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万葉集読解・・・190(3119~3137番歌)

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     万葉集読解・・・190(3119~3137番歌)
3119  明日よりは恋ひつつ行かむ今夜だに早く宵より紐解け我妹
      (従明日者 戀乍将<去> 今夕弾 速初夜従 綏解我妹)
 「恋ひつつ行かむ」は旅に出なければならないことを示している。「今夜だに」は「今夜くらいは」という意味である。「明日からはお前を恋いつつ旅行く身となる私だ。今夜くらいは宵の内から早く寝ようぞ。共寝支度してくれよ」という歌である。
 あっけらかんとした直情を相手にぶつけた万葉歌らしい一首である。

3120  今さらに寝めや我が背子新夜の一夜もおちず夢に見えこそ
      (今更 将寐哉我背子 荒田<夜>之 全夜毛不落 夢所見欲)
 「一夜もおちず」は「一夜も欠かさず」すなわち「毎晩」という意味である。「今さらあらためて(早く)寝るなどとおっしゃるのですか、あなた。そんなことより明日から始まる新しい夜、毎晩毎晩、夢に現れて下さいな」という歌である。
 右二首問答歌。

3121  我が背子が使を待つと笠も着ず出でつつぞ見し雨の降らくに
      (吾勢子之 使乎待跡 笠不著 出乍曽見之 雨零尓)
 「我が背子が」は主格ではなく「我が背子の」という古文上の意味。「笠も着ず」は「笠も着けないで」ないし「笠もかぶらず」という意味。「あなたからの使いが待ち遠しくて、笠もかぶらず雨が降りしきる中、外に出て使いをお待ちしています」という歌である。

3122  心なき雨にもあるか人目守り乏しき妹に今日だに逢はむを
      (無心 雨尓毛有鹿 人目守 乏妹尓 今日谷相<乎>)
 「心なき雨にもあるか」は「なんと無情な雨であることよ」という詠嘆表現。「人目守(も)り」は「人目から守る」つまり「人目を避けて」、「乏しき妹(いも)に」は「なかなか逢えない彼女に」という意味。「なんと無情な雨であることよ。人目を避けんが為なかなか逢えぬ彼女に今日こそ逢おうと思ったのに」という歌である。
 右二首問答歌

3123  ただひとり寝れど寝かねて白栲の袖を笠に着濡れつつぞ来し
      (直獨 宿杼宿不得而 白細 袖乎笠尓著 沾乍曽来)
 「白栲(しろたへ)の」は「真っ白な」。「袖を笠に着」は「袖をかざして笠代わりにし」である。「たった一人で寝てみたけれど、寝るに寝られず、真っ白な袖をかざして笠代わりにして雨の中を濡れながらやってきたよ」という歌である。

3124  雨も降り夜も更けにけり今さらに君去なめやも紐解き設けな
      (雨毛零 夜毛更深利 今更 君将行哉 紐解設名)
 「君去(い)なめやも」は「あなたはお帰りになるってことはないでしょうね」ということ。「紐解き設(ま)けな」は「紐を解いて準備しましょう」すなわち「共寝の用意をいたしましょう」という意味である。「雨も降っているし、夜も更けました。(せっかくいらっしゃったのですもの)このままお帰りになるってことはないでしょうね。さあ、共寝の準備をいたしましょう」という歌である。ずばり、女性から寝床の用意をしましょうという歌で、素朴であっけらかんとした万葉歌らしい特徴が出た歌である。
 右二首問答歌

3125  ひさかたの雨の降る日を我が門に蓑笠着ずて来る人や誰れ
      (久堅乃 雨零日乎 我門尓 蓑笠不蒙而 来有人哉誰)
 「ひさかたの」は枕詞。「蓑笠(みのかさ)着ずて」は「蓑も笠もかぶらず」という意味。「雨が降りしきる日には「蓑も笠もかぶらず、我が家の門口にやってきた人はどなたでしょう」という歌である。

3126  巻向の穴師の山に雲居つつ雨は降れども濡れつつぞ来し
      (纒向之 病足乃山尓 雲居乍 雨者雖零 所沾乍焉来)
 巻向(まきむく)の穴師(あなし)の山は奈良県桜井市の穴師の山。桜井線巻向駅の東方。「雲居つつ」は「雲がはりついたまま」である。「巻向の穴師の山に雲がはりついたまま雨は降りしきっていて、ずぶぬれになりつつやってきました」という歌である。
 右二首問答歌。 なお、問答歌はここまで。

3127  度会の大川の辺の若久木我が久ならば妹恋ひむかも
      (度會 大川邊 若歴木 吾久在者 妹戀鴨)
 羈旅發思(旅の途上に思いを発する歌)。3127~3180番歌の54首。
 「度会(わたらひ)」は三重県度会郡。伊勢神宮の近辺か?。「若久木(わかひさぎ)」はどこを指す地名か不詳。「度会の~若久木」は次句の久を導く序歌。「度会郡を流れる大川の辺の若久木、わが旅が久しくなれば私の彼女は私を恋しく思うだろうな」という歌である。

