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最近私はしきりに原点復帰を求めている。原点復帰とはふるさとのことなのだが、私は名古屋で生まれ、岐阜県笠原町で幼少期を過ごした。名古屋のことはほとんど記憶にないので、実質的には笠原町ということになる。が、私の言う原点復帰は精神上のふるさとである。小林一茶は「われと来て遊べや親のない雀」と後年になって作句している。自分の子供の頃を思い出しての句とされている。原点復帰の一種である。私の場合は具体的には香川県小豆島である。
小豆島との縁は香川県庁に勤めさせていただいたことに始まる。仕事柄小豆島の役場と関係をもち、しばしば訪れることになった。最初に訪島したのはそれを遡る数年前、20代の前半。感受性の高かった私は、小豆島全体の雰囲気に衝撃を受けた。オリーブ、寒霞渓、ことごとくが私を引きつけてやまなかった。小豆島で宿をとり、遠い沖に目をやりながら、短歌の道に進もうかなどと考えた。むろん、貧乏で才能もない私には進める道ではなかった。ところが、最近になってしきりに原点復帰を求め出したのだ。当時の風景や心情を思い起こして疼いている。
遠ざかる沖船眺め行く末を思い描きしオリーブの宿
柿の実や船がゆくゆく定めなくいずこを指して飛ぶ白かもめ
行く末を不安に思い福田港眼前の島も遠くに見ゆる
当時を思い出して今作歌した歌である。ほんのいっときだけの懐旧(原点復帰)なのか、あるいは本格的に時間を割いて次々と作歌に至る前触れなのか判然としない。もしも本格的な原点復帰なら史上最高齢の歌人となるかも知れない。まさか、そんなことある筈もない。ただ、青年時代の夢を思い出すことは私に限らず誰にも出来ることに相違ない。それもまたこの世に自分が生きている証拠に相違ない。
(2015年10月21日)
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最近私はしきりに原点復帰を求めている。原点復帰とはふるさとのことなのだが、私は名古屋で生まれ、岐阜県笠原町で幼少期を過ごした。名古屋のことはほとんど記憶にないので、実質的には笠原町ということになる。が、私の言う原点復帰は精神上のふるさとである。小林一茶は「われと来て遊べや親のない雀」と後年になって作句している。自分の子供の頃を思い出しての句とされている。原点復帰の一種である。私の場合は具体的には香川県小豆島である。
小豆島との縁は香川県庁に勤めさせていただいたことに始まる。仕事柄小豆島の役場と関係をもち、しばしば訪れることになった。最初に訪島したのはそれを遡る数年前、20代の前半。感受性の高かった私は、小豆島全体の雰囲気に衝撃を受けた。オリーブ、寒霞渓、ことごとくが私を引きつけてやまなかった。小豆島で宿をとり、遠い沖に目をやりながら、短歌の道に進もうかなどと考えた。むろん、貧乏で才能もない私には進める道ではなかった。ところが、最近になってしきりに原点復帰を求め出したのだ。当時の風景や心情を思い起こして疼いている。
遠ざかる沖船眺め行く末を思い描きしオリーブの宿
柿の実や船がゆくゆく定めなくいずこを指して飛ぶ白かもめ
行く末を不安に思い福田港眼前の島も遠くに見ゆる
当時を思い出して今作歌した歌である。ほんのいっときだけの懐旧(原点復帰)なのか、あるいは本格的に時間を割いて次々と作歌に至る前触れなのか判然としない。もしも本格的な原点復帰なら史上最高齢の歌人となるかも知れない。まさか、そんなことある筈もない。ただ、青年時代の夢を思い出すことは私に限らず誰にも出来ることに相違ない。それもまたこの世に自分が生きている証拠に相違ない。
(2015年10月21日)