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そ の 161 へ
万葉集読解・・・160(2497~2514番歌)
2497 隼人の名に負ふ夜声のいちしろく我が名は告りつ妻と頼ませ
(早人 名負夜音 灼然 吾名謂 孋恃)
隼人(はやひと)は鹿児島県薩摩半島や大隅半島に根拠を持っていた人々。勇ましいことで知られていた。「名に負ふ」は「その名に恥じない」つまり「有名な」という意味。比喩的序歌。「岩波大系本」の補注に、隼人は宮廷の警備を司り、発生の練習まで行って大声を発していたらしいことが記されている。「私は、あの有名な隼人の夜警の声のように、はっきりとわが名を申しました。後は妻として頼りにして下さいな」という歌である。
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万葉集読解・・・160(2497~2514番歌)
2497 隼人の名に負ふ夜声のいちしろく我が名は告りつ妻と頼ませ
(早人 名負夜音 灼然 吾名謂 孋恃)
隼人(はやひと)は鹿児島県薩摩半島や大隅半島に根拠を持っていた人々。勇ましいことで知られていた。「名に負ふ」は「その名に恥じない」つまり「有名な」という意味。比喩的序歌。「岩波大系本」の補注に、隼人は宮廷の警備を司り、発生の練習まで行って大声を発していたらしいことが記されている。「私は、あの有名な隼人の夜警の声のように、はっきりとわが名を申しました。後は妻として頼りにして下さいな」という歌である。
2498 剣大刀諸刃の利きに足踏みて死なば死なむよ君によりては
(剱刀 諸刃利 足踏 死々 公依)
「剣大刀(つるぎたち)諸刃(もろは)の利きに」であるが、太刀は太刀でも両刃の鋭い刀。「君によりては」は「あなたのためなら」である。「諸刃の鋭い刃に足を踏みつけて死ぬのなら死にもしましょう。あなたのためならば」という歌である。
(剱刀 諸刃利 足踏 死々 公依)
「剣大刀(つるぎたち)諸刃(もろは)の利きに」であるが、太刀は太刀でも両刃の鋭い刀。「君によりては」は「あなたのためなら」である。「諸刃の鋭い刃に足を踏みつけて死ぬのなら死にもしましょう。あなたのためならば」という歌である。
2499 我妹子に恋ひしわたれば剣大刀名の惜しけくも思ひかねつも
(我妹 戀度 劔刀 名惜 念不得)
「恋ひしわたれば」の「~わたれば」はこれまでもときとして用いられているが、「~続ける」という意味である。刃は「な」と読まれるので、剣大刀は「名」を導き出すために用いられている。「思ひかねつも」は「思いも及ばない」である。「彼女に恋い焦がれ続けているので、剣大刀の刃ではないが、自分の名が惜しい(浮き名が立つ)などとは思いも及ばない」という歌である。
(我妹 戀度 劔刀 名惜 念不得)
「恋ひしわたれば」の「~わたれば」はこれまでもときとして用いられているが、「~続ける」という意味である。刃は「な」と読まれるので、剣大刀は「名」を導き出すために用いられている。「思ひかねつも」は「思いも及ばない」である。「彼女に恋い焦がれ続けているので、剣大刀の刃ではないが、自分の名が惜しい(浮き名が立つ)などとは思いも及ばない」という歌である。
2500 朝月の日向黄楊櫛古りぬれど何しか君が見れど飽かざらむ
(朝月 日向黄楊櫛 雖舊 何然公 見不飽)
「朝月の」は日向(ひむか)にかかる枕詞的序歌。「朝の月が日に向かうという、日向産の黄楊櫛(つげぐし)は使い古して古くなりましたが、どうしてあなたは見ても見ても見飽きないのでしょう」という歌である。
