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一昨日、よい天候に恵まれて、光通寺(こうつうじ)に出かけた。実は慶永寺
という所に出かけたのだが、一方通行の裏道に当たっていて、探し当てるのにひと苦労した。やっと探し当てたと思ったら、生憎門が閉ざされていた。急遽遙か北方、庄内川を越えた比良にある光通寺に出かけた。が、ここも分かり難い場所にあって、探し当てるのに苦労した。むろん、両寺ともかねて名刹として私が書き留めておいた寺である。
眼の方はまだ万全とまではいかなかったが、長らく蟄居のような形で大人しくしていたが、苛々がつのり、出かけた次第である。
さて、光通寺は織田氏の家臣であった佐々成宗が築城した比良城の跡地に創建された寺で、いわば佐々氏ゆかりの寺である。その子に後に富山城主となる高名な武将、佐々成政(ささなりまさ)がいる。こうした背景を掻き出せばきりがなく、随筆で扱う問題ではないので、ここでやめておくが、本寺のご本尊は十一面観世音菩薩、開祖は養源育大和尚である。 が、こうした知識面より私にとって大切なことは、こうして苦労して探し当てたその喜びである。元気を取り戻しつつあるこの私自身がうれしいのである。
こうして探し当てた佐々氏ゆかりの寺が、一体何の役に立つのか、とさんざん聞かされた疑問にまともに答えられない。これまで見聞してきた、野鳥、神社、寺、さらに英会話も囲碁も、ただ、好きでやっただけなのだが、いわば何の役に立つなどと考えたこともない。が、今になって、万葉集の読解に血肉となって息づいていると感じざるを得ない。英会話なども外国とやりとりする部署にたまたま配属されて十分仕事に役だった経験がある。けれども、そんなことより何より、自分が苦労して探し当てたことが無性に楽しかったのである。そして探し当てた光通寺の本堂は思いがけず、立派でまだ真新しかった。健康っていいですね。
(2015年9月7日)
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一昨日、よい天候に恵まれて、光通寺(こうつうじ)に出かけた。実は慶永寺
という所に出かけたのだが、一方通行の裏道に当たっていて、探し当てるのにひと苦労した。やっと探し当てたと思ったら、生憎門が閉ざされていた。急遽遙か北方、庄内川を越えた比良にある光通寺に出かけた。が、ここも分かり難い場所にあって、探し当てるのに苦労した。むろん、両寺ともかねて名刹として私が書き留めておいた寺である。
眼の方はまだ万全とまではいかなかったが、長らく蟄居のような形で大人しくしていたが、苛々がつのり、出かけた次第である。
さて、光通寺は織田氏の家臣であった佐々成宗が築城した比良城の跡地に創建された寺で、いわば佐々氏ゆかりの寺である。その子に後に富山城主となる高名な武将、佐々成政(ささなりまさ)がいる。こうした背景を掻き出せばきりがなく、随筆で扱う問題ではないので、ここでやめておくが、本寺のご本尊は十一面観世音菩薩、開祖は養源育大和尚である。 が、こうした知識面より私にとって大切なことは、こうして苦労して探し当てたその喜びである。元気を取り戻しつつあるこの私自身がうれしいのである。
こうして探し当てた佐々氏ゆかりの寺が、一体何の役に立つのか、とさんざん聞かされた疑問にまともに答えられない。これまで見聞してきた、野鳥、神社、寺、さらに英会話も囲碁も、ただ、好きでやっただけなのだが、いわば何の役に立つなどと考えたこともない。が、今になって、万葉集の読解に血肉となって息づいていると感じざるを得ない。英会話なども外国とやりとりする部署にたまたま配属されて十分仕事に役だった経験がある。けれども、そんなことより何より、自分が苦労して探し当てたことが無性に楽しかったのである。そして探し当てた光通寺の本堂は思いがけず、立派でまだ真新しかった。健康っていいですね。
(2015年9月7日)