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Channel: 古代史の道
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老成2

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 前回、老成について記した。具体的な例を有名作品から見つけようかと思ったが、それらしいものはなかなか見いだせない。それもその筈、そうした代表作品群は、各作家や詩歌人がもっとも集中力の高い、ある意味では老成とは反対の最活躍期に生み出されているからである。石川啄木 金子みすず、樋口一葉、小林多喜二、新美南吉といった20代で夭折した人々を除くと大部分が30代、40代の現代的な感覚で見れば、壮年期に発表している。たとえば高名な芭蕉の「奥の細道」、若いころにはとてつもない年長の人に見えたが、46歳頃の発表だ。斎藤茂吉の{あらたま」は39歳頃だ。井原西鶴の「好色一代男」や「好色一代女」は40代前半だ。そもそも、大変な年長者に見えた夏目漱石の絶筆「明暗」は49歳だ。川端康成の「雪国」も38歳ごろという今の私から見れば信じがたい若さで作品を完成させている。つまり、老境だの老成だのと語られる年代ではない。
 60代になってからの代表作はほとんどない。志賀直哉の「暗夜行路」は16年ほどの歳月をかけて完成させているが、それでもその完成は50代前半だ。
 こうしたことを考えると、そもそも名作の中から老成を見つけ出そうとすること自体が無理な試みなのである。老成していたら、精神の集中が難しく、作品としてこの世に登場してこなかったと思われる。
 逆にいうと、老成とは何かは直感的に分かる概念だけれども、具体的に例示して、かくかくしかじかと示すことは極めて困難ということになる。
 結論、老成とはつかみどころがなく、断定しがたい。誰しも年はとりたくないが、月日とともに老いていくことは避けられない。大事なことは老成など意識しない方がいいのではないか。かりに生きるとは活力の持続ととらえれば、この世にいる限り活力の持続に努めたいものである。
           (2015年10月19日)
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