(朝月 日向黄楊櫛 雖舊 何然公 見不飽)
「朝月の」は日向(ひむか)にかかる枕詞的序歌。「朝の月が日に向かうという、日向産の黄楊櫛(つげぐし)は使い古して古くなりましたが、どうしてあなたは見ても見ても見飽きないのでしょう」という歌である。
2501 里遠み恋ひうらぶれぬまそ鏡床の辺去らず夢に見えこそ
(里遠 眷浦經 真鏡 床重不去 夢所見与)
「恋ひうらぶれぬ」を「しょげこむ」とか「しおれる」と解する向きがあるが、通常恋は燃え続けるものだと思うので、どこかぴんとこない。結句の「夢に見えこそ」も恋の激しさを示している。なので「うらぶれぬ」は「恋に疲れてしまいます」と解するのが適切かと思う。「夢に見えこそ」は「夢に出てきてほしい」という意味。「あなたの里は遠くてなかなか逢いに行けず、恋に疲れ果ててしまいます。せめて毎日床の辺に置いている手鏡のように、夢にでも毎夜出てきてほしい」という歌である。
(里遠 眷浦經 真鏡 床重不去 夢所見与)
「恋ひうらぶれぬ」を「しょげこむ」とか「しおれる」と解する向きがあるが、通常恋は燃え続けるものだと思うので、どこかぴんとこない。結句の「夢に見えこそ」も恋の激しさを示している。なので「うらぶれぬ」は「恋に疲れてしまいます」と解するのが適切かと思う。「夢に見えこそ」は「夢に出てきてほしい」という意味。「あなたの里は遠くてなかなか逢いに行けず、恋に疲れ果ててしまいます。せめて毎日床の辺に置いている手鏡のように、夢にでも毎夜出てきてほしい」という歌である。
2502 まそ鏡手に取り持ちて朝な朝な見れども君は飽くこともなし
(真鏡 手取以 朝々 雖見君 飽事無)
そのまま口語訳してもいいだろう。「手鏡を毎朝毎朝眺めるのと同様、あの人を毎朝見ているのに見飽きることがありません」という歌である。
(真鏡 手取以 朝々 雖見君 飽事無)
そのまま口語訳してもいいだろう。「手鏡を毎朝毎朝眺めるのと同様、あの人を毎朝見ているのに見飽きることがありません」という歌である。
2503 夕されば床の辺去らぬ黄楊枕何しか汝れが主待ちかたき
(夕去 床重不去 黄楊枕 <何>然汝 主待固)
「夕されば」は「夕方になると」という意味。「黄楊枕(つげまくら)」はツゲで作られた堅い枕。不明瞭なのは「床の辺去らぬ黄楊枕」。いったいどういうことだろう。「黄楊枕はそのまま寝床に置きっぱなし」という意味だろうか。それとも、「黄楊枕は押入から出てきて寝床にやってくる」とでもいうのだろうか。初句の「夕されば」がキーワード。黄楊枕は寝床に置きっぱなしではないのである。夕方になると寝床に持ってこられるのである。誰が持ってくるかと言えば、いうまでもなく作者自身である。夕方になって、部屋の隅っこからか押入の中からか分からないが、運んできて寝床に置くのである。そしてその枕はこれもいうまでもなく、相手の男性の枕である。作者は並べて敷いた寝床に寝るのだが、隣の寝床は空のままである。やや詳細に情景を記したのはほかでもない。結句の「主(ぬし)待ちかたき」という辛い思いをしているのは作者自身だと知ってほしいからである。「夕方になると(隣の)寝床に黄楊枕を用意するのだけれど、その枕の主がなかなかやってこない。どうしてこんなにもあの人を待ち続け難く思うのでしょう」という歌である。
(夕去 床重不去 黄楊枕 <何>然汝 主待固)
