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万葉集読解・・・263(4094~4100番歌)

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     万葉集読解・・・263(4094~4100番歌)
 頭注に「陸奥國(みちのくのくに)に金(こがね)が出たという詔書が出され、お祝いする歌及び短歌」とある。陸奥國は青森県、岩手県、宮城県、福島県、秋田県東北部にまたがる大国。
4094番長歌
   葦原の 瑞穂の国を 天下り 知らしめしける すめろきの 神の命の 御代重ね 天の日継と 知らし来る 君の御代御代 敷きませる 四方の国には 山川を 広み厚みと 奉る 御調宝は 数へえず 尽くしもかねつ しかれども 我が大君の 諸人を 誘ひたまひ よきことを 始めたまひて 金かも たしけくあらむと 思ほして 下悩ますに 鶏が鳴く 東の国の 陸奥の 小田なる山に 黄金ありと 申したまへれ 御心を 明らめたまひ 天地の 神相うづなひ すめろきの 御霊助けて 遠き代に かかりしことを 我が御代に 顕はしてあれば 食す国は 栄えむものと 神ながら 思ほしめして もののふの 八十伴の緒を まつろへの 向けのまにまに 老人も 女童も しが願ふ 心足らひに 撫でたまひ 治めたまへば ここをしも あやに貴み 嬉しけく いよよ思ひて 大伴の 遠つ神祖の その名をば 大久米主と 負ひ持ちて 仕へし官 海行かば 水漬く屍 山行かば 草生す屍 大君の 辺にこそ死なめ かへり見は せじと言立て 大夫の 清きその名を いにしへよ 今のをつづに 流さへる 祖の子どもぞ 大伴と 佐伯の氏は 人の祖の 立つる言立て 人の子は 祖の名絶たず 大君に まつろふものと 言ひ継げる 言の官ぞ 梓弓 手に取り持ちて 剣大刀 腰に取り佩き 朝守り 夕の守りに 大君の 御門の守り 我れをおきて 人はあらじと いや立て 思ひし増さる 大君の 御言の幸の [一云 を] 聞けば貴み [一云 貴くしあれば]
      (葦原能 美豆保國乎 安麻久太利 之良志賣之家流 須賣呂伎能 神乃美許等能 御代可佐祢 天乃日<嗣>等 之良志久流 伎美能御代々々 之伎麻世流 四方國尓波 山河乎 比呂美安都美等 多弖麻都流 御調寶波 可蘇倍衣受 都久之毛可祢都 之加礼騰母 吾大王<乃> 毛呂比登乎 伊射奈比多麻比 善事乎 波自米多麻比弖 久我祢可毛 <多>之氣久安良牟登 於母保之弖 之多奈夜麻須尓 鶏鳴 東國<乃> 美知能久乃 小田在山尓 金有等 麻宇之多麻敝礼 御心乎 安吉良米多麻比 天地乃 神安比宇豆奈比 皇御祖乃 御霊多須氣弖 遠代尓 可々里之許登乎 朕御世尓 安良波之弖安礼婆 御食國波 左可延牟物能等 可牟奈我良 於毛保之賣之弖 毛能乃布能 八十伴雄乎 麻都呂倍乃 牟氣乃麻尓々々 老人毛 女童兒毛 之我願 心太良比尓 撫賜 治賜婆 許己乎之母 安夜尓多敷刀美 宇礼之家久 伊余与於母比弖 大伴<乃> 遠都神祖乃 其名乎婆 大来目主<等> 於比母知弖 都加倍之官 海行者 美都久屍 山行者 草牟須屍 大皇乃 敝尓許曽死米 可敝里見波 勢自等許等太弖 大夫乃 伎欲吉彼名乎 伊尓之敝欲 伊麻乃乎追通尓 奈我佐敝流 於夜<乃>子等毛曽 大伴等 佐伯乃氏者 人祖乃 立流辞立 人子者 祖名不絶 大君尓 麻都呂布物能等 伊比都雅流 許等能都可左曽 梓弓 手尓等里母知弖 劔大刀 許之尓等里波伎 安佐麻毛利 由布能麻毛利<尓> 大王<乃> 三門乃麻毛利 和礼乎於吉<弖> 比等波安良自等 伊夜多? 於毛比之麻左流 大皇乃 御言能左吉乃 [一云 乎] 聞者貴美 [一云 貴久之安礼婆])

