろう。私には「とんちんかん」な解としか思われない。

2327  誰が園の梅にかありけむここだくも咲きてあるかも見が欲しまでに
      (誰苑之 梅尓可有家武 幾許毛 開有可毛 見我欲左右手二)
 「ここだくも」は「こんなにも」という意味。キーワード゙は結句の「見が欲しまでに」。これを「岩波大系本」は「見たいと思うほどに」、「伊藤本」は「もとの木が見たくなるほどに」、「中西本」は「木を見たいと思うまでに」としている。「盛んに咲いている梅」を眼前に見ているのにどこから「木をみたい」などという解が出てくるのか、まさに「とんちんかん」な解釈。「見が欲しまでに」の主語は梅の木。「見が欲し」すなわち「見てほしい」という意味に相違ない。「誰の園の梅なのだろう。盛んに咲き誇っている。まるでいっぱい見てほしいといわんばかりに」という歌である。

2328  来て見べき人もあらなくに我家なる梅の初花散りぬともよし
      (来可視 人毛不有尓 吾家有 梅<之>早花 落十方吉)
 平明歌。「来て見てくれる人もない我が家の梅の花、初めて咲いて散ってしまったって構わない」という歌である。

2329  雪寒み咲きには咲かぬ梅の花よしこのころはかくてもあるがね
      (雪寒三 咲者不開 梅花 縦比来者 然而毛有金)
 「あるがね」は「~がね」の形で「~かもしれないのだから」という意味である。
 「雪が寒いとて次々咲かぬ梅の花。が、それもよかろう。時期が時期なのだろうから」という歌である。

2330  妹がため上枝の梅を手折るとは下枝の露に濡れにけるかも
      (為妹 末枝梅乎 手折登波 下枝之露尓 沾<尓>家類可聞)
 露を詠んだ歌。上枝(ほつえ)は原文(末枝)からして梢のこと。「手折るとは」は「手折ろうとしては」という意味である。「彼女のために梢の梅を手折ろうとしては下枝(しづえ)の露に濡れてしまう」という歌である。
           (2015年3月24日記)
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