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近在を歩いていたらとある畑にカボチャを見かけた。実になつかしい野菜である。私は幼児の頃、岐阜県土岐郡笠原町(現在多治見市に合併)に居住していた。そこの保育園や小学校に通う日々だったのだが、その途中の畑にカボチャが植わわっていた。そればかりではない。その笠原で両親が洋服仕立てのかたわら農業をやっていて、カボチャを育てていた。こんなわけで、私にとってカボチャは実になつかしい存在だ。
ランドセル背負ったまま行くカボチャ園
戯れにカボチャの葉っぱにカエル乗せ
今カボチャ見るがうれしさ国たいら
誰知らぬ者のないカボチャ。まだ実をつけてない葉っぱだけのカボチャだが、まもなく庶民の野菜は実になることだろう。カボチャの葉っぱを見ていると、幼少時の色々な記憶が芋づる式によみがえってくる。
大戦後苦しさに耐えカボチャ植う両親の日々今ぞ身に沁む
カボチャ花庶民の心知りて咲く二度とその実が火吹くなかれと
私たちは幸いにして現在平和日本の中で暮らしている。私は改憲論議はやっていいと思う。言論の自由だ。が、そういう中にあって、抑止力などという名目で軍備増強がなされるのは本末転倒だ。どうか日本の為政者は共存共栄を目指す平和な世界の構築をリードしていく方向でがんばっていただきたい。
とある畑に見かけたカボチャは私を無限のなつかしい世界に呼び込んだ。思えば思うほど貧しいけれど平和で安穏な世界であった。そればかりでなく、思いは人類に広がり、この世界がいつまでもいついつまでも続いていってほしいと願っている。
(2016年7月2日)
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近在を歩いていたらとある畑にカボチャを見かけた。実になつかしい野菜である。私は幼児の頃、岐阜県土岐郡笠原町(現在多治見市に合併)に居住していた。そこの保育園や小学校に通う日々だったのだが、その途中の畑にカボチャが植わわっていた。そればかりではない。その笠原で両親が洋服仕立てのかたわら農業をやっていて、カボチャを育てていた。こんなわけで、私にとってカボチャは実になつかしい存在だ。
ランドセル背負ったまま行くカボチャ園
戯れにカボチャの葉っぱにカエル乗せ
今カボチャ見るがうれしさ国たいら
誰知らぬ者のないカボチャ。まだ実をつけてない葉っぱだけのカボチャだが、まもなく庶民の野菜は実になることだろう。カボチャの葉っぱを見ていると、幼少時の色々な記憶が芋づる式によみがえってくる。
大戦後苦しさに耐えカボチャ植う両親の日々今ぞ身に沁む
カボチャ花庶民の心知りて咲く二度とその実が火吹くなかれと
私たちは幸いにして現在平和日本の中で暮らしている。私は改憲論議はやっていいと思う。言論の自由だ。が、そういう中にあって、抑止力などという名目で軍備増強がなされるのは本末転倒だ。どうか日本の為政者は共存共栄を目指す平和な世界の構築をリードしていく方向でがんばっていただきたい。
とある畑に見かけたカボチャは私を無限のなつかしい世界に呼び込んだ。思えば思うほど貧しいけれど平和で安穏な世界であった。そればかりでなく、思いは人類に広がり、この世界がいつまでもいついつまでも続いていってほしいと願っている。
(2016年7月2日)