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Channel: 古代史の道
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家持集その2

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 前回、万葉集巻17の地名類の頻出に苦労したことを述べた。これは家持に何の落ち度もなく、現代と古代を結ぶ糸が難しくなりつつあることを示している。
 さて、私は地名類については最も力を入れて記したつもりである。地名はもとより、海や山や野や川等々地名類に力を注ぐのには理由がある。歌を読んだとき、そこがどこの海か山か分かれば、われわれ後世の者も訊ねて行けるのではないかという思いがあるからである。具体的には家持は越中富山に赴任しているので、越中富山の地名類が多い。
 今と古代では多くが失われている。早いはなし当時の越中は今の富山県と同じではない。たとえば石川県能登半島の先端部は当時越中に属していた。私は富山県に訪れたのはわずか二度。それも全く万葉集に関心がなかった時だった。多少土地勘があればあるいはもっと容易に探し出せたかも知れないが、こんな次第で地図上をたどるのに大変苦労した。
 歌中に「砺波(となみ)山」というのが出てくる。私は富山県に砺波市を見付け砺波山は当然その市内にあると思いこんでしまった。念入りに細部まで指で追ったが、いくら追っても見つからない。見つからない筈だ。石川県と富山県の県境、小矢部市に鎮座していた。
 また、布勢の水海(みずうみ)というのも出てくる。大きな塩水湖だったらしいが、現存しないという。しからば何か名残はないかと思って情報をかき集めると十二町潟と呼ぶ水郷が氷見市にあるというので、これまた氷見市全図を丹念に追うことになった。
 さらに、「奈呉の海」。射水市にあるというが、「岩波大系本」等には新湊市とある。ところが富山県には新湊市はない。やむなくWEBでたどると、かって新湊市があったという。射水市の地図を調べて、ようやく射水市新湊庁舎を見つけ出した。延槻(はひつき)川や饒石川(にぎしかは)等々見つけるのに苦労したものは多い。
 以上、ほんの一例を示したに過ぎないが、ともかく巻17はやり甲斐があった。
              (2016年10月27日)
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