  長歌は用語の解説を最小限にとどめる。「知らしめしける」や「知らし来る」の「知らし」は「お治めになる」の常套句。「敷きませる」及び「食(を)す」も同様。「たしけくあらむと」は「確かにあるだろうと」、「明らめたまひ」は「それが明らかになって」という意味。「陸奥の小田なる山」は宮城県石巻市の西北、遠田郡涌谷町(わくやちょう)の黄金迫の地。古代から金が出たことで知られている。「神相うづなひ」は「貴重なものだと神々ともども喜び合われ」という意味である。「もののふの」は枕詞。「八十伴の男」は「官人」。「まつろへの 向けのまにまに」は「官人たちを心から平服なさって意のままに」ということ。「今のをつづに」は「今の今まで」。「せじと言立(ことだ)」は「~はしまいと誓って」ということ。

 (口語訳)
 葦原(あしはら)の瑞穂の国を(この日本国を)天から下ってきて治められた皇祖神。その神の命(みこと)が幾代も代を重ね、次々と代を日継ぎなされた。どの御代も治められている四方の国々には山や川があり、国土は広く豊か。なので献上申し上げる御宝は数えきれず、尽くしきれない。けれども、わが大君(天皇)は多くの人々を導かれ、立派な事業をお始めになったところ、黄金も確かにあるだろうとお思いになった。このことがずっと心におありになったところ、東の国は陸奥の小田なる山(宮城県遠田郡涌谷町)に黄金ありという報告をお受けになった。それが明らかになって、貴重なものと神々ともども喜び合われた。
 皇祖神の御霊の助けにより、遠い御代からの懸案だったことがこの御代に現実化した。これで、わが国土はますます栄えていくと神の御心でお思いになった。官人たちを心から平服なさって意のままに動かされ、老人も女子供も願う心を平安になさり、慰撫して治められた。このことを私は本当に尊く思い、ますます嬉しく思う。
 大伴の遠い祖先の神、その名も大久米主(あるじ)という誉れを背負ってお仕えしてきた官職。「海を行くなら水に沈む屍、山を行くなら草に埋もれる屍となって、大君の近くで死ぬのは本望。決して省みることはないと誓った一族。この大夫(ますらお)なる潔い名をいにしえより今の今まで受け継いできた子孫なるぞ。 大伴と佐伯の氏は祖先が立てた誓いのままに、子孫はその名を絶やさず、大君にお仕え申し上げる。そう言い継がれてきた官だぞ大伴は。梓弓を手に取り持って剣大刀を腰にしっかと帯び、守る。朝も夕も大君の御門を守るのは自分をおいて人はあるまいと、いよいよその思いはつのるばかり。大君の御言葉のありがたさの(また言う「を」)内容を承れば尊い(また言う「尊くてならない」)。

 反歌三首
4095  大夫の心思ほゆ大君の御言の幸を [一云 の] 聞けば貴み [一云 貴くしあれば]
      (大夫能 許己呂於毛保由 於保伎美能 美許登<乃>佐吉乎 [一云 能] 聞者多布刀美 [一云 貴久之安礼婆])
 長歌の末尾と同様。
 「大夫の心」は「先祖伝来の雄々しい心」。「先祖伝来の雄々しい心が湧き起こる。大君の御言葉のありがたさを聞けば尊い。」という歌である。