3128  我妹子を夢に見え来と大和道の渡り瀬ごとに手向けぞ我がする
      (吾妹子 夢見来 倭路 度瀬別 手向吾為)
 「夢に見え来と」は「夢に出てきてほしいと願って」という意味。「手向け」は通常神社に花や金品を手向けること。「いとしい私のあの子が夢に出てきてほしいと願って、大和へ向かう道の途上、川瀬を渡るごとに神社に寄って金品を手向けました」という歌である。

3129  桜花咲きかも散ると見るまでに誰れかもここに見えて散り行く
      (櫻花 開哉散 及見 誰此 所見散行)
 「咲きかも散ると」は「咲いたかと思ったら散っていく」という意味である。「見るまでに」は「見えるほど」という意味。「桜の花は咲いたかと思ったら散っていくと見えるほどだが、どの人々もここに現れたかと思うと散っていく」という歌である。
 この歌は百人一首にも採録されている後撰集の蝉丸の歌「これやこの行くも帰るも 別れては知るも知らぬも逢坂の関」を想起させる離合集散の歌である。が、そうとも言い切れない解釈が可能である。つまり、往来を行き交う人々を桜の花に見立てた歌と見ると、一般論になってしまって、どこか迫力に欠ける。「誰れかも」は「人々と」という一般用語ではない強烈な響きをもっている。蝉丸歌の場合はまさに「往来を行き交う人々」を指している。が、本歌の「誰れかも」は「作者自身が出合った人」を指しているのではなかろうか。「桜の花は咲いたかと思ったら散っていくと見えるほどだが、私が出逢ったどの人も出逢っては散っていった(あるいは別れていった)」という歌という気がする。私はこう解しておきたい。

3130  豊国の企救の浜松ねもころに何しか妹に相言ひそめけむ
      (豊洲 聞濱松 心<哀> 何妹 相云始)
 「豊国の企救(きく)の浜松」は福岡県、大分県にまたがる企救郡のあったところ。現北九州市小倉地区。企救丘駅がある。そこの浜の松。松の根が張るで、「ねもころ」を導く序歌。「豊国の企救の浜松の根のように、ねんごろになぜ彼女と親しく言葉を交わすようになったのだろうという歌である。」
 左注に「以上の四首は柿本朝臣人麻呂歌集に出ている」とある。

3131  月変へて君をば見むと思へかも日も変へずして恋の繁けむ
      (月易而 君乎婆見登 念鴨 日毛不易為而 戀之重)
 「月変へて」は「月が変ってから」すなわち旅に出て「来月にならないと」、「日も変へずして」は「別れたばかりの今日が過ぎないのに」という意味。旅の途上の歌に区分されているが、出発したばかりの日の歌か?。「来月にならないとあの方に逢えないと思うせいでしょうか。まだ明日にもならない今日の内からしきりに恋しくてなりません」という歌である。

3132  な行きそと帰りも来やとかへり見に行けど帰らず道の長手を
      (莫去跡 變毛来哉常 顧尓 雖徃不歸 道之長手矣)
  「な行きそ」は「な~そ」の禁止形。「かへり見に行けど」は「振り返りながら道を行く」である。「行かないでと言って戻って来るかと思って、振り返り振り返り行くのだが、追いかけてはこない。長い道のりなのに」という歌である。作者が男か女かはっきりしないという見解もあるが、「行かないでと言って」追いすがる状況から男の歌としてよかろう。

3133  旅にして妹を思ひ出でいちしろく人の知るべく嘆きせむかも
      (去家而 妹乎念出 灼然 人之應知 <歎>将為鴨)
 「いちしろく」は「はっきりと」という意味。他は読解を要さない平明歌。「旅の道すがら、彼女のことを思い出し、人の目にはっきり分かるほど、嘆くことだろうな」という歌である。

3134  里離り遠くあらなくに草枕旅とし思へばなほ恋ひにけり
      (里離 遠有莫國 草枕 旅登之思者 尚戀来)
 「草枕」はおなじみの枕詞。本歌も前歌同様平明歌。「家のある里からまだ遠くに来たわけではないのに、これから旅が続くと思うと、いっそう里が恋しい」という歌である。

3135  近くあれば名のみも聞きて慰めつ今夜ゆ恋のいやまさりなむ
      (近有者 名耳毛聞而 名種目津 今夜従戀乃 益々南)
 「近くあれば」は「近くにいれば」、「名のみも聞きて」は「彼女の名前だけでも聞けば」という意味である。「今夜ゆ」のゆは「~から」のゆ。「近くにいれば(逢わなくても)彼女の名前だけでも聞けば慰められた。が、今宵からは彼女恋しさがいっそうまさるだろう」という歌である。

3136  旅にありて恋ふれば苦しいつしかも都に行きて君が目を見む
      (客在而 戀者辛苦 何時毛 京行而 君之目乎将見)
 「君が目を見む」は「目を見る」すなわち「あなたに逢いたい」という意味である。「旅の身空にあって恋しく思うのは苦しい。いつの日か分かりませんが、都に戻ったらあなたに逢いたい」という歌である。

3137  遠くあれば姿は見えず常のごと妹が笑まひは面影にして
      (遠有者 光儀者不所見 如常 妹之咲者 面影為而)
 平明歌。「遠くにいるので姿は見えないけれど、いつものような妻の笑顔は面影になってあらわれてくる」という歌である。
           (2015年12月23日記)
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