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そ の 227 へ
万葉集読解・・・226(3578~3596番歌)
巻15の目録に「天平八年(737年)丙子夏六月、使いを新羅の国に遣わした」とある。その際、「遣新羅への使人等が別れを悲しんで贈答した歌、及び海路にあって思いを述べた歌、並びに所にあたって詠み上げた古歌」と注記している。145首。3578~3722番歌。いずれ長歌も手がけなければならないので、本巻以降は長歌も扱う。
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万葉集読解・・・226(3578~3596番歌)
巻15の目録に「天平八年(737年)丙子夏六月、使いを新羅の国に遣わした」とある。その際、「遣新羅への使人等が別れを悲しんで贈答した歌、及び海路にあって思いを述べた歌、並びに所にあたって詠み上げた古歌」と注記している。145首。3578~3722番歌。いずれ長歌も手がけなければならないので、本巻以降は長歌も扱う。
3578 武庫の浦の入江の洲鳥羽ぐくもる君を離れて恋に死ぬべし
(武庫能浦乃 伊里江能渚鳥 羽具久毛流 伎美乎波奈礼弖 古非尓之奴倍之)
武庫川は兵庫県西宮市と尼崎市の間を流れる川。その河口付近を指している。
洲鳥は干潟のような洲に巣くう鳥。「羽ぐくもる」は「親鳥の羽に包まれること」。
「武庫川の河口付近の入り江の洲(しま)の水鳥が羽に包むようにして私を守ってくれたあなた。そのあなたから離れたら私は恋い焦がれて死んでしまうでしょう」という歌である。
(武庫能浦乃 伊里江能渚鳥 羽具久毛流 伎美乎波奈礼弖 古非尓之奴倍之)
武庫川は兵庫県西宮市と尼崎市の間を流れる川。その河口付近を指している。
洲鳥は干潟のような洲に巣くう鳥。「羽ぐくもる」は「親鳥の羽に包まれること」。
「武庫川の河口付近の入り江の洲(しま)の水鳥が羽に包むようにして私を守ってくれたあなた。そのあなたから離れたら私は恋い焦がれて死んでしまうでしょう」という歌である。
3579 大船に妹乗るものにあらませば羽ぐくみ持ちて行かましものを
(大船尓 伊母能流母能尓 安良麻勢<婆> 羽具久美母知弖 由可麻之母能乎)
このまま分かる平明歌。「大船にきみを乗せていけるものなら羽に包んで携えていきたいものを」という歌である。
(大船尓 伊母能流母能尓 安良麻勢<婆> 羽具久美母知弖 由可麻之母能乎)
このまま分かる平明歌。「大船にきみを乗せていけるものなら羽に包んで携えていきたいものを」という歌である。
3580 君が行く海辺の宿に霧立たば我が立ち嘆く息と知りませ
(君之由久 海邊乃夜杼尓 奇里多々婆 安我多知奈氣久 伊伎等之理麻勢)
本歌も平明歌。「あなたが行く海路に霧が立ちこめたら、私が立ちつくして嘆く私の息と知って下さい」という歌である。
(君之由久 海邊乃夜杼尓 奇里多々婆 安我多知奈氣久 伊伎等之理麻勢)
本歌も平明歌。「あなたが行く海路に霧が立ちこめたら、私が立ちつくして嘆く私の息と知って下さい」という歌である。
3581 秋さらば相見むものを何しかも霧に立つべく嘆きしまさむ
(秋佐良婆 安比見牟毛能乎 奈尓之可母 奇里尓多都倍久 奈氣伎之麻佐牟)
「秋さらば」は「秋になれば」という意味。「秋になればきっと逢えるのに、どうして立ちこめる霧ほども嘆くのだろう」という歌である。
(秋佐良婆 安比見牟毛能乎 奈尓之可母 奇里尓多都倍久 奈氣伎之麻佐牟)
「秋さらば」は「秋になれば」という意味。「秋になればきっと逢えるのに、どうして立ちこめる霧ほども嘆くのだろう」という歌である。
3582 大船を荒海に出だしいます君障むことなく早帰りませ
