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万葉集読解・・・165(2606~2625番歌)

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     万葉集読解・・・165(2606~2625番歌)
2606  人目多み常かくのみしさもらはばいづれの時か我が恋ひずあらむ
      (人目多 常如是耳志 候者 何時 吾不戀将有)
 「人目多み」は「~ので」の「み」、「さもらはば」は「様子を窺っていると」という意味である。「我が恋ひずあらむ」の原文は「吾不戀将有」と「不」の字がついているので、つい「恋しくならないようになろうか」ととりたくなるが、本歌の場合は反語表現。「人目が多いのでいつもこんなふうに様子を窺っていたら、いつになったら私は恋い焦がれないでいられようぞ」という歌である。

2607  敷栲の衣手離れて我を待つとあるらむ子らは面影に見ゆ
      (敷細之 衣手可礼天 吾乎待登 在濫子等者 面影尓見)
 「子らは」の「ら」は複数ではなく、「親しい者」につける「ら」。「床の上で着物の袖を交わさない日々が続き、きっと私を待っているあの子の面影がちらついて見える」という歌である。

2608  妹が袖別れし日より白栲の衣片敷き恋ひつつぞ寝る
      (妹之袖 別之日従 白細乃 衣片敷 戀管曽寐留)
 「妹が袖別れし日より」は「彼女と袖を交わした日以来」ということだが、「共寝せし」と言わないところが万葉歌らしい。「白栲(しろたへ)の衣(ころも)」は「真っ白な着物」のことである。「片敷き」は「自分の着物一枚だけを敷いて」という意味である。「彼女と袖を交わした日以来、真っ白なわが着物だけを敷いて恋いつつ寝ています」という歌である。

2609  白栲の袖はまゆひぬ我妹子が家のあたりをやまず振りしに
      (白細之 袖者間結奴 我妹子我 家當乎 不止振四二)
 「まゆひぬ」は「ほつれてしまった」という意味である。他は平明歌。「白栲の袖はほつれてしまった。彼女の家のあたりをやむことなく振り続けたので」という歌である。

2610  ぬばたまの我が黒髪を引きぬらし乱れてさらに恋ひわたるかも
      (夜干玉之 吾黒髪乎 引奴良思 乱而反 戀度鴨)
 「ぬばたまの」はお馴染みの枕詞。「引きぬらし」は「引きほどいて」という意味。「乱れてさらに」は「(引きほどいた髪が)乱れてさらになお」ということで、妖艶な情感を詠っている。「我が黒髪を引きほどいて乱れた髪にさらになお、あなたを恋続けてやまない私です」という歌である。

2611  今さらに君が手枕まき寝めや我が紐の緒の解けつつもとな
      (今更 君之手枕 巻宿米也 吾紐緒乃 解都追本名)
 「寝めや」は反語。「寝ることがありましょうか」という意味。「解けつつもとな」は「わけもなくほどける」ということ。「今さらあなたの手枕をして寝ることがありましょうか。なのに私の着物の紐の緒はわけもなくほどけてしまいます」という歌である。

2612  白栲の袖触れてしや我が背子に我が恋ふらくはやむ時もなし
      (白細布<乃> 袖觸而夜 吾背子尓 吾戀落波 止時裳無)
 「袖触れてしや」は「袖を交わして以来」という意味である。他は平明歌。「白栲の袖を交わして以来、あの方に私は恋して止むときはありません」という歌である。

2613  夕占にも占にも告れる今夜だに来まさぬ君をいつとか待たむ
      (夕卜尓毛 占尓毛告有 今夜谷 不来君乎 何時将待)
 「夕占(ゆふけ)にも占(うら)にも告(の)れる」は「夕占にも他の占いにもお告げがあった」という意味である。「夕占や他の占にもお告げがあった今夜でさえいらっしゃらないあなた様を、いつになったらいらっしゃるとお待ちしていればよろしいのでしょう」という歌である。

2614  眉根掻き下いふかしみ思へるにいにしへ人を相見つるかも
      (眉根掻 下言借見 思有尓 去家人乎 相見鶴鴨)
 「眉根掻き」は眉根を掻きたくなると、逢いたい人に逢えるという俗信があった。「下いふかしみ」だが、「下」は下心で、内心という意味である。「いふかしみ」は「訝しい」ということ。「眉根を掻きたくなったので、内心訝しく思っていたら、昔の人と逢いました」という歌である。
 本歌には「或る本の歌に言う」として次のような異伝歌が掲載されている。
  ○ 眉根掻き誰をか見むと思ひつつ日長く恋ひし妹に逢へるかも
(眉根掻 誰乎香将見跡 思乍 氣長戀之 氣長戀之)
 「眉根を掻きたくなったので、誰かに逢う兆しなのかなと思っていたら、長らく恋い焦がれていた彼女に逢ったよ」という歌である。
 さらに「一書(あるふみ)に言う」として次のような異伝歌が掲載されている。
   ○ 眉根掻き下いふかしみ思へりし妹が姿を今日見つるかも
(眉根掻 下伊布可之美 念有之 妹之容儀乎 今日見都流香裳)
 「眉根を掻きたくなったので、内心訝しく思っていたら、昔思っていた彼女の姿を今日見かけたよ」という歌である。

2615  敷栲の枕をまきて妹と我れと寝る夜はなくて年ぞ経にける
      (敷栲乃 枕巻而 妹与吾 寐夜者無而 年曽經来)
 「寝る夜はなくて」は「寝る機会がなくて」と解すると分かりやすい。「敷栲の枕をまきあって彼女と私は寝る機会がなくて、とうとう年が経ってしまった」という歌である。