「夕されば」は「夕方になると」という意味。「黄楊枕(つげまくら)」はツゲで作られた堅い枕。不明瞭なのは「床の辺去らぬ黄楊枕」。いったいどういうことだろう。「黄楊枕はそのまま寝床に置きっぱなし」という意味だろうか。それとも、「黄楊枕は押入から出てきて寝床にやってくる」とでもいうのだろうか。初句の「夕されば」がキーワード。黄楊枕は寝床に置きっぱなしではないのである。夕方になると寝床に持ってこられるのである。誰が持ってくるかと言えば、いうまでもなく作者自身である。夕方になって、部屋の隅っこからか押入の中からか分からないが、運んできて寝床に置くのである。そしてその枕はこれもいうまでもなく、相手の男性の枕である。作者は並べて敷いた寝床に寝るのだが、隣の寝床は空のままである。やや詳細に情景を記したのはほかでもない。結句の「主(ぬし)待ちかたき」という辛い思いをしているのは作者自身だと知ってほしいからである。「夕方になると(隣の)寝床に黄楊枕を用意するのだけれど、その枕の主がなかなかやってこない。どうしてこんなにもあの人を待ち続け難く思うのでしょう」という歌である。
2504 解き衣の恋ひ乱れつつ浮き真砂生きても我れはありわたるかも
(解衣 戀乱乍 浮沙 生吾 <有>度鴨)
「解(と)き衣(きぬ)の」とは、着物を脱ぐ時結んだ紐を解くからで、要は脱ぎ捨てることをいう。「浮き真砂(まなご)」は「水に浮かんで流れる細かな砂のようにはかない存在」ということだろう。「ありわたるかも」は「そのままあり続ける」という意味である。「脱ぎ捨てた着物のように恋に乱れている。私は水に浮かんで流れる細かな砂のように、生きていてもただそのままはかなく生きているだけ」という歌である。
(解衣 戀乱乍 浮沙 生吾 <有>度鴨)
「解(と)き衣(きぬ)の」とは、着物を脱ぐ時結んだ紐を解くからで、要は脱ぎ捨てることをいう。「浮き真砂(まなご)」は「水に浮かんで流れる細かな砂のようにはかない存在」ということだろう。「ありわたるかも」は「そのままあり続ける」という意味である。「脱ぎ捨てた着物のように恋に乱れている。私は水に浮かんで流れる細かな砂のように、生きていてもただそのままはかなく生きているだけ」という歌である。
2505 梓弓引きてゆるさずあらませばかかる恋にはあはざらましを
(梓弓 引不許 有者 此有戀 不相)
梓弓(あづさゆみ)は引くや張るを導く枕詞。「ゆるさず」は「弓をゆるめない」から「許さない」につないだ序歌。「あの人を受け入れなければ、こんなに苦しい恋に陥ることはなかったのに」という歌である。
(梓弓 引不許 有者 此有戀 不相)
梓弓(あづさゆみ)は引くや張るを導く枕詞。「ゆるさず」は「弓をゆるめない」から「許さない」につないだ序歌。「あの人を受け入れなければ、こんなに苦しい恋に陥ることはなかったのに」という歌である。
2506 言霊の八十の衢に夕占問ふ占正に告る妹は相寄らむ
(事霊 八十衢 夕占問 占正謂 妹相依)
「言霊(ことだま)の八十(やそ)の衢(ちまた)に」は「人々が行き交う四つ辻で噂が飛び交う」というほどの意味である。「夕占(ゆふけ)問ふ」は「自分で自分を占い、神のお告げをきくこと」で、木の葉を指先で弾いたりしたのだろうか。「人々が行き交い噂が飛び交う四つ辻に夕方出向いて恋占いをやってみたら、まさに吉と出て、彼女は私になびいてくれると出たよ」という歌である。
(事霊 八十衢 夕占問 占正謂 妹相依)
「言霊(ことだま)の八十(やそ)の衢(ちまた)に」は「人々が行き交う四つ辻で噂が飛び交う」というほどの意味である。「夕占(ゆふけ)問ふ」は「自分で自分を占い、神のお告げをきくこと」で、木の葉を指先で弾いたりしたのだろうか。「人々が行き交い噂が飛び交う四つ辻に夕方出向いて恋占いをやってみたら、まさに吉と出て、彼女は私になびいてくれると出たよ」という歌である。
