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同じことなのかも知れないが、とかく人は自分が一番正しいと思いがちである。あるいはとかく自分のことを自慢したがる。前者と後者の根本的な差は前者は他者に対し押しつけがましくなりがちだ。これに対し、自慢の方は当人がそう思っているだけで、他者に対しては何の力にもならない点である。こんな風に両者は似て非なるものだ。
さて、自慢の方は聞いていてあまり感じのいいものではない。が、罪がないといえばこの自慢の方である。人が感心するか否かは人が決めることなので、自慢自体に決定力はない。「そう思いたければどうぞ」の世界なのである。
ところが前者の場合は事情が異なる。当人は自説こそ最良と思っているので自然に押しつけがましくなる。「そう思いたければどうぞ」といっていえないことはないが、信念だとすると「そう思いたければどうぞ」と言っていられなくなる。政治家と呼ばれる人々にこの傾向がみられる。あるいは宗教家といった人々にもこの傾向が強いかも知れない。
そうだとすると、厄介なのは反対や矛盾点を示してもなかなか受け入れてもらえないことである。何しろ、自分が一番正しいと思っている相手なのである。この意味で、他者に対しては押しつけがましくなりがちであり、それだけ罪もまた大きいと言わなければならない。自由人をもって任ずる私のような人間からみると、出来れば主張や信念ではなく、自慢にとどめていただきたいと思う。もっとも、自慢の方は「そう思いたければどうぞ」の世界なので少しも感じはよくない。一種の(否、完全にか)ナルシシズムの世界なので聞きづらい。
とかく人が陥りやすい自説絶対や自慢の世界は、かくて相対的にあまり感じのいいものではない。これに鑑み、自らは自説絶対や自慢の世界に陥らないようにしたいものである。
(2015年9月13日)
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同じことなのかも知れないが、とかく人は自分が一番正しいと思いがちである。あるいはとかく自分のことを自慢したがる。前者と後者の根本的な差は前者は他者に対し押しつけがましくなりがちだ。これに対し、自慢の方は当人がそう思っているだけで、他者に対しては何の力にもならない点である。こんな風に両者は似て非なるものだ。
さて、自慢の方は聞いていてあまり感じのいいものではない。が、罪がないといえばこの自慢の方である。人が感心するか否かは人が決めることなので、自慢自体に決定力はない。「そう思いたければどうぞ」の世界なのである。
ところが前者の場合は事情が異なる。当人は自説こそ最良と思っているので自然に押しつけがましくなる。「そう思いたければどうぞ」といっていえないことはないが、信念だとすると「そう思いたければどうぞ」と言っていられなくなる。政治家と呼ばれる人々にこの傾向がみられる。あるいは宗教家といった人々にもこの傾向が強いかも知れない。
そうだとすると、厄介なのは反対や矛盾点を示してもなかなか受け入れてもらえないことである。何しろ、自分が一番正しいと思っている相手なのである。この意味で、他者に対しては押しつけがましくなりがちであり、それだけ罪もまた大きいと言わなければならない。自由人をもって任ずる私のような人間からみると、出来れば主張や信念ではなく、自慢にとどめていただきたいと思う。もっとも、自慢の方は「そう思いたければどうぞ」の世界なので少しも感じはよくない。一種の(否、完全にか)ナルシシズムの世界なので聞きづらい。
とかく人が陥りやすい自説絶対や自慢の世界は、かくて相対的にあまり感じのいいものではない。これに鑑み、自らは自説絶対や自慢の世界に陥らないようにしたいものである。
(2015年9月13日)