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Channel: 古代史の道
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佐久島に移住

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 都会から島内に移住する人もいる。これは愛知県佐久島の話である。知多半島の日間賀島や篠島などと異なって、交通の便が悪い。島に渡るには名古屋から離れた一色町に行って渡らなければならない。取り立てて観光資源もない。が、その代わり、日本の原風景と呼ぶに相応しい瓦屋根に埋め尽くされた集落を始め、都市化されていない地味なたたずまいを見せている。
 だが、そんな島にも都会から移住して、居酒屋を始めた一家がいた。ラクダを飼育し、花や野菜を作ってひっそり暮らしていた。おそらく経営的には成り立たないだろう。私が訪島した平成20年頃には320人ほどしか住んでいない島だ。
 が、これはまだ不便とはいえまだ都市に近い島の例だ。東京から山奥の過疎の地にわざわざ移住する若者もいるのだ。老齢化いちじるしい過疎の村に・・・。彼らは地元の人々にとけ込み、受け入れられている。これはテレビで見た例だが、移住する前は華やかなIT産業に従事していて、将来有望な若者とみなされていた。それをきっぱりと手を切り、過疎の村に一家で移住し、温室ハウスに打ち込んでいるという。
 老齢化いちじるしい過疎の村になぜわざわざ移住するのだろう。前回紹介した島内に留まり続け、答志島で一生を送る人とは反対のケースだ。人間何が幸せで何が不幸せなのか分からない。総理大臣までやった人も、身をしりぞいたら、四十八カ所の寺の巡礼に出て居る人もいると聞く。陶芸に打ち込んでいる人もいる。
 私はこういうことを考えていて、豊臣秀吉が残したとされる辞世の句を思い出した。秀吉は自分の人生を振り返って次のような歌を残したという。
   露と落ち露と消えにし我が身かな浪花の事は夢のまた夢
          (2015年6月9日)
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