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Channel: 古代史の道
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奇遇家島

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 遙か1300年ほども前、奈良時代初期の天平年間に遣新羅使が派遣された。大和を出て、瀬戸内海を通り、北九州から対馬を通って大陸に渡り、役目を終えて、また大和に帰ってくる大変な旅である。その心情の一端が万葉集の歌にこめられている。現在、そこにこめられた古代人の心情を扱っている。
 さて、役目を終えて帰国する時の歌は3718番歌から始まり、次回に発表できると思うが、その頭注(というより解題)に「一行は兵庫県姫路市の家島に立ち寄ったこと」が記されている。私はこの記述を見て大変驚いた。というのも私自身8年前(平成20年9月)に同島を訪れているからである。
 日本に島の数は約7000島にも達する。有人島だけでも300島ほどもある。私が訪れたのはそのほんの一部だが、家島はわずか5k屬両さな島。その島に古代人の一行が立ち寄った!。佐渡島、淡路島、対馬といった有数の島なら分かる。が、わずか5k屬硫氾腓妨新羅使一行も、この私自身も立ち寄った。奇遇と言わずになんと言おう。
 むろん、当時は万葉集の「ま」の字も私の頭になかった。私が万葉集に関心を向けたのは3年も経った後からである。
 が、古代人の一行が約7000島にも達する島の一つに船を沖に停泊させて立ち寄った、その島に私自身が訪れていたのだ。詳細は本ブログの離島欄にアップしてあるので、興味のある向きはそちらに寄られたい。本当に奇遇ですね。思わぬところで古代人の見た場所と重なったものである。こういうことは本文に書きづらく、さりとて、この奇遇は愉快でたまらず、ここに一文を弄させてもらうことにした。
 遠い遠い時空を越え、しかも、何ら意識することなくつながる。こんなことってあるんですね。家島の名に出会ったとたん訪れた日のことがまざまざとよみがえった。
            (2016年7月15日)
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