2616  奥山の真木の板戸を音早み妹があたりの霜の上に寝ぬ
      (奥山之 真木<乃>板戸乎 音速見 妹之當乃 <霜>上尓宿奴)
 「奥山の真木の板戸を」は逐次的解釈をすると「山奥から切り出した立派な木で出来ている板戸を」となるが、「その板戸を」くらいの意味である。「音早み」は「音が激しいので」。相似した「早み」の例に1458番歌に「やどにある桜の花は今もかも松風早み地に散るらむ」とある。「板戸の音が激しいので、彼女の家のあたりの霜の上に寝た」という歌である。

2617  あしひきの山桜戸を開け置きて我が待つ君を誰れか留むる
      (足日木能 山櫻戸乎 開置而 吾待君乎 誰留流)
 「あしひきの」はお馴染みの枕詞。「誰れか留むる」は面白い言い方。「誰か引き留めているのかしら」という意味。「山桜戸を開けたままにしてあの方を待っているのだけれど、なかなかやってこないのは、誰か引き留めているのかしら」という歌である。

2618  月夜よみ妹に逢はむと直道から我れは来つれど夜ぞ更けにける
      (月夜好三 妹二相跡 直道柄 吾者雖来 夜其深去来)
 「月夜よみ」は原文だと「月夜好三」なのでこちらの方がよくわかる。すなわち「月夜が好いので」の意。「美しい月夜なので、彼女に少しでも早く逢おうと、真っ直ぐの道をやってきたのだが、夜が更けてしまった」という歌である。

2619  朝影に我が身はなりぬ韓衣裾のあはずて久しくなれば
      (朝影尓 吾身者成 辛衣 襴之不相而 久成者)
 本歌から物に寄せて思いを陳べる歌。
 「朝影に我が身はなりぬ」は2394番歌にもある。朝影は「朝日にあたって長く伸びた影」すなわち「朝影のように私はやせ細ってしまった」という意味。「あはずて」は「裾が合わず」と「彼女に逢わず」をかけている。「朝影のように私はやせ細ってしまった。なかなか裾の合わない韓衣(からごろも)のように彼女に逢わない日々が続いて久しくなったので」という歌である。

2620  解き衣の思ひ乱れて恋ふれどもなぞ汝がゆゑと問ふ人もなき
      (解衣之 思乱而 雖戀 何如汝之故跡 問人毛無)
 この歌は2969番歌と重出。「なぞ汝がゆゑと」は「なぜお前さんは苦しんでいるのだと」という意味である。「ほどいた着物のように、思い乱れて恋い焦がれているのに、なぜお前さんは苦しんでいるのだと訊いてくれる人もいない」という歌である。

2621  摺り衣着りと夢に見つうつつにはいづれの人の言か繁けむ
      (摺衣 著有跡夢見津 寤者 孰人之 言可将繁)
「摺り衣着りと夢に見つ」でいったん切れる。「摺(す)り衣(ごろも)」は「摺り染めの着物」という意味。「着(け)り」は「着あり」の約。「摺り染めの着物を着ている自分の夢を見た。が現実にはどこのどなたと噂になることでしょう」という歌である。

2622  志賀の海人の塩焼き衣なれぬれど恋といふものは忘れかねつも
      (志賀乃白水郎之 塩焼衣 雖穢 戀云物者 忘金津毛)
 志賀(しか)は福岡県の志賀島のことか?。が、志賀は他にもあり、ここは漁師を代表的に言ったものか。「なれぬれど」は「なれ汚れるように」で、「親しく慣れ親しんでも」にかけている。「志賀の海人の塩焼く作業衣のようになれくたぶれて、慣れ親しんでも恋というのはいつまで経っても忘れられない」という歌である。

2623  紅の八塩の衣朝な朝な馴れはすれどもいやめづらしも
      (呉藍之 八塩乃衣 朝旦 穢者雖為 益希将見裳)
 「八塩(やしほ)の」の「八」は「数多く」、「塩」は「染める」という意味。結句の「いやめづらしも」は「かわいい」とか「心ひかれる」と訳されている。まちがいではないが、「新鮮」と解したい。「数多く染めた紅の着物を朝な朝な着て慣れ親しんだものの、それでもあなたはいや新鮮だ」という歌である。

2624  紅の深染めの衣色深く染みにしかばか忘れかねつる
      (紅之 深染衣 色深 染西鹿齒蚊 遺不得鶴)
 このまま約しても差し支えないだろう。「紅の深染めの着物、色深く染みついたあなたの色は忘れようがありません」という歌である。

2625  逢はなくに夕占を問ふと幣に置くに我が衣手はまたぞ継ぐべき
      (不相尓 夕卜乎問常 幣尓置尓 吾衣手者 又曽可續)
 「幣(ぬさ)に置くに」だが、「幣」は「神への供え物」。夕占(ゆふけ)をするための行為だから何かを備えたものだろう。ところが、すぐ続いて「我が衣手(ころもで)は」とあるので、「袖を切り落としたのだろう」というのが「岩波大系本」以下各書の解釈である。が、歌はいったん「幣に置くに」で切れている。幣に置くのが「我が衣手」ならなぜ字余りにしてまで「幣に置くに」と「に」が入っているのだろう。「幣に置く」と後句につなげないと意味をなさない。「我が衣手はまたぞ継ぐべき」は神様に対する願い事なのである。「逢ってくれないので、夕占を問おうと供え物(金品)を置いた。私の着物の袖はまた彼女と交わせるようにと」という歌である。
           (2015年6月7日記)
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