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Channel: 古代史の道
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馬酔木の花

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 私は呼吸器系統に難を抱えていて、3ヶ月に一回の割合で名古屋第一赤十字病院に通院している。前々回、すなわち12月に通院した際、その前庭の一角に「あせび」という名札が掲げてあるのに気づいた。これはひょっとして万葉集に出てくる「馬酔木(あしび)」のことじゃないのか、と思った。が、深く気にとめず、2月に辞書で調べると、果たして馬酔木のことと判明した。以来、ずっと気になり、是非この目でその花を見てみたいと思うようになった。
 あしびの花は万葉時代、よく知られた花だったようで、全万葉集歌中10例に及ぶ。10例といえば、椿が9例なので、馬酔木は椿並みに知られた花だったことが分かる。たとえば一例を紹介すると、1903番歌に「我が背子に我が恋ふらくは奥山の馬酔木の花の今盛りなり 」と詠われている。私の読解によれば「あの人に恋い焦がれている、その今の自分の心情は、奥山で人知れず今を盛りと咲いている馬酔木の花そのものです」という歌である。
 昨日、日赤に行く日が訪れ、馬酔木を実見するのが最大の楽しみだった。あわよくば花が咲いていてほしいと切に願った。診察が終了し、カメラを携えてその場に直行した。小形の壺が鈴なりに連なった形状の花で、私は馬酔木の花を前にして大袈裟にいえば足が震えるような喜びに捕らえられた。むろん馬酔木の花を見たのは初めての経験だった。
 が、その花もさることながら、私の最大の喜びは、この花を知ったことで、万葉集を単なる知識からリアルな実感として見られる、という喜びだった。文法だの用語の意味だのはどうでもいい。そこに詠われている馬酔木の花が、げんに眼前に実存している。私はこのことによって、古代人の心とつながった、という気がした。万葉集は単なる知識ではない。それをあらためて知らされた思いがしたのだった。
            (2016年3月16日)
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