2507 玉桙の道行き占に占なへば妹に逢はむと我れに告りつも
(玉桙 路徃占 占相 妹逢 我謂)
「玉桙(たまほこ)の」は道にかかるお馴染みの枕詞。前歌と同様の恋占い。「道に出て恋占いをしてみたら、彼女に逢えるだろうとのお告げが出たよ」という歌である。
(玉桙 路徃占 占相 妹逢 我謂)
「玉桙(たまほこ)の」は道にかかるお馴染みの枕詞。前歌と同様の恋占い。「道に出て恋占いをしてみたら、彼女に逢えるだろうとのお告げが出たよ」という歌である。
2508 すめろぎの神の御門を畏みとさもらふ時に逢へる君かも
(皇祖乃 神御門乎 懼見等 侍従時尓 相流公鴨)
以下、問答歌。「すめろぎの神」とは「神とされる皇祖を仰ぐ神」すなわち天皇のことである。御門は宮殿のこと。「畏(かしこ)みと」は「恐れ多くも」という意味である。「さもらふ」は「伺候する」すなわち「お仕えする」ということである。「あなたは恐れ多くも宮殿にお仕えしている時に出合った人なのよ(だから言動は慎重になさって下さいね)」という歌である。
(皇祖乃 神御門乎 懼見等 侍従時尓 相流公鴨)
以下、問答歌。「すめろぎの神」とは「神とされる皇祖を仰ぐ神」すなわち天皇のことである。御門は宮殿のこと。「畏(かしこ)みと」は「恐れ多くも」という意味である。「さもらふ」は「伺候する」すなわち「お仕えする」ということである。「あなたは恐れ多くも宮殿にお仕えしている時に出合った人なのよ(だから言動は慎重になさって下さいね)」という歌である。
2509 まそ鏡見とも言はめや玉かぎる岩垣淵の隠りたる妻
(真祖鏡 雖見言哉 玉限 石垣淵乃 隠而在?)
「まそ鏡」も「玉かぎる」も枕詞。「岩垣淵の」は「垣根のように岩で囲まれた淵の」すなわち「宮中奥深く」のことである。「(ちらりと目配せした程度だもの)、逢った内に入るだろうか。宮中深く隠(こも)っている妻よ」という歌である。
右二首は問答歌という意味の注記がある。
(真祖鏡 雖見言哉 玉限 石垣淵乃 隠而在?)
「まそ鏡」も「玉かぎる」も枕詞。「岩垣淵の」は「垣根のように岩で囲まれた淵の」すなわち「宮中奥深く」のことである。「(ちらりと目配せした程度だもの)、逢った内に入るだろうか。宮中深く隠(こも)っている妻よ」という歌である。
右二首は問答歌という意味の注記がある。
2510 赤駒の足掻速けば雲居にも隠り行かむぞ袖まけ我妹
(赤駒之 足我枳速者 雲居尓毛 隠徃序 袖巻吾妹)
赤駒(あかごま)は赤毛の馬。「足掻(あがき)速(はや)けば」は「足が速いので」という意味。「袖まけ我妹」ははっきりしないが、「寝床の準備をしておいて」と私は解した。「赤駒の足は速いから雲の中をも走り抜けて行くぞ。寝床の準備をしておいてな」という歌である。
(赤駒之 足我枳速者 雲居尓毛 隠徃序 袖巻吾妹)
赤駒(あかごま)は赤毛の馬。「足掻(あがき)速(はや)けば」は「足が速いので」という意味。「袖まけ我妹」ははっきりしないが、「寝床の準備をしておいて」と私は解した。「赤駒の足は速いから雲の中をも走り抜けて行くぞ。寝床の準備をしておいてな」という歌である。
2511 こもりくの豊泊瀬道は常滑のかしこき道ぞ恋ふらくはゆめ
(隠口乃 豊泊瀬道者 常<滑>乃 恐道曽 戀由眼)