(大船乎 安流美尓伊太之 伊麻須君 都追牟許等奈久 波也可敝里麻勢)
「障(つつ)むことなく」は「差し障りなく」すなわち「ご無事で」という意味。「大船を荒海に出していらっしゃろうとなさるあなた。どうかご無事で早くお帰りなさいませ」という歌である。
(大船乎 安流美尓伊太之 伊麻須君 都追牟許等奈久 波也可敝里麻勢)
「障(つつ)むことなく」は「差し障りなく」すなわち「ご無事で」という意味。「大船を荒海に出していらっしゃろうとなさるあなた。どうかご無事で早くお帰りなさいませ」という歌である。
3583 ま幸くて妹が斎はば沖つ波千重に立つとも障りあらめやも
(真幸而 伊毛我伊波伴伐 於伎都奈美 知敝尓多都等母 佐波里安良米也母)
「ま幸(さき)くて」は「無事でいてくれれば」という意味。「斎(いは)はば」は「身を清めて神に祈るなら」、「障(さは)りあらめやも」は「事故など起きることがありましょうか」という意味である。「きみが無事でいてくれて、身を清めて神に祈っていてくれれば、沖の波がどれほど立とうと、事故など起きることがありましょうか」という歌である。
(真幸而 伊毛我伊波伴伐 於伎都奈美 知敝尓多都等母 佐波里安良米也母)
「ま幸(さき)くて」は「無事でいてくれれば」という意味。「斎(いは)はば」は「身を清めて神に祈るなら」、「障(さは)りあらめやも」は「事故など起きることがありましょうか」という意味である。「きみが無事でいてくれて、身を清めて神に祈っていてくれれば、沖の波がどれほど立とうと、事故など起きることがありましょうか」という歌である。
3584 別れなばうら悲しけむ我が衣下にを着ませ直に逢ふまでに
(和可礼奈波 宇良我奈之家武 安我許呂母 之多尓乎伎麻勢 多太尓安布麻弖尓)
「うら悲しけむ」は「心悲しい」。「下にを着ませ」の「を」は強意。「直(ただ)に」は「直接」。「お別れしたらうら悲しゅうございます。私のこの着物を肌身に着て下さい。直接お逢い出来る日が来るまで」という歌である。
(和可礼奈波 宇良我奈之家武 安我許呂母 之多尓乎伎麻勢 多太尓安布麻弖尓)
「うら悲しけむ」は「心悲しい」。「下にを着ませ」の「を」は強意。「直(ただ)に」は「直接」。「お別れしたらうら悲しゅうございます。私のこの着物を肌身に着て下さい。直接お逢い出来る日が来るまで」という歌である。
3585 我妹子が下にも着よと贈りたる衣の紐を我れ解かめやも
(和伎母故我 之多尓毛伎余等 於久理多流 許呂母能比毛乎 安礼等可米也母)
このまま分かる平明歌。「彼女が肌身に着なさいと贈ってくれたこの着物の紐、それを解くことなどありましょうか」という歌である。
(和伎母故我 之多尓毛伎余等 於久理多流 許呂母能比毛乎 安礼等可米也母)
このまま分かる平明歌。「彼女が肌身に着なさいと贈ってくれたこの着物の紐、それを解くことなどありましょうか」という歌である。
3586 我がゆゑに思ひな痩せそ秋風の吹かむその月逢はむものゆゑ
(和我由恵尓 於毛比奈夜勢曽 秋風能 布可武曽能都奇 安波牟母能由恵)
「な痩せそ」は「な~そ」の禁止形。「逢はむものゆゑ」は「逢えるのだから」。「この私のことを思って痩せ細らないでくれ。秋風が吹くその月になればきっと逢えるのだから」という歌である。
(和我由恵尓 於毛比奈夜勢曽 秋風能 布可武曽能都奇 安波牟母能由恵)
「な痩せそ」は「な~そ」の禁止形。「逢はむものゆゑ」は「逢えるのだから」。「この私のことを思って痩せ細らないでくれ。秋風が吹くその月になればきっと逢えるのだから」という歌である。
3587 栲衾新羅へいます君が目を今日か明日かと斎ひて待たむ
(多久夫須麻 新羅邊伊麻須 伎美我目乎 家布可安須可登 伊波比弖麻多牟)
