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古代日本、それはいうまでもなく、人々が日本の原風景の中に溶け込んで生活していた。木造ないし茅葺きの家に住み、冬は薪をくべて暖をとっていた。ネズミが走り回り、青大将が天井をはい回っていた。一歩、外に出ると、蝶が舞い、赤トンボが飛び回っていた。むろん、蛾や蚊の類も飛び回り、蚤や虱も跋扈していた。夜になると、せせらぎや蛙の声が聞こえ、コオロギやスズムシの鳴き声が聞こえてきた。ツバメが軒下に巣を作り、池には亀がいて、鴨等の水鳥が泳ぎ回っていた。
古代日本から延々と続く日本の原風景は、つい半世紀余前までは普通に見られた。すなわち、今でも離島に足を運べば、決して珍しくない風景である。それが一変するのは、ここ半世紀余なのだ。車が飛び交い、高僧ビルが立ち並び、マンションが林立する。
つまり、こういうことである。一千年も、否、二千年も、ほぼ目立った変化もなかった日本の原風景。それが、ほぼ一瞬と言って良い、ここ半世紀余という短期間に、激変したのである。この未曾有の激変はいつまで続くのだろう。今後半世紀の間には考えられない世界が現出するに相違ない。私にはIT技術の進展と軌を一にして自動ロボットの飛躍的進展が透けて見える。人間に代わって働くロボットである。それも、これまでと異なるのは、ロボット自らが考え、ロボット自らが判断して処理する、ある意味、人間以上の思考力と判断力を備えたロボットの誕生である。そこから先は、決して考えたくないが、ひとたび敵とみなした者への攻撃である。つまり、ロボットとロボットとの戦い、代理戦争の勃発である。ロボット自らロボットを作れば際限がない。制御は人間様が持つなどと安心してはいけない。人の手を離れるよう設計されたロボットがひとたびできてしまえば、ジ、エンドだ。日本の原風景の中に溶け込んでいた人間があっという間に危機に陥る。そんな未来像は決してこないと信じたいのであるが・・。
(2015年6月28日)
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古代日本、それはいうまでもなく、人々が日本の原風景の中に溶け込んで生活していた。木造ないし茅葺きの家に住み、冬は薪をくべて暖をとっていた。ネズミが走り回り、青大将が天井をはい回っていた。一歩、外に出ると、蝶が舞い、赤トンボが飛び回っていた。むろん、蛾や蚊の類も飛び回り、蚤や虱も跋扈していた。夜になると、せせらぎや蛙の声が聞こえ、コオロギやスズムシの鳴き声が聞こえてきた。ツバメが軒下に巣を作り、池には亀がいて、鴨等の水鳥が泳ぎ回っていた。
古代日本から延々と続く日本の原風景は、つい半世紀余前までは普通に見られた。すなわち、今でも離島に足を運べば、決して珍しくない風景である。それが一変するのは、ここ半世紀余なのだ。車が飛び交い、高僧ビルが立ち並び、マンションが林立する。
つまり、こういうことである。一千年も、否、二千年も、ほぼ目立った変化もなかった日本の原風景。それが、ほぼ一瞬と言って良い、ここ半世紀余という短期間に、激変したのである。この未曾有の激変はいつまで続くのだろう。今後半世紀の間には考えられない世界が現出するに相違ない。私にはIT技術の進展と軌を一にして自動ロボットの飛躍的進展が透けて見える。人間に代わって働くロボットである。それも、これまでと異なるのは、ロボット自らが考え、ロボット自らが判断して処理する、ある意味、人間以上の思考力と判断力を備えたロボットの誕生である。そこから先は、決して考えたくないが、ひとたび敵とみなした者への攻撃である。つまり、ロボットとロボットとの戦い、代理戦争の勃発である。ロボット自らロボットを作れば際限がない。制御は人間様が持つなどと安心してはいけない。人の手を離れるよう設計されたロボットがひとたびできてしまえば、ジ、エンドだ。日本の原風景の中に溶け込んでいた人間があっという間に危機に陥る。そんな未来像は決してこないと信じたいのであるが・・。
(2015年6月28日)