「こもりくの」はすべて泊瀬にかかる典型的な枕詞。泊瀬道(はつせぢ)は奈良県桜井市内の山中の道。語尾の「ゆめ」は「決して」という意味。「泊瀬の山道は滑りやすい恐ろしい道です。恋路とてあまりお急ぎめさるな、決して」という歌である。
(隠口乃 豊泊瀬道者 常<滑>乃 恐道曽 戀由眼)
「こもりくの」はすべて泊瀬にかかる典型的な枕詞。泊瀬道(はつせぢ)は奈良県桜井市内の山中の道。語尾の「ゆめ」は「決して」という意味。「泊瀬の山道は滑りやすい恐ろしい道です。恋路とてあまりお急ぎめさるな、決して」という歌である。
2512 味酒のみもろの山に立つ月の見が欲し君が馬の音ぞする
(味酒之 三毛侶乃山尓 立月之 見我欲君我 馬之<音>曽為)
「味酒(うまさけ)の」は枕詞。「みもろの山」であるが、1093番歌に「三諸のその山なみに子らが手を巻向山は継ぎしよろしも」という形で登場した。その際、初句が4音なのは極めて異例なので「みもろの」と訓じないで「みつもろの」とずべきではないかとし、その三山は三輪山、巻向山、初瀬山と連なる三山のことと解した。歌中に「山なみ」とあることからもそう解した。本歌の「みもろの山」もそれでよかろう。ただし、本歌の場合は固有名詞にこだわる必要はあるまい。「山なみに出てくる月のように早く見たい逢いたいと思うあなたを乗せた馬。その馬が駆ける音がする」という歌である。
右三首も問答歌という注記がある。2510番歌の男の歌に応えた女の歌二首である。
(味酒之 三毛侶乃山尓 立月之 見我欲君我 馬之<音>曽為)
「味酒(うまさけ)の」は枕詞。「みもろの山」であるが、1093番歌に「三諸のその山なみに子らが手を巻向山は継ぎしよろしも」という形で登場した。その際、初句が4音なのは極めて異例なので「みもろの」と訓じないで「みつもろの」とずべきではないかとし、その三山は三輪山、巻向山、初瀬山と連なる三山のことと解した。歌中に「山なみ」とあることからもそう解した。本歌の「みもろの山」もそれでよかろう。ただし、本歌の場合は固有名詞にこだわる必要はあるまい。「山なみに出てくる月のように早く見たい逢いたいと思うあなたを乗せた馬。その馬が駆ける音がする」という歌である。
右三首も問答歌という注記がある。2510番歌の男の歌に応えた女の歌二首である。
2513 鳴る神の少し響みてさし曇り雨も降らぬか君を留めむ
(雷神 小動 刺雲 雨零耶 君将留)
「鳴る神の少し響(とよ)みて」は「少しでもいいから雷が鳴って」という意味。「少しでもいいから雷が鳴り、曇り空になって雨でも降らないかしら。そうすればあなたを引き留められるのに」という歌である。
(雷神 小動 刺雲 雨零耶 君将留)
「鳴る神の少し響(とよ)みて」は「少しでもいいから雷が鳴って」という意味。「少しでもいいから雷が鳴り、曇り空になって雨でも降らないかしら。そうすればあなたを引き留められるのに」という歌である。
2514 鳴る神の少し響みて降らずとも我は留まらむ妹し留めば
(雷神 小動 雖不零 吾将留 妹留者)
前歌に応えた即興歌であろう。「少しでもいいから雷が鳴れば、雨が降らなくたって私は留まるよ。彼女が引き留めさえすれば」という歌である。
右二首も問答歌という注記がある。
(2015年5月12日記)
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(雷神 小動 雖不零 吾将留 妹留者)
前歌に応えた即興歌であろう。「少しでもいいから雷が鳴れば、雨が降らなくたって私は留まるよ。彼女が引き留めさえすれば」という歌である。
右二首も問答歌という注記がある。
(2015年5月12日記)