「栲衾(たくぶすま)」は枕詞。「君が目を」は「あなたに逢えるのを」という意味である。「斎(いは)ひて」は「神にお祈りして」。3583番歌参照。「遠く新羅(しらぎ)へいらっしゃるあなたに逢えるのを今日か明日かと神様にお祈りしながらお待ちします」という歌である。
(多久夫須麻 新羅邊伊麻須 伎美我目乎 家布可安須可登 伊波比弖麻多牟)
「栲衾(たくぶすま)」は枕詞。「君が目を」は「あなたに逢えるのを」という意味である。「斎(いは)ひて」は「神にお祈りして」。3583番歌参照。「遠く新羅(しらぎ)へいらっしゃるあなたに逢えるのを今日か明日かと神様にお祈りしながらお待ちします」という歌である。
3588 はろはろに思ほゆるかもしかれども異しき心を我が思はなくに
(波呂波呂尓 於<毛>保由流可母 之可礼杼毛 異情乎 安我毛波奈久尓)
「異(け)しき心を」は「移り心など」という意味。「ああ、遙か遠くにいらっしゃるなあ、けれども移り心などを抱こうなどと決して私は思いません」という歌である。
「右十一首は贈答歌である」と注記されている。
(波呂波呂尓 於<毛>保由流可母 之可礼杼毛 異情乎 安我毛波奈久尓)
「異(け)しき心を」は「移り心など」という意味。「ああ、遙か遠くにいらっしゃるなあ、けれども移り心などを抱こうなどと決して私は思いません」という歌である。
「右十一首は贈答歌である」と注記されている。
3589 夕さればひぐらし来鳴く生駒山越えてぞ我が来る妹が目を欲り
(由布佐礼婆 比具良之伎奈久 伊故麻山 古延弖曽安我久流 伊毛我目乎保里)
「夕されば」は「夕方になれば」。「妹が目を欲り」は万葉歌の常套表現。「彼女に逢いたい」という意味。「夕方になるとひぐらしがやって来て鳴く生駒山。その生駒山を越えて私はやってきた。彼女に逢いたくて」という歌である。
「右の一首は秦間満(はだのはしまろ)」と注記。
(由布佐礼婆 比具良之伎奈久 伊故麻山 古延弖曽安我久流 伊毛我目乎保里)
「夕されば」は「夕方になれば」。「妹が目を欲り」は万葉歌の常套表現。「彼女に逢いたい」という意味。「夕方になるとひぐらしがやって来て鳴く生駒山。その生駒山を越えて私はやってきた。彼女に逢いたくて」という歌である。
「右の一首は秦間満(はだのはしまろ)」と注記。
3590 妹に逢はずあらばすべなみ岩根踏む生駒の山を越えてぞ我が来る
(伊毛尓安波受 安良婆須敝奈美 伊波祢布牟 伊故麻乃山乎 故延弖曽安我久流)
「すべなみ」は「なすすべなく」すなわち「どうしようもなく」。「彼女に逢わないでいると、どうしようもなく、岩根を踏む生駒山を越えて私はやってくるのだ。」という歌である。
「右の一首は家に帰ってきてしばらくしてから思いを述べた歌」という注記が付いている。
(伊毛尓安波受 安良婆須敝奈美 伊波祢布牟 伊故麻乃山乎 故延弖曽安我久流)
「すべなみ」は「なすすべなく」すなわち「どうしようもなく」。「彼女に逢わないでいると、どうしようもなく、岩根を踏む生駒山を越えて私はやってくるのだ。」という歌である。
「右の一首は家に帰ってきてしばらくしてから思いを述べた歌」という注記が付いている。
3591 妹とありし時はあれども別れては衣手寒きものにぞありける
(妹等安里之 時者安礼杼毛 和可礼弖波 許呂母弖佐牟伎 母能尓曽安里家流)
「時はあれども」は微妙だが、「時でも寒い時はあったが」という意味か。「衣手(ころもで)」は着物の袖口。「彼女と共にいたときでも寒い時はあったが、こうして別れてみると、着物の袖口から寒さがしみいってくるのがひとしお強く思われる」という歌である。
(妹等安里之 時者安礼杼毛 和可礼弖波 許呂母弖佐牟伎 母能尓曽安里家流)
「時はあれども」は微妙だが、「時でも寒い時はあったが」という意味か。「衣手(ころもで)」は着物の袖口。「彼女と共にいたときでも寒い時はあったが、こうして別れてみると、着物の袖口から寒さがしみいってくるのがひとしお強く思われる」という歌である。
