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きょうは万葉集にまつわる話である。といっても内容の話ではない。その読解作業を例にして全く別の話である。弱音の話だ。現在、私は巻14の準備にかかっている。
巻14はすべて短歌で、かつ、すべてが東歌(あづまうた)という特異な巻である。東国(あづまのくに)は奈良・京都より東方にある国を指し、この巻の存在によって短歌文化が遙か遠く、陸奥(むつ)国(今の青森、岩手、宮城、福島の4県)まで及んでいたことが知られる。奈良時代にすでに数多くの人々によって親しまれていたことがうかがわれる貴重な巻だ。万葉仮名によって知られるように、大変複雑な言語空間をすでに当時の遠隔の地に住んでいた人々にまで伝播していたことを物語る。極端にいえば奈良・京文化の一端である短歌文化がすでに全国化していたことを示しているといえよう。
東歌の中には地名や方言も詠い込まれており、資料の整理や理解に頭を痛めることも少なくない。このことを読解作業が遅れている理由にしようなどという、いわば言い訳にするつもりはさらさらない。が、ついつい弱音を吐きそうになるのも正直なところだ。なにごとによらず弱音を吐きそうになるのは私ならずともあり得ることだろう。「私は弱音を吐かない」などという人がいるとすれば、その人は超怪人、ないしは大ペテン師といってよかろう。
日々の勉学、日々の練習、急坂の登坂等々、大小様々なれど、必ずや弱音を吐きたくなることだろう。それでも、人は弱音を乗り越え、目標に向かって進む。「なぜ、あなたはエベレストに登りたかったのか?」と問われて「そこにエベレストがあるから(そこに山があるから)」と答えた、イギリスの登山家ジョージ・マロリーの言葉はあまりにも有名だ。
この言葉を励みにして目標に向かって進んだ人は数知れないに相違ない。弱音を吐きたくなる瞬間は誰にも訪れる。なので「弱音を吐きたくなったら、ああ、しんどい」とつぶやいてしまうことが肝要だ、と私なんかは思う。
(2016年3月14日)
きょうは万葉集にまつわる話である。といっても内容の話ではない。その読解作業を例にして全く別の話である。弱音の話だ。現在、私は巻14の準備にかかっている。
巻14はすべて短歌で、かつ、すべてが東歌(あづまうた)という特異な巻である。東国(あづまのくに)は奈良・京都より東方にある国を指し、この巻の存在によって短歌文化が遙か遠く、陸奥(むつ)国(今の青森、岩手、宮城、福島の4県)まで及んでいたことが知られる。奈良時代にすでに数多くの人々によって親しまれていたことがうかがわれる貴重な巻だ。万葉仮名によって知られるように、大変複雑な言語空間をすでに当時の遠隔の地に住んでいた人々にまで伝播していたことを物語る。極端にいえば奈良・京文化の一端である短歌文化がすでに全国化していたことを示しているといえよう。
東歌の中には地名や方言も詠い込まれており、資料の整理や理解に頭を痛めることも少なくない。このことを読解作業が遅れている理由にしようなどという、いわば言い訳にするつもりはさらさらない。が、ついつい弱音を吐きそうになるのも正直なところだ。なにごとによらず弱音を吐きそうになるのは私ならずともあり得ることだろう。「私は弱音を吐かない」などという人がいるとすれば、その人は超怪人、ないしは大ペテン師といってよかろう。
日々の勉学、日々の練習、急坂の登坂等々、大小様々なれど、必ずや弱音を吐きたくなることだろう。それでも、人は弱音を乗り越え、目標に向かって進む。「なぜ、あなたはエベレストに登りたかったのか?」と問われて「そこにエベレストがあるから(そこに山があるから)」と答えた、イギリスの登山家ジョージ・マロリーの言葉はあまりにも有名だ。
この言葉を励みにして目標に向かって進んだ人は数知れないに相違ない。弱音を吐きたくなる瞬間は誰にも訪れる。なので「弱音を吐きたくなったら、ああ、しんどい」とつぶやいてしまうことが肝要だ、と私なんかは思う。
(2016年3月14日)
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