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一昨日、私は桃厳寺(とうがんじ)なる寺を訪れた。ここんところ、私は寺巡りに失望しかかっていた。時代の流れでやむを得ないのだろうが、鉄筋コンクリート造りの寺や形ばかりの境内の寺が続いたからである。寺有地を切り売りしながらやせ細っていく寺が増えていると思料されるのだが、やはり残念である。市内に七,八百ある寺からこれはと思って選んだ寺にしてこの有様。もう寺巡りはやめようかと思った矢先だった。私はすばらしい寺に出会った。桃厳寺である。中心街を望む場所に。名古屋大学のすぐ北側に位置する寺である。
寺は天文年間(1532年~1554年)で織田信秀の菩提を弔うため、子の織田信行によって末森村二本松に建立されたと伝えられる。織田信行は同母兄織田信長の弟に当たる。現在地に移されたのは正徳3年(1713年)前後なので、その時からでも300年余も経っている。これ以上のことは別稿を起こす機会があったらそちらに譲ろう。
私が驚いたのは創建年ばかりではない。寺に植えられた竹林、四方竹(しほうちく)の群落、さらにはあちこちに生える赤や白の椿、すなわち、自然の豊かさである。
その上、青銅で作られた大仏だ。像高は10mに達し、鎌倉の大仏級(11.3m)である。かつ、台座の周囲に10頭もの見事なインド象が控え、その台座高は5mもあり、仏像高と合わせると15m。台座と合わせた高さは鎌倉の大仏(13m強)を凌ぐ。まちがいなく、これまで私が訪れてきた寺の中では屈指の名刹といってよい。一般にはあまり知られた気配がない。いわば隠れた名刹といってよかろう。
あんれまあこんな所に椿でら
名刹をめっけてうれし春近し
台座に10頭のインド象、月日を重ねていけば国宝級と期待せざるを得なかった。
(2016年2月28日)
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一昨日、私は桃厳寺(とうがんじ)なる寺を訪れた。ここんところ、私は寺巡りに失望しかかっていた。時代の流れでやむを得ないのだろうが、鉄筋コンクリート造りの寺や形ばかりの境内の寺が続いたからである。寺有地を切り売りしながらやせ細っていく寺が増えていると思料されるのだが、やはり残念である。市内に七,八百ある寺からこれはと思って選んだ寺にしてこの有様。もう寺巡りはやめようかと思った矢先だった。私はすばらしい寺に出会った。桃厳寺である。中心街を望む場所に。名古屋大学のすぐ北側に位置する寺である。
寺は天文年間(1532年~1554年)で織田信秀の菩提を弔うため、子の織田信行によって末森村二本松に建立されたと伝えられる。織田信行は同母兄織田信長の弟に当たる。現在地に移されたのは正徳3年(1713年)前後なので、その時からでも300年余も経っている。これ以上のことは別稿を起こす機会があったらそちらに譲ろう。
私が驚いたのは創建年ばかりではない。寺に植えられた竹林、四方竹(しほうちく)の群落、さらにはあちこちに生える赤や白の椿、すなわち、自然の豊かさである。
その上、青銅で作られた大仏だ。像高は10mに達し、鎌倉の大仏級(11.3m)である。かつ、台座の周囲に10頭もの見事なインド象が控え、その台座高は5mもあり、仏像高と合わせると15m。台座と合わせた高さは鎌倉の大仏(13m強)を凌ぐ。まちがいなく、これまで私が訪れてきた寺の中では屈指の名刹といってよい。一般にはあまり知られた気配がない。いわば隠れた名刹といってよかろう。
あんれまあこんな所に椿でら
名刹をめっけてうれし春近し
台座に10頭のインド象、月日を重ねていけば国宝級と期待せざるを得なかった。
(2016年2月28日)