3592 海原に浮寝せむ夜は沖つ風いたくな吹きそ妹もあらなくに
(海原尓 宇伎祢世武夜者 於伎都風 伊多久奈布吉曽 妹毛安良奈久尓)
「な吹きそ」は「な~そ」の禁止形。平明歌。「海上に浮かんだまま寝る夜は、沖の風よ、どうか強く吹いてくれるな。共寝する彼女もいないのに」という歌である。
(海原尓 宇伎祢世武夜者 於伎都風 伊多久奈布吉曽 妹毛安良奈久尓)
「な吹きそ」は「な~そ」の禁止形。平明歌。「海上に浮かんだまま寝る夜は、沖の風よ、どうか強く吹いてくれるな。共寝する彼女もいないのに」という歌である。
3593 大伴の御津に船乗り漕ぎ出てはいづれの島に廬りせむ我れ
(大伴能 美津尓布奈能里 許藝出而者 伊都礼乃思麻尓 伊保里世武和礼)
「大伴の御津(みつ)」は大伴氏の本拠として知られる。難波(大阪湾)の御津。「廬(いほ)りせむ我れ」は「私は宿をとろうか」である。「大伴の御津から舟にのり、漕ぎ出そうと思うが、どこの島で私は宿をとろうか」という歌である。
「右の三首は出発に当たって作った歌」という注記が付いている。
(大伴能 美津尓布奈能里 許藝出而者 伊都礼乃思麻尓 伊保里世武和礼)
「大伴の御津(みつ)」は大伴氏の本拠として知られる。難波(大阪湾)の御津。「廬(いほ)りせむ我れ」は「私は宿をとろうか」である。「大伴の御津から舟にのり、漕ぎ出そうと思うが、どこの島で私は宿をとろうか」という歌である。
「右の三首は出発に当たって作った歌」という注記が付いている。
3594 潮待つとありける船を知らずして悔しく妹を別れ来にけり
(之保麻都等 安里家流布祢乎 思良受之弖 久夜之久妹乎 和可礼伎尓家利)
平明歌。「大潮を待って停泊している船を知らないで、悔しくも彼女と早々に別れてきてしまった」という歌である。
(之保麻都等 安里家流布祢乎 思良受之弖 久夜之久妹乎 和可礼伎尓家利)
平明歌。「大潮を待って停泊している船を知らないで、悔しくも彼女と早々に別れてきてしまった」という歌である。
3595 朝開き漕ぎ出て来れば武庫の浦の潮干の潟に鶴が声すも
(安佐妣良伎 許藝弖天久礼婆 牟故能宇良能 之保非能可多尓 多豆我許恵須毛)
「朝開(あさびら)き」は「朝が明けると共に」。「武庫の浦」は3578番歌参照。「朝明け早々漕ぎ出してきたら武庫川の河口付近の潮干の潟に鶴の声がしていた」という歌である。
(安佐妣良伎 許藝弖天久礼婆 牟故能宇良能 之保非能可多尓 多豆我許恵須毛)
「朝開(あさびら)き」は「朝が明けると共に」。「武庫の浦」は3578番歌参照。「朝明け早々漕ぎ出してきたら武庫川の河口付近の潮干の潟に鶴の声がしていた」という歌である。
3596 我妹子が形見に見むを印南都麻白波高み外にかも見む
(和伎母故我 可多美尓見牟乎 印南都麻 之良奈美多加弥 与曽尓可母美牟)
「形見に見むを」は「「形見に思って見ようと」という意味である。印南都麻(いなみつま)は兵庫県高砂市加古川の河口付近という。「高み」は「高いので」。
「彼女の形見と思って印南都麻の方向を見ようとしたが、白波が高く、視界の外にしか見えない」という歌である。
(2016年6月12日記)
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(和伎母故我 可多美尓見牟乎 印南都麻 之良奈美多加弥 与曽尓可母美牟)
「形見に見むを」は「「形見に思って見ようと」という意味である。印南都麻(いなみつま)は兵庫県高砂市加古川の河口付近という。「高み」は「高いので」。
「彼女の形見と思って印南都麻の方向を見ようとしたが、白波が高く、視界の外にしか見えない」という歌である。
(2016年6月12日記)