4096  大伴の遠つ神祖の奥津城はしるく標立て人の知るべく
      (大伴<乃> 等保追可牟於夜能 於久都奇波 之流久之米多弖 比等能之流倍久)
 「奥津城(おくつき)」は墓所のこと。「しるく」は「著く」で、「はっきりと」という意味である。「大伴の遠い祖先の神の墓所は標(しめ)をたててはっきり分かるようにしよう。人が見て分かるように」という歌である。

4097  すめろきの御代栄えむと東なる陸奥山に黄金花咲く
      (須賣呂伎能 御代佐可延牟等 阿頭麻奈流 美知<乃>久夜麻尓 金花佐久)
 「陸奥山」は4094番長歌の「陸奥の小田なる山」を指す。宮城県遠田郡涌谷町(わくやちょう)内。「すめろき(天皇)の御代が栄えるだろうと東(あづま)の陸奥山に黄金の花が咲いた」という歌である。
 左注に「天平感寳元年五月十二日越中國守の舘で大伴宿祢家持作」とある。天平勝宝元年は749年。

 頭注に「吉野の離宮に行幸されん時に備えてあらかじめ作った歌と短歌」とある。この時、大伴家持は帰京を夢見ていたようだ。吉野の離宮は奈良県吉野郡吉野町、吉野川の宮滝にあった。時の天皇は聖武天皇。
4098番長歌
   高御座 天の日継と 天の下 知らしめしける 天皇の 神の命の 畏くも 始めたまひて 貴くも 定めたまへる み吉野の この大宮に あり通ひ 見したまふらし もののふの 八十伴の男も おのが負へる おのが名負ひて 大君の 任けのまにまに この川の 絶ゆることなく この山の いや継ぎ継ぎに かくしこそ 仕へまつらめ いや遠長に
      (多可美久良 安麻<乃>日嗣等 天下 志良之賣師家類 須賣呂伎乃 可未能美許等能 可之古久母 波自米多麻比弖 多不刀久母 左太米多麻敝流 美与之努能 許乃於保美夜尓 安里我欲比 賣之多麻布良之 毛能乃敷能 夜蘇等母能乎毛 於能我於弊流 於能我名負弖 大王乃 麻氣能麻尓々々 此河能 多由流許等奈久 此山能 伊夜都藝都藝尓 可久之許曽 都可倍麻都良米 伊夜等保奈我尓)

  長歌は用語の解説を最小限にとどめる。「あり通ひ」は「通い続けられ」、「見(め)したまふらし」は「ご覧になる」という意味である。「もののふの八十伴の男」は4094番長歌参照。

 (口語訳)
 高い位をお継ぎになり、天下をお治めになっていらっしゃる天皇の神の命(みこと)が恐れ多くも始められ、尊くもお定めになったみ吉野のこの大宮。ここに通い続けられ、風景をご覧になられる。もろもろの官人たちも自分たちが負っている家名を背に、大君の仰せのままにいる。この川の絶えることがないように、この山が幾重にも重なり続いているように、次々とお仕え申そう。永遠に。

 反歌
4099  いにしへを思ほすらしも我ご大君吉野の宮をあり通ひ見す
      (伊尓之敝乎 於母保須良之母 和期於保伎美 余思努乃美夜乎 安里我欲比賣須)
 「あり通ひ」は前歌参照。「見(め)す」は敬語で、「ご覧になる」という意味。「過ぎ去った遠い昔を思っておいでだろうか。わが大君は吉野の宮に通っておいでになっては風景をご覧になっていらっしゃる」という歌である。

4100  もののふの八十氏人も吉野川絶ゆることなく仕へつつ見む
      (物能乃布能 夜蘇氏人毛 与之努河波 多由流許等奈久 都可倍追通見牟)
 「もののふの」は枕詞。「八十氏人」は「官人」。「もろもろのわれわれ官人も吉野川が絶えることがないように大君に仕えつつ見ようではないか」という歌である。
           (2016年11月20日記)
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